29 / 36
29. 脱走
しおりを挟む短時間で気まぐれな牝馬の気が変わらないか、メイヴィスは考えたが厩務員に連れられた牝馬は本当に気性難であるのか疑わしいほどご機嫌であった。メイヴィスを見つけるとすぐさま駆け寄って顔を擦り付ける。人懐っこいその様子を見ていた他の厩務員も目を丸くしていた。
「わっ」
背に乗る時もおとなしい。ぐんっと視界が高く、広くなり、メイヴィスは新鮮な気持ちで息を吸った。遠くの方でサイラスやクリスタ、ルーナも楽しんでいる。声が届かないほどの距離であれば、メイヴィスも少し緊張が和らいだ。
馬の手綱を引っ張る調教師に声をかけ、牧場の奥の方へ行くよう指示を出す。
すると、「いかがですかメイヴィス様」と、いつのまにかクリスタが背後まで来ていた。
「……クリスタ様。いつのまに」
クリスタは調教師もつけず、一人で馬を乗りこなしていた。
「ふふ、乗馬は得意ですの」
ゆらゆらとクリスタの馬が近づく。クリスタに撫でられて嬉しいのか、上機嫌だ。
「馬が好きなんです。賢くて、愛らしくて」
そうですか、としか返せず、メイヴィスは口を閉ざす。どうしたものかと黙っていると、メイヴィスの牝馬が落ち着きをなくしていく。どうやら、クリスタの乗る牡馬が気に入らないらしい。
牝馬が威嚇すると、牡馬は気圧されて急旋回する。その拍子に、クリスタは落馬してしまった。
「あっ!」
悲鳴が聞こえ、侍女たちが一斉にクリスタの元へ向かう。
「クリスタ様!」
叫ぶが、騎手のいなくなった牡馬は走り出し、メイヴィスの牝馬もなぜか後を追う。調教師の制止は間に合わず、手綱は取れてしまった。
コントロールを失ったメイヴィスは、落とされないように牝馬に縋るしかない。牝馬はメイヴィスのことなどお構いなしで牡馬を追い詰める。これが本来の気性の荒さなのだと思い知らされる。
(懐いてるって思ったのは、気のせいだった)
懐いていたのかもしれない。だが、それよりも牝馬は、気に食わない牡馬を蹴りに行くことを優先したのだ。
馬はあっという間に牧場の草むらから芝生養生中の砂地へと移動していく。牡馬と牝馬は、噛み付いたり蹴飛ばしたりと怪我は免れないほどの争いをしていた。
調教師たちは馬に追いつくのに時間がかかり、その間メイヴィスはたった一人で耐えるしかなかった。
しかし、牝馬が突然立ち上がり、振り落とされないように首にしがみついていたメイヴィスの腕が外れる。そのままメイヴィスは真っ逆さまに硬い地面に叩きつけられた。
「侯爵令嬢様!」
それから何分経っただろう。メイヴィスを呼び、助け起こしてくれたのはカレンと一人の騎士だけであった。
医者も人員も、ほとんどがクリスタに割かれていることは言うまでもない。
「カレン」
「動かないでください! 今テントにお連れしますから……」
引きずられるようにして、メイヴィスはテントに連れて行かれた。靴を脱がされ、裸足になる。靴はテントの外に放り投げられた。
「侯爵令嬢様、服を脱がせますね。申し訳ありませんが……」
そばに立っていた騎士が状況を察知してテントから出ていく。メイヴィスはカレンの手を借りて服を脱ぎ、とりあえずいつもの格好に戻った。
うつ伏せになって背中を晒すと、カレンが息を飲む音がする。が、メイヴィスは痛みで動くことができない。医者もいない中、医学の知識が豊富なわけではないカレンが下手に処置をするわけにはいかなかった。
「カレン。いるんでしょう」
待つしかない。それを覚悟した瞬間、外から女の声がした。草を踏みしめる足音がたくさん聞こえる。
「何?」
カレンが返すと、「殿下がお呼びよ」と女は言った。
メイヴィスは違和感を覚えた。
サイラスはクリスタにつきっきりのはずだ。クリスタが落馬した時のサイラスの様子を目撃していないので断言はできないが、確信はしている。そんな中で、医学の知識があるわけではない、クリスタと何か関係があるわけでもないカレンを呼び出すだろうか。
カレンも同じことを思ったのか、メイヴィスの顔を見て、テントを出て行く。喋り声は聞こえたが、何を話しているのかまではわからなかった。
「侯爵令嬢様」
やがてカレンが戻ってきた。
「申し訳ありませんが、少々席を外します。すぐに戻ってまいりますので、お待ちください。動いてはなりませんよ」
メイヴィスは目で返事をしてカレンが出て行くのを黙って見送った。そして、手が届く範囲にあった古書を何とか開く。持ってきた覚えはないのだが、好都合だ。
「あーあ、また怪我かよ。見てらんねえな」
現れたコーディが患部を見て顔を顰める。メイヴィスはそれに関して何も言えなかった。
たまに外に出てみればすぐに傷を作っているのだ、悪態をつきたくなるのも理解できる。
「……治せとは言わない。痛みだけでも何とかならない?」
尋ねると、コーディは腕を組んでため息をつく。
「綺麗さっぱり治ってたら怪しまれるからな。いいぜ、何とかしてやる」
横になっているメイヴィスのそばに膝をつき、コーディはメイヴィスの手を取った。水分のない、カサついた手だった。
「ほら、終わったぞ」
「嘘みたい……」
ズキズキと鈍い痛みが、綺麗さっぱり無くなっている。
「あっこら、動くな。怪我したところ綺麗にしてやるから」
消毒液が傷口に触れても、しみない。
鼻歌でも歌いたい気分だ。
「ありがとう」
処置が終わり、メイヴィスは服を着る。
コーディに素肌を晒しているが、恥ずかしいとは思わなかった。
「あれ?」
ケープを引っ張り、ブローチがあることを確認する。しかし、外さずそのままにしておいたはずのブローチがなくなっていた。
思わず立ち上がるメイヴィスに、コーディが声を荒げる。
「ちょっ、何で立つんだよ!? 痛みがなくなったからって治ったわけじゃないんだぞ!」
コーディの説教も聞き流し、メイヴィスはテントの中を引っ掻き回す。
「ないのよ! ブローチが!」
半狂乱になりながらメイヴィスが叫ぶと、
「あ、それなら俺が持ってるぜ」
と悪びれもせずにコーディがブローチを見せつけた。それを見て、メイヴィスはへなへなと座り込む。
「も……やめてよ、心臓に悪い」
「悪かったな。まさかそんなに取り乱すとは」
「だって、またなくしたなんて言えるわけないでしょう」
座り込むメイヴィスと視線の高さを合わせてコーディも屈む。そしてメイヴィスの胸にブローチを付けた。
「そんな場合かよ」
言葉とは裏腹に、コーディの物言いは優しかった。呆れも含まれていただろうが。
「それより、もう動くな。落馬したのなら安静にしとくべきだろ」
何で医者は来ないんだ? とコーディは外を覗く。
「顔出さないで! 見られるわ」
「大抵の人間は俺を見ることはできない。大丈夫だ」
さらりと述べられた事実に、メイヴィスはまた息を吐く。
「そういうことは……先に、言って」
「ああ、悪かったよ」
コーディを雑に押し除け、メイヴィスも外を見る。
離れた位置にある別のテントが騒がしいが、視界に入る場所に人はいない。あそこがクリスタのいるテントなのだろう。
(ん?)
違う場所へ目を向けると、金色の髪が森の奥へ消えて行くのが見えた。綺麗に巻かれたその髪は、間違いでなければクリスタのものだ。
(追わないと)
まさか治療中のクリスタがテントから抜け出したとは思えないが、その正体は気になる。
視線を下にやり、靴を探した。しかし、なぜかなくなっている。
(どうして?)
周囲を見ても見当たらない。メイヴィスは裸足のまま、テントを飛び出し森へ駆け出した。
「あっ、侯爵令嬢!」
古書を持ち出す暇もなかった。メイヴィスはコーディを置いて、森の奥へ消えていった。
68
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
八年間の恋を捨てて結婚します
abang
恋愛
八年間愛した婚約者との婚約解消の書類を紛れ込ませた。
無関心な彼はサインしたことにも気づかなかった。
そして、アルベルトはずっと婚約者だった筈のルージュの婚約パーティーの記事で気付く。
彼女がアルベルトの元を去ったことをーー。
八年もの間ずっと自分だけを盲目的に愛していたはずのルージュ。
なのに彼女はもうすぐ別の男と婚約する。
正式な結婚の日取りまで記された記事にアルベルトは憤る。
「今度はそうやって気を引くつもりか!?」
二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました
三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。
優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。
優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。
そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。
絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。
そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる