上 下
60 / 84

第59話、一難去ってまた一難、ここは女難の湯!?

しおりを挟む
 玲萌レモたちは大岩のほうで話しているから、こっちには気付いていないようだ。

玲萌レモしゃん、奈楠ナナンさんが説明するニャ。沙屋いさごやさんと取引があるなじみの呉服屋さんがね、流行を先取りして異国風の商品を新たに売り出したいそうにゃ。それで魔道学院の出し物で劇をやるなら、衣装を提供して宣伝してもらおうと考えたのにゃ」

 惠簾エレンに密着されて、奈楠ナナンさんの話が全然頭に入らねえ。黒髪を結い上げた惠簾エレンがうっとりと、俺の胸に頬を寄せている。

たちばなさま…… きれい――」

 大きな龍の眼を埋め込んだせいで俺の胸部には放射状の傷あとが残っているのだが、さすが肝のわった巫女さん、そんなこたぁ気にしちゃいねぇようだ。ちなみにいまは眼を閉じている。天然温泉水とかしみそうじゃん?

「そういえば、気になっていたのでしたわ」

 小声でつぶやいた惠簾エレンが体を起こしたかと思うと、いきなり手ぬぐいのはしをめくって俺の腰に人差し指をすべらせた。

「ひあっ」

 くすぐってぇなもう! 変な声出ちまったじゃねーか……

「龍神さまのうろこはこのあたりまで生えてるんですねぇ」

 くすくす笑いながら、あだっぽいまなざしで見上げた。このが興味あんのはこの身体に埋め込まれた白龍の遺物だけ、人間の俺に関心ねえことくらい分かってるが、鼓動が早くなる。

「おしりにうろこはあるのかしら?」

「やっ…… さわらないでっ――」

たちばなさまったら高い声出しちゃってかーわいっ♥」

 くそっ、ひとのこと害のない小動物みてぇに扱いやがって。

「白龍さんのしっぽが生えてたりは――」

 尾骶骨びていこつから下向きに、するぅっと細い指先が降りてきて、

「ひゃんっ やめっ――」

 俺は危うく飛び上がりそうになる。

「――しないんですわね」

 にっこり笑ってぺろりと唇をなめた。

 こいつあり得ねえ! 俺のケツの割れ目さわっただろいま!? 仕返ししてやるっ!

 俺は無言で、惠簾エレンの太ももを鉤爪かぎづめでそろりとなでた。襦袢の上からだし構わねえだろ。女の子だと思ってめちゃめちゃ譲歩してやってるんだ。

「きゃはっ、くすぐったい!」

「けっ、ざまーみー」

「もうっ、悪ガキみたいな顔で牙のぞかせちゃって!」

 惠簾エレンが人差し指で俺の頬をつつく。

「だって先にさわってきたの、そっちじゃん」

 言い返した俺の手を取り、惠簾エレン長襦袢ながじゅばんの上から胸の谷間に押しつけた。「あら、この真っ白いきれいな手でわたくしにれたいなら、いくらでもどうぞ?」

 天下一の人形師の傑作かというほど完璧に整った顔立ちに、蠱惑こわく的な笑みを浮かべながら、惠簾エレンは俺の手をもてあそんでいた。うぅ…… 指のあいだの水かきムニムニさわるのやめてほしい…… 抗議しようと口をひらいたとき、

「ちょっと樹葵ジュキ!」

「ふえぇ!?」

 いきなり飛んできた玲萌レモ怒声どせいに思いっきしキョドる俺。

「顔真っ赤だけど大丈夫!?」

「は、はい……」

 内容とはうらはらに怒り心頭な玲萌レモの声色に、思わず敬語になる。

「そんなとこで惠簾エレンちゃんとちちくりあって、配役の話聞いてなかったでしょ!」

 うっ、確かに何も記憶にない……

「いい? 魔界の姫があたし。樹葵ジュキはその護衛の騎士。惠簾エレンちゃんは人間界の帝国の姫君。夕露ユーロはあたしのメイドさんよ。凪留ナギルには人間界の勇者がいる小国の王子を頼むつもり」

「へぇ――」

 情報過多で思考が停止する俺。となりの惠簾エレンを見ると彼女は何食わぬ顔で、

「龍神さまのお肌、絹の襦袢より真っ白ですわね――」

 などと言いながら、濡れた袖を俺のへその下にあてる。

「んっ……そ、そこはあんたの信仰する龍神さまのうろこは生えてねぇから――」

 色が抜けちまっただけで人間の肌のままだ。

「見れば分かりますわ」

 そんならへその下なでんのやめてくれよ…… じゃねぇと――

しずまれ鎮まれ、鎮まりたまえ」

 やべぇ、心の声がもれちまった。マジで下腹部まさぐるのやめて欲しいんだわ。

「うふっ、なんの呪文ですの?」 

 手ぬぐいの上から股間をおさえる俺の両手に、惠簾エレンが細い指を重ねる。

「巫女の神通力をお貸ししましょうか?」

 惠簾エレンのもう一方の腕が、俺の背中にまわる。仙骨の上をやさしくすべり、腰を引き寄せた。

「はんっ……」

 やわらかい手つきに意図せず女みてぇな声が出る。顔から火が出る思いで俺はうつむいた。

「でもまずは患部を見せていただかないと、術をかけられませんのよ?」

 惠簾エレンの赤い唇からすべり出るささやきが、俺の耳をくすぐる。

「どこをしずめたいんですの? 見せてくださいまし」

 笑いを含んだように耳打ちすると、手ぬぐいを固く握る俺の両手をあやすようになでた。抵抗することに疲れた俺が、彼女の甘い声に身をゆだねそうになったとき――

「ちょっとそこぉっ! 近いのよ!!」

 ふたたび玲萌レモのさけび声が飛んできた。「樹葵ジュキ涙目じゃない!」

 いやいや、それはないはず…… 俺は手の甲でまつ毛を濡らす汗をぬぐった。

「あらら、未来の本妻さんに怒られちゃいましたわ。てへっ」

 わけ分かんねえこと言ってぺろりと舌を出すと、惠簾エレンは水音を立てて湯の中にすべり降りた。

「ちょっ……惠簾エレンちゃん、未来のなに!?」

 玲萌レモが耳まで赤くなっている。「へんなこと言わないでよぉぉっ!」

 絶叫が露天風呂にこだました。

「それじゃ奈楠ナナンさんたちは正妻しゃんの邪魔をしにゃいよう女湯のほうに戻ってるニャ」

 奈楠ナナンさんの言葉を合図に、惠簾エレン夕露ユーロが大岩から遠のいてゆく。

「な、奈楠ナナンさんまでバカぁっ!」

 なぜか玲萌レモだけ残って赤くなってんのはのぼせてんのか? まあ女子ってなぁときどき意味不明だから深く考えてもしょーがねーな。俺はひとつ小さくため息ついて、湯の中に戻ると海の見える方へ歩いて行った。
しおりを挟む

処理中です...