5 / 6
「大人」が嫌いな「私」
しおりを挟む
「大人が嫌いだ」と初めて感じたのは、保育所に通っていた頃です。
理由は、大人の発言に対して「疑問」を抱いていたからです。
例えば、保育所に居る私がなにか悪さをしたとしましょう。それは人を殴ったり、物を壊したり、約束を破ったり、悪いことであればなんでもいいです。そこで私が先生に怒られるのは当たり前で、私が先生に対して、あるいは迷惑をかけた子に対して謝るのは当然ですよね。私が悪いですから。
逆に、私が他の子から何らかの被害を受けて、先生がその子を怒って、その子が私に謝ってくる。ここまでは良いんです。小さいうちから謝ることの大切さは学んでおくべきですから。
でも、幼い私は言います
「嫌だ、許さない」と。
先生の表情は固まります。私の目の前で私に「ごめんなさい」と言ったその子も固まります。
すると、先生は私を怒る。
「〇〇はちゃんと謝ったんだから、許してあげないとダメでしょ」と。
その頃から、私にはどうもこれが理解できなかったのです。
"謝ればなんでも許されるわけじゃないでしょ"
"そもそも謝罪を受けたのは私なのだから、それを許すか許さないかは、謝られた私に決める権利があるんじゃないの?"
私はずっとこう思ってました。
だから、許したくなくて、ひたすら意地を張っていたら先生にめちゃくちゃ怒られました。最終的に私は泣きながら先生とその子に謝らされていました。
「理不尽」を正当化してくる「大人」が嫌いでした。大人というだけで偉いから、力のない子供はそれに従わされる。たとえそれが「理不尽」であっても。
おそらく、私の「人間」に対する「不信感」はここが始まりです。
理由は、大人の発言に対して「疑問」を抱いていたからです。
例えば、保育所に居る私がなにか悪さをしたとしましょう。それは人を殴ったり、物を壊したり、約束を破ったり、悪いことであればなんでもいいです。そこで私が先生に怒られるのは当たり前で、私が先生に対して、あるいは迷惑をかけた子に対して謝るのは当然ですよね。私が悪いですから。
逆に、私が他の子から何らかの被害を受けて、先生がその子を怒って、その子が私に謝ってくる。ここまでは良いんです。小さいうちから謝ることの大切さは学んでおくべきですから。
でも、幼い私は言います
「嫌だ、許さない」と。
先生の表情は固まります。私の目の前で私に「ごめんなさい」と言ったその子も固まります。
すると、先生は私を怒る。
「〇〇はちゃんと謝ったんだから、許してあげないとダメでしょ」と。
その頃から、私にはどうもこれが理解できなかったのです。
"謝ればなんでも許されるわけじゃないでしょ"
"そもそも謝罪を受けたのは私なのだから、それを許すか許さないかは、謝られた私に決める権利があるんじゃないの?"
私はずっとこう思ってました。
だから、許したくなくて、ひたすら意地を張っていたら先生にめちゃくちゃ怒られました。最終的に私は泣きながら先生とその子に謝らされていました。
「理不尽」を正当化してくる「大人」が嫌いでした。大人というだけで偉いから、力のない子供はそれに従わされる。たとえそれが「理不尽」であっても。
おそらく、私の「人間」に対する「不信感」はここが始まりです。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる