標識上のユートピア

さとう

文字の大きさ
14 / 67
一章

十三話

しおりを挟む
 凛奈は先に着いていた。 
「ごめんな、待ったか?」 
「ううん、私も着いたばっかりだったから」 
 凛奈の唇には、今日もチェリーピンクのルージュがひかれていた。セミロングの髪はほどよく巻かれており、手間がかかっていることが伺える。
対して自分はどうだろう。昨日と同じしわくちゃの服装に、小汚ない顔面。
しかもこれからみんなに粛清されるかもしれない。
「翼も何か頼まない?」 
 メニュー片手に凛奈が勧めてくる。ちょうど喉が渇いていたので、ジュースを注文した。凛奈は大盛りのナポリタンを食べようとしていた。相変わらずの大食いだ。
運ばれてきたオレンジジュースを飲む。たちまち気分が悪くなった。
血の味がした。鉄っぽく、腐敗したような味だ。 
床にグラスを叩きつける。オレンジ色の液体が飛び散った。
荒く息を吐きながら、床を見る。
オレンジ色の液体は、真っ赤な流動物に変動を遂げていた。マグマのように沸騰し、修羅の如き怒りを投げかけてくる。
じゃりっ。 
割れたグラスを踏みつけていた。足の裏から血が流れて、マグマに合流する。マグマはパーカー人間の形に膨れ上がり、ついにはおれの顔面を貫いた。熱さはなく、焼けつくような戦慄だけが後には残る……。

「……翼?」
 凛奈の声がして、ふっと何かが溶けた。目の前にはオレンジジュースがある。まだ口をつけていない。足の裏に痛みはないし、床にはマグマもなかった。
「翼ったら、上の空なんだもん」 
 凛奈はぷくっと頬を膨らませた。
「わりぃ」 
 なんとか平静を装い、頭をかく。
「チケット、くれるんだよね?」
「ああ、そうだったな」 
 鞄から展示会の入場券を取り出して、凛奈に渡した。
「ありがとう翼っ、楽しみにしてるからね」   
 凛奈が子供のようにはしゃぐ。その微笑ましさに思わず笑顔が浮かびそうになる。が、口元がひきつって出来損ないの人形みたいになってしまった。
「翼はどんな作品を展示するの?」 
「さあな。それを言ったら見に来る意味なくなっちゃうだろ」 
  女の肖像画だ。凛奈をモデルに描き進めていったつもりだが、結局なんだか中途半端な作品になってしまった。
でも、凛奈に喜んでもらえたら嬉しい。
おれにはもう、凛奈しかいないのだから。
「それもそうだね。楽しみにしてる! 岸本くんの作品も展示されるんだよね」
 唐突に岸本の名前を出され、ジュースを吐き出しそうになる。それでも嘘をつかなければならないのが辛かった。
「ああ、そうだな。どんな作品かは分からないけれど楽しみだ。岸本本人は急用があって来られないらしい」
 一応、岸本が来ないことの保険も用意した。
凛奈と長く過ごして癒されたかったが、あまり長居もできない。ここにいればみんなに殺されてしまうかもしれないからだ。
最後に、大事なことを凛奈に警告する。
「凛奈、ひとつ言っておきたいんだけれど」
「なあに」
 彼女は、あどけない表情でおれを見る。また胸が痛んだ。
メールの件を伝えたかったが、岸本の件も伝えなければならなくなる。それだけは避けたかった。
「学校に来ても、誰とも話したりするんじゃないぞ」 
 凛奈はクスリと笑っただけだった。
「……嫉妬?」
「違う、真面目な話をしているんだ。みんながおれを殺そうとしているんだ。赤いパーカーを着たヤツが、みんなが、おれを殺そうとしているんだ。話しかけるときっと殺されるんだ」  
 力説するが、凛奈に訝しげな表情をされてしまう。
なんで? 本当におれのことが好きなら、信じてくれるはずなのに。
「……なんでおれを信じてくれないんだよ?」    
 絞り出した声は、自分でも予想外なほど悲痛な響きを伴っていた。
凛奈はおれの額に手を当てる。重病人に対する確認そのものだった。
「翼のことは信じているよ。でも最近、あなたは疲れていると思う。みんなが翼を殺すなんてこと、あり得ないよ」
 止めろ凛奈。あり得ないなんて言わないでくれ。みんながおれを責めるんだ。赤いパーカーを着たヤツは、おれを憎んでいるんだ…………。
今度こそグラスを叩きつけ、逃げるように店を出た。凛奈が何か叫んだが、よく聞き取れなかった。
店を出た後、うずくまって一人泣いた。
なにもかもを喪失してしまった。凛奈まで失ったら、おれには何が残っているというのだろう。 
もうじきおれは殺される。 
 
 
凛奈。おれを見捨てないでくれ。
しおりを挟む
感想 173

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

処理中です...