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第二幕:早春の大建国祭
12、大建国祭、リラは誰と過ごすのか?
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「お兄様」
私はクリス兄様を見上げる。
「大建国祭、私と一緒に過ごして下さいますか?」
だが仮面を外した彼は、似合わない女装姿のまま困ったような笑顔を浮かべた。
「悪いね、リラ。すでに先約があるんだ」
エルヴィーラ様と回るのだろう。そのため完璧に素性を隠せる仮装を選んだのだと直感した私に、兄はすまなそうに付け加えた。
「友人と約束してしまって」
「お気になさらないでくださいませ」
兄に笑顔を向けてから、私は広間に控える侍女たちを見回した。仮装するとはいえ、未婚の貴族女性が一人で歩き回るわけにはいかない。
しかし壁際で待機している使用人たちは皆、さりげなく目をそらした。彼らだって恋人や友人、家族がいるのだから、祝祭日に奉公先のお嬢様のお世話などしたくはないのだ。
衣装を手に部屋へ入った私は鏡の前に立って、背中のボタンを外してくれるマリアに尋ねた。
「マリアは今年の大建国祭もご家族で楽しむのでしょう?」
彼女は毎年、夫である執事長と子供たちと共に大建国祭を祝っている。私が子供の頃からお目付け役として仕えてくれていたのでよく知っているのに、うっかり尋ねてしまった。
顔を上げたマリアと、鏡越しに目が合う。
「リラお嬢様、必要でしたら私がご一緒しましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ」
私はすぐに答えた。彼女の子供たちから母親を奪うのも気が引けるし、祝賀期間中まで口うるさいマリアに監視されたくない。誰か若い侍女を見つけて付き添ってもらうほうが、私も羽を伸ばせる。
お母様はチョッチョと、お兄様はエルヴィーラ嬢と楽しむ大建国祭に、私だけ相手がいないなんて。
気持ちが沈みかけたが、二人の相手は人に言えない秘密の恋人なのだと思い直した。
私は「鬼の騎士団長」だの「歩く法典」だのと言われるお父様の娘なのだから、つねに正しくあらなければ。お母様のようにカストラート歌手と許されぬ恋に落ちたりはしないのよ。
でも考えてみたら――
祝賀期間中、お供をしてくれる侍女が見つからないのなら、伯爵邸で雇っている音楽教師に付き添いを頼むのもやむを得ないのでは? 音楽家と使用人は違うとはいえ、未婚の令嬢が一人で街を歩くより何倍もマシよ!
とはいえ、アルカンジェロは誰と大建国祭を楽しむ予定なのかしら? 考え出した途端、胸の鼓動が速くなった。
祝賀期間中も彼は大聖堂でミサを捧げたり、公爵邸で歌う仕事があるかも知れない。でも五日間毎日、朝から晩まで仕事をする変人なんて父のほかにいるわけない。
次のレッスンでアルカンジェロに会ったら、大建国祭は誰と過ごすのか訊いてみようかしら?
でも先ほどのお兄様みたいに「ちょっと先約が」なんて返されたら、私は立ち直れない気がする。
逆に「一人でそぞろ歩くつもりですよ」という返事だったら、果たして私は「ではわたくしの共をなさい」なんて言えるのかしら? 彼にそんな高飛車な態度を取りたくないわ。もっと可愛らしく「それなら私と回りましょう?」と甘えたいもの。
いいえ、由緒正しい伯爵家の娘が自分から殿方を誘うなんていけませんわ!
鏡の前で百面相をしながら悩みあぐねていたら、いつの間にか着替えが終わっていた。広間へ出ると、
「まあ、かわいい!」
お母様が少女のように喜んだ。
だが同時に階下の水上玄関から、
「おかえりなさいませ、旦那様」
と、使用人の声が聞こえた。
伯爵邸には大運河に面した水上玄関と、小さな広場に面した地上の出入り口がある。私たち家族がゴンドラで移動するときは、桟橋の備えられた水上玄関を使っている。
父の帰還を悟ったクリス兄様とチョッチョは連れ立って、広間からさりげなく姿を消した。私も着替えた部屋に戻ろうとしたとき、
「リラはどこだ?」
父の声が聞こえて、緊張が体をかけめぐった。父は仮装などくだらないと顔をしかめるに決まっているのだ。
「お嬢様でしたら広間に」
使用人が答え、階段を登る父の靴音が近づいてくる。
お母様は壁に掛けられた大きな絵画の下、カウチに腰かけて悠然と扇を揺らしていた。仮面をつけている以上、その風はほとんど感じられないと思うのだが。
広間と大階段を隔てる扉がひらいて、父が顔をのぞかせた。案の定、金色の衣装に身を包んだ母を一瞥して、あからさまに不機嫌な表情になる。だが何も言わず、立ち尽くしたままの私に視線を移した。
「リラ、着替え終わったらわしの執務室へ来なさい」
一体なんの用事だろう?
アルカンジェロが新しい音楽教師になったことを咎められる――はずはないと思うのだけれど。騎士団長として活躍されているお父様に、娘の音楽教師選定に口出しするお暇はないでしょうから。ほかの貴族家でも、音楽家の采配は夫人の役割であることが多いのだ。
万一咎められたら、私にはとっておきの秘策がある。十年前の王子殿下毒殺事件を解決することは、お父様のお仕事のお役に立てることだと説くのだ。
私は自分の心を奮い立たせたが、それでも胸につかえた不安は消えなかった。
着替えが終わって父の執務室を訪れると、すでに日が傾いていた。窓から差し込む夕日が、壁に並んだ先祖代々の肖像画を赤く染める。窓からのぞく塀の上には、紫色の雲が折り重なっていた。
大きな書斎机に両腕を乗せた父が、満面の笑みを浮かべた。
「リラ、朗報だ。私の部下がお前と婚約したいと申し出てくれた」
─ * ─
リラの仮装は大建国祭が始まると分かります!(16話)
ついに来た、新しい婚約者の話。どんな相手なのか、リラはどう返事をするのか?
私はクリス兄様を見上げる。
「大建国祭、私と一緒に過ごして下さいますか?」
だが仮面を外した彼は、似合わない女装姿のまま困ったような笑顔を浮かべた。
「悪いね、リラ。すでに先約があるんだ」
エルヴィーラ様と回るのだろう。そのため完璧に素性を隠せる仮装を選んだのだと直感した私に、兄はすまなそうに付け加えた。
「友人と約束してしまって」
「お気になさらないでくださいませ」
兄に笑顔を向けてから、私は広間に控える侍女たちを見回した。仮装するとはいえ、未婚の貴族女性が一人で歩き回るわけにはいかない。
しかし壁際で待機している使用人たちは皆、さりげなく目をそらした。彼らだって恋人や友人、家族がいるのだから、祝祭日に奉公先のお嬢様のお世話などしたくはないのだ。
衣装を手に部屋へ入った私は鏡の前に立って、背中のボタンを外してくれるマリアに尋ねた。
「マリアは今年の大建国祭もご家族で楽しむのでしょう?」
彼女は毎年、夫である執事長と子供たちと共に大建国祭を祝っている。私が子供の頃からお目付け役として仕えてくれていたのでよく知っているのに、うっかり尋ねてしまった。
顔を上げたマリアと、鏡越しに目が合う。
「リラお嬢様、必要でしたら私がご一緒しましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ」
私はすぐに答えた。彼女の子供たちから母親を奪うのも気が引けるし、祝賀期間中まで口うるさいマリアに監視されたくない。誰か若い侍女を見つけて付き添ってもらうほうが、私も羽を伸ばせる。
お母様はチョッチョと、お兄様はエルヴィーラ嬢と楽しむ大建国祭に、私だけ相手がいないなんて。
気持ちが沈みかけたが、二人の相手は人に言えない秘密の恋人なのだと思い直した。
私は「鬼の騎士団長」だの「歩く法典」だのと言われるお父様の娘なのだから、つねに正しくあらなければ。お母様のようにカストラート歌手と許されぬ恋に落ちたりはしないのよ。
でも考えてみたら――
祝賀期間中、お供をしてくれる侍女が見つからないのなら、伯爵邸で雇っている音楽教師に付き添いを頼むのもやむを得ないのでは? 音楽家と使用人は違うとはいえ、未婚の令嬢が一人で街を歩くより何倍もマシよ!
とはいえ、アルカンジェロは誰と大建国祭を楽しむ予定なのかしら? 考え出した途端、胸の鼓動が速くなった。
祝賀期間中も彼は大聖堂でミサを捧げたり、公爵邸で歌う仕事があるかも知れない。でも五日間毎日、朝から晩まで仕事をする変人なんて父のほかにいるわけない。
次のレッスンでアルカンジェロに会ったら、大建国祭は誰と過ごすのか訊いてみようかしら?
でも先ほどのお兄様みたいに「ちょっと先約が」なんて返されたら、私は立ち直れない気がする。
逆に「一人でそぞろ歩くつもりですよ」という返事だったら、果たして私は「ではわたくしの共をなさい」なんて言えるのかしら? 彼にそんな高飛車な態度を取りたくないわ。もっと可愛らしく「それなら私と回りましょう?」と甘えたいもの。
いいえ、由緒正しい伯爵家の娘が自分から殿方を誘うなんていけませんわ!
鏡の前で百面相をしながら悩みあぐねていたら、いつの間にか着替えが終わっていた。広間へ出ると、
「まあ、かわいい!」
お母様が少女のように喜んだ。
だが同時に階下の水上玄関から、
「おかえりなさいませ、旦那様」
と、使用人の声が聞こえた。
伯爵邸には大運河に面した水上玄関と、小さな広場に面した地上の出入り口がある。私たち家族がゴンドラで移動するときは、桟橋の備えられた水上玄関を使っている。
父の帰還を悟ったクリス兄様とチョッチョは連れ立って、広間からさりげなく姿を消した。私も着替えた部屋に戻ろうとしたとき、
「リラはどこだ?」
父の声が聞こえて、緊張が体をかけめぐった。父は仮装などくだらないと顔をしかめるに決まっているのだ。
「お嬢様でしたら広間に」
使用人が答え、階段を登る父の靴音が近づいてくる。
お母様は壁に掛けられた大きな絵画の下、カウチに腰かけて悠然と扇を揺らしていた。仮面をつけている以上、その風はほとんど感じられないと思うのだが。
広間と大階段を隔てる扉がひらいて、父が顔をのぞかせた。案の定、金色の衣装に身を包んだ母を一瞥して、あからさまに不機嫌な表情になる。だが何も言わず、立ち尽くしたままの私に視線を移した。
「リラ、着替え終わったらわしの執務室へ来なさい」
一体なんの用事だろう?
アルカンジェロが新しい音楽教師になったことを咎められる――はずはないと思うのだけれど。騎士団長として活躍されているお父様に、娘の音楽教師選定に口出しするお暇はないでしょうから。ほかの貴族家でも、音楽家の采配は夫人の役割であることが多いのだ。
万一咎められたら、私にはとっておきの秘策がある。十年前の王子殿下毒殺事件を解決することは、お父様のお仕事のお役に立てることだと説くのだ。
私は自分の心を奮い立たせたが、それでも胸につかえた不安は消えなかった。
着替えが終わって父の執務室を訪れると、すでに日が傾いていた。窓から差し込む夕日が、壁に並んだ先祖代々の肖像画を赤く染める。窓からのぞく塀の上には、紫色の雲が折り重なっていた。
大きな書斎机に両腕を乗せた父が、満面の笑みを浮かべた。
「リラ、朗報だ。私の部下がお前と婚約したいと申し出てくれた」
─ * ─
リラの仮装は大建国祭が始まると分かります!(16話)
ついに来た、新しい婚約者の話。どんな相手なのか、リラはどう返事をするのか?
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