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1話 『白髪の少女と異世界転生』
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肉体から隔離された意識は、深海を漂っているような感覚にも思えた。
居心地の良さすら覚えるその感覚にどっぷりと浸かっていたい気持ちとは裏腹に、どこか遠くでは彼の意識の首根っこを掴むように呼びかける声がした。
朧に巻かれたようなはっきりとしない意識下なので、空耳の可能性だってある。
「——の、——ですか?」
だがその声は次第に何度もこだまし、それが空耳などでは無いことを裏付けるように反響する。
途切れ途切れにしか聞き取ることの出来なかった不完全なその言葉は、やがて欠けたピースを埋めるように意味の成す言葉へと変換され、
「——あの、大丈夫ですか?」
隙間から差し込む光の眩さに抗うように重たい瞼を押し上げると、そこには彼--ヨゾラを覗き込む見慣れない少女の顔があった。
目を見開いてなお、覚醒直後の朦朧とした意識では状況を理解するまで数秒の時間を要した。
後頭部に触れるコンクリートのような固い感触から仰向けで寝かされているのだと自覚すると、真上から覗き込むような形で見下ろす少女と視線が絡み、
「……うわッ!?」
状況を飲み込んだ瞬間、ヨゾラは驚愕から無気力に倒れ込んでいた体を跳ね上がらせるようにして叩き起こす。
意識的な動作というよりかは、反射的な動作に近かったと思う。
「「——ッ!?」」
起き上がると同時に、ヨゾラとその彼を覗き込んでいた少女の額同士が激しく衝突し合い、互いに鈍い音を鳴らしながら痛覚が亀裂のように行き渡る。
その場で悶絶したくなる衝動を押し殺すように熱を帯びた額を強く押えるヨゾラだが、それは彼のみに限った話では無かった。
ヨゾラ同様に、眼前で額を強く押さえながらその場にしゃがみ込み身を丸くする少女の姿。
一切の濁りがない真っ白に抜け落ちたような白髪を腰の辺りまで伸ばした美しい少女だ。
海を溶かしたような蒼い双眸の目尻には今にも溢れんばかりの熱を孕ませており、動揺を誘わせるには十分だ。
「す、すまん!痛かったよな、大丈夫か?」
「うぅ……痛いですぅ……」
ヨゾラ自身額にはまだジンジンと痺れるような熱が滞在しているが、今は対峙する少女の身を案じる方が優勢だ。
ヨゾラの問いかけに当の少女はというと、不可抗力とはいえ与えた一撃にいまだ額に押し当てた両手を離せず蹲ったままの形で返答。
少女の目尻から頬を伝った涙の跡を見れば己の不甲斐なさはより明白だ。
「俺の名前はヨゾラ。君、名前は?」
「わ、私、ですか?」
不意に尋ねられた少女の声はやや上擦っていて、その返しで「君以外他に誰がいるんだ?」とぶっきらぼうに言い渡すヨゾラ。
異性と会話することに気恥ずかしさを感じての返しだったのだが、少女は嫌な顔ひとつせずに涙袋を擦ってその場に立ち上がると、ポンチョとロングスカートのような民族衣装にも似た装いを揺らしながら、
「……シャルロッテ。私の名前はシャルロッテです」
「えっと、その、なんだ……いい名前だな、シャルロッテ」
「あ、ありがとうございます……あんまり褒められ慣れていないので、面と向かって言われると照れてしまいます……」
最初に浮かんだのは、武器や防具を身に付けていない身なりからNPCであるという考察だが、褒められて赤面する様子といい、彼女の自然な受け答えはとてもプログラムで動いているようには思えなかった。
すぐに考えを改めて向き直ると、バツが悪そうに頬を掻きながら、
「それと、驚かせて悪かったな。思えば、驚いて飛び上がって初対面の女の子に頭突き喰らわすって……我ながらホント情けないよ……」
「気にしていないので頭を上げてください。それに、私の不注意でもありますしお互い様です!」
謝意の表明で改まって頭を下げるヨゾラに狼狽えた振る舞いで応じるシャルロッテ。
シャルロッテに言われるがまま頭を上げると、互いにいまだ赤みの残る額を見合い微笑。
「改めてよろしく」
少しして容姿端麗なシャルロッテと見つめ合っていたのが改めて気恥ずかしくなり、そっぽ向くように視線を外しながら誤魔化しも含めた意図で手を差し出す。
そんなヨゾラの内心を知る由もないシャルロッテは友好的に差し出されたその手を素直に受け取ると、「こちらこそです」と目を細める。
「ところでヨゾラさんは、どうしてこんな所で倒れていたんですか?どこか、具合でも悪いんでしょうか?」
「いや、すこぶる元気だよ。俺は確かあの時、草原でクエストを……」
交流もそこそこに、ふと浮上した疑問に首を傾げながら問いかけるシャルロッテ。
ヨゾラはここにきて初めて辺りをわざとらしくぐるりと見渡すが、意識を失う直前まで広がっていた大草原の風景はどこにも無い。
場所はアーチ状に掛かった石橋の上。
遠くに目を配れば、石造りの建物が建ち並ぶ街並み、大通りでは道の端に沿うように屋台のテントが隙間なく出店されていて市場のような活気と賑わいが交錯しているのが見て取れ、大草原の面影すら感じさせない異様な光景が広がっていた。
「……ここは一体」
「ここはソリーナヴァル王国。ここら周辺でも特に他国との交易に積極的で商業に栄えた大国です。て、そんな常識的な説明いらなかったですよね?」
「いや、俺にはどうにも聞いたことのない名前みたいだ」
商業国と聞いて、繁華街の賑わいようにも合点がいき、現在地でもあるこの石橋の上を何度も通過する馬車的な乗り物の交通量にも納得がいく。
馬車“的な”乗り物と表現したのは荷台を引く生き物が馬ではないからだ。
パッと見ではヨゾラのよく知る馬に見えないこともないのだが、目を凝らせば尻尾の先と四足歩行の足先にはヒレのようなものが生えており、額にはユニコーンを連想させる一角が印象的な生き物だ。
Another Worldのモンスターなのだろうが、ギリシア神話に登場するヒッポカムポスを体現した姿に近いと思う。
「まさか、馬車を見るのは初めてですか?」
「なるほど、馬車って認識で合ってるのな」
石橋の上を走り抜けた半馬半魚の生き物が荷台を引く珍奇な乗り物を物珍しそうに目で追うヨゾラの隣で、そんな彼をこれまた珍奇な面差しで見つめるシャルロッテ。
「話が脱線してしまったが、今は馬車の話じゃなくて俺がここで倒れていた経緯だったな」
「そうでしたね」
「俺は確かあの時、あの大草原で急に出現したエクストラクエストを受注したんだ」
「あの、ヨゾラさんの言うその“くえすと”とは何ですか?どうにも私には聞いたことのない言葉で」
「なんだ、シャルロッテはクエストを知らないのか?」
シャルロッテのその発言で、一度は拭い取った疑念が再び胸の内で膨らむのが分かった。
シャルロッテがプレイヤーではなく、NPCの可能性があると言う疑念だ。
ヨゾラの知る一般的なNPCはストーリーの進行に関わる重大な情報の提供やクエストの提供、ナビゲーションなどゲーム運営を補佐する役割に他ならない。
ゲームプレイ初心者でクエストの存在を知らないという可能性もゼロではないが、可能性で話を進めるならば正直低いように感じられ、考え難いものに他ならなかった。
考えても埒が明かないのであれば、直接本人に聞くのが最善だと判断してヨゾラは口を開く。
「シャルロッテ、君はプレイヤーじゃないのか?」
だが一度は疑念を晴らす決定打となった自然な会話運びに加え、彼女は今しがた「“くえすと”とは何ですか?」と問いかけてきたのだ。
Another Wordをプレイしてきた二年間の中で、NPCからプレイヤーであるヨゾラに質問をされることなど一度も無かった。
それは、NPCにゲームの運営を補佐する以上のことがプログラムされていないからだ。
胸の内に痞える妙な違和感を解きほぐさなければ、シャルロッテがNPCであると結論付けることはできなかった。
ヨゾラの問いかけに対して、彼女の返答次第で決定打となるか否かといったところだ。
「……すみません」
「え?」
「すみません、私なんだか無知みたいで……ヨゾラさんの言う、その“ぷれいやあ”って言葉にも聞き覚えがなくて……」
指の付け根辺りまで伸ばした衣服の袖をギュッと握り締めながら、申し訳無さそうに俯くシャルロッテ。
彼女の言葉を聞いて、ヨゾラの感じていた違和感が胸の内で張り詰めると、
「ヨゾラさん、それは何ですか?」
ヨゾラは衝動的に片手を空気中で撫でると、ポップアップウィンドウを出現させる。
見慣れないのか、ただポップアップウィンドウを出現させるだけというゲーム内では何ら珍しくも無い動作に目を瞬かせながら見入るシャルロッテ。
そんな彼女に取り合うことなく画面を凝視したのちに、小さく嘆息。
「……やっぱりか。ログアウトボタンが、消えている」
ゲーム内で何らかの不具合が生じていることを悟ってウィンドウを開いたのだが、ログアウトボタンの消失という予想打にしなかった異常事態が発生していた。
完全な体感を導入したこのゲームはログイン中、現実に放置された生身の体は昏睡状態にある。
それはすなわち、ゲーム内でログアウトボタンの消失という不具合が発生した場合、プレイヤー側から現実世界へ自力で帰還する術が無くなったことを意味する。
無論、ログアウトボタンが消失するなど合ってはならない異常事態だ。
「……そうだ、GMコールだ」
“GMコール”とは、ゲーム内で不具合が生じた際、ログイン中のプレイヤーがゲーム内から現実世界のサポートセンターへ連絡を取ることのできる唯一の手段だ。
もっとも、ヨゾラと同じ境遇に陥っているプレイヤーが他にもいるのであれば今頃はGMコールが殺到していて繋がらない可能性の方が大いに考えられるのだが、
「……ない」
ウィンドウ画面に置かれた指先がピタリと止まり、本来あるべき位置からGMコールが消失している現実を目の当たりにしたヨゾラは小さく溢す。
ログアウトボタンの消失に続けてGMコールまで消失したとなれば、ログイン中のヨゾラに出来ることは精々運営に不具合の報告をメッセージで送ることくらいだ。
「もしかしたらこれは、ただの不具合なんかじゃないのかもしれないな……」
置かれた状況を客観的に捉えようと腕を組みながらウィンドウ画面と睨めっこ状態にあるヨゾラに、これまで黙って彼の独り言に耳を傾けていたシャルロッテが口を開く。
「あの、よく分からないですけどヨゾラさんて、なんだか別世界から来た人みたいですね」
「……え?」
不意に放ったその一言は、ヨゾラの全身に電流が流れるような衝撃を与えた。
シャルロッテはウィンドウを閉じることも忘れ、棒立ちのまま目を見開くヨゾラに取り合うことなく続けて言葉を並べる。
「私、考えてみたんです。ヨゾラさんは私の知らない言葉をたくさん知っていますし」
クエストやプレイヤーといった、ゲーム用語のことを指しているのだろうが、それは裏を返せばヨゾラにも妙な違和感を覚えさせていた。
「それにその板?のようなものを何も無いところから出し入れする不思議な力があったり」
ログアウトボタンの消失した開きっぱなしのウィンドウ画面を指差しながら言葉を紡ぐシャルロッテはその指先を己の頬まで持っていくと首を傾げながら、
「——だから、別世界から来た人なのかなぁー、なんて思ってみたりしました」
NPCにしては違和感のある言動を重ねるシャルロッテ。見慣れない街並み。消えたログアウトボタン。
繋がったと確信するのにそう時間は要さなかった。
「……ここはもしかして、ゲームとは違う世界線なのか」
己の導き出した結論を言葉にする事で、より現実味を帯びたように感じられた。
にわかには信じ難い話であることを自覚した上で導き出した結論だ。
「違う世界線、ですか?」
「ああ、そうだ。大体は今シャルロッテの言った通りなんだと思う。多分」
「それはつまり、ヨゾラさんは本当に別世界から来た異界人ということですか?」
「ああ、おそらくな」
シャルロッテが“別の世界線”と結論付けたこの世界の住人であると考えれば、彼女の妙な言動にも説明が付く。
見慣れない街並みや半馬半魚の引く馬車などもここが異世界であるのならば、Another Worldを二年近くプレイしているヨゾラが知らないのも無理はない。
突拍子もない発想であることは承知の上だが、この結論が確かなものであるならば、ヨゾラが違和感と感じていた事柄全てに説明がついてしまうのだ。
「要約すると、ゲームプレイ中に異世界転生してしまったってところか……我ながら自分で言ってて馬鹿馬鹿しい話だけど、ここまで状況証拠が揃っている以上はその仮説通りって事なんだろうなぁ……」
「私、ヨゾラさんの今の状況がよく理解できていないんですけど何かお困りってことですよね?」
「間違いなくお困りの状況だな。問題は、どうやってログアウトするかだけど……」
「あの、さっき言っていた“くえすと”というものにヨゾラさんのお悩みを解決する手掛かりは無いんでしょうか?」
「それだ、シャルロッテ!」
Another Worldで指す“エクストラ・クエスト”とは、本来ある一定の条件を満たした際に出現するクエストであり、その詳細は受注後にしか分からないというものだ。
つまりログアウトはできずとも、ポップアップウィンドウが開ける状況にあるのならば、受注したクエストの詳細を確認できる可能性は大いにある。
希望的観測だが、クエストの詳細確認に成功すれば、自ずとシャルロッテの言うようにログアウトへの手掛かりも得られるかもしれないという期待もあった。
期待と不安を入り混じらせながらヨゾラは受注クエストフォルダに指先を伸ばすと、
「これは……」
《エクスト・ラクエスト》
【クリア条件】魔王を討伐してください。
【成功報酬】現実世界への帰還
魔王討伐。
その瞬間、それがヨゾラに課せられたこの世界での使命であると同時に、このログアウト不可の異常事態が意図的に仕組まれたものであることが確定した。
居心地の良さすら覚えるその感覚にどっぷりと浸かっていたい気持ちとは裏腹に、どこか遠くでは彼の意識の首根っこを掴むように呼びかける声がした。
朧に巻かれたようなはっきりとしない意識下なので、空耳の可能性だってある。
「——の、——ですか?」
だがその声は次第に何度もこだまし、それが空耳などでは無いことを裏付けるように反響する。
途切れ途切れにしか聞き取ることの出来なかった不完全なその言葉は、やがて欠けたピースを埋めるように意味の成す言葉へと変換され、
「——あの、大丈夫ですか?」
隙間から差し込む光の眩さに抗うように重たい瞼を押し上げると、そこには彼--ヨゾラを覗き込む見慣れない少女の顔があった。
目を見開いてなお、覚醒直後の朦朧とした意識では状況を理解するまで数秒の時間を要した。
後頭部に触れるコンクリートのような固い感触から仰向けで寝かされているのだと自覚すると、真上から覗き込むような形で見下ろす少女と視線が絡み、
「……うわッ!?」
状況を飲み込んだ瞬間、ヨゾラは驚愕から無気力に倒れ込んでいた体を跳ね上がらせるようにして叩き起こす。
意識的な動作というよりかは、反射的な動作に近かったと思う。
「「——ッ!?」」
起き上がると同時に、ヨゾラとその彼を覗き込んでいた少女の額同士が激しく衝突し合い、互いに鈍い音を鳴らしながら痛覚が亀裂のように行き渡る。
その場で悶絶したくなる衝動を押し殺すように熱を帯びた額を強く押えるヨゾラだが、それは彼のみに限った話では無かった。
ヨゾラ同様に、眼前で額を強く押さえながらその場にしゃがみ込み身を丸くする少女の姿。
一切の濁りがない真っ白に抜け落ちたような白髪を腰の辺りまで伸ばした美しい少女だ。
海を溶かしたような蒼い双眸の目尻には今にも溢れんばかりの熱を孕ませており、動揺を誘わせるには十分だ。
「す、すまん!痛かったよな、大丈夫か?」
「うぅ……痛いですぅ……」
ヨゾラ自身額にはまだジンジンと痺れるような熱が滞在しているが、今は対峙する少女の身を案じる方が優勢だ。
ヨゾラの問いかけに当の少女はというと、不可抗力とはいえ与えた一撃にいまだ額に押し当てた両手を離せず蹲ったままの形で返答。
少女の目尻から頬を伝った涙の跡を見れば己の不甲斐なさはより明白だ。
「俺の名前はヨゾラ。君、名前は?」
「わ、私、ですか?」
不意に尋ねられた少女の声はやや上擦っていて、その返しで「君以外他に誰がいるんだ?」とぶっきらぼうに言い渡すヨゾラ。
異性と会話することに気恥ずかしさを感じての返しだったのだが、少女は嫌な顔ひとつせずに涙袋を擦ってその場に立ち上がると、ポンチョとロングスカートのような民族衣装にも似た装いを揺らしながら、
「……シャルロッテ。私の名前はシャルロッテです」
「えっと、その、なんだ……いい名前だな、シャルロッテ」
「あ、ありがとうございます……あんまり褒められ慣れていないので、面と向かって言われると照れてしまいます……」
最初に浮かんだのは、武器や防具を身に付けていない身なりからNPCであるという考察だが、褒められて赤面する様子といい、彼女の自然な受け答えはとてもプログラムで動いているようには思えなかった。
すぐに考えを改めて向き直ると、バツが悪そうに頬を掻きながら、
「それと、驚かせて悪かったな。思えば、驚いて飛び上がって初対面の女の子に頭突き喰らわすって……我ながらホント情けないよ……」
「気にしていないので頭を上げてください。それに、私の不注意でもありますしお互い様です!」
謝意の表明で改まって頭を下げるヨゾラに狼狽えた振る舞いで応じるシャルロッテ。
シャルロッテに言われるがまま頭を上げると、互いにいまだ赤みの残る額を見合い微笑。
「改めてよろしく」
少しして容姿端麗なシャルロッテと見つめ合っていたのが改めて気恥ずかしくなり、そっぽ向くように視線を外しながら誤魔化しも含めた意図で手を差し出す。
そんなヨゾラの内心を知る由もないシャルロッテは友好的に差し出されたその手を素直に受け取ると、「こちらこそです」と目を細める。
「ところでヨゾラさんは、どうしてこんな所で倒れていたんですか?どこか、具合でも悪いんでしょうか?」
「いや、すこぶる元気だよ。俺は確かあの時、草原でクエストを……」
交流もそこそこに、ふと浮上した疑問に首を傾げながら問いかけるシャルロッテ。
ヨゾラはここにきて初めて辺りをわざとらしくぐるりと見渡すが、意識を失う直前まで広がっていた大草原の風景はどこにも無い。
場所はアーチ状に掛かった石橋の上。
遠くに目を配れば、石造りの建物が建ち並ぶ街並み、大通りでは道の端に沿うように屋台のテントが隙間なく出店されていて市場のような活気と賑わいが交錯しているのが見て取れ、大草原の面影すら感じさせない異様な光景が広がっていた。
「……ここは一体」
「ここはソリーナヴァル王国。ここら周辺でも特に他国との交易に積極的で商業に栄えた大国です。て、そんな常識的な説明いらなかったですよね?」
「いや、俺にはどうにも聞いたことのない名前みたいだ」
商業国と聞いて、繁華街の賑わいようにも合点がいき、現在地でもあるこの石橋の上を何度も通過する馬車的な乗り物の交通量にも納得がいく。
馬車“的な”乗り物と表現したのは荷台を引く生き物が馬ではないからだ。
パッと見ではヨゾラのよく知る馬に見えないこともないのだが、目を凝らせば尻尾の先と四足歩行の足先にはヒレのようなものが生えており、額にはユニコーンを連想させる一角が印象的な生き物だ。
Another Worldのモンスターなのだろうが、ギリシア神話に登場するヒッポカムポスを体現した姿に近いと思う。
「まさか、馬車を見るのは初めてですか?」
「なるほど、馬車って認識で合ってるのな」
石橋の上を走り抜けた半馬半魚の生き物が荷台を引く珍奇な乗り物を物珍しそうに目で追うヨゾラの隣で、そんな彼をこれまた珍奇な面差しで見つめるシャルロッテ。
「話が脱線してしまったが、今は馬車の話じゃなくて俺がここで倒れていた経緯だったな」
「そうでしたね」
「俺は確かあの時、あの大草原で急に出現したエクストラクエストを受注したんだ」
「あの、ヨゾラさんの言うその“くえすと”とは何ですか?どうにも私には聞いたことのない言葉で」
「なんだ、シャルロッテはクエストを知らないのか?」
シャルロッテのその発言で、一度は拭い取った疑念が再び胸の内で膨らむのが分かった。
シャルロッテがプレイヤーではなく、NPCの可能性があると言う疑念だ。
ヨゾラの知る一般的なNPCはストーリーの進行に関わる重大な情報の提供やクエストの提供、ナビゲーションなどゲーム運営を補佐する役割に他ならない。
ゲームプレイ初心者でクエストの存在を知らないという可能性もゼロではないが、可能性で話を進めるならば正直低いように感じられ、考え難いものに他ならなかった。
考えても埒が明かないのであれば、直接本人に聞くのが最善だと判断してヨゾラは口を開く。
「シャルロッテ、君はプレイヤーじゃないのか?」
だが一度は疑念を晴らす決定打となった自然な会話運びに加え、彼女は今しがた「“くえすと”とは何ですか?」と問いかけてきたのだ。
Another Wordをプレイしてきた二年間の中で、NPCからプレイヤーであるヨゾラに質問をされることなど一度も無かった。
それは、NPCにゲームの運営を補佐する以上のことがプログラムされていないからだ。
胸の内に痞える妙な違和感を解きほぐさなければ、シャルロッテがNPCであると結論付けることはできなかった。
ヨゾラの問いかけに対して、彼女の返答次第で決定打となるか否かといったところだ。
「……すみません」
「え?」
「すみません、私なんだか無知みたいで……ヨゾラさんの言う、その“ぷれいやあ”って言葉にも聞き覚えがなくて……」
指の付け根辺りまで伸ばした衣服の袖をギュッと握り締めながら、申し訳無さそうに俯くシャルロッテ。
彼女の言葉を聞いて、ヨゾラの感じていた違和感が胸の内で張り詰めると、
「ヨゾラさん、それは何ですか?」
ヨゾラは衝動的に片手を空気中で撫でると、ポップアップウィンドウを出現させる。
見慣れないのか、ただポップアップウィンドウを出現させるだけというゲーム内では何ら珍しくも無い動作に目を瞬かせながら見入るシャルロッテ。
そんな彼女に取り合うことなく画面を凝視したのちに、小さく嘆息。
「……やっぱりか。ログアウトボタンが、消えている」
ゲーム内で何らかの不具合が生じていることを悟ってウィンドウを開いたのだが、ログアウトボタンの消失という予想打にしなかった異常事態が発生していた。
完全な体感を導入したこのゲームはログイン中、現実に放置された生身の体は昏睡状態にある。
それはすなわち、ゲーム内でログアウトボタンの消失という不具合が発生した場合、プレイヤー側から現実世界へ自力で帰還する術が無くなったことを意味する。
無論、ログアウトボタンが消失するなど合ってはならない異常事態だ。
「……そうだ、GMコールだ」
“GMコール”とは、ゲーム内で不具合が生じた際、ログイン中のプレイヤーがゲーム内から現実世界のサポートセンターへ連絡を取ることのできる唯一の手段だ。
もっとも、ヨゾラと同じ境遇に陥っているプレイヤーが他にもいるのであれば今頃はGMコールが殺到していて繋がらない可能性の方が大いに考えられるのだが、
「……ない」
ウィンドウ画面に置かれた指先がピタリと止まり、本来あるべき位置からGMコールが消失している現実を目の当たりにしたヨゾラは小さく溢す。
ログアウトボタンの消失に続けてGMコールまで消失したとなれば、ログイン中のヨゾラに出来ることは精々運営に不具合の報告をメッセージで送ることくらいだ。
「もしかしたらこれは、ただの不具合なんかじゃないのかもしれないな……」
置かれた状況を客観的に捉えようと腕を組みながらウィンドウ画面と睨めっこ状態にあるヨゾラに、これまで黙って彼の独り言に耳を傾けていたシャルロッテが口を開く。
「あの、よく分からないですけどヨゾラさんて、なんだか別世界から来た人みたいですね」
「……え?」
不意に放ったその一言は、ヨゾラの全身に電流が流れるような衝撃を与えた。
シャルロッテはウィンドウを閉じることも忘れ、棒立ちのまま目を見開くヨゾラに取り合うことなく続けて言葉を並べる。
「私、考えてみたんです。ヨゾラさんは私の知らない言葉をたくさん知っていますし」
クエストやプレイヤーといった、ゲーム用語のことを指しているのだろうが、それは裏を返せばヨゾラにも妙な違和感を覚えさせていた。
「それにその板?のようなものを何も無いところから出し入れする不思議な力があったり」
ログアウトボタンの消失した開きっぱなしのウィンドウ画面を指差しながら言葉を紡ぐシャルロッテはその指先を己の頬まで持っていくと首を傾げながら、
「——だから、別世界から来た人なのかなぁー、なんて思ってみたりしました」
NPCにしては違和感のある言動を重ねるシャルロッテ。見慣れない街並み。消えたログアウトボタン。
繋がったと確信するのにそう時間は要さなかった。
「……ここはもしかして、ゲームとは違う世界線なのか」
己の導き出した結論を言葉にする事で、より現実味を帯びたように感じられた。
にわかには信じ難い話であることを自覚した上で導き出した結論だ。
「違う世界線、ですか?」
「ああ、そうだ。大体は今シャルロッテの言った通りなんだと思う。多分」
「それはつまり、ヨゾラさんは本当に別世界から来た異界人ということですか?」
「ああ、おそらくな」
シャルロッテが“別の世界線”と結論付けたこの世界の住人であると考えれば、彼女の妙な言動にも説明が付く。
見慣れない街並みや半馬半魚の引く馬車などもここが異世界であるのならば、Another Worldを二年近くプレイしているヨゾラが知らないのも無理はない。
突拍子もない発想であることは承知の上だが、この結論が確かなものであるならば、ヨゾラが違和感と感じていた事柄全てに説明がついてしまうのだ。
「要約すると、ゲームプレイ中に異世界転生してしまったってところか……我ながら自分で言ってて馬鹿馬鹿しい話だけど、ここまで状況証拠が揃っている以上はその仮説通りって事なんだろうなぁ……」
「私、ヨゾラさんの今の状況がよく理解できていないんですけど何かお困りってことですよね?」
「間違いなくお困りの状況だな。問題は、どうやってログアウトするかだけど……」
「あの、さっき言っていた“くえすと”というものにヨゾラさんのお悩みを解決する手掛かりは無いんでしょうか?」
「それだ、シャルロッテ!」
Another Worldで指す“エクストラ・クエスト”とは、本来ある一定の条件を満たした際に出現するクエストであり、その詳細は受注後にしか分からないというものだ。
つまりログアウトはできずとも、ポップアップウィンドウが開ける状況にあるのならば、受注したクエストの詳細を確認できる可能性は大いにある。
希望的観測だが、クエストの詳細確認に成功すれば、自ずとシャルロッテの言うようにログアウトへの手掛かりも得られるかもしれないという期待もあった。
期待と不安を入り混じらせながらヨゾラは受注クエストフォルダに指先を伸ばすと、
「これは……」
《エクスト・ラクエスト》
【クリア条件】魔王を討伐してください。
【成功報酬】現実世界への帰還
魔王討伐。
その瞬間、それがヨゾラに課せられたこの世界での使命であると同時に、このログアウト不可の異常事態が意図的に仕組まれたものであることが確定した。
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