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03、王子たちを襲った悲劇
「見苦しいものを見せてしまい、大変失礼しました」
ひざまずいたままのアルカンジェロは素早く手帳に手を伸ばした。
「待って」
私はカウチに座ったまま、彼の手の甲に自分の指先を重ねた。私の冷えた指に彼のあたたかい体温が伝わった刹那、彼が少年のようにびくりと肩を震わせたのが分かった。
「この手帳――」
だが私は構わず尋ねた。
「十年前の王族暗殺事件について調べているのね?」
小さな部屋に沈黙が落ちた。夜の暗い運河が冷たい手のひらで、公爵邸の外壁を打つ音がかすかに聞こえる。
「な、なんのことでしょうか?」
グイードが剣を抜いても顔色ひとつ変えなかった彼が、震える声で尋ねた。
「ロムルツィア王家の痛ましい歴史の話よ」
私は声をひそめて答えた。
「始まりは、私がまだ六歳だった頃――第一王子であられたウンベルト殿下が、外交先のフランシア王国から戻られる途中で、山賊の襲撃に遭って亡くなられたわ」
盛大に国葬が執り行われ、誰もが知っている事実だから隠す必要はない。
「悲劇はそれで終わらなかった。その一年後、避暑に訪れていた離宮で、第二王子と第三王子の両殿下が、何者かに毒を盛られたのです」
私が言葉を続けると、アルカンジェロはかすかに唇を噛んだ。
「当時十歳だった第三王子のアルベルト殿下は、お体が小さかったこともあって、そのまま帰らぬ人となってしまわれたわ。共におられた第二王子のジルベルト殿下は一命こそ取り留めたものの、お体に重い障害が残ってしまわれて――」
話すうちに胸が苦しくなってきた。私は毒殺事件の数ヵ月前に、母に連れられて参加した王宮の音楽会で、アルベルト第三王子に会っているのだ。初夏の日差しの下、生き生きと輝いていたチョコレートブラウンの瞳を思い出す。
「その通りです、リラお嬢様。事件の首謀者はいまだ捕まっていない。あなたのお父上――プリマヴェーラ騎士団長閣下の献身的な尽力にもかかわらず」
「そうよ。だから私は父のためにもグイード様との婚姻に賭けていたの」
グイードの父ブライデン公爵は王弟。三人の王子が命を落とせば、王位継承権はブライデン公爵に転がり込む。
騎士団長である私の父は、陛下から十年前の事件解決をせかされている。だがブライデン公爵をみだりに疑って、公爵邸に潜入調査をすることなどできない。
それで私がグイードの妻としてブライデン公爵邸に入り、過去の記録を調べようと考えた。もしブライデン公爵が首謀者なら、暴漢を雇って馬車を襲わせたり、毒薬を調達したりといった悪行に関する秘密の帳簿が残っている可能性がある。
アルカンジェロは、拾い上げた手帳をウエストコートのポケットにしまいながら首を振った。
「リラお嬢様、危険なことはおやめください。ブライデン閣下は、騎士団長の大切なお嬢様であるあなたを人質にして騎士団長の弱みを握るために、息子グイード様との婚姻話を持ち掛けたのですよ?」
「私はそれを逆手に取ってやったの。父も了承済みよ」
「事件の首謀者は平気で命を奪うというのに、なんと気丈な」
頭を抱えるアルカンジェロに私は言い放った。
「私を誰だと思っているの? 鬼の騎士団長の娘、リラ・プリマヴェーラよ。父の役に立ちたいの」
人々の尊敬を集め、国王から厚い信頼を寄せられる彼は、私にとって自慢の父親だ。
「あなたはブライデン公爵家のお抱え歌手だけど――」
言いかけて私はハッとした。大広間で貴族の男が言っていた言葉を思い出したのだ。
「大聖堂聖歌隊のソリストという話だったわね」
大聖堂の最高位は大教主様。国王陛下の叔父にあたる方だ。
私は声をひそめて尋ねた。
「あなたは大教主様の命を受けて、密偵として送り込まれているの?」
「リラお嬢様、申し訳ありませんが、その質問に答えることはできません」
まあ自ら密偵です、なんて自己紹介してくれる密偵はいないわよね。
だが私はカウチの上から彼を見下ろしたまま、その瞳をひたと見据えた。
「分かりました。では先ほどの手帳を見せて下さる?」
「できかねます。私はこの危険な仕事にお嬢様を巻き込みたくはありません」
真剣な表情で断られてしまった。
「仕方ないわね。考えておきましょう」
私はふいと窓の方を向いた。燭台に火を灯したせいで、運河に映る月影は見えなくなっていた。冷たいガラス窓には、プラチナブロンドの髪を高く結い上げた私が、意志を秘めた薄紫の瞳で見つめる姿が映っていた。
─ * ─
ここまでお読みいただきありがとうございます!
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ひざまずいたままのアルカンジェロは素早く手帳に手を伸ばした。
「待って」
私はカウチに座ったまま、彼の手の甲に自分の指先を重ねた。私の冷えた指に彼のあたたかい体温が伝わった刹那、彼が少年のようにびくりと肩を震わせたのが分かった。
「この手帳――」
だが私は構わず尋ねた。
「十年前の王族暗殺事件について調べているのね?」
小さな部屋に沈黙が落ちた。夜の暗い運河が冷たい手のひらで、公爵邸の外壁を打つ音がかすかに聞こえる。
「な、なんのことでしょうか?」
グイードが剣を抜いても顔色ひとつ変えなかった彼が、震える声で尋ねた。
「ロムルツィア王家の痛ましい歴史の話よ」
私は声をひそめて答えた。
「始まりは、私がまだ六歳だった頃――第一王子であられたウンベルト殿下が、外交先のフランシア王国から戻られる途中で、山賊の襲撃に遭って亡くなられたわ」
盛大に国葬が執り行われ、誰もが知っている事実だから隠す必要はない。
「悲劇はそれで終わらなかった。その一年後、避暑に訪れていた離宮で、第二王子と第三王子の両殿下が、何者かに毒を盛られたのです」
私が言葉を続けると、アルカンジェロはかすかに唇を噛んだ。
「当時十歳だった第三王子のアルベルト殿下は、お体が小さかったこともあって、そのまま帰らぬ人となってしまわれたわ。共におられた第二王子のジルベルト殿下は一命こそ取り留めたものの、お体に重い障害が残ってしまわれて――」
話すうちに胸が苦しくなってきた。私は毒殺事件の数ヵ月前に、母に連れられて参加した王宮の音楽会で、アルベルト第三王子に会っているのだ。初夏の日差しの下、生き生きと輝いていたチョコレートブラウンの瞳を思い出す。
「その通りです、リラお嬢様。事件の首謀者はいまだ捕まっていない。あなたのお父上――プリマヴェーラ騎士団長閣下の献身的な尽力にもかかわらず」
「そうよ。だから私は父のためにもグイード様との婚姻に賭けていたの」
グイードの父ブライデン公爵は王弟。三人の王子が命を落とせば、王位継承権はブライデン公爵に転がり込む。
騎士団長である私の父は、陛下から十年前の事件解決をせかされている。だがブライデン公爵をみだりに疑って、公爵邸に潜入調査をすることなどできない。
それで私がグイードの妻としてブライデン公爵邸に入り、過去の記録を調べようと考えた。もしブライデン公爵が首謀者なら、暴漢を雇って馬車を襲わせたり、毒薬を調達したりといった悪行に関する秘密の帳簿が残っている可能性がある。
アルカンジェロは、拾い上げた手帳をウエストコートのポケットにしまいながら首を振った。
「リラお嬢様、危険なことはおやめください。ブライデン閣下は、騎士団長の大切なお嬢様であるあなたを人質にして騎士団長の弱みを握るために、息子グイード様との婚姻話を持ち掛けたのですよ?」
「私はそれを逆手に取ってやったの。父も了承済みよ」
「事件の首謀者は平気で命を奪うというのに、なんと気丈な」
頭を抱えるアルカンジェロに私は言い放った。
「私を誰だと思っているの? 鬼の騎士団長の娘、リラ・プリマヴェーラよ。父の役に立ちたいの」
人々の尊敬を集め、国王から厚い信頼を寄せられる彼は、私にとって自慢の父親だ。
「あなたはブライデン公爵家のお抱え歌手だけど――」
言いかけて私はハッとした。大広間で貴族の男が言っていた言葉を思い出したのだ。
「大聖堂聖歌隊のソリストという話だったわね」
大聖堂の最高位は大教主様。国王陛下の叔父にあたる方だ。
私は声をひそめて尋ねた。
「あなたは大教主様の命を受けて、密偵として送り込まれているの?」
「リラお嬢様、申し訳ありませんが、その質問に答えることはできません」
まあ自ら密偵です、なんて自己紹介してくれる密偵はいないわよね。
だが私はカウチの上から彼を見下ろしたまま、その瞳をひたと見据えた。
「分かりました。では先ほどの手帳を見せて下さる?」
「できかねます。私はこの危険な仕事にお嬢様を巻き込みたくはありません」
真剣な表情で断られてしまった。
「仕方ないわね。考えておきましょう」
私はふいと窓の方を向いた。燭台に火を灯したせいで、運河に映る月影は見えなくなっていた。冷たいガラス窓には、プラチナブロンドの髪を高く結い上げた私が、意志を秘めた薄紫の瞳で見つめる姿が映っていた。
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