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面会室に入ってきてすぐ、間宮ただしは夏目に深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。佐伯さんにも、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。」
少し痩せたが、顔色は悪くなかった。
以前と少し印象が違う、そう夏目は思った。
どこか幼く儚げな印象だった彼が、今は目に力がある。26歳の年齢に相応な強さが出ていた。
彼が誰かを守ろうとしたのは初めてではない。あのアパートでの事も、それから裁判も、彼は自分を犠牲にしてもあの子達を守ろうとした。でも、今はそうではない。もっと、根源的な強さが彼の中から湧き上がっている。
夏目は、彼の取った選択には全く同意できなかったが、でも、この強さは、彼が弟と出会い、弟を守ろう…いや、違う、弟と共に生きていこうと決意して生まれた強さで、それが、彼に間違った選択をさせてしまったのだと、夏目は思った。間違った?彼は本当に間違っていたのか。間宮ただしは人生の大半の時間、ナイフで刺されるよりももっともっと酷い目に遭ってきて、そして、彼に酷い事をした男達は今どうなっている?その中の一部の者は、裁きすら受けず、何の後悔も反省もなく、のうのうとこの社会で生きている。同じ事を繰り返してすらいるかも知れない。そして、彼は今でも、その男達がまたやってきて、彼を再び地獄に引き摺り込むのではないかと怯えている。
彼の弟にとっても、大野武雄はそういう存在だ。それが分かっていたから…
夏目は頭を振って、自分の思考が医師としての倫理を失いそうになるのを止めた。
「いいえ、私は何も迷惑はかけられていません。佐伯さんは、あなたに会ったら、ごめんなさいって伝えてって言ってました。私には何がごめんなさいなのかは分からないけど。」
「いいえ。佐伯さんは何も悪くない。そう伝えて下さい。ごめんなさい。」
また彼は深く頭を下げた。
「座りなさい。」
警察官が声をかけ、彼はそれに従った。
「大野蒼くん、弟さんですね。彼から連絡をもらって、今からは私の病院にいます。偶然ですが、ちょうどあなたがいた部屋に。」
「蒼があの部屋に?夏目先生に連絡したんですね。じゃあ、蒼は…」
「ええ、聞きました。あなたがなぜ大野武雄を刺したのか。」
「蒼は関係ありません。これは僕が僕のために勝手にやった事で、僕の問題です。」
「蒼くんは、自分が何を父親にされたのか、母親がどうそれに加担したのか、全てを警察に話す事を希望しています。私は蒼くんの主治医として、その手助けをするつもりです。」
彼は首を振り、ダメだ…それはダメだ…と呟き、しまいには顔を覆って、泣き出した。
「蒼だけは…
先生、止めてはくれませんか?蒼は僕のために警察に話そうとしているのでしょう?それは、それはダメだ。そんな事をしたら蒼は…
先生も知っているじゃないですか?週刊誌や何やかや!人々がどんなに残酷か。ご存知のはずじゃないですか!?」
「はい、知っています。でも、それでも蒼くんはそれを望んでいるのです。あなたのためかも知れない。確かに蒼くんは、お兄ちゃんを助けたいって言ってた。でも、それだけじゃないんです。蒼くんは、両親のした事が許せないんです。許したくない。被害者であり続けたくないんです。だから…」
「でも、そのために蒼は、蒼の人生はどうなりますか?蒼は普通に生きていけるんです。」
「蒼くんの人生は蒼くんが選ぶんです。私達は時間をかけて話し合いました。起こるかも知れないいろいろな事を、私は蒼くんに伝え、彼はそれを一生懸命考えました。
間宮さん、蒼くんは、あなたを待っています。
あなたを必要としています。」
「蒼に会ったら、僕は蒼を憎むかも知れないと思ったんです。裁判で母に子供がいるって聞いて、僕は、どうして僕だけ売られたんだろうって思ったから。でも、蒼を初めて見た時、僕は憎しみなんて全然わかなかった。何故かは分かりません。僕は、僕の心は、嵐みたいでした。何か分からないけど、熱くてドロドロとした、マグマみたいな感情がどんどん僕の中から込み上げてきて、抑えられなかった。今まで感じた事のない感情でした。悲しいとか辛いとかとは違う。何もかもをめちゃくちゃに壊してしまいたいような、自分が自分でなくなる、そんな感情でした。何をしようと包丁を買ったのか、あの家に行ってどうしようとしていたのか、自分でも分かりません。分からないままあの家に行き、ずっと眺めていました。ここで、静かに穏やかに暮らしているという母の事。そして売られなかったもう1人の母の息子のこと。そこにいる自分を想像してみたりしました。
見れば見るほど、僕の心は爆発しそうになった。でも、弟を見た時、不思議と心が静まったんです。何故だかわからないけど。
弟を見ていたら、心が温かくなって…
弟から、話しかけてくれたんです。」
「そうでしたか。楽しい5日間だったって聞きました。人生の中で1番楽しい日々だったって。」
それを聞いて、彼はまた顔を覆い、咽び泣いた。その泣き声を聞いて、夏目は胸が引き絞られるような感覚を味わった。
「先生、蒼をよろしくお願いします。僕が蒼を迎えに行くまで、蒼を守ってください。お願いします。」
彼はまた深く頭を下げた。
蒼の証言により、検察は誘拐の容疑を取り下げ、傷害のみで起訴した。
彼の生育歴に加え、被害者が実の息子、彼にとっては実の弟に長年性的虐待を加えていたことから情状酌量されたが、予め包丁を購入していたこと、被害者に後遺症が残ったことから実刑判決は免れなかった。
懲役4年の判決だった。
彼も検察も上告せず、判決は一審で確定した。
彼は刑務所に収監された。
「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。佐伯さんにも、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。」
少し痩せたが、顔色は悪くなかった。
以前と少し印象が違う、そう夏目は思った。
どこか幼く儚げな印象だった彼が、今は目に力がある。26歳の年齢に相応な強さが出ていた。
彼が誰かを守ろうとしたのは初めてではない。あのアパートでの事も、それから裁判も、彼は自分を犠牲にしてもあの子達を守ろうとした。でも、今はそうではない。もっと、根源的な強さが彼の中から湧き上がっている。
夏目は、彼の取った選択には全く同意できなかったが、でも、この強さは、彼が弟と出会い、弟を守ろう…いや、違う、弟と共に生きていこうと決意して生まれた強さで、それが、彼に間違った選択をさせてしまったのだと、夏目は思った。間違った?彼は本当に間違っていたのか。間宮ただしは人生の大半の時間、ナイフで刺されるよりももっともっと酷い目に遭ってきて、そして、彼に酷い事をした男達は今どうなっている?その中の一部の者は、裁きすら受けず、何の後悔も反省もなく、のうのうとこの社会で生きている。同じ事を繰り返してすらいるかも知れない。そして、彼は今でも、その男達がまたやってきて、彼を再び地獄に引き摺り込むのではないかと怯えている。
彼の弟にとっても、大野武雄はそういう存在だ。それが分かっていたから…
夏目は頭を振って、自分の思考が医師としての倫理を失いそうになるのを止めた。
「いいえ、私は何も迷惑はかけられていません。佐伯さんは、あなたに会ったら、ごめんなさいって伝えてって言ってました。私には何がごめんなさいなのかは分からないけど。」
「いいえ。佐伯さんは何も悪くない。そう伝えて下さい。ごめんなさい。」
また彼は深く頭を下げた。
「座りなさい。」
警察官が声をかけ、彼はそれに従った。
「大野蒼くん、弟さんですね。彼から連絡をもらって、今からは私の病院にいます。偶然ですが、ちょうどあなたがいた部屋に。」
「蒼があの部屋に?夏目先生に連絡したんですね。じゃあ、蒼は…」
「ええ、聞きました。あなたがなぜ大野武雄を刺したのか。」
「蒼は関係ありません。これは僕が僕のために勝手にやった事で、僕の問題です。」
「蒼くんは、自分が何を父親にされたのか、母親がどうそれに加担したのか、全てを警察に話す事を希望しています。私は蒼くんの主治医として、その手助けをするつもりです。」
彼は首を振り、ダメだ…それはダメだ…と呟き、しまいには顔を覆って、泣き出した。
「蒼だけは…
先生、止めてはくれませんか?蒼は僕のために警察に話そうとしているのでしょう?それは、それはダメだ。そんな事をしたら蒼は…
先生も知っているじゃないですか?週刊誌や何やかや!人々がどんなに残酷か。ご存知のはずじゃないですか!?」
「はい、知っています。でも、それでも蒼くんはそれを望んでいるのです。あなたのためかも知れない。確かに蒼くんは、お兄ちゃんを助けたいって言ってた。でも、それだけじゃないんです。蒼くんは、両親のした事が許せないんです。許したくない。被害者であり続けたくないんです。だから…」
「でも、そのために蒼は、蒼の人生はどうなりますか?蒼は普通に生きていけるんです。」
「蒼くんの人生は蒼くんが選ぶんです。私達は時間をかけて話し合いました。起こるかも知れないいろいろな事を、私は蒼くんに伝え、彼はそれを一生懸命考えました。
間宮さん、蒼くんは、あなたを待っています。
あなたを必要としています。」
「蒼に会ったら、僕は蒼を憎むかも知れないと思ったんです。裁判で母に子供がいるって聞いて、僕は、どうして僕だけ売られたんだろうって思ったから。でも、蒼を初めて見た時、僕は憎しみなんて全然わかなかった。何故かは分かりません。僕は、僕の心は、嵐みたいでした。何か分からないけど、熱くてドロドロとした、マグマみたいな感情がどんどん僕の中から込み上げてきて、抑えられなかった。今まで感じた事のない感情でした。悲しいとか辛いとかとは違う。何もかもをめちゃくちゃに壊してしまいたいような、自分が自分でなくなる、そんな感情でした。何をしようと包丁を買ったのか、あの家に行ってどうしようとしていたのか、自分でも分かりません。分からないままあの家に行き、ずっと眺めていました。ここで、静かに穏やかに暮らしているという母の事。そして売られなかったもう1人の母の息子のこと。そこにいる自分を想像してみたりしました。
見れば見るほど、僕の心は爆発しそうになった。でも、弟を見た時、不思議と心が静まったんです。何故だかわからないけど。
弟を見ていたら、心が温かくなって…
弟から、話しかけてくれたんです。」
「そうでしたか。楽しい5日間だったって聞きました。人生の中で1番楽しい日々だったって。」
それを聞いて、彼はまた顔を覆い、咽び泣いた。その泣き声を聞いて、夏目は胸が引き絞られるような感覚を味わった。
「先生、蒼をよろしくお願いします。僕が蒼を迎えに行くまで、蒼を守ってください。お願いします。」
彼はまた深く頭を下げた。
蒼の証言により、検察は誘拐の容疑を取り下げ、傷害のみで起訴した。
彼の生育歴に加え、被害者が実の息子、彼にとっては実の弟に長年性的虐待を加えていたことから情状酌量されたが、予め包丁を購入していたこと、被害者に後遺症が残ったことから実刑判決は免れなかった。
懲役4年の判決だった。
彼も検察も上告せず、判決は一審で確定した。
彼は刑務所に収監された。
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