16 / 36
16. 提案
しおりを挟むそれから数日もすると、空気は一気に冷え込んで、くしゃみをする回数も増えた。
「期待通り、お前は寒さにも弱いのな」
また書庫の小部屋に篭る日々が続くメイヴィスは、コーディお手製の火鉢によってその寒さをしのいでいた。
「小さい頃は熱を出してずっと寝込んでたわ。今もたまに寝込むけど」
ベッドに居座るコーディには目もくれず、メイヴィスは返事をした。
「じゃあ、お前がここに来なくなったら寝込んでるってことだな」
「そうね」
オルティエ王国の冬は約3~4ヶ月ほど。その間、春に向けて民は支度をする。王室は食べ物などの備蓄を確認し、不足している地域に配布するのが役目だ。
「本ばっかりで退屈しないか?」
「あなたこそ、退屈してるのはわかるけど、私はあなたを書庫の外に出すつもりはないわよ」
縛り付けて申し訳ない気持ちがないわけでもないが、何かやらかした時のことを考えると、とても怖くてコーディを自由にすることなどできない。
「別にお前が俺をここに縛るのは構わんよ。そうじゃなくてさ。お前、その様子だと自分の家とここ以外、どこにも行ったことないんだろ」
「そうだけど、それがどうかした?」
体が弱かったメイヴィスは生まれてからほとんどを実家で過ごした。旅行なども行ったことがない。ほとんどベッドの中で、調子の良い日に庭でマリアと遊んでいたくらいだ。
二人とも、外への憧れはあった。ほんの少し。ただ、両親はマリアの外出を禁止した。王妃になるかもしれない娘に何かあってはいけない、ということだ。メイヴィスは禁じられなかったが、一人で外に行く勇気はなかった。メイヴィスが外に行ったところで、誰も気にかけはしなかっただろうが、シャロンもいい顔をしなかったため、メイヴィスは何も言わなくなったのだ。
「今なら、行けるんじゃないか。どうせ誰もお前の行動を気にかけはしない。数時間姿を消したってきっと気づかないだろうよ」
コーディの提案に、メイヴィスはすっかり驚いた。その発想はなかった。言われてみれば、メイヴィスは誰にも縛られていないのだ。義務のように、王宮にいなければならないと勝手に思っていたが。
「それ、いいわね」
サイラスの言った騒ぎの基準は、おそらく他人を巻き込むかどうかだろう。毒騒動も怪我も、クリスタやルーナが関わってしまっている。だが、メイヴィス一人が少しだけ姿を消すことを、誰が騒ぐだろうか。現にカレンとて、メイヴィスが書庫にいると信じて疑っていない。
「惜しむべくは、もう冬ってことだな。今はまだ市場も賑わっているが、じきに終わる。春先にしたらどうだ?」
メイヴィスは少し考える。何のために外に行くのか。
「そうね……でも、行ってみたいわ。春先なんてまだまだ先じゃないの」
ニィ、とコーディが微笑む。
「俺は止めないぜ。お前がどうしてもって言うなら、侍女の服をどこからか拝借してくるし」
その笑みを見て、メイヴィスは少し引いた。
「あの……それはありがたいけど、流石に新品の持ってきてね?」
念を押すと、コーディは心外だとばかりに鼻を膨らませる。
「はあ!? 俺が私室に侵入して盗みを働くとでも!?」
「なら、いいんだけど」
憤慨した様子を見て、メイヴィスはほっと胸を撫で下ろした。コーディは大体俺はここから出られないんだから、とか何とかぶつぶつ言っている。
「侍女といえば。お前の侍女、まだ帰ってこないのか」
思い出したように、コーディが尋ねる。メイヴィスはまた視線を逸らした。
「……そうね。新しい侍女に聞いてみたけれど、無事の一点張り。信じていいのやら」
あれからしばらく経つが、何の進展もない。冬も近い季節に、凍えていないか心配でたまらないのだが、メイヴィスのささやかな願いは届きそうになかった。
「ちょいと時間はかかるが、探すことはできるぜ」
「何が欲しいの?」
即食いつくメイヴィスに、コーディは苦笑する。
「単なる暇つぶしで提案しただけだが……お前が納得できないってんなら何かもらおうかねえ」
この世にタダより高いものはないという。欲しいものがあれば、それ相応の対価を払わなければならない。メイヴィスはそれを心得ていた。
「私にできることなら、なんでも」
「あんまりそういうこと言うもんじゃないぜ」
心意気だけは評価するけどな、とコーディは続けた。
「それで? 欲しいものは何?」
「考えとく。ツケってことで」
サラリと答えたコーディに、メイヴィスは拍子抜けした。てっきり自由になりたいと言われると思ったのだ。
「……わかったわ。シャロンのこと、よろしく」
自由になりたい。それだけは頼んでくれるな、と言いたかったが、メイヴィスは自分がコーディと対等な立場はないことを痛いほど自覚していた。自分では何もできない侯爵令嬢が、万能の精霊を御せるはずがない、と。結局、何かを望むのであれば、コーディの言いなりになるしかないのだ。契約とは、そういうものだから。
「あいよ。次来た時に教えてやる」
「ありがとう」
「気にすんな。互いの利害が一致してるだけだから」
それは果たして友人と呼べるのか? メイヴィスは思ったが、相手は精霊という名の人外。理解し合うことの方が難しい。それ以上は突っ込まずに、メイヴィスは小部屋を後にした。
♢♢♢
王宮の侍女たちには、階級がある。貴族らのそばについて身の回りの世話をする上級侍女、貴族らの部屋に入り、掃除や不足したものの補充などを担当する中級侍女、そして部屋に入ることが許されておらず、雑用を担当する下級侍女。ほとんどの者が下級侍女から始まり、年数を重ねたり成果を出したりすると階級と待遇が上がる。出身は庶民の娘が多く、採用されるには狭い門ではあるが、採用されるとその身分は保証される。貴族の家に雇用されることもあるが、身分は保証されないため、王宮に来たがる者は多い。
シャロンのように外部からの侍女も主人の王宮入りと共に身分が保証され、上級侍女として登録される。しかし王宮では新入りのため、ベテランの侍女たちから嫌がらせをされることもある……とは、コーディの言だ。
それはさておき、上級侍女ともなると主人の世話のため休みはほとんどない。対して、下級侍女たちは休みの日には実家に戻り、プライベートが比較的充実している。つまり、その里帰りの中に紛れ込めば、メイヴィスも街へ行って帰ることができるというわけだ。
が、下級侍女であっても城の出入りは厳しく検査され、所属も問われる。正門からの行き来は難しい。
「ほらこれ、下級侍女の制服」
きちんと袋に入った新品を差し出され、メイヴィスはそれを受け取る。
「出られないのにどうやって?」
「俺は探しものが得意なんだ。見つかればどうとでもなる」
そういえば、相手は人間ではなかった。
「でも……正門からの行き来ができないなら、どうしろっていうの?」
諦めるしかないのでは、と言いたそうなメイヴィスに、コーディはNOを突きつける。
「実は、城から出るだけならそんなに難しくないんだ。持ち物を検査される程度だから。問題は入る時なんだが」
コーディが言いかけた、その時。
「……おっと。見つけた」
ふー、と疲れたように息を吐く。その姿を見て、メイヴィスは一つ思い当たることがあった。
「まさか、シャロンの?」
ご名答、とコーディは指を鳴らす。
「お前のメイドは地下牢にいる。拷問……は受けてないな。少しやつれたかもしれんが、元気そうだぞ」
「本当?」
「ああ。会いに行くのは無理だろうがな」
助けてやれないのは残念だが、無事を確認できただけでもメイヴィスは安心した。実際に会えるまでは油断はできないが。
「安心したところ悪いが、悪い知らせもある」
「え?」
「ここから出ろ。新しいメイドがお前を探してる」
コーディが痛くない程度の力でメイヴィスを小部屋から追い出す。
「えっ、コーディ」
「悪いが俺は助けてやれない」
目の前で扉が閉められ、メイヴィスは呆然とする。しかし、誰かの足音が聞こえてきたため小部屋から離れ、書庫の出入り口へ足を向けた。
「侯爵令嬢様。やはりこちらでしたか」
やや息を切らしたカレンがメイヴィスの元まで来て頭を下げる。
そして神妙な顔で、言いにくそうに口を開いた。
「……国王陛下がお呼びです」
36
あなたにおすすめの小説
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
捨てたものに用なんかないでしょう?
風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。
戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。
愛人はリミアリアの姉のフラワ。
フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。
「俺にはフラワがいる。お前などいらん」
フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。
捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
いらない子のようなので、出ていきます。さようなら♪
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
魔力がないと決めつけられ、乳母アズメロウと共に彼女の嫁ぎ先に捨てられたラミュレン。だが乳母の夫は、想像以上の嫌な奴だった。
乳母の息子であるリュミアンもまた、実母のことを知らず、父とその愛人のいる冷たい家庭で生きていた。
そんなに邪魔なら、お望み通りに消えましょう。
(小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています)
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる