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第28話 開戦
第28話・4 支え合う気持ち
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翌朝──。
目覚めた時、窓の外はもう白み始めていた。
「…………」
セセラは何も見えないながら天井を見つめ、そのまましばらく動けずにいる。
布団の中、隣では温もりと浅く寝息を立てる気配。
──ラルト。
昨夜の出来事が曖昧な夢のように思えて、しかし現実として、肌に残る温度がそれを否定していた。
ふたりとも、一糸纏わぬ姿で眠っていたことも、その証。
「……朝か……」
呟いた声は掠れている。だが気分は悪くない。
いつもなら朝の始まりは、頭痛とコーヒーの苦味からだった。
だけど今日は、妙に静かで。
──気まずい。
しかし、それと同じくらいに、安心している自分がいた。
「…………」
隣で動きがある。
「……ん、……朝?」
目覚めたラルトは目を細めながらセセラを見た。
「……ああ、おはよ。たぶんもうすぐ、職員が動き出す時間じゃねえかな」
「ふふ……薊野さんって、朝はやっぱり無駄に真面目だよねえ」
「朝からうるせえな……」
ボソッと返された声に、笑うラルト。
「…………」
そして、しばしの静寂。
その中、ラルトが柔らかく続ける。
「ね……後悔、してないよ。昨夜のこと」
「……俺もしてねえよ」
セセラの声に迷いは無かった。
ただ、その後に少し付け加えるように──。
「……でも、なんか変な気分ではあるな。お前とこんな風に朝を迎えるの、何年ぶりだよ」
「3年と……ちょっと」
「正確かよ」
少しだけ笑い合う。
その笑い声に、過去の気まずさも、悲しみも、少しずつ薄れていくような気がした。
ラルトは布団を被り直しながら、小さく問う。
「……あと5分だけ、こうしてていい?」
「……3分」
「じゃあ4分」
「交渉すんな。……好きにしろ」
──小さな温もりが、そこにあった。
◇
数十分後、身支度を整え終えたラルトは靴を履き、ドアノブに手をかける。
その背に、同じく着替え終えたセセラがぽつりと。
「また……な。何かあったら相談しに来いよ……何でも」
「…………!」
ラルトは驚いたように目を見開いて──すぐに、静かに笑った。
「……ありがと。……ふふ、薊野さんの仕事増やしちゃうねえ」
「慣れっこだよ。……他の職員に見つかんねえよう、気を付けろよ」
「うん。じゃ、また」
ラルトはそっとドアを開け、朝の廊下へと消えていった。
──それからまた数十分後。
いつも通りの白衣に袖を通し、セセラは解析室の扉を開ける。
既に一部の解析班や医療班の職員たちが集まり始めていた。
「おはようございます、薊野さん!」
「データのまとめ、これで合ってるか確認を──」
「昨日の任務、調査班の方から報告が──」
次々に声が飛び交う。
席に着く間も無くセセラはそれをひとつひとつ、的確に捌いていく。
その姿に、昨夜の面影はもうほとんど残っていない。
だが──。
ほんの一瞬だけ。
机の脇にコーヒーを置くと、誰も見ていないタイミングで窓の外をぼんやり見やる。
その瞳は、少しだけ柔らかかった。
「……仕事すっかあ」
コーヒーをひとくち啜り、セセラは席へと腰を下ろす。
白衣の背に、ほんの僅か、眠気とは違う“満ち足りた疲労”が残っていた。
◇
小鳥の声が、僅かに開いたカーテンの隙間から射し込む光と共に部屋に入り込んでくる。
リルが目を覚ましたのは、その音を微かに意識した時だった。
「……ん……」
瞼が重く、体は鉛のように怠い。
だが、目覚めの感覚は不思議と心地よい。
──手。
何かが、自分の右手を優しく包んでいることに気づいた。
「…………」
ゆっくりと目を動かす。
その手は──小さくて、白くて、そして温かい。
(……レイラ……)
椅子に座ったままベッドに上半身だけを突っ伏すようにして、レイラはぐっすりと寝入っている。
片手はリルの手を包み込んだまま、もう片方は膝の上で軽く握られていた。
その寝顔は安らかで、昨日までの戦いの傷跡すら忘れさせるほど──。
「…………」
(……あー……残ってたんだ、ずっと)
リルは、何も言わずに天井を見上げた。
手のひらの中にある温もりが、この無菌室のような空間に確かな“生”を感じさせる。
少しの間、そのままでいた。
やがて、レイラが僅かに眉をひそめ、身動ぎをするように顔を動かした。
「…………ん……」
そして、ゆっくりと目を開ける。
「……あ、起きた……」
リルと視線が重なった。
「……おはよ。お前、そんなカッコで寝れたのかよ」
「……ん……寝れたよ。……たぶん、少しだけ」
その言葉に、ふっと笑うリル。
「オレの手、ずっと握ってたの?」
「え? ……あ!? いや……気づいたら、っていうか……」
リルの言葉に、一気に覚醒したレイラ。
寝起きの頬にはほんのりと赤い色が差す。
「……う、ん、まぁ……リルの方が勝手に掴んできたってことにしとく」
「そうか、そういうことにしとけ」
互いにそっぽを向きながら、どちらともなく小さく笑い合った。
数秒の沈黙のあと、レイラは椅子から体を起こし、リルの額をじっと見つめる。
──手は、まだ繋がれたまま。
「……熱は、もう無さそう? 顔色も戻ってる。……ちょっと、ホッとした」
「心配だった?」
「そりゃ、するよ……。あれだけボロボロだったのに、『大丈夫』って顔してるの……見てる方がよっぽど怖いよ」
少しだけ震えているレイラの声。
「…………」
リルは、繋がれた手に少しだけ力を込めて返す。
「……でも、ちゃんと帰ってこれたろ。お前たちが……お前が、いてくれたからだよ」
「…………っ」
レイラは目を伏せ、微かに微笑んだ。
「なにそれ……やっぱりまだ熱、あるんじゃない?」
◇
昼の光が射し込む診察室。
静かな空間に、セセラと向かい合って座るリル。そしてその隣にレイラが座っている。
検査用のモニターには、リルの生体データが何枚も並べられていた。
その前に座るセセラの表情はどこまでも冷静だったが、レイラは知っていた。
彼がそういう顔をしている時こそ、一切の冗談が通じない時間だと。
「──とりあえず、結論から言う」
静けさの中、セセラが静かに口を開いた。
「リルは……よく持ちこたえたとしか言いようがねえ。あの状態で暴走せず、準完全龍化も中途で抑え切ったのは……奇跡に近い」
するとリルが、片手で頭を掻きながら苦笑する。
「ふふふっ……奇跡とか大袈裟だろ。……まあ、確かに超疲れたけど。心配しすぎじゃね?」
「笑うな。バカが」
セセラの一言に、ピタッとリルの口が止まった。
「……なあ、レイラ。こいつさ、心拍と龍因子濃度の推移……昨日の時点で限界超えてたんだぜ」
「……う、うん……」
小さく頷くレイラ。
その場にいたレイラにとっても、それは見てわかった事実だった。
「通常なら、もう二度と意識は戻らねえ。暴走、細胞破壊、人格消失……そのどれが起きてもおかしくなかった」
「……でも、戻ってきたじゃねえかよ、ちゃんと」
少し不貞腐れたように、低く呟くリル。
セセラは一拍置いて、静かに続けた。
「……ああ。お前は……戻ってきたよ。意思の力で、戻ってきた」
レイラはじっとリルを見つめると、リルは肩をすくめてみせる。
「だから……大げさに言うなよ。……なんか、誰かに負けたくなかっただけだ」
「誰かって……」
レイラが言いかけたところ、セセラはそれを遮るように小さく手を挙げた。
「今の話は、結果として聞いておいてくれ。でも、“次”は無いかもしれねえ」
セセラの声のトーンが少し低くなる。
「今回の龍化維持時間は、およそ半日。ギリギリだったんだぞ、マジで。それ以上維持してたら……もしくはあれ以上の龍化を遂げていたら、脳の視床下部に深刻な後遺症が残ってた可能性がある」
「…………!」
「あれ以上の龍化って、わかるよな? 準完全龍化だ。その異能すらお前はコントロールできる領域にいる。よくそれをやらないでくれたって、本気で思ってんだよ、こっちは」
「…………ん……」
「加えて、心筋の微細な収縮異常が見られた。龍因子の制御と交換に、体の基盤部分が削られてる状態だ」
静かな沈黙が降りる。
「つまり……。次に、同じような無理をすれば、帰ってこれる保証は……もう無い」
「…………」
リルはその言葉を静かに受け止めていた。
だがその横で、レイラの肩が小さく揺れる。
「えっ……そんな、……でも……」
「……レイラちょっと、しー……」
「……っ……」
セセラは人差し指を唇に添える所作でレイラの言葉を制すると、ただ静かに続けた。
「……だから、ここから先は、制御が最優先になる。リル、お前の龍因子は今……とても、強い」
「……ん……」
「だが、強いってのは、諸刃だ。使えば削れる。拒めば暴れる。だからこそ、今より使いこなすしかねえ」
先程までの軽い態度も失せて、すっかり大人しくなったリルは小さく頷く。
「……制御か。あんたらがそう言うのは簡単だけどな……」
「簡単に言ってるわけねえ。だから、俺がついてんだろが」
返された一言に、リルは少しだけ目を丸くした。
そっと息をつくレイラ。
「……じゃあ、制御訓練……。私も一緒にやる」
「は?」
リルは声を上げると同時に、レイラの方へ振り向いた。
「私の方も、まだ全快じゃないし。……だから一緒にやる。……誰かが見ててくれないと、不安でしょ?」
「…………」
リルは少しだけ笑うと──。
「……あー……もう、あんたらほんと手ぇ焼くわ」
そこでセセラが鼻を鳴らした。
「ふっ……焼かせてやってんだよ。リル、お前の責務は、龍因子の制御を以て自分のままでいること……。あとレイラの面倒を見ることだしな」
「えっ、私の面倒……!? 薊野さん、なにそれ……!」
診察室に、少しだけ笑い声が零れる。
だがその笑いは、ただの軽口ではない。
全員が、その“危うさ”の上で、命を選び取ろうとしていることを理解していた。
だからこそ、笑える今を──。
誰よりも、大切にしようとしている。
◇
診察室の処置と説明が終わった後、セセラは廊下をひとり歩くレイラを呼び止める。
「レイラ、ちょっと来い。話したいことがある」
「……?」
無言で頷いたレイラは、セセラのあとをついて人気の無い観測棟のラウンジへ向かった。
コーヒーの香りが微かに漂う、薄暗いスペース。
ブラインドが半分閉ざされていて、陽の光が格子状に床に落ちていた。
セセラはカップをひとつだけ手にして、窓際のテーブルに腰を下ろす。
「さっきは話遮って悪かったな……リルの訓練の件だ」
「……!」
少し緊張しながらも、レイラも静かに向かいの椅子に座った。
「龍因子の制御。あいつはもう、通常訓練レベルじゃ制御できねえ。体が適応しすぎてて、“感覚”で対応してた分、制御信号との乖離が起きてる」
真剣な目で頷くレイラ。
「……つまり、“強すぎて壊れる寸前”ってこと?」
「簡単に言えばな。これからは、段階的に出力を絞って維持する訓練と……何より、戻る練習をさせる」
「戻る……」
「異常な龍化をする前に、自我で抑え込んで、元に戻る。……それができねえと、次は無い」
「…………」
レイラは拳を握る。
「私、傍にいる。訓練の間……ずっと。リルの意思が揺れそうなとき、私が止める」
「……止めるって、どうやって」
「声でも、目でも、手でも、なんでもいい。私にできること、全部やる」
その答えにセセラは少し目を細めた。
「……その覚悟、本気で言ってるなら……今のうちに覚えておけよ。あいつがもし制御に失敗したとき、最初に襲われるのは近くにいるお前だ」
「……!」
レイラの瞳が揺れる。
だが、迷いの色は無かった。
「……構わない。それで私が歯止めになれるなら、何度でも引き戻す」
「…………」
セセラは数秒、黙ったままレイラを見て──ふっと小さく笑う。
「ほんっと、お前根性あるわ」
「……そうかな」
「……お前の目、本気でリルを守りたいと思ってるやつの目だよ。だから……俺も手を抜かねえ。全力であいつを訓練してやるよ」
「……!」
意を決したような声音に、レイラはまっすぐにセセラの瞳を見つめる。
「……ありがとう、薊野さん。……薊野さんがいるから、私たち……まだ生きてられる」
セセラは目を伏せ、少しだけ息を吐いた。
「……こっちのセリフだよ」
淡く静かな格子状の光が、ラウンジのテーブルの上を照らし続けていた。
目覚めた時、窓の外はもう白み始めていた。
「…………」
セセラは何も見えないながら天井を見つめ、そのまましばらく動けずにいる。
布団の中、隣では温もりと浅く寝息を立てる気配。
──ラルト。
昨夜の出来事が曖昧な夢のように思えて、しかし現実として、肌に残る温度がそれを否定していた。
ふたりとも、一糸纏わぬ姿で眠っていたことも、その証。
「……朝か……」
呟いた声は掠れている。だが気分は悪くない。
いつもなら朝の始まりは、頭痛とコーヒーの苦味からだった。
だけど今日は、妙に静かで。
──気まずい。
しかし、それと同じくらいに、安心している自分がいた。
「…………」
隣で動きがある。
「……ん、……朝?」
目覚めたラルトは目を細めながらセセラを見た。
「……ああ、おはよ。たぶんもうすぐ、職員が動き出す時間じゃねえかな」
「ふふ……薊野さんって、朝はやっぱり無駄に真面目だよねえ」
「朝からうるせえな……」
ボソッと返された声に、笑うラルト。
「…………」
そして、しばしの静寂。
その中、ラルトが柔らかく続ける。
「ね……後悔、してないよ。昨夜のこと」
「……俺もしてねえよ」
セセラの声に迷いは無かった。
ただ、その後に少し付け加えるように──。
「……でも、なんか変な気分ではあるな。お前とこんな風に朝を迎えるの、何年ぶりだよ」
「3年と……ちょっと」
「正確かよ」
少しだけ笑い合う。
その笑い声に、過去の気まずさも、悲しみも、少しずつ薄れていくような気がした。
ラルトは布団を被り直しながら、小さく問う。
「……あと5分だけ、こうしてていい?」
「……3分」
「じゃあ4分」
「交渉すんな。……好きにしろ」
──小さな温もりが、そこにあった。
◇
数十分後、身支度を整え終えたラルトは靴を履き、ドアノブに手をかける。
その背に、同じく着替え終えたセセラがぽつりと。
「また……な。何かあったら相談しに来いよ……何でも」
「…………!」
ラルトは驚いたように目を見開いて──すぐに、静かに笑った。
「……ありがと。……ふふ、薊野さんの仕事増やしちゃうねえ」
「慣れっこだよ。……他の職員に見つかんねえよう、気を付けろよ」
「うん。じゃ、また」
ラルトはそっとドアを開け、朝の廊下へと消えていった。
──それからまた数十分後。
いつも通りの白衣に袖を通し、セセラは解析室の扉を開ける。
既に一部の解析班や医療班の職員たちが集まり始めていた。
「おはようございます、薊野さん!」
「データのまとめ、これで合ってるか確認を──」
「昨日の任務、調査班の方から報告が──」
次々に声が飛び交う。
席に着く間も無くセセラはそれをひとつひとつ、的確に捌いていく。
その姿に、昨夜の面影はもうほとんど残っていない。
だが──。
ほんの一瞬だけ。
机の脇にコーヒーを置くと、誰も見ていないタイミングで窓の外をぼんやり見やる。
その瞳は、少しだけ柔らかかった。
「……仕事すっかあ」
コーヒーをひとくち啜り、セセラは席へと腰を下ろす。
白衣の背に、ほんの僅か、眠気とは違う“満ち足りた疲労”が残っていた。
◇
小鳥の声が、僅かに開いたカーテンの隙間から射し込む光と共に部屋に入り込んでくる。
リルが目を覚ましたのは、その音を微かに意識した時だった。
「……ん……」
瞼が重く、体は鉛のように怠い。
だが、目覚めの感覚は不思議と心地よい。
──手。
何かが、自分の右手を優しく包んでいることに気づいた。
「…………」
ゆっくりと目を動かす。
その手は──小さくて、白くて、そして温かい。
(……レイラ……)
椅子に座ったままベッドに上半身だけを突っ伏すようにして、レイラはぐっすりと寝入っている。
片手はリルの手を包み込んだまま、もう片方は膝の上で軽く握られていた。
その寝顔は安らかで、昨日までの戦いの傷跡すら忘れさせるほど──。
「…………」
(……あー……残ってたんだ、ずっと)
リルは、何も言わずに天井を見上げた。
手のひらの中にある温もりが、この無菌室のような空間に確かな“生”を感じさせる。
少しの間、そのままでいた。
やがて、レイラが僅かに眉をひそめ、身動ぎをするように顔を動かした。
「…………ん……」
そして、ゆっくりと目を開ける。
「……あ、起きた……」
リルと視線が重なった。
「……おはよ。お前、そんなカッコで寝れたのかよ」
「……ん……寝れたよ。……たぶん、少しだけ」
その言葉に、ふっと笑うリル。
「オレの手、ずっと握ってたの?」
「え? ……あ!? いや……気づいたら、っていうか……」
リルの言葉に、一気に覚醒したレイラ。
寝起きの頬にはほんのりと赤い色が差す。
「……う、ん、まぁ……リルの方が勝手に掴んできたってことにしとく」
「そうか、そういうことにしとけ」
互いにそっぽを向きながら、どちらともなく小さく笑い合った。
数秒の沈黙のあと、レイラは椅子から体を起こし、リルの額をじっと見つめる。
──手は、まだ繋がれたまま。
「……熱は、もう無さそう? 顔色も戻ってる。……ちょっと、ホッとした」
「心配だった?」
「そりゃ、するよ……。あれだけボロボロだったのに、『大丈夫』って顔してるの……見てる方がよっぽど怖いよ」
少しだけ震えているレイラの声。
「…………」
リルは、繋がれた手に少しだけ力を込めて返す。
「……でも、ちゃんと帰ってこれたろ。お前たちが……お前が、いてくれたからだよ」
「…………っ」
レイラは目を伏せ、微かに微笑んだ。
「なにそれ……やっぱりまだ熱、あるんじゃない?」
◇
昼の光が射し込む診察室。
静かな空間に、セセラと向かい合って座るリル。そしてその隣にレイラが座っている。
検査用のモニターには、リルの生体データが何枚も並べられていた。
その前に座るセセラの表情はどこまでも冷静だったが、レイラは知っていた。
彼がそういう顔をしている時こそ、一切の冗談が通じない時間だと。
「──とりあえず、結論から言う」
静けさの中、セセラが静かに口を開いた。
「リルは……よく持ちこたえたとしか言いようがねえ。あの状態で暴走せず、準完全龍化も中途で抑え切ったのは……奇跡に近い」
するとリルが、片手で頭を掻きながら苦笑する。
「ふふふっ……奇跡とか大袈裟だろ。……まあ、確かに超疲れたけど。心配しすぎじゃね?」
「笑うな。バカが」
セセラの一言に、ピタッとリルの口が止まった。
「……なあ、レイラ。こいつさ、心拍と龍因子濃度の推移……昨日の時点で限界超えてたんだぜ」
「……う、うん……」
小さく頷くレイラ。
その場にいたレイラにとっても、それは見てわかった事実だった。
「通常なら、もう二度と意識は戻らねえ。暴走、細胞破壊、人格消失……そのどれが起きてもおかしくなかった」
「……でも、戻ってきたじゃねえかよ、ちゃんと」
少し不貞腐れたように、低く呟くリル。
セセラは一拍置いて、静かに続けた。
「……ああ。お前は……戻ってきたよ。意思の力で、戻ってきた」
レイラはじっとリルを見つめると、リルは肩をすくめてみせる。
「だから……大げさに言うなよ。……なんか、誰かに負けたくなかっただけだ」
「誰かって……」
レイラが言いかけたところ、セセラはそれを遮るように小さく手を挙げた。
「今の話は、結果として聞いておいてくれ。でも、“次”は無いかもしれねえ」
セセラの声のトーンが少し低くなる。
「今回の龍化維持時間は、およそ半日。ギリギリだったんだぞ、マジで。それ以上維持してたら……もしくはあれ以上の龍化を遂げていたら、脳の視床下部に深刻な後遺症が残ってた可能性がある」
「…………!」
「あれ以上の龍化って、わかるよな? 準完全龍化だ。その異能すらお前はコントロールできる領域にいる。よくそれをやらないでくれたって、本気で思ってんだよ、こっちは」
「…………ん……」
「加えて、心筋の微細な収縮異常が見られた。龍因子の制御と交換に、体の基盤部分が削られてる状態だ」
静かな沈黙が降りる。
「つまり……。次に、同じような無理をすれば、帰ってこれる保証は……もう無い」
「…………」
リルはその言葉を静かに受け止めていた。
だがその横で、レイラの肩が小さく揺れる。
「えっ……そんな、……でも……」
「……レイラちょっと、しー……」
「……っ……」
セセラは人差し指を唇に添える所作でレイラの言葉を制すると、ただ静かに続けた。
「……だから、ここから先は、制御が最優先になる。リル、お前の龍因子は今……とても、強い」
「……ん……」
「だが、強いってのは、諸刃だ。使えば削れる。拒めば暴れる。だからこそ、今より使いこなすしかねえ」
先程までの軽い態度も失せて、すっかり大人しくなったリルは小さく頷く。
「……制御か。あんたらがそう言うのは簡単だけどな……」
「簡単に言ってるわけねえ。だから、俺がついてんだろが」
返された一言に、リルは少しだけ目を丸くした。
そっと息をつくレイラ。
「……じゃあ、制御訓練……。私も一緒にやる」
「は?」
リルは声を上げると同時に、レイラの方へ振り向いた。
「私の方も、まだ全快じゃないし。……だから一緒にやる。……誰かが見ててくれないと、不安でしょ?」
「…………」
リルは少しだけ笑うと──。
「……あー……もう、あんたらほんと手ぇ焼くわ」
そこでセセラが鼻を鳴らした。
「ふっ……焼かせてやってんだよ。リル、お前の責務は、龍因子の制御を以て自分のままでいること……。あとレイラの面倒を見ることだしな」
「えっ、私の面倒……!? 薊野さん、なにそれ……!」
診察室に、少しだけ笑い声が零れる。
だがその笑いは、ただの軽口ではない。
全員が、その“危うさ”の上で、命を選び取ろうとしていることを理解していた。
だからこそ、笑える今を──。
誰よりも、大切にしようとしている。
◇
診察室の処置と説明が終わった後、セセラは廊下をひとり歩くレイラを呼び止める。
「レイラ、ちょっと来い。話したいことがある」
「……?」
無言で頷いたレイラは、セセラのあとをついて人気の無い観測棟のラウンジへ向かった。
コーヒーの香りが微かに漂う、薄暗いスペース。
ブラインドが半分閉ざされていて、陽の光が格子状に床に落ちていた。
セセラはカップをひとつだけ手にして、窓際のテーブルに腰を下ろす。
「さっきは話遮って悪かったな……リルの訓練の件だ」
「……!」
少し緊張しながらも、レイラも静かに向かいの椅子に座った。
「龍因子の制御。あいつはもう、通常訓練レベルじゃ制御できねえ。体が適応しすぎてて、“感覚”で対応してた分、制御信号との乖離が起きてる」
真剣な目で頷くレイラ。
「……つまり、“強すぎて壊れる寸前”ってこと?」
「簡単に言えばな。これからは、段階的に出力を絞って維持する訓練と……何より、戻る練習をさせる」
「戻る……」
「異常な龍化をする前に、自我で抑え込んで、元に戻る。……それができねえと、次は無い」
「…………」
レイラは拳を握る。
「私、傍にいる。訓練の間……ずっと。リルの意思が揺れそうなとき、私が止める」
「……止めるって、どうやって」
「声でも、目でも、手でも、なんでもいい。私にできること、全部やる」
その答えにセセラは少し目を細めた。
「……その覚悟、本気で言ってるなら……今のうちに覚えておけよ。あいつがもし制御に失敗したとき、最初に襲われるのは近くにいるお前だ」
「……!」
レイラの瞳が揺れる。
だが、迷いの色は無かった。
「……構わない。それで私が歯止めになれるなら、何度でも引き戻す」
「…………」
セセラは数秒、黙ったままレイラを見て──ふっと小さく笑う。
「ほんっと、お前根性あるわ」
「……そうかな」
「……お前の目、本気でリルを守りたいと思ってるやつの目だよ。だから……俺も手を抜かねえ。全力であいつを訓練してやるよ」
「……!」
意を決したような声音に、レイラはまっすぐにセセラの瞳を見つめる。
「……ありがとう、薊野さん。……薊野さんがいるから、私たち……まだ生きてられる」
セセラは目を伏せ、少しだけ息を吐いた。
「……こっちのセリフだよ」
淡く静かな格子状の光が、ラウンジのテーブルの上を照らし続けていた。
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月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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