浅い法華経 改

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浅い法華経21(法華経第五章薬草喩品)

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「これも例え話だわ」
この章にざっと目を通した蓮は呟いた。
ここまでで法華経は何を語ったろう?

まず大仰なオープニング。
次に頑固おやじの突きっ放し。
次に頑固おやじの呟き。

簡単にこう書けば派手でいじけたある男の描写じゃない。
でもなんでだろう?茶化すたびに可愛くなってくるわ、法華経。

(実はこの「可愛くなるわ」も大事なことなのだが、この時の蓮はそれを知らなかった)

ここでは降り注ぐ雨を語っている。
そして雨は薬草を育むと言っている。

雨は仏の教え、薬草は人に例えているそうだ。

つまり雨は大地に公平に降り注ぎ、どんな姿の(大きな木や小さな木、草とかいった形の違いの意味らしい)薬草も公平に育つという、法華経の教えの姿を例えているらしいのだ。
ということは誰もが薬草、つまり自分で自分を治せるということか。

「なんだか穏やかできれいな章ね」
蓮はここは分かりやすい絵だと思った。

前の信解品の「信解」とは「信じ理解すること」で、そこではこの場に残った者の中の4人の声聞が「信じ理解出来た」と釈迦は判断したから「信解品」なのだと文献のひとつに書いてあったが、その文献はさらに、この薬草喩品がでは何を信じ理解出来たかを語っていると言っていた。
それは菩薩・声聞・縁覚の三乗が、いわば合体して一乗になることが究極の教えであることを理解出来たのだ…こう言われてもよく分からないが、簡単に言うと「人の資質の違いに応じてそれなりに皆救われるのが本当の教えだということを理解出来た」ということのようだ。そしてその究極の教えが法華経なんですと、ここも見事に宣伝文句で括っている。

蓮はここで「あら?3つだけ?」と思った。
というのも蓮は以前受けた仏教講義で「人間は10種類いる」みたいなことを聞いていて、その中にあった3種類が「菩薩」「声聞」「縁覚」だったからだ。
ちなみにその10種類とは
「仏」
「菩薩」
「声聞」
「縁覚」
「天」
「人」
「修羅」
「畜生」
「餓鬼」
「地獄」
で、それぞれに特性があって、人間は誰もがその中のどれかに属しているそうだ。
そしてまたその個人の中にも同じ10種類の世界があるそうだ。
だから当然、人間の中には元から仏がいるわけだ。

蓮はここは、10種類を例えで3種類と言ったんだろうと、ぼんやり捉えてパスするのがいいなと思った。なぜなら大事なのは「轍」なのだから。
そういう意味でここは「やっぱり法華経って究極なのね。確認したわ薬草喩品」と「人間の中にある10この世界を思い出したわ。ありがとう薬草喩品」でいいのだと思った。
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