抜けるような青空

笠原久

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第四章

旅路6

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「あ、あのさ……頼んで別の部屋を用意してもらったらよかったんじゃ?」

「わたしがこうしていたいのよ」

 シュゼットはリックに抱きついていた。そうして、彼のぬくもりを全身で感じていた。ゆっくりと息をつき、彼女は満足げな笑みを浮かべる。

 リックは戸惑った顔つきで、そんなシュゼットを見つめていた。

「ごめんなさい、本当に――困らせるつもりはなかったのよ。でも、なんていうか……」

 彼女は一度、言葉に詰まった。

「……自分で思ってたより、わたし、ずっと寂しかったみたい」

「そうなの?」

「ええ――ずっと、ひとりだったから」

「家族は?」

 シュゼットは答えなかった。代わりのようにリックの頭を撫でた。

「ごめん。聞いちゃまずかった?」

「いえ――わたしがまだ、決心がつかないだけ。あまり楽しい話でもないし……そうね。空挺手になったあとの話だったら、してもいいかしら?」

「聞きたい」

 とリックは言った。

「わたしはここ六年――いえ、最初の一年はそれなりに交流があったから、五年ぐらいかな。ともかく、わたしはほとんど人と関わらずに過ごしてきたの。カペルの里へ行ったのも、まだ新米だったときよ。さすがに成り立てだと勝手がわからなくてね。先輩空挺手にあれこれと教えを請うたの」

「そうやって立派な空挺手になったの?」

「立派かどうかはわからないけれど――そうね、ひとりでも生きていける程度には成長したわ」

 シュゼットはほほえんで、リックを見つめた。テーブルのうえに置いたランタンの明かりに照らされて、まだ幼さを感じさせる少年の真剣な顔が目に映った。

「上に戻っても、わたしはいつもひとりで過ごしていたわ。誰かと交流するようなこともなかった。さすがに十代半ばの空挺手は珍しかったから、声をかけられることも多かったけど、わたしは全部無視してきたし、そもそも話しかけられないように注意して、目立たないように目立たないようにって生きてきたわ」

「さみしくなかったの?」

「そうね……。最初は、そう――最初は、確かにさみしくて心細かったように思うわ。でも、そのうち慣れてしまって……ひとりでいるのが当たり前になっちゃったのよ。だから、わたしは別にひとりで生きることになんの疑問もいだいてなかったんだけど……」

 シュゼットは押し黙った。リックは小さく「けど?」と首をかしげた。

 彼女は優しい微苦笑を浮かべて、リックの頬をそっと撫でた。

「久しぶりに」

 と彼女は口に出した。

「長いあいだ男の子と一緒にいたものだから、たぶん麻痺していた感覚がもとに戻っちゃったのね」

「長いあいだって……まだ、ひと月も経ってないよ?」

 シュゼットはくすくす笑った。

「そりゃ、物心ついたときからロゼールと一緒にいるあなたにとってはそうなんでしょうけどね……。わたしにとっては、とてもとても長い時間なのよ、これでも。誰かと一つ屋根の下で生活するなんて、本当に数年ぶりなんだもの」

 シュゼットはそう言って、リックを強く抱きしめた。リックの顔が、シュゼットの胸に埋まる。彼女はそっと目を閉じた。そうして、しばらく声が途絶えた。

 やがてリックは静かにこう言った。

「シュゼット、ずっと僕らと一緒にいる気はない?」

「それは結婚しようという意味かしら?」

「茶化さないでよ」

 リックは不機嫌そうに言った。シュゼットは小さく笑った。

「ごめんなさい。なんだかわたし、どうも甘えちゃってるみたいね」

「甘える?」

「ふざけても、リックはちゃんと受け止めてくれるから。――提案自体はうれしいけれど、いいのかしら? そんなことを勝手に決めて」

「ロゼールはきっと嫌がらないと思うし、嫌がったら……」

 リックは言葉につまった。だが、すぐに決意のこもった声で、

「僕が説得するよ。だから、大丈夫だよ。シュゼット」

 シュゼットは目を見開いた。リックの猫耳が探るように動いている。彼女は息をつくと、その猫耳に唇を近づけた。

「それなりに期待しておきましょうか」

 うん、とリックは答えた。

「そろそろ寝るわ。おやすみなさい、リック」

「おやすみ、シュゼット」

 リックの体から力が抜けていくのがシュゼットに伝わった。それなりに緊張していたようだ。リックは寝付きがよく、あっという間にすやすやと寝息を立て始めた。

 シュゼットはリックを抱きしめたまま、ランタンの明かりを魔術で消した。真っ暗闇のなかで、彼女は眠りについた。

 目を覚ましたのは、リックの立てる物音のせいだった。

 一緒に寝ていたリックが体を起こし、思いっきり伸びをしてベッドを揺らしたのだ。それからぴょんと飛び跳ねるように床に下りた。

 衣ずれの音でぼんやりと目を開けていたシュゼットは、そのベッドの揺れで完全に目が覚めた。

「リック……? もう起きたの?」

「もう朝だよシュゼット」

「朝?」

 シュゼットは明かりをつけようと、手探りで白光石を探したが暗くて見つからなかった。指先に感じるのはやわらかな布の感触だけだ。起きたばかりで、若干寝ぼけていたせいもあるだろう。

 そのとき、ランタンを持ち上げる音が聞こえた。次いで、シュゼットの手に硬い小さな石が載せられた。

「ありがと」

 シュゼットは礼を言うと、白光石で明かりをつけた。まずは小さな光球を作って位置を確認し、それからランタンに火を入れる。油の燃える匂いがただよってきた。

「まだ寝ていたかった?」

「起きるわ」

 眠い目をこすりながらシュゼットは言った。

「あんまり遅く起きると、クニークルスが迎えに来てしまうもの――いえ、今回は来ないのかしら? 妙な気を遣いそうだし」

 太陽の光がないと、ついついベッドのなかでだらだらと過ごしてしまう。空挺手になってしばらくの頃は、時間感覚がつかめなくて大いに戸惑ったものだ。

 暗闇のなかでずっと過ごしていると、自分がいかに太陽の動きに合わせて生きてきたかがわかる。

「気を遣うって?」

「夜は忙しくて眠れないから、朝方に寝るだろうという意味よ。つまり――」

「ごめん! 察せなかった僕が馬鹿だった! 言わなくていいから!」

 リックは顔を真っ赤にして言った。シュゼットは小さく笑った。

「でも、そう考えると二度寝してもいいかもしれないわ」

「寝るの?」

「いえ、もう目が冴えちゃったから」

 と微笑して、シュゼットはリックの頭を撫でた。寝ぐせを直そうとするような、優しい手つきだった。

 リックは目を閉じて、少しだけくすぐったそうにしていた。

「行きましょうか。早めに朝食を食べて、食休みをはさんだら南へ向かうわ」

「ん、わかった」

「それとも、昨日会ったフェーレースと話をしていく?」

 シュゼットがベッドから下りながら訊くと、リックは首を振った。

「今はロゼールが最優先だよ。フェーレースと話すだけなら、あとでもできるし」

 それに、とリックはちょっとだけ恥ずかしそうに言った。

「僕、あの人、なんか苦手で……」

「会いたくないのね」

「ち、違うよ! 会うのが嫌なわけじゃなくて! 今は先を急ぐべきだって――!」

「わかってるわ」

 シュゼットはまたリックの頭を撫でた。猫耳が気持ちよさそうに揺れる。

「今は、するべきことをしましょう」

 ふたりは連れ立って歩いた。

 部屋の扉を開けて、廊下へ目を向けると、奥に薄明かりが見えた。階段のうえから光が降りそそいでいる。部屋のなかよりも廊下のほうが明るかった。

 ふたりは階段を登り、一階に着くとランタンの火を吹き消して外へ出た。

 日は昇り始めたばかりで、完全に明るくなったわけではなかった。

 昨日は気づかなかったが、シュゼットたちがいる場所は里のなかでも小高い丘のうえに位置するらしい。田畑へ目を向けると、かすかに霧が出ていた。

 里はすでに活動を始め、野良仕事や朝食の支度をするべく食材を運んでいるクニークルスの姿が目につく。昨日の髪の長い女も、水をくんだ大きな壺を小脇に抱えていた。

 シュゼットたちに気づくと、笑顔で空いているほうの手を振って近づいてきた。

「おはようございます。お早いんですねー。ちょっとびっくりです」

「そうなの?」

 とリックが訊いた。女は笑顔で答えた。

「はい。この時間ですと、まだ寝ている空挺手の方が多かったですよ」

「そうなんだ?」

 リックはシュゼットを見た。

「わたしは早めに起きることにしてるの」

「早起きの空挺手の方って、とっても素敵だと思います」

 髪の長い女は笑顔でうなずいた。

「すぐ朝食にします? 今から作るので、ちょっと時間がかかってしまいますけど」

「そんなに急がなくてもいいわ。いつもどおりに作ってちょうだい」

「はい。じゃ、おいしいの作っちゃいますね」

 髪の長い女は壺を小脇に抱えたまま、小走りに家のなかへ入っていった。が、扉を閉める前にひょいと顔だけ出して、

「おヒマでしたら、里の散策でもしますか?」

「ご心配なく。適当に時間をつぶすわ」

「では、できたらお呼びしますね」

 今度こそ扉を閉めて、髪の長い女は家のなかへ入っていった。

「で、どうするの?」

「別にどうもしないわよ。言ったとおり、適当に時間をつぶす。リックがどこか探検したいところがあるっていうなら、そっちを優先してもいいけれど」

「別にないよ」

「そう? 昨日は地下の様子をずいぶん珍しそうに見ていたけど?」

「そ、それは……とにかく、ないの!」

 リックはぷいと横を向いた。

「そう。じゃ、今後の話をしましょうか」

 シュゼットはリックをともなって家に入った。地下室のかばんをとってきて、それから一階のイスとテーブルが用意してある一室を借りて地図を広げた。

 窓から入ってくる朝の光で、空気中を飛散するホコリがきらきらして見えた。

「わたしたちの現在地がここよ」

 シュゼットはドヴォー地方の地図を指さした。

「で、昨日説明したとおり、わたしたちは南下してエイドナ地方へ入り、そこからデューバ地方、バルパダ地方を経由してリンデル地方を目指すことになるわ。ここまではいい?」

 リックは神妙な顔でうなずいた。

「ルートについては一応確定しているけれど……何かしらの希望はある? ここは通りたくないとか、こっちの道のほうがいいとか」

「そんなこと訊かれても……。行ったことない場所ばっかりだし」

「それもそうかしら。ごめんなさい、リック」

 シュゼットは苦笑した。

 我ながら馬鹿げた質問だと問いかけてから気づいたのだ。一人旅ばかりで、ほかの人と旅をした経験がないから、ついつい旅仲間の意見を聞きたくなってしまう。

「じゃ、ルートは基本的にわたしが決めるとして――リックは、一日に何ウィア(一ウィアはおよそ八八六メートル)くらいまでなら走れるのかしら? 翌日に疲れを残さずに、という意味でだけれど」

「何ウィアって?」

「んー、つまりね……わたしを抱えたまま、一日にどのくらいの距離を移動できるのかって訊いているのよ。それによって目的地までの到着日時が変わるわけだから」

 大雑把な見積もりだが、人間の足なら間違いなく二ヶ月か三ヶ月はかかるだろう。だがリックは人間ではない。フェーレースだ。脚力も体力も、人間とは比較にならない。

「そんなこと言われても――旅なんてしたことないし……」

 リックは困り果てた表情だ。

「普通のフェーレースはどのくらい移動できるものなの?」

「どのくらいって――」

 シュゼットも首をかしげた。

「わたしも詳しく知らないわ。カニスとの比較でいくつかの知識がある程度だし」

「ある程度って?」

「カニスは、場合によっては一晩中獲物を追跡し続けるけど、フェーレースはできるだけ短時間で仕留めるとか……。あとは、カニスは最高速度を保ったまま二十分とか三十分とか走っていられる。でもフェーレースのほうは、一分か二分ぐらいで速度が落ちちゃうとか……」

「具体的に何ウィア……とかはわからないの?」

「そこまではちょっと。クニークルスにでも訊いてみましょうか?」
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