35 / 36
35.悪夢
仰向けになっていた体を横にし、猫のように丸くなる。そうすることで、少しでも苦痛から逃れようとした。
「……っ」
寒くはないはずだが、手足が冷えて落ち着かない。もぞもぞと動いていると、ベッドから落ちた。
この鈍い痛みこそが本物で、それ以外は植え付けられた偽物。そう教えているのに、体はずっと息苦しい。
これがもう何日も続き、メイヴィスは気が狂いそうになっている。
こんな醜態を晒したくなくて、ロージーやヴィンセントの前では平静を装ったり眠るふりをしたりしているが、それもいつまでもつか。
「……」
空気の入れ替えにとロージーが開け放した窓辺に寄る。窓枠を掴んで何とか立ち上がり、顔を出しては地面を見下ろした。
酸素を吸い込もうと口を開けるが、うまく呼吸ができない。胃の中は空っぽなのに、吐き気がする。
顔を引っ込めて座り込んだ。それでも頭がクラクラして、床に倒れ込む。
(これでもう何度目……?)
倒れるたびに、死を感じる。走馬灯を見る。
シャロンが、なぜ医学に精通しているのかを、思い出す。
『メイヴィスが倒れたから医者を呼んで欲しい? 悪いけど、マリアを診てもらわないといけないから』
母親は、どこまでもマリアが大切だった。父親も、マリアのために奔走して、メイヴィスのことなど気にもかけなかった。シャロンが相談に行ってもすげなく突っぱねられた。
シャロンはマリアのために呼ばれた医者にメイヴィスも診てくれないかと打診したが、最初の一度以外は断られた。その一度だけ、ただの病気ではない、と診断を下したが、詳細は話せないと言われた。意味がわからなかったが、シャロンはそこから誰かに頼ることを諦めた。医学書を読み漁り、独学で知恵をつけた。そうして今日まで、メイヴィスの命を繋いできたのだ。
だが、ここにシャロンはいない。
メイヴィスを助けてくれる存在はいない。
今自分が何をしているのか、わからなくなった。人生そのものがうまくいかないのに、夢ですらも幸せになれない。
(楽になりたい)
この苦しみさえなければ、どこへでも行ってやったのに。
「おい」
上下左右もわからなくなったメイヴィスを、おそらく誰かが呼んでいる。おそらく、というのは、名前を呼んでいるわけではないからだ。
「……」
うっすらと目を開けると、ヴィンセントが冷めた目でメイヴィスを見下ろしているのが見えた。
床に倒れていたメイヴィスを起こして支えてくれている。
メイヴィスは状況が飲み込めず、ゆっくりと瞬きを繰り返した。先ほど部屋を出て行ったはずのヴィンセントが、なぜここにいるのだろう。
「これを返しに来た」
ひょいとメイヴィスを抱え、ベッドに横たわらせる。そして懐から何かを取り出し、無抵抗なメイヴィスの胸元につけた。
「……これは……」
「お前のブローチだ」
妃候補の証。メイヴィスが誘拐される原因になった装飾品。これがなければ、メイヴィスは捨て置かれて、あの湖で死んでいたのだろう。
「返すつもりはなかったんだがな。ではまた後程」
ヴィンセントは意識のはっきりしないメイヴィスを置いて今度こそ立ち去る。
わからないことは山ほどあったが、メイヴィスに突然眠気が襲ってきた。
悪夢を思い出し、抗おうとするが。
目を閉じると、あっというまに引き摺り込まれた。
背中を蹴飛ばされ、地面に転がる。
起き上がる暇もなく囲まれて、再び背中を殴られた。
メイヴィスを罵りながら、人々は武器や拳でメイヴィスをひたすら殴打した。
「……!」
いつも頭だけは何とか守るが、腕も足も砕けてしまう。肋にもヒビが入り、顔を血まみれにして、メイヴィスは嵐が過ぎるのを待った。
そうして、動けなくなった頃。
今度は息ができなくなる。水の中に押し込まれ、溺れさせようとするのだ。抵抗しても、力の差は明らか。
また、動けなくなった。
今度は喉が焼けつくのを感じた。炎に囲まれて、その外側にいる人々が、メイヴィスが炎に包まれるのを待っている。
体が焼け付く前に、酸素がなくなった。
そんな、瀕死の繰り返し。
ずっとずっと、苦しかった。
死んだ方が、マシだと思った。
助けなんか、永遠に来ないのだから。
「侯爵令嬢!」
痛いほど顔を叩かれ、メイヴィスは悪夢から戻ってきた。そして目の前にいたのは、湖で最後になった精霊だった。
「こ……でぃ」
メイヴィスが名を呼ぶと、コーディは泣きそうな顔をした。
「お前さん、まだ苦しんでいるのか」
メイヴィスの額の汗を拭いながら、コーディは涙声だ。
「……」
何の役にも立てないメイヴィスは、これこそが罰なのだと思った。たまたま生まれが良かっただけで、何不自由なく怠慢な生活を送っている。苦労している人間が聞いたら、いい気はしないだろう。メイヴィスがどんな境遇に立たされていても、彼らにとっては関係ない。
「ダメだぜ令嬢。ここで死んだら、あいつらの思う壺だ。悔しいだろ、そんなの」
コーディは半ば無理やりメイヴィスの口に水差しを突っ込み、水を飲ませた。案の定、メイヴィスは咽せてさらにぐったりと力なく横たわる。焦ったコーディがわたわたと声かけをするが、それに返す気力もなかった。
(悔しくなんかない。私は、誰とも関わらずに過ごしたい。でもそんなのは、叶わない)
一人で生きていけるなら、最初からそうしていた。
「お目覚めですか」
赤髪の女性が部屋に入ってきた。コーディには目もくれず、汗をかいているメイヴィスを見て、「湯の支度をしますね」と再び出て行った。
コーディに大人しくしているよう合図をし、メイヴィスは湯を持ってきたロージーに礼を言った。
「……ありがとうございます。後は、自分でやります」
ロージーはメイヴィスの体力がないだろうと桶に湯を張ってきた。タオルを湯に浸したので、メイヴィスは絞られたそれをやや強引に奪い取る。
「侯爵令嬢様。私は陛下から身の回りのお世話をするよう申しつかっております。せめてお背中だけでも」
そう言いながらも、ロージーは譲らなかった。メイヴィスからタオルを奪い返し、体だけでは飽き足らず髪の毛までも綺麗に拭き上げた。
「着替えはこちらを。もう少しで陛下がお見えになると思います。食欲はいかがですか?」
「……」
腹に触れてみるが、空腹はよくわからなかった。
「陛下が退室されたらお持ちしますね」
無言で顔を顰めるメイヴィスに、ロージーはそれ以上何も言わず、桶を持って出て行った。
あなたにおすすめの小説
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
幼馴染の許嫁
山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
思い込み、勘違いも、程々に。
棗
恋愛
※一部タイトルを変えました。
伯爵令嬢フィオーレは、自分がいつか異母妹を虐げた末に片想い相手の公爵令息や父と義母に断罪され、家を追い出される『予知夢』を視る。
現実にならないように、最後の学生生活は彼と異母妹がどれだけお似合いか、理想の恋人同士だと周囲に見られるように行動すると決意。
自身は卒業後、隣国の教会で神官になり、2度と母国に戻らない準備を進めていた。
――これで皆が幸福になると思い込み、良かれと思って計画し、行動した結果がまさかの事態を引き起こす……
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
年に一度の旦那様
五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして…
しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。