卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜

ポルカ@縁の下のチカラモチャー

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猪骨の白湯汁と根菜団子 後編

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「……なにごとだ?」

 卑弥呼は窓のそばに歩み寄り、耳を澄ました。

 卑弥呼は、眉をひそめた。
 その音は、不思議と不快ではなかった。

 むしろ、自分がいるこの静かで、死んだような空間よりも遥かに強く、生きているものの響きを持っていた。

「不思議だ。捧げられた至高の宝物はここにあるのに、私の民は、今何を見て、あれほどまでに歓声を上げている?」

 女王の心に、小さな、しかし消えることのない好奇心のさざ波が立った。

 彼女の知らぬところで、彼女の民を、これほどまでに熱狂させるものが、この国にある。
 その事実に、卑弥呼はかすかな苛立ちと、それを上回る強い興味を覚えていた。

「申し上げます」

 側近の一人が顔をしかめて言上した。

「通ってきた兵によりますと、門前町で、素性の知れぬ者共が汁物を売って騒いでいる由。儀式の妨げ、目に余りますな」

 卑弥呼は、その言葉を聞いて、逆に興味をそそられた。

「汁だと?」

「その通りでございます」

 卑弥呼は首を傾げた。

「では聞くが、たかが汁ごときで、私の民がこれほどまでに熱狂するものなのか?」

「………」

 側近や侍女たちは顔を見合わせ、言葉に詰まる。
 確かに卑弥呼の言う通りであった。

「ユズリハ」

「はっ。ここに」

 卑弥呼は、最も信頼する侍女を呼び寄せる。

 ユズリハは侍女ながら戦闘訓練も受けており、いざという時には卑弥呼を守る護衛役も務められる特別侍女であった。

「姿を変え、その喧騒の源へ。そして、民が熱狂するものをこの私の前に運んでまいれ」

「承知いたしました」

 ユズリハは立ち上がり、その赤く染めた肩までの髪を縛って頭巾の中に仕舞うと、音もなく立ち去った。

 王宮を出たユズリハは、顔も布で隠し、スラリと伸びた素脚を大きく晒して旅芸人のようになり、門前町へと向かう。

 探し回る覚悟をしていたが、目指す出店は容易に見つかった。

 そこだけ、人だかりが異常だったからである。

(猪骨の……本当に汁を売っているのか)

 ユズリハは、人波をかき分けてようやくたどり着く。
 そこにあったのは、唖然とするほど粗末な屋台だった。

「なくなり次第終了です。売り切れ御免♡」

 女が客に向かって、声を張り上げている。

(しかも、こんな小さな店で……?)

 ただ、長蛇の列だけはとにかく尋常ではない。
 もうなくなるとのことで、ユズリハも慌てて並ぶ。

 そして、しばしの時間ののち。

「おまちどうさまでした。どうぞ」

「………」

 出てきたその一杯を手にするが、飾り気もないそれに、ユズリハは言葉が出ない。

 椀も、献上するには気が引けてしまうほど粗末なものだ。

(こんなものを陛下にささぐのか……)

 失望する卑弥呼の顔が目に浮かぶ。

 だが命令は命令である。
 ユズリハは踵を返し、王宮へと急いだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「大変お待たせいたしました」

 静まり返った玉座の間に、ユズリハは戻ってきた。

 彼女が盆に載せてきたのは、豪華な器ではなく、何の変哲もない、むしろ少し欠けた庶民の木椀。

 中には、まだ温かい湯気を立てる乳白色の汁物。

「ご苦労だった」

 卑弥呼は、その木椀を自ら手に取った。
 そしてユズリハが予想した通り、卑弥呼は興ざめした顔になった。

「この程度のものか……」
 
 民の熱狂具合が半端ではなかったので、心を踊らせて待っていたが、ひどく期待外れであった。

「……む?」

 しかし、どうしたことか。
 飾り気のない汁からは、食欲をそそる濃厚な香りがする。

 不思議だ。
 嗅いだことがない。

 いったい何が入っているのだ?

 卑弥呼は、そっと汁を口に含んでみる。

「………!」

 瞬間、彼女の世界が変わった。
 
 ただの汁を、呆然と見つめる。

「なんと見事な……」

 あまりに卓越した、味わいのバランスの良さに、言葉が出ない。
 まろやかで舌触りが良く、最初から後味まで、一貫して整っている。

 こんな美味いものを作る者が、この世にいるのか。

「これはなんというものだ……?」

「『猪骨の白湯汁』と書かれておりました」

 卑弥呼のかすれた声の問いかけに、ユズリハが片膝をついたまま、答える。

「し、猪の骨……だと?」

 そんな、そこらに捨ててありそうなものから、これほどの美味な汁が……。

「作り手はいったい何者だ」

「………」

 問われたユズリハは無言で首を振る。
 無名の者です、という意味である。

「誰が呼び寄せた? 知っている者は」

 卑弥呼は大広間を見渡す。

「帳簿にもないのか」

「………」

 顔を見合わせるのみで、誰も答えられない。

 それも当然。
 彼らは邪馬台国が都に誘致したわけでもない、名もなき集団だったからである。

「……これは大事件であるぞ」

 卑弥呼が顔色を一変させ、立ち上がった。

 この一杯の汁物の向こうに、卑弥呼は、歓声を上げながらこれをすする、名もなき民衆の幸福な顔を見た気がした。

「ハヤト!」

 供物比べの儀式の最中にもかかわらず、卑弥呼は衛兵の長を呼び寄せ、厳命した。

「今すぐ、門前町へ向かえ! そこで汁物を売っていた屋台の主を探し出し、私の前へ連れてくるのだ!」

「ははっ!」

 女王の、ただならぬ気配に満ちた命令を受け、衛兵たちは慌ただしく宮殿を飛び出していった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「――道をあけよ!」

 衛兵たちは祭りの後片付けが始まったばかりの、雑然とした門前町を駆け抜けていく。

 衛兵たちが、目撃情報を元に屋台があった場所へとたどり着いた時、そこに彼らが求めたものは、何もなかった。

 巨大な土鍋も、活気に満ちた人々の列も、心を掻き立てる香りも、全てが幻だったかのように消え失せている。

 しかし地面には、竈《かまど》の跡と思われる黒い煤の跡と、踏み固められた地面だけが、つい先程までここに確かに熱狂の中心があったことを物語っていた。

 朔たちカイナ村の一行は、目的であった銭を十分に稼ぎ終えると、日が高いうちに、誰に告げるでもなく、帰路についていたのだ。

 売り上げで塩や粟を大量に買い込むことができ、あとは厳しい冬が待つ村へ帰るだけだった。

「おい」

 衛兵たちは、残っていた他の商人たちに聞き込みを始めた。
 だが得られた情報は、あまりに僅かで曖昧だった。

「ああ、あの汁物屋か。腹が立つくらいにすごかったな。どこの村かは知らねえが……」

「供物比べにも参加できねぇ、貧しい村だとよ」

「どの方角へ帰った?……ふむ、西の方に見えたが……」

 西にある貧しい村。手がかりは、それだけ。

 衛兵長ハヤトは宮殿へと戻り、卑弥呼の前で一部始終を報告し、深く頭を下げた。

「申し訳ございません。我々が着いた時には、既に……」

 卑弥呼は表情を変えぬまま、歯噛みしていた。

 彼女は手元に残された椀に残る、まだ微かに温かい、あの魔法のような汁物の香りを吸い込んだ。

(……幻では、なかった)
 
 その香りが、彼女の記憶を確かなものに変えた。
 
 手に入れようとしたものが指の間からすり抜けていったという事実は、彼女の心を、ただの興味から、燃えるような渇望へと変貌させた。

(この国のどこかに、民の心をこれほどまでに掴む、料理の腕を持つ者がいる……)

 そして、その者は今、自分の統治の外にいる。
 為政者として、それは断じて許容できることではなかった。

(欲しい)

 卑弥呼はその粗末な木椀を、まるで国の未来を左右する宝物のように両手で包み込むと、新たな命令を下した。

「国の地図と、最も足の速い密偵をここに。……西へ向かった全ての道を調べよ。なんとしてでも屋台を出していた村を探し出すのだ。そして見つけ次第、その汁物を作った男を私の前に」

 女王の執着が、今、始まった。

 一杯の汁物を残して幻のように消えた料理人・朔と、その味の虜となった女王・卑弥呼。

 絡み合う二人の運命のはじまりである。


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