猫と私と犬の小説家

瀧川るいか

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月とバイスタンダー

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【1】
 私の住む街は田舎過ぎる訳でもなく都会過ぎる訳でもない。そんな街だ。凄いのかどうかよくわからないが政令指定都市だ。思い出としては政令指定都市になってから空地にはアパートやマンションが沢山出来た。この街に人を迎え入れる街作りの一環らしいが、本当に住み着いているかは疑問ではある。心の中では私の慣れ親しんで育った街が変わっていくのが寂しく感じたのは否定しない。魅力を教えてと聞かれたら正直困るし、これといったのがないかもしれない。外から来た人が見る景色と、いつも私が見てる景色では同じものでも価値観に少しズレがあるのも事実だ。
 今更、私の日常に存在する全てに対して驚く事、感動する事はないのだ。もしも、日常に驚きが溢れていたら疲れ果ててしまう。でも私は生まれ育った、この街が大好きである。只、ここ以外の場所に住んだ事がないので他の場所を知らないからという錯覚も多少ある。今の今まで暮らしてる街。そして、これからも離れるつもりない。都会過ぎる街は苦手だ。今の暮らしてる街のスピードに慣れすぎて都会人の早すぎるスピードには今更追い付けない。そもそも追い付きたいとも思わない。何度か東京駅に行った事があるのだが人の多さに目が回るし、ぶつかっても謝らない空気感、余り好きになれなかった。簡単に片付けると、ゆったりと静かに暮らしていたいのだ。

 高校を卒業して特に先々を考えるわけでもない。申し訳ないくらい、なんとなく生きている。所謂フリーターである。とは言え、ちゃんと生きてはいる。
 実家暮らしで学校に行くわけでもなく、就職するわけでもないが今のアルバイトを始めて三年、高校二年生頃から始めているので実質五年程いる。業界的に人手不足もあり今は一週間の内、五日から六日はしっかりと働いてる。働かせて頂いて本当にありがたいと思ってる。立ち仕事で足は疲れる、白いシャツに黒いカフェエプロンというシンプルで制服が大人っぽくもあり、可愛いと思って始めた喫茶店の仕事。しかし、アルバイトとはいえ働くというのは大変だ。仕事なのだから大変で当たり前だ。レジ打ちといってもお金の管理と思えばミスは許されない、料理を運ぶ、洗い物もする、アルコール除菌をする。寝る前は必ずハンドクリームをして手袋をしないと手が荒れて辛い。お客様の前では常にニコニコしていないといけない。同年代のお洒落な子のようにネイルをしたい、髪の毛を派手に染めたいと思った事もある。それを諦めてでも、今の仕事、今の環境が好きなのだ。
 高校生の時からお世話になってるお店。思い入れもある場所なのだ。それに人と関わる事を諦めたくない私は今の仕事が好きなのである。『料理を提供する時、それ以外の何かも提供してあげてね。それが人にしか出来ない仕事なんだよ』と店長に言われた。意味がわからなかった。『言葉でも気遣いでも笑顔でもいい、それがあって初めてお客様に素敵な時間を提供できる。だから、ただの料理運びとか流れ作業って気持ちは持ったらダメだよ。心地の良い時間をプレゼントするのが僕らの仕事なんだよ』と店長に最初に教えられた。それと「お客様と関わる時間は短いからこそ、ちょっとした気遣いが大事だよ」とも当時の先輩に教わった。本当にありがたい言葉達だった。その言葉があって人と関わる仕事、接客業というのを本当に好きになれた。
 自分は従業員としてお客様に感謝する立場なのだが、この仕事を長く続けていて常連のお客様とも仲良くしてもらえてる。「いつもありがとう」など優しい言葉を掛けてもらえてる。本当に嬉しい限りだ。形としては残らないが言葉の贈り物を今の仕事を通じて数え切れない程頂いた。私の中にだけ存在する宝物だ。それだけで暮らしていけたら、きっと幸せなのだろう。ただ、好きな仕事、好きな環境だが果たして続けていいのか悩んでいる。
 現実問題として今の稼ぎでは一人で暮らすというのは厳しいと思えるのだ。小さい頃にドラマで見ていて、大人になったら一人で暮らすものだと勝手に思っていた自分は現在の状況に疑問を感じていた。人それぞれ悩みの一つや二つは当たり前だ。好きな事、楽しい事だけをして生きていたい。人生において願わくば嫌な事はしたくない。我が儘なのだろうか?

 疲れたり悩んだりすると君に会いたくなる。
でも君がいない。探しても見当たらない。街の中心にあるオフィスビルと商業ビルの間にある、よく見ると錆が酷い白い歩道橋の上で。
 空が広く見える、夜になると恋人達が幸せそうに手を繋ぎ歩いてる川沿いの道で。
 名所と言われている国指定重要文化財の橋で。少しでも会いたいと思って週末の賑やかな街を一人で歩いてた。うるさいし、人混みが苦手な私には苦痛だ。しかし会えないと会いたくなる。探し物が見つからないとモヤモヤする。一度気になると気になって仕方ない。相手からするといい迷惑だ。 見ていてくれてるのが当たり前だと思ってた。でも、今日はいない。昔はこんな感情はなかった。当たり前が当たり前じゃない時代なんだと思う出来事が増えた。
「またね」
なんて言葉を学生時代はよく使ってた。それが日常だった。でも、本当は当たり前なんて思ったらいけない。
「今度ね」
なんて言葉を言っても思い描いた当たり前の明日がこないかもしれない。だからこそ、その時、その瞬間をしっかりと咀嚼して生きていたい。

君はどう思ってる?
君は今何をしてるんだろう?
ちゃんと元気にしてるのかな?
周りと仲良くしてるのかな?
誰かの幸せを祝ってるのかな?
誰かの哀しみを見て泣いてないか心配だよ。
私の知らないこと沢山知ってる君だから大丈夫かな?
寂しくはないが、つまらない気持ちを抱きしめ、今日は君はいないんだと諦めた。
大嫌いな賑わう街中を、車の騒音や人の出す雑音から逃げるようにイヤホンで耳を塞ぎ、大好きな音楽を聴きながら家を帰る事にした。
        
【2】
今の私は自由過ぎると感じる事がある。
学生時代のように授業もない、テストもない。年間を通して区切りが減った。学校にいると自然と大人が区切りをくれた。今はお盆、正月くらいしか意識する事がない。職場の先輩で、よくシフトが一緒になる主婦さんが「お盆が終わると、すぐ正月だ」なんて言ってたのが、最近身に染みてわかる。季節を感じるのも受身だと一瞬で終わってしまう。大人になると積極的にならないと季節さえも感じれないのだ。職場が屋内だと尚更だ。
 学生時代の方が時間に追われていた。毎日自分が楽しめる何かを常に求めていた。
朝六時、母親に起こされて半分寝ながら朝御飯を食べる。自転車に乗り三十分かけて学校に行く。今では到底無理な運動だ。夏は暑くて溶けそうだった思い出。冬は雪が積もるとバスで通っていた。バス停が歩いて二十分と、また面倒な距離感だった。バスが遅れたと先生に嘘ついて友人と遊びに行っていた事は内緒だ。遊びやバイトで忙しく過ごしていたので寝ながら授業を受けてる事が多かった、多いと言うより殆ど寝ていた。十六時頃に学校が終わってからは、今働いてる飲食店で平日は週三でシフトに入り、十七時から二十一時までバイトをしてた。家に帰ると二十二時頃だった。それからお風呂に入ったり、SNSで友人と遊んだりしていた。スマホを握りながら寝落ちが日常だった。学校休みの日、長期の休みの時はバイトばかりしていた。欲しい物や食べたいものが沢山あったのだ。後、何よりも撮りたいものが在りすぎたのだ。知るつもりがなくても、友人といると自然と情報が頭に流し込まれて楽しさで頭も体もパンクしそうな日々だった。 バイトのない日、少しでも空いた時間は友人とインスタ映えしそうなお洒落なカフェでスイーツにカメラを向け、おしゃべりをするのが至福だった。しかし、所謂インスタ映えするお店は学生が行くには値段が高いのは事実だ。パフェやパンケーキで千円越えるなど、はっきりいって高い。無理をしてでもSNS上という顔の一切わからない不特定多数の前では自慢したかったのだ。いかに自分が充実しているかをアピール出来るかばかり考えいた。
 今思えばどうでもいい背伸びだ。それをして何が自分に残るかといえば自己満足程度だ。学生時代というのはSNSを通じて広い世界を知っている錯覚に落ちていた。実際は狭い世界しか見えてなかった分、周りに流され合わせて生きていれば心地よかったのだ。本当の意味で人と向き合う事は手に触れられる距離でないと学べないと最近痛感させられた。

 早く学校なんて卒業して沢山働いて欲しい物を、自由な時間を手に入れたいと何度思っただろうか。早く大人になりたかった。今はどうだろうか?
 学生の頃が恋しくて仕方ないのだ。高校を卒業して自由な生活をしている。実家暮らしのフリーター。時間に融通は効くし、少なくみてもお金も学生時代よりもある。しかし充たされない感がある。それと同時に空しさがある。その正体は共感をしてくれる環境や人なのだろう。不自由の中にある、ほんの少しの自由の時間の方が自分とも向き合えるのだろう。そして、その限られた時間の中で選んだものこそ、何ものにも変えられないものなのかもしれない。やっと手に入れたのなら大切にできるのだろうか。

 今日も仕事が終わり職場を出て直ぐ近くにある、いつもの、よく見る錆びが酷い白い歩道橋の上に私は行き、黒い絵の具で塗り潰された雲一つない空を見上げた。
「久しぶりだね、お月様。やっと会えたね」
私は一人、夜空を見上げてそう呟いた。私が会いたかったのは月。学生時代は気にも止めなかった。そもそも空を見上げる事なんてしていなかった。友人と携帯電話を片手に電子画面とにらめっこしてばかりで下を向いてる事の方が多かった。そんな仲の良かった友人達も進学や就職と自分の生きる道を自分で考えて決めて私とは違うレールに乗った。当たり前だ。ずっと子供ではいれない。わかってる。
 でも、少し寂しく思うのは事実だ。たまに会う友人ともすれ違う会話が増えた。環境が変われば、人はそれに順応し変化する生き物だ。今の私の生活にいないように、友人達の生活に私はもういないのだから。お互いに知らない世界が増えるのは当たり前だ。私はどうだろうか?
 どんどん進んでいく友人達と比べると自分が子供のまま変わってないと思えてしまう。どうすれば満たされるのわからない。情けなく感じてる。いつからだろう、私は月に問いかけていたんだ。月は綺麗だ。月は今まで沢山の人々の夢や希望、涙や絶望を見てきたんだ。一切言葉を言わない、感情を持っているかもわからない君は私にとって、これ以上ない傍観者だ。月が今まで見てきた数々の歴史を思うと、私の悩みなんて大した事なく思える。そんな風に思うと気が楽だ。仕事の悩み。先々の不安。これから自分がどう生きていくか。
 ふと空を見上げて、話す事のできない、決して声が届く訳のない君に会いたくなってしまう。向き合う事を忘れる事で、なんとか今を次の瞬間に繋いで生きてる。もしかしたら自分の事でさえ他人事、傍観者のように眺めて生きてきたのかもしれない。今の生活を続けていいのかもわからない。ちゃんとしたいと思っても、どうするのがちゃんとなのかもわからない。今の私は人生の迷子で何もない空っぽなのだ。
 月を羨ましく思う。只、存在してる事が凄い事に思える。私だったら堪えられない位の世界を見てきて、今も見続けてる。そんな事を考えると、せめて自分が納得できるように生きなきゃと思える。だから、これからの私を見ててほしい。誰かに流されないで自分の選んだレールに乗る。心の中で月と約束を交わした。本当は君と一番細い指で抱き合いたいけど無理だ。誰も私を見てないかもしれないけど、月は私を見ていてくれてる。見守られる意識、生きる上で大切な事だ。そして黒い絨毯に寝そべり、ひとりぼっちで私を見てる君にカメラを向け写真を撮った。

 そんな私を横目に仕事帰りの人が通り過ぎていく。
いつか出会うかもしれない人が私の後ろを通り過ぎていく。人生で出会える人の数は少ない。これからはすれ違わずに出会った人と向き合っていきたいな。運命だなんて重い言葉は使わずに、何かの縁だと思って出会いを大切に。久しぶりに君に会えた嬉しい気持ちと離れがたい気持ちを引き連れて、視界を遮るように伸びた黒い前髪をかき上げ、耳に掛かる髪をぐるぐると遊ばせながら遠足帰りの子供のように家を目指した。

【3】
 学生時代の私には物欲というものがあった。今が物欲がないわけではないが。只、当時は欲しい物が溢れ過ぎていたのだ。あれが欲しい、これが欲しい。友人が持っていたりすると釣られて欲しくなっていた。今となると良い思い出と言えば可愛いものだ。
 しかし、子供といえば子供、大人といえば大人の年齢的にも二十一歳という中途半端な現在。若いからこそ着れた服、若いからこそ持てた物は青春のガラクタ、憧れの残骸に思える。十代と二十代では感覚的に近いようだが全く別次元の生き物なのかもしれない。
 学生と社会人では生きる世界が違う。もう自分には合わないと思ってしまうと無理なのだ。人を見た目で判断してはいけないと言われているが、人は視界から入る情報が一番多いと感じている。だから外見的に背伸びして大人に見られたい気持ちもあるし、まだまだ可愛く在りたいと思う気持ちが格闘しているのだ。
 この感情が芽生えてからは私の物欲というものが右肩下がりになった。そんな私でも欲しいものがある。英語三文字のブランドの黒いカバンだ。約十万円くらい。ロゴが小さくデザインされていて派手過ぎず地味過ぎず可愛いし、機能性も納得出来る。学生時代から憧れてたブランドで、友人が持っているのを見て羨ましくて仕方なかったのだ。学生時代よりお金があるのは事実だ。勿論、今の感覚では魅力的なのだが、それを五年後に果たして、そのカバンを自分が好きでいるかも自信がないのだ。そんな事を考えるようになったら欲しいと思った物でも買えなくなった。ある意味これは成長だと思ってる。
 自分を肯定してくれる狭い世界で窮屈に生きていた時は、その一瞬に対する熱量が凄まじかったが最近は冷静に考える。「あれ可愛いよね」なんて後押しする友人も常に共にいる訳でもないのも、冷静に考える事を後押しして踏み切れないのだ。お金の価値も変わったのだ。
 きっと私は先々に横たわるリアルな事を考えて買えないだろう。それと手に入れる事が出来ると確信した瞬間に何故か欲しくなくなってしまうようになった。自由を手に入れた瞬間、何をしたかったのか忘れてしまった。あんなにも欲しがってたのに勿体無い。
 こういった感情の故郷はわからないが、窮屈な感情だと思える。学生時代はバイト代は気にせず使いたいだけ使えた。欲しい物があったら食費を削ってでも手に入れていた。その瞬間が全てであり、その瞬間の繰り返しが未来永劫あり続けると思っていた。それが今はどうだ?欲しい物を手に入れるというシンプルな事が億劫になってしまった。当時の感覚が理解出来ない。自分の生きる世界が変わったら欲望の在り方も変わるんだ。人との距離、物体への価値観、時間の使い方など全て当時とは変わった。熱い感情などは忘却の彼方に消え失せてしまったのかもしれない。つまらない人になったと自負している。ある意味大人になったのだろう。

 今日は仕事が休みだ。本当はゆったりと過ごすのが好きな私には貴重な日だ。人と多く関わる仕事をしてるのだが、たまには誰とも会わない日というのがないと心が壊れてしまいそうになる。誰かと関わるというのは神経が摩耗する。接客が好き、人と関わるのも好きなのだが、人目に触れるというのは実は物凄くエネルギーを使う。
 休みの日といったら自分の部屋で孤独を満喫するのが最高の休息なのだ。この気持ちはわかる人はわかると思う。実家暮らしとはいえ食事は自分で調達するようにしている。学生時代になかった住まわせてもらっている罪悪感も多少はある。決して家族仲が悪いわけではない。寧ろ誕生日には未だにプレゼントをしたりと良好な関係性である。家の近くに大手チェーンのコンビニがあるので大抵の事は、そこで完結する。便利なものだ。二十四時間いつでも買い物出来る。
 利便性の裏側で、どれだけの企業努力や犠牲があるかはわからないが、私には有難い事だ。夜が闇に埋め尽くされない理由は、常に開いてるお店があるからなんだろう。灯りがあるというのは安心という気持ちが芽生える。近所なので風呂上がりの濡れた髪、寝間着に無化粧と無防備過ぎる姿で行ってしまうくらい気楽に入店できるのも有難い。
 朝起きてから、ずっとタブレットやスマホやテレビなど電子画面を愛しく眺めて時を忘れて過ごす。夜食を買いに出ると普段とは違う場所から空を見上げた。ビルに囲まれて窮屈そうな月がいた。不思議な気持ちだ。いつも見る君とは違う君がいた。いつもの古い歩道橋の上から見る君とは違う。私の視界には四階建てオフィスビル、地元で有名な大きなホテル、十五階建てのマンション、電信柱が月を囲うようにしている。「今日の君は肩身が狭そうで窮屈だね」とコンビニの駐車場で人工のライトに照らされながら呟いた。

 でも君はいつもと変わらないんだ。いつもと変わったのは私の方。本当に月は凄く広い世界にいて私を見てる。私のいる場所が変わったら目に写る君も変わる。君をもっと自由に見えるように変わるね。窮屈だなんて思ったりしないように。
「ありがとね」
 そんな言葉を月を見ながら噛み締めた。きっと月も私も同じなんだ。私は私でしかない。月も月でしかない。居場所が変われば新しい自分に会えるのかな。でも関係ないんだよね、どこに居ても私は私なんだ。私以上に私らしい人間は、この世の中にいない。月が月でしかないように。君に会うと考えさせられる事、気付かされる事とか色々ある。私の一方通行で身勝手な感情だ。そもそも月からしたら、私なんて小さ過ぎて見えないだろう。もし言葉を交わせたら喧嘩になっちゃうかも。だから何も語らない君でなんとなく見守っていて欲しい。誰かと一緒にいると色々と煩わしくなり一人になりたくなる。でも、一人になり無駄に沢山の時間に追い越された事に気付くと無性に寂しくなって人恋しくなる。そんな自分勝手な私だけど、君なら見ていてくれると勝手に思ってる。
「またね」と声に出さずに心の中に言葉を置き、コンビニに入った。

 いつものミートソースパスタとアールグレイティーとマンゴーのドライフルーツ。ついでに履歴書をレジに連れていった。ある意味、これも新しい一歩だと思えて嬉しいような悲しいような寂しいような複雑な気持ちになった。でも、ほんの少し嬉しい気持ちが強かった。
店を出て、少し汚れた木製のベンチに腰を掛けた。黒い寝間着のポケットから黒と緑と紫の模様が入った箱から煙草を取り出し、前歯でカチッとカプセルを潰し銀色のジッポで火を着け、空に向かい白い煙を吐いた。微かにラズベリーの甘い匂いが私に降ってきた。これが最後の一本だ。吸い終わり空になった馴染みの箱をゴミ箱にお別れした。そして少し濡れた黒い髪を右耳に掛け、ピアスを覗かせベンチから立ち上がった。夜風という自然のドライヤーで髪を乾かしながら、五分で帰れる距離を決して無駄ではない遠回りして帰る事にした。大好きな歌を口ずさみながら、いつものリズムで歩いて、いつもと違う生まれたての感情を片手に。

【4】
同じ場所に居続けれる事は夢みたいな話だ。
いつかは、その場所を離れる時が来る。新しい事を始めるのは勇気がいる事だし、怖い事だし、何より今いる場所が愛しいのなら寂しいし、離れがたいのだ。誰もが経験のない事には怯えるのは当たり前だ。でも、いつかと思って先延ばしにしても明日は残酷なくらい迎えに来る。本気で自分と向き合って生きないと後悔するだろう。命だってそうだ。いつかは終わりがくる。その終わりが来る時に私は笑っていたいだけなのだ。止まる事なく進んでいく時間の中で自分という人間の人生を他人事のように思って生きている自分がいた。
いつか、なんて考えていたら何も変わらない。
自分の人生は自分で決めないとダメなんだ。
石橋を叩いて渡ると言うより、私の場合は石橋を叩き過ぎて橋が粉々に無くなり渡れなくなる性格だ。結局は考えるだけで、何も始めれない。それも終わりしようと思う。何も始めていない今が過去になるのを見ているだけの生き方は美しくない。

 これから出会う全てに「さよなら」なんて言わない。
そんな言葉なくても、いつも「さよなら」だと思うから。
これからも「またね」って言うけど、絶対に「さよなら」って気持ちは忘れない。
本当に大好きな場所や大好きな人に「さよなら」なんて言いたくないから。
「またね」って言い続ける。
言い続けていけるように頑張る。

 全て一期一会の気持ちを忘れない。私の手の届く全てが当たり前じゃない。
「またね」の繰り返しって奇跡なんだ。家族も友人も職場も月も。一瞬の繰り返しが繋がって今があって、選択の連続で積み上げたものが明日の自分を作るのなら自分の乗りたいレールは自分で選ばないと僅かでも愛してくれた人に申し訳ない。未熟者でも「ありがとう」の言葉じゃ足りないくらい嬉しい言葉を貰ったんだ。教えて貰ったんだ。貰えた言葉と嬉しい気持ちが泣き出さないように、これから始まる新しい日常を、自分のストーリーを美しく、楽しく思えるように、今よりほんの少しだけ強く生きるね。もう二度と自分が自分の人生の傍観者にならないように自分自身を大切に生きていく。理想の自分と現実の狭間で必死にもがいて生きてる姿は何もしないより美しいと信じてる。

 今日も、いつもの少し錆れた歩道橋の上から君を見てる。携帯電話を鏡変わりにして仕事帰りで少し暴れていたショートボブの髪の毛をクシで綺麗に整えてから君を見た。片方の目を瞑って笑ってるように見えた。月も楽しかったら笑うのかな?次は気が向いたら会いに来てくれればいい。会えなかった分の寂しい時間は会った瞬間に忘れると思うから。小さ過ぎて見えない私の小さ過ぎる一歩を見てて。
新しい自分を始める事を決めた私を見てて。もう自分自身が自分の人生の傍観者にはならないよ。
誰も知らない、私と月の約束。

「またね」



「どうだ!初めて書いてみた!」
いつもの隠れ家的なカフェでわんころは自信満々な様子で座っている。相変わらず黒ずくめで胡散臭い。
「小説読まないからこれがなんなのか分からないから~書き物とでも呼ぼう!うんうん!いや~地元愛溢れる良い作品。それに若者の心の機微を上手く表現出来てると思うんだよなぁ。うんうん!我ながらよく出来てるなぁ。新しい事を始める時の寂しさとかよく出来てる。さらに月ってロマンティックな存在をこういう風に表現出来るのは俺様くらいだと思うんだけど。どう思う??」
基本的にはノロノロとゆったりとした口調で話すわんころなのだが、どうにも自分が熱くなっている事には物凄い熱量で語り出す生き物らしい。可愛い生き物の私とはある意味でジャンルは違うのだが、似た要素がある生き物。
「あのさーわんころー」
「お!解説?何でも聞いてくれ!!ほれ!」
「何が言いたいか分からない~。シンプルにつまらない~。あと読みにくい!もっと小説っぽい感じがいいな~。もっとこう動きが欲しいというかなんというか~」
少ししょんぼりするわんころ。自信があったものを否定されて傷付いたかもしれないが、感想を求められたから思った事を言っただけで、可愛い私に何も罪はない。
「よし!今度は動きをつけよう!!それだ!」
「がんばれ~がんばれ~」
そんな心無い応援を背にわんころは千円をテーブルの上に置いて、しっぽを振りながらカフェを後にして行った。
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