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なんと呼ぶものか
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「お前は俺のことを何て呼ぶ?」
疲れ果てたリュシアンは、ベッドから上半身を起こしたライモントにそう問いかけた。
もう考えることが面倒になり、とりあえず一番に話をしなければいけないライモントのもとに来ていた。
ライモントの部屋は質素で、ものがあまりない。
というのも、何かを置いておけばレイザードの琴線に触れ、壊されてしまうことが多いからだ。
レイザードの琴線に触れないものが本であるせいか、部屋には数冊の本がおいてあるばかりだった。
ライモントは緑の眼を丸くして、唖然とした顔をした。
「どうしたんです、お義兄様?」
「お前の正体がわかったぞ」
リュシアンはライモントのベッドのそばで、用意されたハーブティーを口にした。
最近、アルウェンのもとで紅茶ばかり飲んでいたせいか、飲み慣れたお茶を口にすると気分が落ち着く。
薄い黄色の液体をぼんやりと眺める時間は久しぶりな気がして、思わずカップの中の水面を眺めた。
「僕の正体?」
「アルウェン殿下の異母弟だそうだ」
リュシアンはとくにためらうこともなく淡々と口にした。
「はぁ……?どういうこと、です……?」
ライモントは気の抜けたような返事をして、首を傾げる。
「そのままだ。レイザード様は、国王陛下の番らしい」
ああ、なるほど、とライモントは頷いた。
「王妃様もアルファで国王陛下もアルファですもんね」
「……驚かないのか」
リュシアンが思わずそう尋ねると、ライモントのほうがおかしそうに笑った。
「お義兄様こそ、あんまり驚いてませんね」
「先日、もう散々怒って驚いてきた。アルウェン殿下のもとで」
というより、リュシアンはそんなに驚いてはいなかった。
あはは、とライモントは声を上げて笑った。
「お義兄様、怒ってきたんですか?」
「アルウェン殿下に喧嘩を売った」
あはは、と体を折って笑うライモントに、リュシアンは息を吐いた。
わかってはいたがずいぶん元気そうで、安堵する。
ライモントが学園へ行かずに休んでいるのは、大事をとっているだけで、別段問題はない。
ライモントが狙われているのかリュシアンが狙われているのかわからないため、本当に毒をあおったライモントを休ませているだけだった。
両親たちはリュシアンも休ませたがったが、犯人の反応を見るために、リュシアンはあえて普通に学園に通学し、普通にアルウェンと会っていた。
リュシアンはもう相当悪評が立っているし、ライモントを差し置いて平然と登校していると陰口を言われようが気にしない。
「まあ、僕とお義兄様、似てませんしね。顔」
うっすらとわかっていたことで、リュシアンもライモントと血がつながっていないことにはそれほど驚いてはいなかった。
「……お前は、エミール殿下のほうが似ている」
金色の髪も、緑の眼も、小さな口元もよく似ていると、リュシアンはベッドに転がるライモントを見て改めて思う。
そして好奇心旺盛で中身が苛烈なところは、アルウェンに似ているかもしれない。
「それは僕も思っていました」
じゃあ殿下の婚約者の線はなくなりましたね、とライモントは清々しく言い放った。
緑の眼は新緑の若葉のように輝いて、うれしそうに丸くなる。
その明るい表情から顔をそらし、リュシアンは目を伏せた。
「……お前を噛むのには、問題がなくなった」
リュシアンがため息交じりにそういうと、ライモントはベッドに倒れたまま目を丸くした。
「え……」
「噛んでほしいか、頚」
ネックガードもしていない首を指の背で撫でると、ライモントはびくりと体を固くした。
白く細い首には傷がひとつもなく、その肌はさらりとしている。
ライモントが驚きを隠さずに視線を向けてきたので、リュシアンはすぐに指を離した。
「……どうしたんです?噛みたかったんですか?」
いや、とリュシアンはあいまいに首を振り、じっとハーブティーを見つめた。
(噛みたい、とは……)
普通のアルファには強烈な欲求がある。
発情期のオメガを前にしたときに沸き起こる、『このオメガの頚を噛みたい』という欲求だ。
リュシアンは、自分はその欲求がない、と思っている。
そうでなければとっくの昔にライモントと番になっていたはずだ。
リュシアンはライモントの発情期にすら反応しない出来損ないのアルファだ。
(……噛んだほうが、いい、だろう)
ライモントは、アルウェンの異母弟だ。
王族の血を持つ者であり、そして国王の婚外子である。
アルファ同士で婚姻し、番を別に作った場合、その番との間に生まれた子供がその家の子供として認められるかどうかは配偶者に決定権があった。
配偶者側に不利にならないよう配慮されたもので、国王の場合、ライモントを王子として認めるかどうかは王妃に権利がある。
王妃がレイザードとライモントを把握していないはずがない。
先日リュシアンが助けたオメガは、ライモントのことを把握していた。
彼は王族たちに近い顔をしており、輝く稲穂のような美しい金色の髪は王家特有だ。
(……エドガー・ホーエンベルク)
彼が誰だかはリュシアンには想像がつく。
この国の宰相だ。
その宰相がライモントのことを知っていたのだ。
王妃が把握していないとは考えにくい。
彼女がレイザードの意志を汲んでいるにせよ、ライモントがティレル家にいるということは、王妃はライモントの存在を認めていない。
だから基本的には問題はないだろうが、それでも今回のように命を狙われることはあるだろうし、王の子であることが知られれば色々と面倒が多い。
それらの問題を一気に解決し、ライモントをこの先も守っていくためには、リュシアンが番になることが都合がいい。
番になれば、レイザードの憎悪も嫌悪もリュシアンは正面から諫めることができる。
番というのはお互いにとって、それだけ特別で特殊な関係だ。
「お義兄様、オメガのにおいもフェロモンもだめなのに」
「ティレル家なら、兄弟同士で番になることはよくあることだ」
父と母は少なくともそうして育って番ったし、祖父も祖母もそうである。
血のつながらない兄弟同士で番うのは、ティレル家では普通だ。
とくにライモントは、ティレル家から出ていくよりは家にいたままのほうが安全かもしれない。
手っ取り早くライモントの身の安全を確保する方法は、リュシアンと番になってしまうことだった。
「……嚙みたいんですか?」
「…………」
再度聞いてきたライモントに、リュシアンはゆっくりと視線を向ける。
ライモントの若葉のような瑞々しい緑の眼は、真剣だった。
まっすぐに見つめてくる目に、リュシアンも静かに見つめ返す。
「お前の安全のためには、噛んだほうがいいと思う」
素直にそう吐露すると、ライモントは眉根を寄せ、頬を膨らませた。
「じゃあだめです。それじゃだめ」
お義兄様はわかってない、と口の先を尖らせるライモントに、リュシアンもしかめっ面をしてしまった。
その表情をみてライモントはむう、と不満そうな顔をした。
「お義兄様、わかってないでしょう」
「なにがだ」
「なんでだめなのか」
「……」
オメガにとってうなじは、非常に大事なものだ。
うなじを噛まれた相手は唯一無二の相手になり、番相手しかフェロモンもにおいもわからなくなる。
それを散々、噛んでいいですよ、噛んでほしいと言っておきながら、ここにきてだめと言われる理由など、リュシアンにはわからない。
おまけに発情期には本当に首を差し出すようにリュシアンのもとに入り浸っておきながら。
「お義兄様は本当に鈍いんだから」
呆れたような弟の言葉に、リュシアンはハーブティーを口にした。
社交もろくにしないリュシアンが、人の機微に聡いわけがない。
(好きという言葉すら、よくわからないというのに)
先日のどろりと溶けた飴のような赤い眼を思い出す。
うれしそうに歪んだ目は、本人も自覚できないほどに喜びを表していた。熟れた果実をぐちゃりと潰して、赤い中身がこぼれたような眼差し。
あの表情と言葉が、リュシアンには重い。
『好きだ。好きだ好きだ大好きだ。あの頃から変わらないことが……そう、それは本当に嬉しくて』
砂糖を煮詰めたように甘く焦げ付いた声で、自分より強い生き物は嬉しそうに笑っていた。
『リュシアン……好きすぎでどうにかなりそうなんだ』
リュシアンにはふいに手渡された果実の色も形もわからないというのに、その身はひどく熟れていて、まるで腐る寸前だ。
あの言葉の数々も、リュシアンは考えねばいけない時が来る。
本当に腐り落ちて、手が汚れる前に、口にしなくていけないだろう。
(こわい)
それでも今は考えたくないと思うくらい重く、理解ができない。
熟れた果実をぐちゃりと潰して、赤い中身がこぼれたような眼差しを思い出すと、リュシアンはぞわりと背筋が震える。
「せめてそのピアスは外してきてくださいよね、首を噛もうかと言うなら」
ライモントの声に我に返り、すっかり気にならなくなったピアスに触れると、ちゃり、と音がした。
「……外せないんだ、これは」
指先で外そうとすれば相変らず弾かれ、リュシアンはため息をついた。
「なんでですか?……似合ってませんよ、それ」
ふんわりとオメガフェロモンが漂い始め、リュシアンは腹の奥がぐうと引きつりそうに動くのを感じた。
「魔法がかかっていて」
その言葉に、ライモントはわずかに顔を曇らせた。
「お義兄様でも解けないんですか?」
「お前……この魔法をかけた相手、誰だと思っているんだ」
リュシアンがアルウェンに魔法で敵うわけない、と呆れた顔を隠さずにいると、ライモントは上半身を起こした。
ねえ、とリュシアンの顔を下から覗き込み、すり寄ってくる。
「お義兄様、僕もピアスがほしいです……」
好きに買えばいい、と答えながら、リュシアンは息を吐いた。
「そもそもお前、耳に穴が空いていないだろう」
「空けましょう、一緒に。お兄様はもう一つの耳に空けてください」
空いていない右耳に手を伸ばしたライモントは、ふ、と微笑んだ。
空ける位置を確かめるように耳を弄るライモントに、くぐったいと首を振る。
「僕、お義兄様の眼のような水色の宝石がついたものがいいです。お義兄様は緑の石がいいですね。同じトパーズはどうですか?ブルートパーズ、色味が濃いものはお義兄様の眼によく似ていると思うんです」
グリーントパーズはあまり鮮やかな色合いが多くない。
見下ろすライモントの眼は明るい若葉のようで、トパーズではこの色に近づかないだろうと眉根を寄せた。
「お前の瞳の色には近くないだろう」
その言葉に、ライモントは嬉しそうに顔をほころばせた。
「じゃあお義兄様が選んでくださいますよね?僕の眼の色に近いもの」
「別に構わないが………どうせつけるなら、魔法でも組み込むか?」
そうしたほうがライモントは安全だろうと言うと、ライモントはいいですねと笑う。
「お義兄様、アルウェン殿下に呼ばれてはいませんか?」
「今のところはまだ、だな。先に宰相殿から連絡が来るだろう」
今のところはアルウェンからの連絡は何もないが、あの様子ではまたアルウェンから連絡が来るだろうとリュシアンは思う。
「でしたら、お義兄様、早めに宝石商を呼んで、石を選びませんか?防衛用の魔法を組み込んだピアスをしていれば、僕ももう外にでてもいいはずです」
動き、あまりなさそうですから、とライモントが言うのに、リュシアンは顔を曇らせた。
「アルウェン殿下がお前を狙ったかもしれないぞ」
「そうであれば、なおのこと僕も呼ぶでしょうね。まあ、僕はアルウェン殿下ではないと思いますが……呼ばれたときに備えて、ピアスは必要ですよね?いつまでも家にいるわけにもいかないですし」
たしかにライモントの言う通り、いつまでもこのままライモントを家にいさせるわけにもいかない。
あまり学園に通わずにいれば授業に置いて行かれるだろうし、せっかく築き上げた人脈も無駄になるだろう。
リュシアンはため息をつき、早めに宝石商を呼ぼう、とつぶやいた。
「嬉しいです、ありがとうございます。お義兄様」
「宝飾品も服も、お前は好きに買えばいいだろう」
気にする必要はない、と頬を撫でると、ライモントは嬉しそうに笑った。
「お義兄様と僕の眼の色をお互いにつけれることが、嬉しいのです」
だって、ライモントは明るい顔で笑う。
「お義兄様と僕、兄弟ですものね」
その言葉に、リュシアンは息を吐いた。
「お前は永遠に俺の弟で家族だ。お前が俺をそう呼ぶのなら、これからも」
それだけは、リュシアンには変わらない事実だった。
リュシアンは執事のレニーにできるだけ早く宝石商を呼ぶようにと命じた。
疲れ果てたリュシアンは、ベッドから上半身を起こしたライモントにそう問いかけた。
もう考えることが面倒になり、とりあえず一番に話をしなければいけないライモントのもとに来ていた。
ライモントの部屋は質素で、ものがあまりない。
というのも、何かを置いておけばレイザードの琴線に触れ、壊されてしまうことが多いからだ。
レイザードの琴線に触れないものが本であるせいか、部屋には数冊の本がおいてあるばかりだった。
ライモントは緑の眼を丸くして、唖然とした顔をした。
「どうしたんです、お義兄様?」
「お前の正体がわかったぞ」
リュシアンはライモントのベッドのそばで、用意されたハーブティーを口にした。
最近、アルウェンのもとで紅茶ばかり飲んでいたせいか、飲み慣れたお茶を口にすると気分が落ち着く。
薄い黄色の液体をぼんやりと眺める時間は久しぶりな気がして、思わずカップの中の水面を眺めた。
「僕の正体?」
「アルウェン殿下の異母弟だそうだ」
リュシアンはとくにためらうこともなく淡々と口にした。
「はぁ……?どういうこと、です……?」
ライモントは気の抜けたような返事をして、首を傾げる。
「そのままだ。レイザード様は、国王陛下の番らしい」
ああ、なるほど、とライモントは頷いた。
「王妃様もアルファで国王陛下もアルファですもんね」
「……驚かないのか」
リュシアンが思わずそう尋ねると、ライモントのほうがおかしそうに笑った。
「お義兄様こそ、あんまり驚いてませんね」
「先日、もう散々怒って驚いてきた。アルウェン殿下のもとで」
というより、リュシアンはそんなに驚いてはいなかった。
あはは、とライモントは声を上げて笑った。
「お義兄様、怒ってきたんですか?」
「アルウェン殿下に喧嘩を売った」
あはは、と体を折って笑うライモントに、リュシアンは息を吐いた。
わかってはいたがずいぶん元気そうで、安堵する。
ライモントが学園へ行かずに休んでいるのは、大事をとっているだけで、別段問題はない。
ライモントが狙われているのかリュシアンが狙われているのかわからないため、本当に毒をあおったライモントを休ませているだけだった。
両親たちはリュシアンも休ませたがったが、犯人の反応を見るために、リュシアンはあえて普通に学園に通学し、普通にアルウェンと会っていた。
リュシアンはもう相当悪評が立っているし、ライモントを差し置いて平然と登校していると陰口を言われようが気にしない。
「まあ、僕とお義兄様、似てませんしね。顔」
うっすらとわかっていたことで、リュシアンもライモントと血がつながっていないことにはそれほど驚いてはいなかった。
「……お前は、エミール殿下のほうが似ている」
金色の髪も、緑の眼も、小さな口元もよく似ていると、リュシアンはベッドに転がるライモントを見て改めて思う。
そして好奇心旺盛で中身が苛烈なところは、アルウェンに似ているかもしれない。
「それは僕も思っていました」
じゃあ殿下の婚約者の線はなくなりましたね、とライモントは清々しく言い放った。
緑の眼は新緑の若葉のように輝いて、うれしそうに丸くなる。
その明るい表情から顔をそらし、リュシアンは目を伏せた。
「……お前を噛むのには、問題がなくなった」
リュシアンがため息交じりにそういうと、ライモントはベッドに倒れたまま目を丸くした。
「え……」
「噛んでほしいか、頚」
ネックガードもしていない首を指の背で撫でると、ライモントはびくりと体を固くした。
白く細い首には傷がひとつもなく、その肌はさらりとしている。
ライモントが驚きを隠さずに視線を向けてきたので、リュシアンはすぐに指を離した。
「……どうしたんです?噛みたかったんですか?」
いや、とリュシアンはあいまいに首を振り、じっとハーブティーを見つめた。
(噛みたい、とは……)
普通のアルファには強烈な欲求がある。
発情期のオメガを前にしたときに沸き起こる、『このオメガの頚を噛みたい』という欲求だ。
リュシアンは、自分はその欲求がない、と思っている。
そうでなければとっくの昔にライモントと番になっていたはずだ。
リュシアンはライモントの発情期にすら反応しない出来損ないのアルファだ。
(……噛んだほうが、いい、だろう)
ライモントは、アルウェンの異母弟だ。
王族の血を持つ者であり、そして国王の婚外子である。
アルファ同士で婚姻し、番を別に作った場合、その番との間に生まれた子供がその家の子供として認められるかどうかは配偶者に決定権があった。
配偶者側に不利にならないよう配慮されたもので、国王の場合、ライモントを王子として認めるかどうかは王妃に権利がある。
王妃がレイザードとライモントを把握していないはずがない。
先日リュシアンが助けたオメガは、ライモントのことを把握していた。
彼は王族たちに近い顔をしており、輝く稲穂のような美しい金色の髪は王家特有だ。
(……エドガー・ホーエンベルク)
彼が誰だかはリュシアンには想像がつく。
この国の宰相だ。
その宰相がライモントのことを知っていたのだ。
王妃が把握していないとは考えにくい。
彼女がレイザードの意志を汲んでいるにせよ、ライモントがティレル家にいるということは、王妃はライモントの存在を認めていない。
だから基本的には問題はないだろうが、それでも今回のように命を狙われることはあるだろうし、王の子であることが知られれば色々と面倒が多い。
それらの問題を一気に解決し、ライモントをこの先も守っていくためには、リュシアンが番になることが都合がいい。
番になれば、レイザードの憎悪も嫌悪もリュシアンは正面から諫めることができる。
番というのはお互いにとって、それだけ特別で特殊な関係だ。
「お義兄様、オメガのにおいもフェロモンもだめなのに」
「ティレル家なら、兄弟同士で番になることはよくあることだ」
父と母は少なくともそうして育って番ったし、祖父も祖母もそうである。
血のつながらない兄弟同士で番うのは、ティレル家では普通だ。
とくにライモントは、ティレル家から出ていくよりは家にいたままのほうが安全かもしれない。
手っ取り早くライモントの身の安全を確保する方法は、リュシアンと番になってしまうことだった。
「……嚙みたいんですか?」
「…………」
再度聞いてきたライモントに、リュシアンはゆっくりと視線を向ける。
ライモントの若葉のような瑞々しい緑の眼は、真剣だった。
まっすぐに見つめてくる目に、リュシアンも静かに見つめ返す。
「お前の安全のためには、噛んだほうがいいと思う」
素直にそう吐露すると、ライモントは眉根を寄せ、頬を膨らませた。
「じゃあだめです。それじゃだめ」
お義兄様はわかってない、と口の先を尖らせるライモントに、リュシアンもしかめっ面をしてしまった。
その表情をみてライモントはむう、と不満そうな顔をした。
「お義兄様、わかってないでしょう」
「なにがだ」
「なんでだめなのか」
「……」
オメガにとってうなじは、非常に大事なものだ。
うなじを噛まれた相手は唯一無二の相手になり、番相手しかフェロモンもにおいもわからなくなる。
それを散々、噛んでいいですよ、噛んでほしいと言っておきながら、ここにきてだめと言われる理由など、リュシアンにはわからない。
おまけに発情期には本当に首を差し出すようにリュシアンのもとに入り浸っておきながら。
「お義兄様は本当に鈍いんだから」
呆れたような弟の言葉に、リュシアンはハーブティーを口にした。
社交もろくにしないリュシアンが、人の機微に聡いわけがない。
(好きという言葉すら、よくわからないというのに)
先日のどろりと溶けた飴のような赤い眼を思い出す。
うれしそうに歪んだ目は、本人も自覚できないほどに喜びを表していた。熟れた果実をぐちゃりと潰して、赤い中身がこぼれたような眼差し。
あの表情と言葉が、リュシアンには重い。
『好きだ。好きだ好きだ大好きだ。あの頃から変わらないことが……そう、それは本当に嬉しくて』
砂糖を煮詰めたように甘く焦げ付いた声で、自分より強い生き物は嬉しそうに笑っていた。
『リュシアン……好きすぎでどうにかなりそうなんだ』
リュシアンにはふいに手渡された果実の色も形もわからないというのに、その身はひどく熟れていて、まるで腐る寸前だ。
あの言葉の数々も、リュシアンは考えねばいけない時が来る。
本当に腐り落ちて、手が汚れる前に、口にしなくていけないだろう。
(こわい)
それでも今は考えたくないと思うくらい重く、理解ができない。
熟れた果実をぐちゃりと潰して、赤い中身がこぼれたような眼差しを思い出すと、リュシアンはぞわりと背筋が震える。
「せめてそのピアスは外してきてくださいよね、首を噛もうかと言うなら」
ライモントの声に我に返り、すっかり気にならなくなったピアスに触れると、ちゃり、と音がした。
「……外せないんだ、これは」
指先で外そうとすれば相変らず弾かれ、リュシアンはため息をついた。
「なんでですか?……似合ってませんよ、それ」
ふんわりとオメガフェロモンが漂い始め、リュシアンは腹の奥がぐうと引きつりそうに動くのを感じた。
「魔法がかかっていて」
その言葉に、ライモントはわずかに顔を曇らせた。
「お義兄様でも解けないんですか?」
「お前……この魔法をかけた相手、誰だと思っているんだ」
リュシアンがアルウェンに魔法で敵うわけない、と呆れた顔を隠さずにいると、ライモントは上半身を起こした。
ねえ、とリュシアンの顔を下から覗き込み、すり寄ってくる。
「お義兄様、僕もピアスがほしいです……」
好きに買えばいい、と答えながら、リュシアンは息を吐いた。
「そもそもお前、耳に穴が空いていないだろう」
「空けましょう、一緒に。お兄様はもう一つの耳に空けてください」
空いていない右耳に手を伸ばしたライモントは、ふ、と微笑んだ。
空ける位置を確かめるように耳を弄るライモントに、くぐったいと首を振る。
「僕、お義兄様の眼のような水色の宝石がついたものがいいです。お義兄様は緑の石がいいですね。同じトパーズはどうですか?ブルートパーズ、色味が濃いものはお義兄様の眼によく似ていると思うんです」
グリーントパーズはあまり鮮やかな色合いが多くない。
見下ろすライモントの眼は明るい若葉のようで、トパーズではこの色に近づかないだろうと眉根を寄せた。
「お前の瞳の色には近くないだろう」
その言葉に、ライモントは嬉しそうに顔をほころばせた。
「じゃあお義兄様が選んでくださいますよね?僕の眼の色に近いもの」
「別に構わないが………どうせつけるなら、魔法でも組み込むか?」
そうしたほうがライモントは安全だろうと言うと、ライモントはいいですねと笑う。
「お義兄様、アルウェン殿下に呼ばれてはいませんか?」
「今のところはまだ、だな。先に宰相殿から連絡が来るだろう」
今のところはアルウェンからの連絡は何もないが、あの様子ではまたアルウェンから連絡が来るだろうとリュシアンは思う。
「でしたら、お義兄様、早めに宝石商を呼んで、石を選びませんか?防衛用の魔法を組み込んだピアスをしていれば、僕ももう外にでてもいいはずです」
動き、あまりなさそうですから、とライモントが言うのに、リュシアンは顔を曇らせた。
「アルウェン殿下がお前を狙ったかもしれないぞ」
「そうであれば、なおのこと僕も呼ぶでしょうね。まあ、僕はアルウェン殿下ではないと思いますが……呼ばれたときに備えて、ピアスは必要ですよね?いつまでも家にいるわけにもいかないですし」
たしかにライモントの言う通り、いつまでもこのままライモントを家にいさせるわけにもいかない。
あまり学園に通わずにいれば授業に置いて行かれるだろうし、せっかく築き上げた人脈も無駄になるだろう。
リュシアンはため息をつき、早めに宝石商を呼ぼう、とつぶやいた。
「嬉しいです、ありがとうございます。お義兄様」
「宝飾品も服も、お前は好きに買えばいいだろう」
気にする必要はない、と頬を撫でると、ライモントは嬉しそうに笑った。
「お義兄様と僕の眼の色をお互いにつけれることが、嬉しいのです」
だって、ライモントは明るい顔で笑う。
「お義兄様と僕、兄弟ですものね」
その言葉に、リュシアンは息を吐いた。
「お前は永遠に俺の弟で家族だ。お前が俺をそう呼ぶのなら、これからも」
それだけは、リュシアンには変わらない事実だった。
リュシアンは執事のレニーにできるだけ早く宝石商を呼ぶようにと命じた。
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