センス・オブ・ワンダー

イグサコウジ

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part.8

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 4月◎日
 
 なんで僕は、詩を書いているんだろう。
 津出さんが言った通り、もう書く意味なんてないはずなのに。



「……内藤」

 今日出された分の宿題をすべて終えたところで、内藤を呼んだ。

「ん?」

 視線を落としていたノートを閉じて、顔だけを内藤のほうを向ける。隣の席に座っている内藤も、同じようにわたしのほうを向いた。わたしの背後から射す淡い春の夕焼けに、内藤は眩しそうに目を細めた。

「詩は、書けたの?」

「うーん……まだなんか納得が……」

 軽く頭を掻いて顔をしかめた内藤は、わたしから机の上の手帳へと視線を移す。壁に掛けられた時計を見やる。最後に話したときから30分以上が経っていた。そのときも、内藤は納得がいかないと言っていた。進展はほとんどなかったようだ。

 年度が替わって、わたし達は2年生になった。クラス替えで偶然にも、わたしと内藤は同じクラスになっていた。さすがに隣の席にはならなかったが、それでも内藤はひどく喜んでいた。
 放課後にふたりで残り、隣り合ってそれぞれに何かをする。環境が変わっても、それは変わらなかった。

 唯一といっていい変化といえば、会話が増えたことだ。内藤からではない、わたしのほうから話しかけて始まる会話が、だ。
 主に詩のことや、勉強のことが話題だ。これまでのわたしなら、誰かと会話すること自体が無意味だと言うだろう。

 しかし、いまはそうは思わない。例えば、作業が行き詰まってくれば、少し休憩を取ることがある。そういったときに、話題があれば内藤と話すと、不思議とリフレッシュできるのだ。
 それは普通に押し黙っていても同じだ。だけど、やってもやらなくても変わらないなら、やる。自然とそういう選択肢を選んでいる自分がいた。
 我ながら、劇的な変化だと思う。その原因は、なんとなく察しがついていた。わたしは内藤に、親しみのようなものを覚えているのだ。

 この感情を本当に親しみと呼んでいいのかは分からない。他人を嫌ってばかりだったわたしには、細かいニュアンスの判別がつかない。
 だけど、少なくとも内藤のことを嫌ってはいない。それだけは確かに言える。そして、わたしの中では相対的に、内藤の優先順位は高かった。だから、親しみを覚えていると言っても、内藤のことを友達と呼んでも、間違いではないと思う。

「ちょっと……見せて」

 ふと思い立って、内藤に手帳を渡すよう催促する。思えば、わたしはまだ内藤の書いた詩を見たことがなかった。行き詰まっているようだし、簡単な添削のついでに見せてもらおう。案外、他人に見てもらうと新しい発見があって、それがぴたりとはまることもあるはずだ。

「えっ? うーん……どうぞ」

 内藤は少し悩む素振りを見せてから、手帳をこちらによこしてきた。納得のいかないものを見せるのに抵抗があったのだろう。
 内藤がわたしの前の席に移動する。それから内藤が振り返って、わたしの席をふたりで挟む形になる。
 少し顔を上げると、視界のほとんどは内藤で埋め尽くされていた。眉間に寄ったしわの一本一本や、一心不乱に手帳を見る瞳の輝きも、鮮明に見える。

 正面から、しかも間近に内藤の顔を見た記憶はない。胸のあたりになんとも言えない違和感を覚えた。
 なぜだろう。
 なぜ、内藤はこんなにも詩を書くことに一生懸命なのだろう。わたしと同じような理由で書いているようには、決して見えないのに。

「……ねえ」

「ん?」

「……内藤はどうして、詩を書いているの?」

 気付けば、そんなことを聞いていた。

「え、そ、それは……」

 詩を見せてほしいと言ったときよりも、内藤がうろたえる。返事はなく、しばらくの間、沈黙が続いた。
 やがて耐え切れなくなったのか、内藤はわたしから目を逸らした。

 わたしには、どうして内藤がここまで狼狽しているのかは分からない。何か人には言いづらい理由がある。それだけしか察することができない。
 その事実は、わたしの好奇心を抑え込むだけの力を持っている。話すのを強制するつもりもないし、できるわけもなかった。

「別に、無理して話さなくてもいいわ……でも」

 だからわたしは、内藤がいらぬ誤解をしないよう、前置きをしてから言う。

「ん?」

「もしも話してくれるなら、わたしも話す。絶対、内藤にだけ嫌な思いはさせない」

 顔を上げた内藤と目が合う。見つめあったまま、時間が流れていく。その間は長いようにも、短いようにも感じた。

「……分かった」

 やがて内藤の瞳に、力強い輝きが宿る。ようやく帰ってきた了承の返事は、いつもより低い声色だった。

「僕は、中学校に入ったばかりの頃、いじめられていたんだ」

 ぽつりぽつりと、記憶を確認していくように、内藤が話し始める。

「犯罪じみたことじゃない、ちょっとおふざけが過ぎたようないじめだったんだけどね。僕はそれが嫌で仕方なくてさ、現実から逃げるように、図書室で本ばかり読むようになったんだ」

 わたしは内藤が話すのを、黙って聞いていた。態度には出さなかったけど、驚きもしていた。わたしには内藤が、いじめの対象になるような人間には思えなかったからだ。
 話を聞くに、相手にはいじめているという自覚はなかったのだろう。ちょっといじってやる、おちょくってやる。その程度の認識だったはずだ。
 ただ、他人が同じ認識を持っているとは限らない。少なくとも内藤から見たそれは、紛れもないいじめだったのだ。

「そのときに詩集ってものを初めて読んで、こんな風に自分の中に溜まってるものを吐き出せたら、って思ってさ。それが、僕が詩を書き始めたきっかけ」

「……ふうん」

「……自分じゃ情けないって思ってるから、人に話すのは恥ずかしかったんだよね」

 そう言って、内藤がいったん話を区切る。照れ隠しなのか、頬をぽりぽりと掻きながら。
 この様子だと、現在は特にいじめられていたことを気にしてはいないらしい。何があったのかは知らないが、乗り越えることができたのだろう。
 そんな内藤のことが、わたしは羨ましかった。
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