8 / 10
part.8
しおりを挟む4月◎日
なんで僕は、詩を書いているんだろう。
津出さんが言った通り、もう書く意味なんてないはずなのに。
「……内藤」
今日出された分の宿題をすべて終えたところで、内藤を呼んだ。
「ん?」
視線を落としていたノートを閉じて、顔だけを内藤のほうを向ける。隣の席に座っている内藤も、同じようにわたしのほうを向いた。わたしの背後から射す淡い春の夕焼けに、内藤は眩しそうに目を細めた。
「詩は、書けたの?」
「うーん……まだなんか納得が……」
軽く頭を掻いて顔をしかめた内藤は、わたしから机の上の手帳へと視線を移す。壁に掛けられた時計を見やる。最後に話したときから30分以上が経っていた。そのときも、内藤は納得がいかないと言っていた。進展はほとんどなかったようだ。
年度が替わって、わたし達は2年生になった。クラス替えで偶然にも、わたしと内藤は同じクラスになっていた。さすがに隣の席にはならなかったが、それでも内藤はひどく喜んでいた。
放課後にふたりで残り、隣り合ってそれぞれに何かをする。環境が変わっても、それは変わらなかった。
唯一といっていい変化といえば、会話が増えたことだ。内藤からではない、わたしのほうから話しかけて始まる会話が、だ。
主に詩のことや、勉強のことが話題だ。これまでのわたしなら、誰かと会話すること自体が無意味だと言うだろう。
しかし、いまはそうは思わない。例えば、作業が行き詰まってくれば、少し休憩を取ることがある。そういったときに、話題があれば内藤と話すと、不思議とリフレッシュできるのだ。
それは普通に押し黙っていても同じだ。だけど、やってもやらなくても変わらないなら、やる。自然とそういう選択肢を選んでいる自分がいた。
我ながら、劇的な変化だと思う。その原因は、なんとなく察しがついていた。わたしは内藤に、親しみのようなものを覚えているのだ。
この感情を本当に親しみと呼んでいいのかは分からない。他人を嫌ってばかりだったわたしには、細かいニュアンスの判別がつかない。
だけど、少なくとも内藤のことを嫌ってはいない。それだけは確かに言える。そして、わたしの中では相対的に、内藤の優先順位は高かった。だから、親しみを覚えていると言っても、内藤のことを友達と呼んでも、間違いではないと思う。
「ちょっと……見せて」
ふと思い立って、内藤に手帳を渡すよう催促する。思えば、わたしはまだ内藤の書いた詩を見たことがなかった。行き詰まっているようだし、簡単な添削のついでに見せてもらおう。案外、他人に見てもらうと新しい発見があって、それがぴたりとはまることもあるはずだ。
「えっ? うーん……どうぞ」
内藤は少し悩む素振りを見せてから、手帳をこちらによこしてきた。納得のいかないものを見せるのに抵抗があったのだろう。
内藤がわたしの前の席に移動する。それから内藤が振り返って、わたしの席をふたりで挟む形になる。
少し顔を上げると、視界のほとんどは内藤で埋め尽くされていた。眉間に寄ったしわの一本一本や、一心不乱に手帳を見る瞳の輝きも、鮮明に見える。
正面から、しかも間近に内藤の顔を見た記憶はない。胸のあたりになんとも言えない違和感を覚えた。
なぜだろう。
なぜ、内藤はこんなにも詩を書くことに一生懸命なのだろう。わたしと同じような理由で書いているようには、決して見えないのに。
「……ねえ」
「ん?」
「……内藤はどうして、詩を書いているの?」
気付けば、そんなことを聞いていた。
「え、そ、それは……」
詩を見せてほしいと言ったときよりも、内藤がうろたえる。返事はなく、しばらくの間、沈黙が続いた。
やがて耐え切れなくなったのか、内藤はわたしから目を逸らした。
わたしには、どうして内藤がここまで狼狽しているのかは分からない。何か人には言いづらい理由がある。それだけしか察することができない。
その事実は、わたしの好奇心を抑え込むだけの力を持っている。話すのを強制するつもりもないし、できるわけもなかった。
「別に、無理して話さなくてもいいわ……でも」
だからわたしは、内藤がいらぬ誤解をしないよう、前置きをしてから言う。
「ん?」
「もしも話してくれるなら、わたしも話す。絶対、内藤にだけ嫌な思いはさせない」
顔を上げた内藤と目が合う。見つめあったまま、時間が流れていく。その間は長いようにも、短いようにも感じた。
「……分かった」
やがて内藤の瞳に、力強い輝きが宿る。ようやく帰ってきた了承の返事は、いつもより低い声色だった。
「僕は、中学校に入ったばかりの頃、いじめられていたんだ」
ぽつりぽつりと、記憶を確認していくように、内藤が話し始める。
「犯罪じみたことじゃない、ちょっとおふざけが過ぎたようないじめだったんだけどね。僕はそれが嫌で仕方なくてさ、現実から逃げるように、図書室で本ばかり読むようになったんだ」
わたしは内藤が話すのを、黙って聞いていた。態度には出さなかったけど、驚きもしていた。わたしには内藤が、いじめの対象になるような人間には思えなかったからだ。
話を聞くに、相手にはいじめているという自覚はなかったのだろう。ちょっといじってやる、おちょくってやる。その程度の認識だったはずだ。
ただ、他人が同じ認識を持っているとは限らない。少なくとも内藤から見たそれは、紛れもないいじめだったのだ。
「そのときに詩集ってものを初めて読んで、こんな風に自分の中に溜まってるものを吐き出せたら、って思ってさ。それが、僕が詩を書き始めたきっかけ」
「……ふうん」
「……自分じゃ情けないって思ってるから、人に話すのは恥ずかしかったんだよね」
そう言って、内藤がいったん話を区切る。照れ隠しなのか、頬をぽりぽりと掻きながら。
この様子だと、現在は特にいじめられていたことを気にしてはいないらしい。何があったのかは知らないが、乗り越えることができたのだろう。
そんな内藤のことが、わたしは羨ましかった。
0
あなたにおすすめの小説
Short stories
美希みなみ
恋愛
「咲き誇る花のように恋したい」幼馴染の光輝の事がずっと好きな麻衣だったが、光輝は麻衣の妹の結衣と付き合っている。その事実に、麻衣はいつも笑顔で自分の思いを封じ込めてきたけど……?
切なくて、泣ける短編です。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
背徳の恋のあとで
ひかり芽衣
恋愛
『愛人を作ることは、家族を維持するために必要なことなのかもしれない』
恋愛小説が好きで純愛を夢見ていた男爵家の一人娘アリーナは、いつの間にかそう考えるようになっていた。
自分が子供を産むまでは……
物心ついた時から愛人に現を抜かす父にかわり、父の仕事までこなす母。母のことを尊敬し真っ直ぐに育ったアリーナは、完璧な母にも唯一弱音を吐ける人物がいることを知る。
母の恋に衝撃を受ける中、予期せぬ相手とのアリーナの初恋。
そして、ずっとアリーナのよき相談相手である図書館管理者との距離も次第に近づいていき……
不倫が身近な存在の今、結婚を、夫婦を、子どもの存在を……あなたはどう考えていますか?
※アリーナの幸せを一緒に見届けて下さると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる