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第44話、暗い洞窟を抜けると真夏であった

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 左手を湿った岩壁にすべらせて注意深く足を運ぶ。空気のにおいが変わる。なんだろう、さっきまでは秋にしか感じられない焚き火みたいな香りに包まれていたのに、いまはしたたるような草のにおいがする。

 向こうに明かりが見えてきた。はやる心にさからえず足早に進む。確実に温度と湿度が上がってゆく。

「同じ場所!?」

 ほら穴の外にはさきほどと同じ大きさの滝。

「――違う、季節が……」

 俺は口の中でつぶやいた。滝へと枝を差し出す木々は強い日差しを受けて青々とした葉を輝かせ、あたり一面に蝉の声が響いている。

 目の前の滝に視線を戻したとき、流れ落ちる水をすかして水浴びをする小さな人影が見えた。

惠簾エレン―― じゃないな……」

 小さな滝を迂回すると、それは年端としはもいかぬ少女だった。八歳か九歳くらいだろうか。幻想的な水色の髪を飛仙髻ひせんけいに結い、後ろ髪を長くたらしたさまは天女のようだ。

「よくぞ参られた、があるじよ」

 少女は振り返ると当然のように言った。俺が突然、隧道トンネルから現れたことにまったく驚いていない。言葉を失い立ち尽くす俺に気付くと、

「驚かせてすまなかったの。そなたをここに呼んだのはわらわなのじゃ」

 弁解するように言ってこちらへ近付いてきた。その顔立ちは驚くほど整っている。この幼さでこんなにきれいな女の子は見たことがない。やはり夢の世界に迷い込んでしまったのだろうか?

 俺はかすれた声をなんとかしぼりだして、

「ここはどこで、きみは誰なの?」

 と尋ねるのが精いっぱいだった。

「ああ! やってしもうたわぃ!」

 少女はいきなり頭をかかえた。こんな小さい子を泣かせては大変と、俺は少しかがむとその小さな背中をやさしくさすった。「ごめんね、大丈夫だよ」

「ぬしさま、あやまらないでほしいのじゃ! わらわがとんまなのじゃ」

 少女は俺の両腕にすがるようにして、涙目で見上げていた。この年頃の子供はたいてい俺を指さし、あの人うろことヒレが生えてるーお魚さんみたいーなどと騒ぐものだから、少女が一切の躊躇ちゅうちょなく俺にれたことに少し驚いた。

「ぬしさま?」

 首をかしげるかわいらしさは子供そのものなのだが。

「ええっと、この場所は――」

 再度同じことを尋ねようとした俺に、

「そうじゃった! ここはわらわとぬしさまの精神こころ世界ほとり、そしてわらわはぬしさまが神剣と呼んでおったつるぎの精じゃ」

「つるぎの精!?」

 おうむ返しにたずねたとき、いつの間にか手にしていたはずの神剣・雲斬くもぎりが消えていることに気付いた。

「さよう。自己紹介が遅れたゆえに驚かせてしもうて、ごめんなさいなのじゃぁぁ!」

 俺のおなかに顔をうずめる少女の髪を、あやすようになでながら、

「泣かないで。平気だから」

「これにりずに、わらわのあるじとなってくれるじゃろうか?」

 硝子ガラス玉のように透き通った水色の瞳で、不安そうに見上げる。「わらわは何百年も暗いところでずっと待っていたのじゃ。わらわを使ってくれる誰かを」

 置いてけぼりにされた幼子おさなごのように寂しそうな表情をする。

「もうわらわは用済みかとあきらめていたところに、強く神聖な気が近づいてきた。それがぬしさまだったのじゃ」

 惠簾エレンには抜けなかったさやが俺には抜けたのだから、つるぎの精霊は俺を所有者と認めてくれたのだろうし、できることなら使ってやりたいが――

「俺は剣技の授業をまじめにやってこなかったし、そのうえ俺の魔力は魔術剣に流すには大きすぎるんだ」

 俺の言葉に、少女は驚いたように顔を上げた。

「ぬしさまの力は魔力ではないぞ?」

「えっ!?」

 少女は水から上がると、水辺へと伸びた枝にかけてあった透明の布を身にまとった。

人間ひとは力の色を見分ける能力ちからがないから混同しているようじゃが、ぬしさまが受け継いだのは精霊王の力じゃ」

 と言って、池のまわりを囲む岩のひとつに腰かけた。俺もとなりに腰を下ろす。陽光であたためられてあたたかい。

「わらわたち精霊の目には、魔力と違って透明で清らかな気にえるのじゃ」

 俺は魔道学院で習った「魔力」の定義を思い出そうとする。呪文を唱えるとは精霊に呼びかけること。その内容は、気を分け与えるかわりに精霊に働いてもらうという要請だ。その結果、精霊の力により魔術という現象が起こる。一人の人間が精霊に与えられる気をたくさん有していた場合、その人物は「魔力量が多い」と言われるのだ。

「じゃが精霊の力は魔力より一点に集中した濃い気じゃから、人間用に調整された魔術剣に通せば剣を壊してしまうじゃろうな」

「そうだったんだ……」

 と返事をしたものの、原理がよく分からねえ。俺の脳みそじゃ限界だから、ここはきれいさっぱりあきらめよう!

神代かみよに怪鳥の腹から生まれた神剣のわらわなら、ぬしさまが持つ精霊王の力も扱えるぞ?」

 神剣が俺の力を扱うのか。俺が神剣を使うんじゃなくて……?

に落ちぬという顔じゃな?」

「ん、なんか話が難しくって。俺どーせ馬鹿だし……」

「ぬしさまは馬鹿じゃないぞ!」

 少女は俺の膝に小さな両手を乗せて、一生懸命見上げた。「わらわがあるじにと選んだお人じゃ! ぬしさまはとても聡明なのじゃ。なのにわらわの説明が下手なばっかりに――」

 しまった。また泣き出しそう……

「ごめんなさいなのじゃぁぁっ!」

 あ、やっぱり。この精霊さん、神代かみよの時代から何千年も生きてるんじゃねーのかな? 俺のひざにつっぷしている小さな背中をなでていると、

「そうじゃ、試してみればよいのじゃ!」

 いきなり顔を上げると、短い右手を滝の方へ突き出した。その手へ見る見るに水が集まって、つるぎの形を成す。

「すげぇ……」

 俺が目を見開いたときには、黄金色に輝く銅剣となった。

「これは水を操るそなたの力を借りたのじゃぞ?」

 俺、そんなことできないんですけど……

「ここはわらわとそなた、ふたりの精神こころからつくりだした場所じゃからな」

 少女はぴょんっと岩から飛び降りると、俺につるぎを持たせた。

「さあ、ぬしさまの力を流してくだされ」

「これが、神剣・雲斬くもぎりなの? ここに雲斬の精であるきみがいるのに?」

 まったくわけがわからない。

「ここは精神こころ世界くにじゃ。考えたことはすぐさまうつつになるのじゃよ」

 そう言われても、きのうの魔術剣の稽古中に狐能華このかがバラバラに砕け散った悲しみが心に襲いかかってくる。それを感じ取ったのか、少女は背格好に似合わない包み込むような微笑を浮かべた。

「ぬしさま、それはつるぎではなくただの水じゃ。見ておったろ? 気にせずそのお力使いたもれ」

 少女の言葉に励まされた俺はひとつうなずくと、大きく息を吸った。体内でもりあがってゆく活力を、長い呼気とともに両手に送っていった。
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