無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)

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35.悪夢


























仰向けになっていた体を横にし、猫のように丸くなる。そうすることで、少しでも苦痛から逃れようとした。

「……っ」

寒くはないはずだが、手足が冷えて落ち着かない。もぞもぞと動いていると、ベッドから落ちた。
この鈍い痛みこそが本物で、それ以外は植え付けられた偽物。そう教えているのに、体はずっと息苦しい。
これがもう何日も続き、メイヴィスは気が狂いそうになっている。
こんな醜態を晒したくなくて、ロージーやヴィンセントの前では平静を装ったり眠るふりをしたりしているが、それもいつまでもつか。

「……」

空気の入れ替えにとロージーが開け放した窓辺に寄る。窓枠を掴んで何とか立ち上がり、顔を出しては地面を見下ろした。
酸素を吸い込もうと口を開けるが、うまく呼吸ができない。胃の中は空っぽなのに、吐き気がする。
顔を引っ込めて座り込んだ。それでも頭がクラクラして、床に倒れ込む。

(これでもう何度目……?)

倒れるたびに、死を感じる。走馬灯を見る。
シャロンが、なぜ医学に精通しているのかを、思い出す。


『メイヴィスが倒れたから医者を呼んで欲しい? 悪いけど、マリアを診てもらわないといけないから』

母親は、どこまでもマリアが大切だった。父親も、マリアのために奔走して、メイヴィスのことなど気にもかけなかった。シャロンが相談に行ってもすげなく突っぱねられた。
シャロンはマリアのために呼ばれた医者にメイヴィスも診てくれないかと打診したが、最初の一度以外は断られた。その一度だけ、ただの病気ではない、と診断を下したが、詳細は話せないと言われた。意味がわからなかったが、シャロンはそこから誰かに頼ることを諦めた。医学書を読み漁り、独学で知恵をつけた。そうして今日まで、メイヴィスの命を繋いできたのだ。


だが、ここにシャロンはいない。
メイヴィスを助けてくれる存在はいない。


今自分が何をしているのか、わからなくなった。人生そのものがうまくいかないのに、夢ですらも幸せになれない。

(楽になりたい)

この苦しみさえなければ、どこへでも行ってやったのに。

「おい」

上下左右もわからなくなったメイヴィスを、おそらく誰かが呼んでいる。おそらく、というのは、名前を呼んでいるわけではないからだ。

「……」

うっすらと目を開けると、ヴィンセントが冷めた目でメイヴィスを見下ろしているのが見えた。
床に倒れていたメイヴィスを起こして支えてくれている。
メイヴィスは状況が飲み込めず、ゆっくりと瞬きを繰り返した。先ほど部屋を出て行ったはずのヴィンセントが、なぜここにいるのだろう。

「これを返しに来た」

ひょいとメイヴィスを抱え、ベッドに横たわらせる。そして懐から何かを取り出し、無抵抗なメイヴィスの胸元につけた。

「……これは……」
「お前のブローチだ」

妃候補の証。メイヴィスが誘拐される原因になった装飾品。これがなければ、メイヴィスは捨て置かれて、あの湖で死んでいたのだろう。

「返すつもりはなかったんだがな。ではまた後程」

ヴィンセントは意識のはっきりしないメイヴィスを置いて今度こそ立ち去る。
わからないことは山ほどあったが、メイヴィスに突然眠気が襲ってきた。
悪夢を思い出し、抗おうとするが。
目を閉じると、あっというまに引き摺り込まれた。













背中を蹴飛ばされ、地面に転がる。
起き上がる暇もなく囲まれて、再び背中を殴られた。
メイヴィスを罵りながら、人々は武器や拳でメイヴィスをひたすら殴打した。

「……!」

いつも頭だけは何とか守るが、腕も足も砕けてしまう。肋にもヒビが入り、顔を血まみれにして、メイヴィスは嵐が過ぎるのを待った。
そうして、動けなくなった頃。
今度は息ができなくなる。水の中に押し込まれ、溺れさせようとするのだ。抵抗しても、力の差は明らか。
また、動けなくなった。
今度は喉が焼けつくのを感じた。炎に囲まれて、その外側にいる人々が、メイヴィスが炎に包まれるのを待っている。
体が焼け付く前に、酸素がなくなった。
そんな、瀕死の繰り返し。
ずっとずっと、苦しかった。
死んだ方が、マシだと思った。
助けなんか、永遠に来ないのだから。












「侯爵令嬢!」

痛いほど顔を叩かれ、メイヴィスは悪夢から戻ってきた。そして目の前にいたのは、湖で最後になった精霊だった。

「こ……でぃ」

メイヴィスが名を呼ぶと、コーディは泣きそうな顔をした。

「お前さん、まだ苦しんでいるのか」

メイヴィスの額の汗を拭いながら、コーディは涙声だ。

「……」

何の役にも立てないメイヴィスは、これこそが罰なのだと思った。たまたま生まれが良かっただけで、何不自由なく怠慢な生活を送っている。苦労している人間が聞いたら、いい気はしないだろう。メイヴィスがどんな境遇に立たされていても、彼らにとっては関係ない。

「ダメだぜ令嬢。ここで死んだら、あいつらの思う壺だ。悔しいだろ、そんなの」

コーディは半ば無理やりメイヴィスの口に水差しを突っ込み、水を飲ませた。案の定、メイヴィスは咽せてさらにぐったりと力なく横たわる。焦ったコーディがわたわたと声かけをするが、それに返す気力もなかった。

(悔しくなんかない。私は、誰とも関わらずに過ごしたい。でもそんなのは、叶わない)

一人で生きていけるなら、最初からそうしていた。

「お目覚めですか」

赤髪の女性が部屋に入ってきた。コーディには目もくれず、汗をかいているメイヴィスを見て、「湯の支度をしますね」と再び出て行った。
コーディに大人しくしているよう合図をし、メイヴィスは湯を持ってきたロージーに礼を言った。

「……ありがとうございます。後は、自分でやります」

ロージーはメイヴィスの体力がないだろうと桶に湯を張ってきた。タオルを湯に浸したので、メイヴィスは絞られたそれをやや強引に奪い取る。

「侯爵令嬢様。私は陛下から身の回りのお世話をするよう申しつかっております。せめてお背中だけでも」

そう言いながらも、ロージーは譲らなかった。メイヴィスからタオルを奪い返し、体だけでは飽き足らず髪の毛までも綺麗に拭き上げた。

「着替えはこちらを。もう少しで陛下がお見えになると思います。食欲はいかがですか?」
「……」

腹に触れてみるが、空腹はよくわからなかった。

「陛下が退室されたらお持ちしますね」

無言で顔を顰めるメイヴィスに、ロージーはそれ以上何も言わず、桶を持って出て行った。






















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