いないはずの子供

ken

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刑事達に、おじ様と呼んでいた男の写真を見せられた時、彼はひどく怯えて泣き出した。主治医の夏目の立ち会いのもと行われた事情聴取でも、彼は動揺し怯え、ここ最近は少なくなっていたパニック発作が起きた。それで夏目がどれだけ心配して事情聴取を拒否しても良いのだ、むしろそうするべきだと言っても、彼は今回は聴取に協力し続けた。自分と同じ目に遭っていた10歳の少年の話を刑事から聞いたからだった。
彼は、逃げ出したその少年と自分を重ね合わせた。

僕も逃げ出していたら。
いや、僕は逃げだそうとなんて思いもしなかった。逃げる機会はたくさんあったのに。
それなのに、逃げるどころか、僕は、おじ様に、愛されたいなどと願っていた。
僕は、なんて淺ましい、惨めなモノなんだろう。

せめて、その子のために、僕は僕の淺ましい過去を、できるだけ詳しく話さないといけない。おじ様が、その子に何をしたにせよ、きっとその子はひどく傷つけられたに違いない。
おじ様が、なるべく長く刑務所にいた方が、その子は安心して暮らせると、刑事達が言った。
その言葉に、彼は縋った。
その子のために証言したら、過去の自分の穢らわしさが少しでも洗われるような、そんな気がしたのだ。
ある日、彼は病室に来た刑事達の前で突然服を脱ぎ始めた。看護師と刑事が慌てて止めると、彼は静かに言った。
「僕の身体には、おじ様につけられた痕がたくさんあります。僕はあの人の玩具でしたから。」
刑事達は彼の身体の傷を写真に撮った。
写真を撮られている間、彼は何も映さない透明な眼で静かに窓の外の空を見ていた。

それから、夏目の心配をよそに彼は次第にパニックを起こさなくなった。裁判に出廷し、証言もした。
母親の裁判にも出廷した。母親の事はあまり覚えていなかった。最初のうちは母親のもとに帰りたくて仕方がなかったけど、半年ほどそこで暮らしていく中で自分が彼女に売られた事を理解した。そして、母親の事を思い出さないようにしていたら、本当に忘れてしまった。売られる前の生活も、もうよく思い出せない。カーテンに隠れて覗く窓から見える同じ位の年齢の子供達と遊びたかった事、学校に行きたくて、ランドセルが欲しくてたまらなかった事だけは覚えているが、目の前の女が母親かどうかは分からない、彼は裁判でそう証言した。
彼の人生のあまりの過酷さに、彼を守るべき大人達が幼い彼に強いたあまりの残酷な仕打ちに、裁判員は涙を流し、男には重い判決が出た。
それでも、彼は喜ぶ事ができなかった。逃げ出した少年の勇気を無駄にしたくない、その一心で思い出したくない辛い過去を語ったが、全てが終わって彼が得たものは虚無だった。あまりに深い無に、彼は呆然となった。自分の踏みつけられた人生の虚しさに、彼は絶望感を抱いた。
あの子に比べて、自分は何と汚らわしかったのか。
彼は心の中で自分を責めた。


それからしばらくして彼は就籍の手続きをした。
名前は自分で決めた。
「間宮ただし」
銀河鉄道の夜の登場人物からきていた。
幼い日々、彼は銀河鉄道の夜のタダシに自分を重ねていた。おっかさんのとこに帰りたいと泣くタダシに。
それをふと、思い出したのだ。

それからまた一年、彼は病院で過ごした。
裁判が終わってから、彼は虚脱のような状態に陥り、解離性障害もひどくなった。何日もボーっとベッドから外を眺め、何も話さなくなった。
介助されればおとなしくされるがままになったが、自発的に食事を摂る事も無くなり、ただただ外を見つめ続けた。夏目がクラシックのCDを病室に持ってきてかけると、消えそうな声で
「ありがとうございます。」
と呟いたが、焦点の合わない目で外を見つめるだけで、以前のように質問に答えることもあまりなく、涙すら流さなかった。聞いているのかどうかも分からなかった。

そんな状態が4か月ほど続き、夏目は薬を強くすることを検討し始めていた。
彼は痩せ細り、虚な目で空ばかり眺めた。
季節は夏になり、そして秋になった。
秋晴れの抜けるような青い空を見つめる彼の眼は、どこまでも澄んでいて、何も映していないようだった。


秋が深まった頃、そんな彼に手紙が届いた。
中林翔太君からだった。
手紙には、学校の事や家での暮らしが書かれていた。シロという仔猫を、結局彼は家に連れて帰って飼うことにした。母親が、そう提案したという。
手紙には、シロの写真が何枚も添えられていた。シロはもう仔猫と言うには大きく、真っ白なふさふさとした長い毛がゴージャスな、美しい猫になっていた。彼は最初、その手紙を読んでも、全く表情を変えなかった。手紙を読み、写真を見て、それからそれらを封筒に仕舞い、その封筒を枕の下に入れた。それは彼の癖だった。何か、新しく貰えた本や、切り取った綺麗なカレンダーの絵を、彼は枕の下に隠すように仕舞った。そうしないと、大切なものは取り上げられ、捨てられてきた。ほとんどの場合それは、ただ彼の心を傷つける事だけを目的に。
枕の下に隠しても、それでも取り上げられる時もあった。彼は何を取り上げられても、抵抗はしなかった。
神は与え、そして奪い賜う。
彼がおじ様と呼んだその男は、時々彼に旧約聖書を朗読させた。
ヨブ記はお気に入りだったから、よく読むように命じられた。
「お前の神は、私だ。」
そうおじ様は言った。

彼は手紙を枕の下に仕舞うと、またぼんやりと窓の外を見続けた。

次の日の朝、看護師が朝食を運ぶと、彼はまた手紙を読んでいた。無表情で、ぼんやりと。
手紙を読み、写真を見て、それからまた枕の下に仕舞う。何日も何日も、彼は朝目覚めると、それを繰り返した。枕の下に手をやって、封筒がまだあると安心した。閉鎖病棟の彼の病室は日当たりの良い小さな個室で、細い格子が嵌められている大きな窓から日光がふんだんに降り注いだ。窓の外には駐車場とその向こうの芝生が見え、そのもっと向こうには山が見えた。看護師が朝食のトレーを用意したベッドサイドテーブルに乗せ、布団の中の彼の足をそっと寄せてベッドに横向きに座らせると、彼は無抵抗でそれを受け入れた。閉鎖病棟の彼の担当の看護師は3人でローテーションを組んでおり、それ以外の人が彼に触ると彼は震えて身体を硬くした。長い時間をかけて、その3人は安全だと彼は学んだ。パジャマの上からでも痩せた彼の脚が骨ばっているのがわかる。65歳を過ぎた女性看護師でも容易く彼の脚を動かす事ができた。
彼女は3人の中でも最も長い時間彼のケアをしていた。
「食べましょうね。」
そう言っても、彼は無反応で、写真をぼんやりと見つめている。
看護師は、無理に写真を取り上げたりはしない。取り上げても、彼は暴れたりはしないのに、それでも彼女は写真を取り上げたり、無理矢理ご飯を食べさせたりはしなかった。彼女はベッドサイドテーブルの横に簡易椅子を置いてそこに座ると、一口、米をスプーンに乗せて彼の口に運び、彼が口を開くまでずっと待っていた。しばらくして、彼は米に気づいて写真を封筒にしまった。それからそれをそっと枕の下にしまい、そして米を一口食べた。小さく口を動かして咀嚼し、そして飲み込む。何度かそうしてご飯を食べさせてもらい、それから様子を見てそっと彼にスプーンを握らせると、そのまま惰性のように食べる時と、スプーンを握ったまま固まって動かない時があった。何分か後に戻ってきて食べていない時は、彼女が全部食べさせる。手紙が来て以降、彼はまた時々静かに泣くようになった。表情も変えず、ただ涙を流す。それは泣いているというよりは、ただ体液を排出しているだけのようで、何の感情も見えない。
彼女は何も言わずに、口元を拭うのと同じ要領で目元を拭ってあげた。
「全部、食べましたね。頑張りましたね。」
彼女がそう言うと、彼はホッとしたようにほんの少し身体の力を抜いた。
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