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第33話、お色気おねえさんは隙だらけ
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朝に弱い俺はあくびをしながら玲萌に手を引かれて、ふだんは立ち入らない王立魔道学院の敷地奥まで来ていた。
「この重厚な建物が古文書院?」
「樹葵、はじめて入るの? 発表の調べものとか、論文書くときとか使わなかった?」
質問に質問で返すな。むすっとしている俺に、
「じゃあ栞奈楠さんも知らない? 猫好きの女性よ」
瀬良師匠が言っていた熟練の司書さんか。猫好きは関係ないだろ。――と、このときの俺は思っていた。
「手伝ってもらえるといいけど……」
小声で言いながら玲萌が分厚い木の扉を押し開けた。
古い木製の本棚が立ち並ぶ室内は紙のにおいに満ちている。障子ごしにさしこむ日差しは天井まで届く本棚にさえぎられて、少しうす暗い。静謐な空間はどこか心が落ち着く不思議ななつかしさを秘めていた。
「玲萌、本が浮かんでるぜ!」
「奈楠さんはああやって貴重な資料に手を触れずに整理するのよ。彼女もう仕事はじめてるみたいね」
呪文をかけられた本が俺たちの頭上をふわふわとただよって、それぞれが所定の位置に収まっていく。
「にゃ?」
本棚の影から聞こえる猫の鳴き声のような――って、こんな重要な古文書がたくさんある場所に猫いたらやばいよな!?
「やーっぱりぃ、玲萌しゃんにゃあ!」
のんびりとした声の主が向こうの本棚のうしろから姿をあらわした。みかん色の髪を高い位置でふたつ、とんがったお団子にしている。そうか、しゃべり方から察するにこの髪型も猫の耳をまねしてるのかも。また濃いやつが出てきたなあ。
「お仕事おつかれさま、奈楠さん」
「おはよう、玲萌しゃん。今日はなんの調べものにゃ?」
近づいてくると紺地の小袖に描かれた白い柄も猫だと分かった。帯まで肉球が刺繍されている。
「はっ!」
その彼女がいきなり、俺を見て息をのむ。なんなんだ…… あーそっか毎回、初対面のやつには俺のこの外見について説明しなきゃなんねーのか。この姿になってからずっと葦寸の屋敷に引きこもり状態だったから慣れねえな、こーやって奇異な目を向けられんの。
見開かれた黄玉色の瞳から目をそらして、俺が口を開こうとしたとき、
「玲萌しゃん!!」
彼女はいきなり、俺の前に立つ玲萌の両肩に手を置いた。「そちらの可愛らしいあやかしの男子はどなたですにゃ?」
えっ…… 予想とだいぶ異なる反応にかたまる俺。
「この子は樹葵。この秋、二年ぶりで学院に戻ってきたのよ」
てみじかに説明する玲萌の話を聞いているのかいないのか、
「はうわぁ…… 緑の瞳なんて本物の猫ちゃんみたいにゃ…… しかもつり上がっててうらやましすぎる……」
うらやましいのかよ!? 玲萌の肩に手をおいたまま、ふるふるとしている司書さんに、
「こんにちは、奈楠さん。気に入ってもらえたならうれしいよ。この目だけは生まれつきだから」
と言って俺は笑いかけた。
「牙まで生えてるにゃん。まさに猫ちゃん…… うらにゃましい……」
奈楠さんは二十歳くらいに見えるのだが、熟練ってことはもっと年上か? しまった、もっと丁寧な口調で話すべきだったかも。大人の女性の年齢なんて見た目からじゃ全然分かんねえよ!
いま口にしたことをそっこー後悔するという、絶賛気にしぃ発動中の俺には気付かず、
「はぁ、白猫ちゃんもいいにゃあ」
などとひとりごとを言いながら、まだ玲萌のうしろに半身をかくしたままで、俺の髪に震える指先をのばす。俺はごくっと生唾を飲み込んだ。仕事一辺倒であまり身だしなみに時間をかけない人なのかもしれない。首筋にまとわりつくおくれ毛も、ややあけすぎた胸元からも、しどけなさが匂い立つ。
奈楠さんの少しかさついた指先は俺に触れる直前、ひっこんでしまった。
「いけにゃい、いけにゃい。また悪いくせが出ちゃった。道端で猫ちゃん見かけるとついついさわりたくなっちゃうにゃ」
一人でもごもご言ってるが、ここは道端じゃねーし、そもそも俺は猫ちゃんじゃない。
「奈楠さん、俺たちむかしの文献を探しに来たんだ。八百五十年前にここ白草で土蜘蛛が封印されたと思うんだけど、そのことを記した当時の資料ってありやすか? 探すの手伝ってもらいてぇんだけど――」
「はにゃぁ」
分かったんだかなんだか不安になるような返事をする奈楠さん。「この街の文献なら豊富にあるにゃ。白草が一国だったころのものからにゃ~」
奈楠さんは俺たちを案内するつもりなのか、ゆっくりと歩きだす。うしろを向いて初めて気づいたが、帯に猫のしっぽを模した布状のものがはさまっている。
「なんか動いてて気になるわね」
玲萌が耳打ちする。芯に針金でも入っているのだろうか? 奈楠さんが歩くたびちょうどよく揺れる。好奇心のかたまりである玲萌が思わず指でつっつくと、
「やめるにゃ玲萌しゃん! 勝手にひとのしっぽをさわるのは失礼に値するんだニャ?」
知らねーよ、そんな猫世界の規則……
「ごめん奈楠さん、ついかわいくって」
「あ、玲萌しゃんも猫になりたい同志かにゃ!?」
目を輝かせる奈楠さんを、
「や、それはない」
無下につっぱねる玲萌。奈楠さんはなにも答えず無表情のまま、
「ここにゃ。白草の文献が時代順に集まってるニャ」
俺たちを古びた書棚の前に連れてゆくと、そそくさと自分の仕事に戻ってしまった。
「すっごい膨大な資料があるわね!」
「うれしそうな声出すなよ、玲萌。こっから探すって相当大変だぞ?」
「でも樹葵、こんな古い文献に手を触れられるだけで、すごいことだと思わない!? 魔道学院の学生じゃなかったら絶対お目にかかれないような文献なんだから!」
そうかも知れねえが、奈楠さんの言った「豊富」は想像を絶する量だったのだ。
「かたっぱしから調べるわよっ」
「この重厚な建物が古文書院?」
「樹葵、はじめて入るの? 発表の調べものとか、論文書くときとか使わなかった?」
質問に質問で返すな。むすっとしている俺に、
「じゃあ栞奈楠さんも知らない? 猫好きの女性よ」
瀬良師匠が言っていた熟練の司書さんか。猫好きは関係ないだろ。――と、このときの俺は思っていた。
「手伝ってもらえるといいけど……」
小声で言いながら玲萌が分厚い木の扉を押し開けた。
古い木製の本棚が立ち並ぶ室内は紙のにおいに満ちている。障子ごしにさしこむ日差しは天井まで届く本棚にさえぎられて、少しうす暗い。静謐な空間はどこか心が落ち着く不思議ななつかしさを秘めていた。
「玲萌、本が浮かんでるぜ!」
「奈楠さんはああやって貴重な資料に手を触れずに整理するのよ。彼女もう仕事はじめてるみたいね」
呪文をかけられた本が俺たちの頭上をふわふわとただよって、それぞれが所定の位置に収まっていく。
「にゃ?」
本棚の影から聞こえる猫の鳴き声のような――って、こんな重要な古文書がたくさんある場所に猫いたらやばいよな!?
「やーっぱりぃ、玲萌しゃんにゃあ!」
のんびりとした声の主が向こうの本棚のうしろから姿をあらわした。みかん色の髪を高い位置でふたつ、とんがったお団子にしている。そうか、しゃべり方から察するにこの髪型も猫の耳をまねしてるのかも。また濃いやつが出てきたなあ。
「お仕事おつかれさま、奈楠さん」
「おはよう、玲萌しゃん。今日はなんの調べものにゃ?」
近づいてくると紺地の小袖に描かれた白い柄も猫だと分かった。帯まで肉球が刺繍されている。
「はっ!」
その彼女がいきなり、俺を見て息をのむ。なんなんだ…… あーそっか毎回、初対面のやつには俺のこの外見について説明しなきゃなんねーのか。この姿になってからずっと葦寸の屋敷に引きこもり状態だったから慣れねえな、こーやって奇異な目を向けられんの。
見開かれた黄玉色の瞳から目をそらして、俺が口を開こうとしたとき、
「玲萌しゃん!!」
彼女はいきなり、俺の前に立つ玲萌の両肩に手を置いた。「そちらの可愛らしいあやかしの男子はどなたですにゃ?」
えっ…… 予想とだいぶ異なる反応にかたまる俺。
「この子は樹葵。この秋、二年ぶりで学院に戻ってきたのよ」
てみじかに説明する玲萌の話を聞いているのかいないのか、
「はうわぁ…… 緑の瞳なんて本物の猫ちゃんみたいにゃ…… しかもつり上がっててうらやましすぎる……」
うらやましいのかよ!? 玲萌の肩に手をおいたまま、ふるふるとしている司書さんに、
「こんにちは、奈楠さん。気に入ってもらえたならうれしいよ。この目だけは生まれつきだから」
と言って俺は笑いかけた。
「牙まで生えてるにゃん。まさに猫ちゃん…… うらにゃましい……」
奈楠さんは二十歳くらいに見えるのだが、熟練ってことはもっと年上か? しまった、もっと丁寧な口調で話すべきだったかも。大人の女性の年齢なんて見た目からじゃ全然分かんねえよ!
いま口にしたことをそっこー後悔するという、絶賛気にしぃ発動中の俺には気付かず、
「はぁ、白猫ちゃんもいいにゃあ」
などとひとりごとを言いながら、まだ玲萌のうしろに半身をかくしたままで、俺の髪に震える指先をのばす。俺はごくっと生唾を飲み込んだ。仕事一辺倒であまり身だしなみに時間をかけない人なのかもしれない。首筋にまとわりつくおくれ毛も、ややあけすぎた胸元からも、しどけなさが匂い立つ。
奈楠さんの少しかさついた指先は俺に触れる直前、ひっこんでしまった。
「いけにゃい、いけにゃい。また悪いくせが出ちゃった。道端で猫ちゃん見かけるとついついさわりたくなっちゃうにゃ」
一人でもごもご言ってるが、ここは道端じゃねーし、そもそも俺は猫ちゃんじゃない。
「奈楠さん、俺たちむかしの文献を探しに来たんだ。八百五十年前にここ白草で土蜘蛛が封印されたと思うんだけど、そのことを記した当時の資料ってありやすか? 探すの手伝ってもらいてぇんだけど――」
「はにゃぁ」
分かったんだかなんだか不安になるような返事をする奈楠さん。「この街の文献なら豊富にあるにゃ。白草が一国だったころのものからにゃ~」
奈楠さんは俺たちを案内するつもりなのか、ゆっくりと歩きだす。うしろを向いて初めて気づいたが、帯に猫のしっぽを模した布状のものがはさまっている。
「なんか動いてて気になるわね」
玲萌が耳打ちする。芯に針金でも入っているのだろうか? 奈楠さんが歩くたびちょうどよく揺れる。好奇心のかたまりである玲萌が思わず指でつっつくと、
「やめるにゃ玲萌しゃん! 勝手にひとのしっぽをさわるのは失礼に値するんだニャ?」
知らねーよ、そんな猫世界の規則……
「ごめん奈楠さん、ついかわいくって」
「あ、玲萌しゃんも猫になりたい同志かにゃ!?」
目を輝かせる奈楠さんを、
「や、それはない」
無下につっぱねる玲萌。奈楠さんはなにも答えず無表情のまま、
「ここにゃ。白草の文献が時代順に集まってるニャ」
俺たちを古びた書棚の前に連れてゆくと、そそくさと自分の仕事に戻ってしまった。
「すっごい膨大な資料があるわね!」
「うれしそうな声出すなよ、玲萌。こっから探すって相当大変だぞ?」
「でも樹葵、こんな古い文献に手を触れられるだけで、すごいことだと思わない!? 魔道学院の学生じゃなかったら絶対お目にかかれないような文献なんだから!」
そうかも知れねえが、奈楠さんの言った「豊富」は想像を絶する量だったのだ。
「かたっぱしから調べるわよっ」
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