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第一章 5
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「……」
一方レッドは、恐怖で腰が引けて動けない。
「早く!」「早く逃げろ!」
ユズハや砕封魔の声が、何処か遠くで聞こえた気がした。もう、意識が殻に閉じ籠ろうとしている。
「……」
――どうせ。俺は無力だ……。
逃げたところで、寿命がせいぜい数分伸びるだけ。助けを呼べる訳でもない。
「……」
――俺の命は、誰かの犠牲の上に成り立つほど尊くない……。
「ギギギギギ……!」
その間も、蜘蛛は糸を取り払おうと、もがき、暴れ、大地を揺さぶっていた。
一方、隆起と陥没を繰り返す大地によって、刀が縦横無尽に弾き出されていた。
まるでピンボールだ。
「あわわわ! この野郎!」
刀が何かを喚きながら、宙を舞っている。目があったら、眩暈を起こしているだろう。
周囲に、断続的な甲高い音が聞こえる。刃が、地面の破片に当たっているのだ。
そして、何度も弾き返された挙句、ようやく落下した。
ちょうど、レッドの右手に落ちたのだ。
これは偶然か、奇跡か――。
そんなこと考えている暇はない。
今にも、蜘蛛が糸を引き裂きそうだからだ。
砕封魔が、レッドの体を操り、飛び出した。不思議なことに痛みが消えている。
「痛覚は、俺が遮断した。だから走れ!」
レッドの意思とは裏腹に、足が勝手に動き、化物から遠ざかって行った。
*
「ハァハァ……」
バグから身を隠そうと、空家の中で息を潜めるレッド。恐る恐る、窓から外を覗き込んだ。
大蜘蛛は、すでに糸の枷を引き千切っていた。
現に、順番に空家の中を探している。
いや、探すというより、次々に破壊している、という表現が正しいか。
さっきまで、家と名乗っていた残骸が、まるで爆撃に遭ったかのように、一瞬にして爆散したのだ。
直後、轟音が轟いた。
土埃を身に纏った化物を、視界に入れたレッドの顔が青褪めた。
体の震えが止まらない。
体温が、恐怖と絶望で急激に冷却される。冷汗ですら、温かいほどだ。
レッドが、ゆっくりと唾を呑み込んだ。
唾が喉を通り過ぎるのを待って、ようやく口を開いた。というより、散乱している思考を何とかまとめようと、声にしているようだ。
「……アイツって、お前を狙っているんだよな?」と、自分の手に握られている刀に目を落とした。
興奮が収まらないのか、肩を大きく上下させて呼吸をしている。その呼吸を、目を瞑ることで無理やり抑えようとする。もしかしたら、もう考えはまとまっているのかもしれない。
そして、さらに一言。
「――なら、お前が犠牲になれよ」
実感の篭らない言霊なのに、周囲の喧騒よりも大きく聞こえた気がした。
――何で、俺が巻き込まれなきゃいけないんだ……。
一方、状況の掴めないユズハは――といっても、刀が喋っていることだけは分かる――レッドに状況を指摘するだけで精一杯だった。
「そんなことより、まず逃げなきゃ!」
レッドが初めて怒りを露わにした。
「そんなこと!? あの化物はコイツを狙っているんだぞ。関係ない俺を巻き込むな!」
今度は怒りで体が震えた。
『…………』
レッドとユズハは、しばらく沈黙した。何を言っても、今は平行線を辿るだけだからだ。
しかし、一方刀だけは沈黙を守らなかった。
コイツには神経はないのだろうか。人間ではないから、神経はないのだろう。
「何言ってる? 俺達だろ」
何故か日本刀は楽しそうだ。多分口があったら、嬉しさに歪ませているだろう。
「“達”を付けるなっ!」
興奮したレッドの頭は、自分が隠れていることを忘れてしまったらしい。つい声が大きくなる。
結果、当然奴に見つかる訳で……。
「ギギギッ――!」
あっという間に、建物の前に現れた。
地響きと咆哮が聞こえて来ることで、外を見なくても状況は把握できた。
ついでに屋根が吹き飛んだ。原因は――明白だ。
化物が覗き込んでいる。
「ア、アレ……?」
この状況に、レッドの顔面がぎこちなく痙攣する。ついでに視点も定まらない。遠くを見ているようだ。
「ハハハ……」
現実逃避だ。
一方日本刀は、何故か他人事だ。
「おいおい。気付かれたぞ。まったく。役立たずが」
ついでに溜息も漏れている。
その言葉に、追い込まれていることを忘れ、レッドはやはり声を荒げる。
どうやら刀は、レッドの何かのスイッチをいちいち押すらしい。
しかし何故か、傍から見ると、漫才の掛け合いのように見えるのが不思議だ。
ユズハが圧倒されている。
「役立たずって、俺のことか!? 」
「他に誰がいる」
「他人に持ってもらわなきゃ移動できない方が役立たずだろうが!」
「ふん。違うなぁ。利用できるものを利用しているだけだ。いや利用価値もないか」
何故か上から目線の刀の言葉に、とうとうレッドの怒りが爆発した。
「……ほう。そうか。そうだよなぁ。お前には利用価値があるもんな!」
と、まるで槍投げの選手の如く、日本刀を空に向かって力一杯放り投げのだ。
そして、化物に向かって叫んだ。
「この刀はアナタにあげるんで、煮るなり焼くなり、好きにしてください!」
宙に舞った日本刀が、レッドの言葉に慌て出す。
「この野郎! 俺を人質にしやがったな!?」
――俺の支配から逃げられる奴がいるなんて!
その喚き声が、化物の頭上を通り過ぎて行った。
蜘蛛の幾つかの眼が、放物線を描く刀を追跡する。
その追跡の結果、砕封魔が落下したのは、はるか後方――ユズハの単車付近で倒れているテレーゼの背だった。
何だ。死人か。
「……」
蜘蛛がそう思ったかどうかは分からないが、一瞬気を逸らされたのは確かだった。
――今しかない!
その隙を突いてユズハが、感情の正体に気付かず立ち尽くすレッドの腕を掴んだ。
壁の割れ目から、空いた左手を後方の大木に向ける。刹那、何本もの糸が空を疾走――幹に、みるみる巻き付いた。
それを確認すると、まるでウィンチの如く二人を巻き上げる。いや、水平に滑空した。
「ギッ!」
瞬く間に遠ざかる人間達に、バグの反応が遅れた。統率の取れない足達が、悔し紛れに空を掻きむしった。
そして、ユズハ達に向けて、自身を射出しようと構えようとする。
しかしそれは叶わなかった。突然、その背中に鋭い痛みが走ったからだ。しかもその痛みは、縦に降下していく。
「……?」
蜘蛛が慌てて振り返った。
そこには死人――いや、死神が刀を構えて立っていた。
時間差で、背中の縦傷より血飛沫が迸った。
一方、大木の根元にいたユズハが、レッドに問いかけた。必死に笑顔を取り繕ってはいるが、冷汗が滲んでいる。
「――アンタ。あの娘助けたい?」
あの娘とは、もちろんテレーゼのことである。
「助ける? 冗談だろ。あんなに優位に立っているじゃないか」
確かにレッドの言う通りだ。バグの激しい攻撃を、まるで川に流れる木葉の如く、優雅に回避運動を繰り返している。
むしろ、レッドが刀を振るうより頼もしい。
テレーゼが蜘蛛の攻撃を回避するために、上半身を無駄のない動きで後方へと仰け反らせた。
バグの足が空を切る。
間髪入れずに、テレーゼの爪先がバグの下顎を蹴り上げる。そのまま後ろへと振り下ろし、地に着いた瞬間、さらにバグを蹴り上げた。
「!」
バグの巨体が一瞬浮いた。もしかして脳震盪を起こしたのか、化物の動きが鈍る。眼光が弱くなった気がした。
それに構わず、彼女が瞬く間にバック転を二発繰り返し、天高く宙返り。
気付くと、数メートルほど遠ざかり、単車の上に飛び乗っていた。
ユズハが、レッドに向かって必死に訴えた。
「危ないの!」
「え?」
「私のバイク! モジュール!」
彼女の言葉に、レッド顔がみるみる青褪めて
いく。
「――爆発か!?」
「そう!」
何故モジュールを庶民が扱わないのか。値段のほかにも理由があった。
専用に設計された装置や設備がないと、すぐ爆発する可能性があったからだ。
だから、本当はユズハが墜落した時点で、爆発する危険性が充分あったのだ。
まあ。そんなものを乗り物にしようとする発想自体の方が、充分恐ろしいのだが……。
『…………』
互いを見つめ合いながら、あんぐりと口を開けたままの二人。まるで石のように固まって動かなくってしまう。――その耳に、地面を砕くような音が飛び込んで来た。視線が音の発生地に弾かれた。
化物が崩れる態勢を保つため、地面に四本足を突き刺す。刹那、テレーゼに向かって糸を飛ばした。
『あ!』
二人が同時に、悲鳴に近い驚きの声を上げてしまった。
一方レッドは、恐怖で腰が引けて動けない。
「早く!」「早く逃げろ!」
ユズハや砕封魔の声が、何処か遠くで聞こえた気がした。もう、意識が殻に閉じ籠ろうとしている。
「……」
――どうせ。俺は無力だ……。
逃げたところで、寿命がせいぜい数分伸びるだけ。助けを呼べる訳でもない。
「……」
――俺の命は、誰かの犠牲の上に成り立つほど尊くない……。
「ギギギギギ……!」
その間も、蜘蛛は糸を取り払おうと、もがき、暴れ、大地を揺さぶっていた。
一方、隆起と陥没を繰り返す大地によって、刀が縦横無尽に弾き出されていた。
まるでピンボールだ。
「あわわわ! この野郎!」
刀が何かを喚きながら、宙を舞っている。目があったら、眩暈を起こしているだろう。
周囲に、断続的な甲高い音が聞こえる。刃が、地面の破片に当たっているのだ。
そして、何度も弾き返された挙句、ようやく落下した。
ちょうど、レッドの右手に落ちたのだ。
これは偶然か、奇跡か――。
そんなこと考えている暇はない。
今にも、蜘蛛が糸を引き裂きそうだからだ。
砕封魔が、レッドの体を操り、飛び出した。不思議なことに痛みが消えている。
「痛覚は、俺が遮断した。だから走れ!」
レッドの意思とは裏腹に、足が勝手に動き、化物から遠ざかって行った。
*
「ハァハァ……」
バグから身を隠そうと、空家の中で息を潜めるレッド。恐る恐る、窓から外を覗き込んだ。
大蜘蛛は、すでに糸の枷を引き千切っていた。
現に、順番に空家の中を探している。
いや、探すというより、次々に破壊している、という表現が正しいか。
さっきまで、家と名乗っていた残骸が、まるで爆撃に遭ったかのように、一瞬にして爆散したのだ。
直後、轟音が轟いた。
土埃を身に纏った化物を、視界に入れたレッドの顔が青褪めた。
体の震えが止まらない。
体温が、恐怖と絶望で急激に冷却される。冷汗ですら、温かいほどだ。
レッドが、ゆっくりと唾を呑み込んだ。
唾が喉を通り過ぎるのを待って、ようやく口を開いた。というより、散乱している思考を何とかまとめようと、声にしているようだ。
「……アイツって、お前を狙っているんだよな?」と、自分の手に握られている刀に目を落とした。
興奮が収まらないのか、肩を大きく上下させて呼吸をしている。その呼吸を、目を瞑ることで無理やり抑えようとする。もしかしたら、もう考えはまとまっているのかもしれない。
そして、さらに一言。
「――なら、お前が犠牲になれよ」
実感の篭らない言霊なのに、周囲の喧騒よりも大きく聞こえた気がした。
――何で、俺が巻き込まれなきゃいけないんだ……。
一方、状況の掴めないユズハは――といっても、刀が喋っていることだけは分かる――レッドに状況を指摘するだけで精一杯だった。
「そんなことより、まず逃げなきゃ!」
レッドが初めて怒りを露わにした。
「そんなこと!? あの化物はコイツを狙っているんだぞ。関係ない俺を巻き込むな!」
今度は怒りで体が震えた。
『…………』
レッドとユズハは、しばらく沈黙した。何を言っても、今は平行線を辿るだけだからだ。
しかし、一方刀だけは沈黙を守らなかった。
コイツには神経はないのだろうか。人間ではないから、神経はないのだろう。
「何言ってる? 俺達だろ」
何故か日本刀は楽しそうだ。多分口があったら、嬉しさに歪ませているだろう。
「“達”を付けるなっ!」
興奮したレッドの頭は、自分が隠れていることを忘れてしまったらしい。つい声が大きくなる。
結果、当然奴に見つかる訳で……。
「ギギギッ――!」
あっという間に、建物の前に現れた。
地響きと咆哮が聞こえて来ることで、外を見なくても状況は把握できた。
ついでに屋根が吹き飛んだ。原因は――明白だ。
化物が覗き込んでいる。
「ア、アレ……?」
この状況に、レッドの顔面がぎこちなく痙攣する。ついでに視点も定まらない。遠くを見ているようだ。
「ハハハ……」
現実逃避だ。
一方日本刀は、何故か他人事だ。
「おいおい。気付かれたぞ。まったく。役立たずが」
ついでに溜息も漏れている。
その言葉に、追い込まれていることを忘れ、レッドはやはり声を荒げる。
どうやら刀は、レッドの何かのスイッチをいちいち押すらしい。
しかし何故か、傍から見ると、漫才の掛け合いのように見えるのが不思議だ。
ユズハが圧倒されている。
「役立たずって、俺のことか!? 」
「他に誰がいる」
「他人に持ってもらわなきゃ移動できない方が役立たずだろうが!」
「ふん。違うなぁ。利用できるものを利用しているだけだ。いや利用価値もないか」
何故か上から目線の刀の言葉に、とうとうレッドの怒りが爆発した。
「……ほう。そうか。そうだよなぁ。お前には利用価値があるもんな!」
と、まるで槍投げの選手の如く、日本刀を空に向かって力一杯放り投げのだ。
そして、化物に向かって叫んだ。
「この刀はアナタにあげるんで、煮るなり焼くなり、好きにしてください!」
宙に舞った日本刀が、レッドの言葉に慌て出す。
「この野郎! 俺を人質にしやがったな!?」
――俺の支配から逃げられる奴がいるなんて!
その喚き声が、化物の頭上を通り過ぎて行った。
蜘蛛の幾つかの眼が、放物線を描く刀を追跡する。
その追跡の結果、砕封魔が落下したのは、はるか後方――ユズハの単車付近で倒れているテレーゼの背だった。
何だ。死人か。
「……」
蜘蛛がそう思ったかどうかは分からないが、一瞬気を逸らされたのは確かだった。
――今しかない!
その隙を突いてユズハが、感情の正体に気付かず立ち尽くすレッドの腕を掴んだ。
壁の割れ目から、空いた左手を後方の大木に向ける。刹那、何本もの糸が空を疾走――幹に、みるみる巻き付いた。
それを確認すると、まるでウィンチの如く二人を巻き上げる。いや、水平に滑空した。
「ギッ!」
瞬く間に遠ざかる人間達に、バグの反応が遅れた。統率の取れない足達が、悔し紛れに空を掻きむしった。
そして、ユズハ達に向けて、自身を射出しようと構えようとする。
しかしそれは叶わなかった。突然、その背中に鋭い痛みが走ったからだ。しかもその痛みは、縦に降下していく。
「……?」
蜘蛛が慌てて振り返った。
そこには死人――いや、死神が刀を構えて立っていた。
時間差で、背中の縦傷より血飛沫が迸った。
一方、大木の根元にいたユズハが、レッドに問いかけた。必死に笑顔を取り繕ってはいるが、冷汗が滲んでいる。
「――アンタ。あの娘助けたい?」
あの娘とは、もちろんテレーゼのことである。
「助ける? 冗談だろ。あんなに優位に立っているじゃないか」
確かにレッドの言う通りだ。バグの激しい攻撃を、まるで川に流れる木葉の如く、優雅に回避運動を繰り返している。
むしろ、レッドが刀を振るうより頼もしい。
テレーゼが蜘蛛の攻撃を回避するために、上半身を無駄のない動きで後方へと仰け反らせた。
バグの足が空を切る。
間髪入れずに、テレーゼの爪先がバグの下顎を蹴り上げる。そのまま後ろへと振り下ろし、地に着いた瞬間、さらにバグを蹴り上げた。
「!」
バグの巨体が一瞬浮いた。もしかして脳震盪を起こしたのか、化物の動きが鈍る。眼光が弱くなった気がした。
それに構わず、彼女が瞬く間にバック転を二発繰り返し、天高く宙返り。
気付くと、数メートルほど遠ざかり、単車の上に飛び乗っていた。
ユズハが、レッドに向かって必死に訴えた。
「危ないの!」
「え?」
「私のバイク! モジュール!」
彼女の言葉に、レッド顔がみるみる青褪めて
いく。
「――爆発か!?」
「そう!」
何故モジュールを庶民が扱わないのか。値段のほかにも理由があった。
専用に設計された装置や設備がないと、すぐ爆発する可能性があったからだ。
だから、本当はユズハが墜落した時点で、爆発する危険性が充分あったのだ。
まあ。そんなものを乗り物にしようとする発想自体の方が、充分恐ろしいのだが……。
『…………』
互いを見つめ合いながら、あんぐりと口を開けたままの二人。まるで石のように固まって動かなくってしまう。――その耳に、地面を砕くような音が飛び込んで来た。視線が音の発生地に弾かれた。
化物が崩れる態勢を保つため、地面に四本足を突き刺す。刹那、テレーゼに向かって糸を飛ばした。
『あ!』
二人が同時に、悲鳴に近い驚きの声を上げてしまった。
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