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村田 光
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GWも明けて2週間ほど経ちようやくクラスの中が何とか落ち着いてきた頃、5月の末の月曜日、6年生になって初めて芹沢優希は学校を休んだ。
4月に初めて芹沢優希を見た時には、調査票を見た時の疑念は確信に変わった。5年次の最後に撮ったクラス写真より、ずっと痩せていた。長期休暇の後痩せる子供は家で十分に栄養を摂取できていないという事だ。ただ、それだけでは虐待とは言い切れない。貧困家庭では、親が努力していても、給食がないとどうしても栄養が不足してしまう事はある。しかし、彼の引き取られた家庭は貧困家庭とは言えない。彼の伯父は大手企業に勤めるサラリーマンで、安定収入があるはずだ。夫婦の息子、彼の従兄弟にあたる少年は、私立の高校に在籍している。
彼だけがご飯を食べさせてもらえていない可能性が高い。それだけでなく、彼は頬や額に傷を作っていた。傷自体はそれほど深刻な物ではなかったが、高学年の子供はそれほど顔に傷を作るような怪我をしない。問いただすと、彼は怯えた様子で転んだなどとと言い訳をした。どうやって転んだのか、なぜその箇所に怪我をしたのか、いつ、どんな手当をしたのか、あえて根掘り葉掘り聞くと辻褄の合わない返答を繰り返した。
すぐにでも児童相談所に連絡するべきか、村田は迷ったし、主任や教頭とも話し合った。主任はまず本人に聞き取りをして、虐待の有無を確実に判断してからの方が良いのではないかと主張し、事勿れ主義を具現化したような教頭はすぐさまそれに同意した。あの痩せ方は尋常ではない、命に関わるのではないかと危惧する村田に、主任は「児相が入る事で逆に暴力が激化する事もあります。」と言った。今年赴任して来た学年主任の吉田はまだ30代半ばと若いが、1つスッと芯の通った人間で、でも真面目すぎない柔軟性もあり、村田は息子ほどのその教員を信用していた。「児相も児相の役所的事情があります。特に、高学年の生徒となると、本人が逃げるという意思をしっかり持っていないと、例え一時保護されてもまた帰されて、それで命を落とす事も多いと思うんです。」
要は、彼の場合、チャンスは一度しかない、という事だ、一時保護ではなく。村田もその意見は一理あると感じた。
それに、父親を突然交通事故で亡くした岩西すみれにも注意しないといけなかった。彼女の家は、この小さな町では割りと規模の大きい建設会社を経営していて、父親が社長だった。社長を突然亡くして、会社も大変だろうし、相続関係もあってしばらくは母親も忙しいだろう。三姉妹の末っ子だが、上の2人は東京に住んでいるらしい。きっと寂しい思いをしているだろう。
普段の彼女自身は、群れる事をあまり好まない安定した精神をしているように思う。賢く気は強いが意地悪なところはなく、歳の離れた姉達の影響か、恐らく精神年齢が高くて周りの子供達と馴染めないのだろう。それでもまだ小学生の子だ。父親を亡くして悲しみの中で、様々な環境の変化もあり、しばらくは注意して見てあげないといけないだろう。
それに、元々群れずにいた彼女が、いじめられなかったのは彼女の家が幾人かの生徒の父親と雇用関係にあったり、仕事上の付き合いがあったりしたから、というのもある。パワーバランスが変わると何が起こるかわからない。
「はーーー。」
職員室のデスクについて、思わずため息が出る。気をつけないといけない事が山積する中で、歳からくる疲労が輪をかける。
「村田先生、大丈夫ですか?」
隣のデスクの主任に声をかけられ、目頭を押さえた手を離した。メガネを掛け直す。
「もう歳ですからね。疲れますよ。定年したんだから、本当は担任を持つべきじゃないんですよ。」
思わず愚痴っぽくなってしまう。
「すみません。僕らの世代がもっと頑張らないといけないんです。申し訳ない。」
「本当ですよ!じゃあ、申し訳ないっておっしゃったから、今日芹沢優希のところに家庭訪問に行こうと思うんですけど、一緒に来て頂けないですか?ちょっと気になるんです。」
「あら、村田先生には敵わないな。
芹沢、どうかしたんですか?」
「昨日、欠席したんです。それで今日は来たんですけど、どうも怪我をしてるみたいで。目立つところには怪我は無いんですけど、足を少し引きずって歩くのと、なんとなくぐったりとしていて。」
「やはり虐待されていますか?」
「本人に聞いたら、同居している従兄弟と喧嘩したと言うんです。自分が先に手を出したから、と。でも、彼が暴力をふるうとは思えなくて。しかも、相手は高校生ですよ。喧嘩なんてしますか?」
その日の夕方遅くに、主任の吉田と2人、家庭訪問をした。
私達は明らかに歓迎されていなかった。芹沢優希の伯母は、かなり機嫌が悪く迷惑そうなのを隠そうともしなかった。
「あの子は甘やかされて育ったのか、我が儘放題で手を焼いてるんです。嘘ばかりつくし、乱暴で。高校生の息子はいつも我慢してたんですけどね、あの子があんまり酷い暴力を振るってくるから、我慢できなかったみたいで。本当に、うちだって別にお金が有り余るほどあるって訳じゃないんですよ!それを、家に置いて食べさせて、その上あの子の躾けまでしないといけなくて!」
「大変ですね~。よく頑張ってらっしゃると思います。今、優希君はいますか?」
「今はいません。どこかに遊びに行ってるんでしょう。早く帰ってくるようにっていつも言ってるのに、聞きはしないんです!」
私達は彼女を刺激しないように注意しながら、あまりにも手に余るようだったら児童相談所に相談して、優希君に施設で生活してもらう事もできる、という事を説明した。
伝わった気はしなかったが、言うだけのことは言ったから、もう帰るしかなかった。優希君の靴が玄関にあったが、違う靴を履いて遊びに行っているのかも知れない。私達は徒労感を覚えながら彼の家を後にした。
翌日、芹沢優希はいつも通り学校に来た。注意して見ていると、彼はいつもより少し明るかった。いつものように怯えた目ではなく、しっかりとした目をしていた。相変わらず口数は少なかったけれど、いつものようにボーッとしたところがなく授業をしっかりと聞き、手を挙げて発言もした。怪我をしていたように感じたのは、勘違いだったのかと思うほど、生き生きとしていた。
教師が訪問する事は、実はリスクが大きい事でもある。訪問された事で、虐待をより誘発する事が多々あるのだ。
彼は、もう教師に訪問されないように気を張っているのだろうか?
でもそれにしても、彼の生き生きとした目はまるで別人のようだ。いつもどことなく怯えた目をしていたのに。
少し気味が悪いとすら思った。
4月に初めて芹沢優希を見た時には、調査票を見た時の疑念は確信に変わった。5年次の最後に撮ったクラス写真より、ずっと痩せていた。長期休暇の後痩せる子供は家で十分に栄養を摂取できていないという事だ。ただ、それだけでは虐待とは言い切れない。貧困家庭では、親が努力していても、給食がないとどうしても栄養が不足してしまう事はある。しかし、彼の引き取られた家庭は貧困家庭とは言えない。彼の伯父は大手企業に勤めるサラリーマンで、安定収入があるはずだ。夫婦の息子、彼の従兄弟にあたる少年は、私立の高校に在籍している。
彼だけがご飯を食べさせてもらえていない可能性が高い。それだけでなく、彼は頬や額に傷を作っていた。傷自体はそれほど深刻な物ではなかったが、高学年の子供はそれほど顔に傷を作るような怪我をしない。問いただすと、彼は怯えた様子で転んだなどとと言い訳をした。どうやって転んだのか、なぜその箇所に怪我をしたのか、いつ、どんな手当をしたのか、あえて根掘り葉掘り聞くと辻褄の合わない返答を繰り返した。
すぐにでも児童相談所に連絡するべきか、村田は迷ったし、主任や教頭とも話し合った。主任はまず本人に聞き取りをして、虐待の有無を確実に判断してからの方が良いのではないかと主張し、事勿れ主義を具現化したような教頭はすぐさまそれに同意した。あの痩せ方は尋常ではない、命に関わるのではないかと危惧する村田に、主任は「児相が入る事で逆に暴力が激化する事もあります。」と言った。今年赴任して来た学年主任の吉田はまだ30代半ばと若いが、1つスッと芯の通った人間で、でも真面目すぎない柔軟性もあり、村田は息子ほどのその教員を信用していた。「児相も児相の役所的事情があります。特に、高学年の生徒となると、本人が逃げるという意思をしっかり持っていないと、例え一時保護されてもまた帰されて、それで命を落とす事も多いと思うんです。」
要は、彼の場合、チャンスは一度しかない、という事だ、一時保護ではなく。村田もその意見は一理あると感じた。
それに、父親を突然交通事故で亡くした岩西すみれにも注意しないといけなかった。彼女の家は、この小さな町では割りと規模の大きい建設会社を経営していて、父親が社長だった。社長を突然亡くして、会社も大変だろうし、相続関係もあってしばらくは母親も忙しいだろう。三姉妹の末っ子だが、上の2人は東京に住んでいるらしい。きっと寂しい思いをしているだろう。
普段の彼女自身は、群れる事をあまり好まない安定した精神をしているように思う。賢く気は強いが意地悪なところはなく、歳の離れた姉達の影響か、恐らく精神年齢が高くて周りの子供達と馴染めないのだろう。それでもまだ小学生の子だ。父親を亡くして悲しみの中で、様々な環境の変化もあり、しばらくは注意して見てあげないといけないだろう。
それに、元々群れずにいた彼女が、いじめられなかったのは彼女の家が幾人かの生徒の父親と雇用関係にあったり、仕事上の付き合いがあったりしたから、というのもある。パワーバランスが変わると何が起こるかわからない。
「はーーー。」
職員室のデスクについて、思わずため息が出る。気をつけないといけない事が山積する中で、歳からくる疲労が輪をかける。
「村田先生、大丈夫ですか?」
隣のデスクの主任に声をかけられ、目頭を押さえた手を離した。メガネを掛け直す。
「もう歳ですからね。疲れますよ。定年したんだから、本当は担任を持つべきじゃないんですよ。」
思わず愚痴っぽくなってしまう。
「すみません。僕らの世代がもっと頑張らないといけないんです。申し訳ない。」
「本当ですよ!じゃあ、申し訳ないっておっしゃったから、今日芹沢優希のところに家庭訪問に行こうと思うんですけど、一緒に来て頂けないですか?ちょっと気になるんです。」
「あら、村田先生には敵わないな。
芹沢、どうかしたんですか?」
「昨日、欠席したんです。それで今日は来たんですけど、どうも怪我をしてるみたいで。目立つところには怪我は無いんですけど、足を少し引きずって歩くのと、なんとなくぐったりとしていて。」
「やはり虐待されていますか?」
「本人に聞いたら、同居している従兄弟と喧嘩したと言うんです。自分が先に手を出したから、と。でも、彼が暴力をふるうとは思えなくて。しかも、相手は高校生ですよ。喧嘩なんてしますか?」
その日の夕方遅くに、主任の吉田と2人、家庭訪問をした。
私達は明らかに歓迎されていなかった。芹沢優希の伯母は、かなり機嫌が悪く迷惑そうなのを隠そうともしなかった。
「あの子は甘やかされて育ったのか、我が儘放題で手を焼いてるんです。嘘ばかりつくし、乱暴で。高校生の息子はいつも我慢してたんですけどね、あの子があんまり酷い暴力を振るってくるから、我慢できなかったみたいで。本当に、うちだって別にお金が有り余るほどあるって訳じゃないんですよ!それを、家に置いて食べさせて、その上あの子の躾けまでしないといけなくて!」
「大変ですね~。よく頑張ってらっしゃると思います。今、優希君はいますか?」
「今はいません。どこかに遊びに行ってるんでしょう。早く帰ってくるようにっていつも言ってるのに、聞きはしないんです!」
私達は彼女を刺激しないように注意しながら、あまりにも手に余るようだったら児童相談所に相談して、優希君に施設で生活してもらう事もできる、という事を説明した。
伝わった気はしなかったが、言うだけのことは言ったから、もう帰るしかなかった。優希君の靴が玄関にあったが、違う靴を履いて遊びに行っているのかも知れない。私達は徒労感を覚えながら彼の家を後にした。
翌日、芹沢優希はいつも通り学校に来た。注意して見ていると、彼はいつもより少し明るかった。いつものように怯えた目ではなく、しっかりとした目をしていた。相変わらず口数は少なかったけれど、いつものようにボーッとしたところがなく授業をしっかりと聞き、手を挙げて発言もした。怪我をしていたように感じたのは、勘違いだったのかと思うほど、生き生きとしていた。
教師が訪問する事は、実はリスクが大きい事でもある。訪問された事で、虐待をより誘発する事が多々あるのだ。
彼は、もう教師に訪問されないように気を張っているのだろうか?
でもそれにしても、彼の生き生きとした目はまるで別人のようだ。いつもどことなく怯えた目をしていたのに。
少し気味が悪いとすら思った。
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