うつ病の「私」

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「大人」が嫌いな「私」

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 「大人が嫌いだ」と初めて感じたのは、保育所に通っていた頃です。

 理由は、大人の発言に対して「疑問」を抱いていたからです。

 例えば、保育所に居る私がなにか悪さをしたとしましょう。それは人を殴ったり、物を壊したり、約束を破ったり、悪いことであればなんでもいいです。そこで私が先生に怒られるのは当たり前で、私が先生に対して、あるいは迷惑をかけた子に対して謝るのは当然ですよね。私が悪いですから。

 逆に、私が他の子から何らかの被害を受けて、先生がその子を怒って、その子が私に謝ってくる。ここまでは良いんです。小さいうちから謝ることの大切さは学んでおくべきですから。

 でも、幼い私は言います

「嫌だ、許さない」と。

 先生の表情は固まります。私の目の前で私に「ごめんなさい」と言ったその子も固まります。

 すると、先生は私を怒る。

「〇〇はちゃんと謝ったんだから、許してあげないとダメでしょ」と。

 その頃から、私にはどうもこれが理解できなかったのです。

"謝ればなんでも許されるわけじゃないでしょ"

"そもそも謝罪を受けたのは私なのだから、それを許すか許さないかは、謝られた私に決める権利があるんじゃないの?"

 私はずっとこう思ってました。

 だから、許したくなくて、ひたすら意地を張っていたら先生にめちゃくちゃ怒られました。最終的に私は泣きながら先生とその子に謝らされていました。

 「理不尽」を正当化してくる「大人」が嫌いでした。大人というだけで偉いから、力のない子供はそれに従わされる。たとえそれが「理不尽」であっても。

 おそらく、私の「人間」に対する「不信感」はここが始まりです。
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