黎明学園の吟遊詩人

ぱとす

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奏でられる重低音──アイソトープ・レインの選択

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夕暮れが近づいて、陽が沈み始めている。その西日を受けながらアイソトープ・レインはベッドの上に座っていた。
「フィヨルド」に比べてこの世界の太陽は心持ち小さいが、明るさは「フィヨルド」を上回る。それにこれ程までに劇的な雲の変化はフィヨルドにはない。オレンジ色から濁った紫に、さらに上には紺青の空が拡がる。そこには見たこともない星座が広がっている。

朝起きて、由子が置いていったパンと缶詰、奇妙な野菜と果物、やはり飲んだことのない珍妙で派手なパッケージの飲料を摂りながら、レインはずっと飽きずに外の風景を見ていた。味はレインが経験したことのない美味だった。
こんな巨大な都市は見たことがないし、あんなに巨大なビルも初めてのことで、夢にすら現れない現象には事欠かない。まして、暗くなるにつれて点灯する色とりどりの照明やネオンサイン、読めないが移動する文字列など、自分の持っている書店にあるどんな本にも記述されていない光景が現実に目の前に広がっている。
特に信じられないような高い塔。
ライトアップされたその不可解な構造物には驚嘆するしかない。

これだけ時間が経っても現実感がない。ベッドもこんなに寝心地の良い物は初めてだし、部屋に置いてある数々の操作方法の解らない機械にも触る勇気さえ出ない。
由子に渡された「暇つぶし」の円盤も不可解だ。見たところ小さなレコードに似ているが表も裏も平滑で溝がない。なにしろ裏面が銀色だ。
レインはただただ眼前に拡がる風景を愉しんでいた。

足音が近づいて来る。そしてノックされ、鍵が開けられる音を聞いてからレインは後を振り返った。
そこには「フィヨルド」で助けられ、そしてこの世界に強引に連れてきた少女が現れた。

改めて見ると、「天使のような」という形容する以外にはない少女が立っている。金色の髪の毛にピンクとラベンダーの筋の混ざった髪、華奢な細い身体。何よりもどんな美神にも劣らない顔の造形とこぼれ落ちそうな大きな瞳。神が居るのなら、特別に注文されたような少女だった。

「ごめんなさい。むりくり引っ張って来ちゃったのに一人にさせちゃって。CDは楽しめた? どれか気に入ったのあった? 私的にはけっこう厳選したんだけど」
「そのCDってこれのことか?」
レインは裏が銀色に光る円盤を手に取った。由子が慌てたように口を押さえた。

「あちゃ~! 失敗した! レインの「影」にはCD無いんだった~! そこまで気が回らなかったの。学校、休んじゃえばよかった」
そう言って由子はCDを一枚レインの手から奪い、複雑な操作パネルのある隙間に円盤を差し込む。すると、左右と中央に配置されたスピーカーからとんでもなく美しい洗練された音が流れた。とにかく雑音が全く存在しない。
曲自体もレインの心を鷲づかみにした。なんというスリルに満ちたロックだろう。そもそも、これが本物のロックなのだとレインは直感する。

「レッド・ツェッペリンの「ブラック・ドッグ」って曲なの。私はこれを聴いてロックを始めよう、自分でやろうって決めたのよ」

由子は腕を組んでその可憐な口唇を悪戯っぽく笑みに変えた。レインが下を向いて音楽に集中しようとしたところで、曲が止まった。思わず由子を見上げる。

「聴くのはいつでも出来るけど、弾くのはこれから。さあ、みんな集まっている頃だわ。あなたに恋人を選んで貰うんだから!」

由子に引っ張られてきたのは隣のマンションの一室だった。レインが居た部屋と違って、扉が二重になっている。特に二枚目は分厚く重い。
そしてレインが見たのは、実に様々な機械の群だった。ドラムやギター、ベースは解るが、鍵盤が四段もある機械はどんな音が出る物なのか想像も出来ない。それに、林檎が囓られたシルエットを持つ不思議な輝く窓の付いた機械。足下にも小さなペダルが並び、多分アンプなのだとは思うのだが、明らかにレインの知っている物とはコントロールパネルが複雑すぎた。そして二人の少年と美麗な少女。それらをバックに由子は両手を大きく拡げた。



「じゃ~~~ん!「廻天百眼」にようこそ! あなたが5人目のメンバー、欠けたピース。私たちの運命を決める鍵! 紹介するわ、オン・ドラムス&エンジニア&なんでもかんでも!「甲山智樹」こと「トモキ」!」
「やめろよ、こっぱずかしい。そいつがお前ぇの見つけたってベースだろ。能書きはいいからよ、音で答えな」その小太りの少年は光り輝く画面を手元の煩雑な機械で操作しながらそう言った。
「オン・ギター! 「斉藤明」こと「アキラ」!」
「……………………………………………………………………。」
「表情が乏しい上にボキャブラリーもなし! 最低だけど最高のアレンジャーよ。そしてオン・キーボード! 天上天下、神をも恐れぬ美少年、「内藤あまね」こと「あまね」!」
「…………僕をいじるのやめてよ」
「男? 冗談みたいだな……」レインが呆れてあまねを上から下まで舐めるように見つめる。あまねは胸を抱えて怯えていた。ショートパンツとオーバーニーハイソックスとの間の柔らかそうな「絶対領域」が犯罪的なほどなまめかしい。

「そして!作曲とボーカルの歌姫!「白石由子」とは私のことよ!」人差し指を高く掲げて由子が宣言した。全員が凍る。

「な、な、なによ! みんなに紹介するわ! はるばる「フィヨルド」から降臨した我らの欠けた鍵。オン・ベース! アイソトープ・レインよ。みんなで仲良く世界征服しましょう!」
「…………俺たちゃ「悪の結社」じゃねえんだけどな」
「馬鹿な夢を見れるのは若い内だけだ。せえぜえ頑張ろうぜ」
トモキが辛うじて纏めた。
「さあて、これからが問題よ。アイソトープ・レイン、あなたの恋人はこの三人のうち誰かな~?」

レインの目の前には三本のベースが立てかけてあった。由子がアンプのスイッチを入れる。僅かなノイズが響きアンプ自体が輝いたように感じた。

「アンプについちゃ考えたんだけど、あなたの出している音から推理してこれにしたの。Ampeg SVT 300W。抜群のパワーとドライブ感は最高よ。さあ~て、順番に弾いてみて! どれもいい女だからね。」

レインはおそるおそる、しかし灰色の瞳を輝かせて一本目を握り、灰色の髪の毛を避けてストラップを肩に掛けた。茶色のサンバーストの、かなり渋い色と形。短いパッセージを刻んでみる。トモキが驚いたように眼を見開いた。アキラでさえ年に一度見えれば奇跡と言われた瞳を露出させた。あまねは両手を口に当てて大きな目をさらに大きく見開いている。
まるでジャコ・パストリアスがハードロックをやったらこうなるんじゃないかと思われるような独特のテクニカルなフレーズ。

「うん…………これは熟れきった年増の色気ってやつかな。よく伸びる。アンニュイなやつには最高だな」
残念ながら、レインの言葉は「影」を歩く物にしかわからない完全な外国語だ。レインは早くもFender USA 1965 Jazz Bassを肩から下ろすと、次のボディの薄い、角の飛び出たベースを肩に回す。同じパッセージを繰り返す。

「派手だが、ちょい深みに欠けるかな。ハイポジションは凄く楽だけどね」レインはRickenbacker Model 4001C64Sをもう一本の小振りなボディのベースに持ち替える。それは見た目にはベースらしからぬダブル・カッタウェイ。中央に普通のベースの倍はあろうかというダブルコイルのピックアップが付いていた。
そして同じパッセージを弾いた途端、レインの顔色が変わった。そしてもの凄い勢いで指を弦に叩きつける。スタジオ全体が咆哮する。
地震のような重低音と色っぽい高音が織りなすサウンドはスリリング。
なんと低音の解放と20フレット近いポジションを右手はあらゆるスタイルで操った。

他のメンバーは夢中でベースを弾きまくるレインのサウンドに完全に圧倒された。

「………………………こりゃあ、驚いた。こんなのに巡り会えるとは思わなかったよ」レインの紅潮した頰がその興奮を隠さない。
「………お前を一生離さないからな」レインはその滑らかなセットネックを掌で包み込むように抱きしめた。

レインのその答えを聞いて由子はにっこりと笑った。

「最初からそれを選ぶとは解ってたんだけどね。でも、恋人は自分で選ぶものよ」
レインが選んだ一本はGibson '65 EB-3の稀少なモデル。
ジャック・ブルースやジョン・グラスコック、フェリックス・パパラルディなど一癖も二癖もある稀代のベーシストが選んだ異色のベース。



ギターやドラムス、下手をするとボーカルまでも食い尽くす唯一のアイテムだった。


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