センス・オブ・ワンダー

イグサコウジ

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part.3

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 1月〇日

 今日、津出さんを見つけた。
 噂には聞いていたけど、とても気難しそうな人だった。
 どうすれば、彼女に近付けるんだろう。



「……あなたが、津出さんですか?」

 わたしがいつものように、ひとり教室に残って勉強をしていたときだった。不意に、教室の入り口のほうから誰かに話しかけられた。
 顔を上げると、見たことのない男子がこちらをうかがっていた。遠目に見ても恰幅がいいと分かる。それに加えて、短い黒髪に学ランのという恰好。射し込む夕陽で橙色に染まった教室で、その姿は大きな影のように見えた。

「……そうだけど」

 わたしが言うなり、彼は早足でこちらに歩いてくる。手に何かの本を持っていることに気付いたのは、そのときだった。
 やがて、男子はわたしの席のそばまでやってきた。表情には緊張の色が見える。手に持っている本も、はっきりと見て取れる。彼がわたしにどんな用事があるのか、だいたいの見当はついた。

「あの、これって、もしかして」

 案の定、男子は手に持っていた本を開いて、あるページを指差す。そこに書かれているのは、わたしの名前と、最優秀賞の文字と、詩。
 彼が持ってきたのは、全国高校創作コンクールの上位入賞作品が載せられた本だった。

「……そうだけど」

 さっきと全く変わらない返事をして、わたしは机に広げられた教科書に視線を落とした。彼の用事がわたしの予想通りなら、わざわざ相手にする必要はない。

「やっぱりそうなんですか……!」

 男子の声のトーンが上がる。興奮を隠しきれていない、といった様子だ。わたしは特に返事もせず、数学の問題を解きながら次の言葉を待った。

「僕、すごいと思って、どんな人なのか気になって」

 思考がそのまま口から出ているような口調で、男子は話を続ける。
 前置きはどうでもいいから、さっさと要件を話してほしかった。彼はいまのわたしにとって、応用問題を解く邪魔にしかならなかった。

「実は僕も詩を書くのが好きなんですよ!」

 予想とは違う、耳に引っかかる言葉が彼の口から飛び出た。方程式を書く手が止まる。半分聞き流していた男子の話に、少しだけ意識を向けた。
 しかし。

「だから、もしよかったら津出さんに詩を書くコツとか教えてもらえたら、なんて思って」

 その言葉で、わたしはこれ以上、話を聞く気をなくした。

「嫌よ」

 わたしは顔を上げ、話をさえぎるようにそれだけ告げた。再び視線を落とし、方程式の続きを書き始める。

「えっ……な、何で?」

 戸惑いの声と同時に、詰め寄ってきた男子の手が、勢いよく応用問題の上に乗せられた。苛立ちを覚える。心臓が大きく跳ねて、頭に血が上っていくのが分かった。
 机を強く叩いて立ち上がる。椅子が後ろの席に当たる音がした。間髪入れずに男子に視線を向けた。男子は逃げるように上半身を少しのけ反らせた。

「普段は関わろうとしないくせにこういうときだけすり寄ってくる輩って嫌いなの」

 一気に言い切ってから、大きく一度、息を吸い込み。

「例えばあなたみたいな、ね」

 自分のできる限りの嫌味たっぷりな言い方で、そう吐き捨てた。

 わたしは昔から、周囲の人間に嫌われていた。
 生徒はもちろん、教師の中にもそんな態度が見え隠れする者はいた。生意気な性格が気に食わない、という同級生の陰口を偶然聞いたことがある。文句があるなら、そんな性格に育てた親に言ってもらいたい。
 一方で、わたしに近付いてくる人間もいた。わたしが好きというわけではない。わたしの生み出す実績が、肩書きが好きな輩だ。たいていは大人がそうだが、同年代の人間もそれなりにいた。
 自分の友達だと自慢したい女子。わたしを食ってやったと自慢したい男子。うわべだけ見ると様々な人間が寄ってきたけど、中身はだいたいこんなものだった。

 だから、この男子だってどうせ猥談のネタ欲しさか、そうでないなら罰ゲームで近付いてきただけだ。
 ただ、近付くダシにわたしの大好きな詩を使ってきたことが許せなかった。土足で部屋に踏み込まれた挙句、ベッドで靴裏を拭かれたような気分だった。

「……」

 男子は呆然とした表情でわたしを見ていた。視線を逸らさないのは、わたしの剣幕に圧倒されただろうか。
 それとも、眼球を動かせることを忘れるほど、頭が空っぽなのかもしれない。

「もう用がないなら、さっさと出てって。勉強の邪魔なの」

 どっちにしろ、これで終わりだ。彼がわたしを訪ねてくることは、二度とない。経験則からくる予想は、わたしの中では確実に訪れる未来と同じだった。
 椅子を戻して、少ししわの寄ってしまった教科書のページを、指で伸ばしていく。

「あ、の」

 絞り出された男子の呼びかけを無視して、問題の続きを解き始める。男子は数分ほど、未練がましくわたしの横に立っていたが、やがて教室を出て行った。

 いま思えば、なんて早とちりをしていたのだろう。
 そのときのわたしは、内藤がどんな顔をして教室を去っていったのかは見ていない。でも、いまなら手に取るように想像できた。そして、胸に針を刺したような痛みが走った。
 開いたページには、数行ほどの短い日記が、日付とともにまだいくつも書かれていた。隣のページにも目をやる。やはり同じような日記が、詩や単語の中に紛れている。

 わたしは詩も単語も無視して、日記を読みふけった。短い文から、内藤が何を思っていたのかを、余すことなくくみ取ろうとした。
 それはわたしが内藤の行動に、思考に、たくさんの疑問を抱いていたからで。
 そして、彼に対するわたしの行動にも、思考にも、同じことが言えたからだ。
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