3 / 67
一章
二話
しおりを挟む
おれは旧校舎の一室にいた。美術の勉強があるためだ。
古びた木材のニオイと埃っぽさが入り交じり、部屋にはやけにノスタルジックな雰囲気が漂っている。窓から差し込んだ斜陽が、無造作に立て掛けられたキャンバスに橙色の影を落としていた。
岸本は先に来ていた。いつの間にか虎柄のパーカーは消え、至ってノーマルな白シャツ姿になっていた。
「どうしたんだ」
「ヤツだ。佐久間にパーカーを奪われたのだ。力作のパーカーを!」
岸本は、不機嫌そのものといった表情でキャンバスに筆を走らせる。
佐久間……佐久間尊は、岸本の幼馴染で、ビラ配りのバイトリーダーも務めているという。
会ったことはないが、四角四面の真面目な性格だと聞く。彼が明らかな規則違反を見逃すはずがない。
……ただ、岸本に虎柄のパーカーがいらないのは確かだ。
岸本の作品を見る。未完成とはいえ、黒一面の背景に赤が塗りたくられた不気味なモノにセンスを見いだせない。
なんとなく聞いてみる。
「そういえば岸本、英語の抜き打ちテストは何点だった?」
美術コースとはいえ、一応必修科目はあるのだ。
「そんなの0点に決まっておる」
ためらいなく岸本は答えた。0点といえば、普通はもう少し恥ずべきものなのだが。
彼はこちらを見ると、いきなり満面の笑みを浮かべ、ピースを突きつけてきた。
「テストの点数などどうでもよい。身どもはファッションデザイナーになりたい。だから、その道にだけ邁進すればよいのだ」
自信満々な態度を見て思う。
こいつは救いようのない馬鹿だ。冷静に自分の絵を見てみろと言いたい。
同時に、夢だけに向かって努力する岸本が眩しかった。センスがないとはいえ、確かに彼は努力しているのだ。
きっと、夢を叶えるだけの自信があるのだ。対して、おれは……。
中途半端だ。凛奈に対しても、自分に対しても。
沸々と身体の奥から湧き出るこの感情はなんだろう。嫉妬だろうか?尊敬?嫌悪?急にムカついてくる。
自分で自分が分からなくなることがたまにある。
岸本が憎い。なんでこんな気持ちになるのか分からないが、憎い。
思いっきりその絵を引き裂いてやりたい。
岸本、お前はコンプレックスの塊だ。シークレットブーツなんか履くな。お前には裸足がふさわしい。
椅子に座っている岸本を見下ろす。彼は困惑したような目でこちらを見ていた。
いっそのこと言ってやろうか。お前には才能がないと。お前の夢ごときのために、いちいち気を遣うなど馬鹿らしいんだよ。
ブーツに視線が向く。それを剥ぎとって、頭をひっぱたいてやりたい……。
絵の具がこぼれて、我に返る。
赤い水性の絵の具。白いワイシャツに染み付いて、傷のような跡をつくる。
岸本は張り切って赤い絵の具を塗り始めていたが、不意におれのキャンバスを覗き見して言う。
「お主はまだ描き始めてないのか?」
「ああ。アイディアが浮かんでこなくてな……」
真っ赤な嘘だ。やる気がないだけである。
なんで自分が美術大付属に入ったのか分からない。別に絵を描きたいわけじゃないし、画家に憧れているわけでもない。岸本みたいにデザイナーの仕事に就きたいわけでもない。
きっと、他にやりたいことがなかったからだろう。成り行きだ。
「そうか。まだ時間はあるんだから、ゆっくり考えるがよい」
疑うわけもでもなく、そう岸本は言った。
おれは、下書きをすべく鉛筆を取り出した。
隣で岸本が手をぶらつかせて始めた。
「どうした?」
「最近、どうも手が痺れてきてたまらん。デッサンのしすぎかのう」
岸本は首をかしげていた。
「さあ。あんまり無理をするなよ」
適当に答えて、再び下書きに専念する。下絵が完成する頃には、外はすっかり暗くなっていた。
古びた木材のニオイと埃っぽさが入り交じり、部屋にはやけにノスタルジックな雰囲気が漂っている。窓から差し込んだ斜陽が、無造作に立て掛けられたキャンバスに橙色の影を落としていた。
岸本は先に来ていた。いつの間にか虎柄のパーカーは消え、至ってノーマルな白シャツ姿になっていた。
「どうしたんだ」
「ヤツだ。佐久間にパーカーを奪われたのだ。力作のパーカーを!」
岸本は、不機嫌そのものといった表情でキャンバスに筆を走らせる。
佐久間……佐久間尊は、岸本の幼馴染で、ビラ配りのバイトリーダーも務めているという。
会ったことはないが、四角四面の真面目な性格だと聞く。彼が明らかな規則違反を見逃すはずがない。
……ただ、岸本に虎柄のパーカーがいらないのは確かだ。
岸本の作品を見る。未完成とはいえ、黒一面の背景に赤が塗りたくられた不気味なモノにセンスを見いだせない。
なんとなく聞いてみる。
「そういえば岸本、英語の抜き打ちテストは何点だった?」
美術コースとはいえ、一応必修科目はあるのだ。
「そんなの0点に決まっておる」
ためらいなく岸本は答えた。0点といえば、普通はもう少し恥ずべきものなのだが。
彼はこちらを見ると、いきなり満面の笑みを浮かべ、ピースを突きつけてきた。
「テストの点数などどうでもよい。身どもはファッションデザイナーになりたい。だから、その道にだけ邁進すればよいのだ」
自信満々な態度を見て思う。
こいつは救いようのない馬鹿だ。冷静に自分の絵を見てみろと言いたい。
同時に、夢だけに向かって努力する岸本が眩しかった。センスがないとはいえ、確かに彼は努力しているのだ。
きっと、夢を叶えるだけの自信があるのだ。対して、おれは……。
中途半端だ。凛奈に対しても、自分に対しても。
沸々と身体の奥から湧き出るこの感情はなんだろう。嫉妬だろうか?尊敬?嫌悪?急にムカついてくる。
自分で自分が分からなくなることがたまにある。
岸本が憎い。なんでこんな気持ちになるのか分からないが、憎い。
思いっきりその絵を引き裂いてやりたい。
岸本、お前はコンプレックスの塊だ。シークレットブーツなんか履くな。お前には裸足がふさわしい。
椅子に座っている岸本を見下ろす。彼は困惑したような目でこちらを見ていた。
いっそのこと言ってやろうか。お前には才能がないと。お前の夢ごときのために、いちいち気を遣うなど馬鹿らしいんだよ。
ブーツに視線が向く。それを剥ぎとって、頭をひっぱたいてやりたい……。
絵の具がこぼれて、我に返る。
赤い水性の絵の具。白いワイシャツに染み付いて、傷のような跡をつくる。
岸本は張り切って赤い絵の具を塗り始めていたが、不意におれのキャンバスを覗き見して言う。
「お主はまだ描き始めてないのか?」
「ああ。アイディアが浮かんでこなくてな……」
真っ赤な嘘だ。やる気がないだけである。
なんで自分が美術大付属に入ったのか分からない。別に絵を描きたいわけじゃないし、画家に憧れているわけでもない。岸本みたいにデザイナーの仕事に就きたいわけでもない。
きっと、他にやりたいことがなかったからだろう。成り行きだ。
「そうか。まだ時間はあるんだから、ゆっくり考えるがよい」
疑うわけもでもなく、そう岸本は言った。
おれは、下書きをすべく鉛筆を取り出した。
隣で岸本が手をぶらつかせて始めた。
「どうした?」
「最近、どうも手が痺れてきてたまらん。デッサンのしすぎかのう」
岸本は首をかしげていた。
「さあ。あんまり無理をするなよ」
適当に答えて、再び下書きに専念する。下絵が完成する頃には、外はすっかり暗くなっていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる