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第9話 食事の時間です・前編
第9話・5 何かが喰らいに来ている
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「……っは?」
中央モニター室にてセセラは、自身の端末に届いた環境異常検知ログを見て眉をひそめた。
「……封鎖されてるはずのセクターD。何だこの、僅かな空調変動……?」
即座に端末を操作し、封鎖区域の監視カメラログを呼び出す。
《アクセス不能》
《理由:“記録無し”》
──という名の、白紙化。
「……ナメてんな。完璧に消してやがる……」
セセラのこめかみに、汗が滲む。
(ネク……テメェ、またここに入ったのか……?)
「……おい、予備ルートの気流モニターは?」
職員は慌てて手元のデータを操作した。
「数分前、僅かですが……風圧の偏差が出てます。何かが、中で動いた可能性が──」
「上に報告。俺は現地見る。解析室と連携して逐次連絡頼む」
「えっ、薊野さんひとりで!?」
「先生呼んだら、あの人絶対ついてくる。……今はまだ呼べねえ」
セセラの声が低く、鋭くなる。
「この違和感……今ならまだ間に合うかもしれねえんだ」
そして白衣の裾をはためかせて走り出した。
──そう、完全に痕跡が消される前に。
“何か”が、もう一度起きる前に。
◇
──数分後。
地下セクターD・アクセス通路。封鎖された鉄扉の前で、セセラは息を整えていた。
左手のカードキーをかざし、警告灯が点滅する。
──《アクセス許可:管理権限・所長承認必要》
「……チッ」
短く舌打ちをするが、すぐに切り替えて──。
(やっぱそうくるか。なら……)
ポケットから別の端末を取り出す。
それは──シエリから非常時用に託されていた、彼女の緊急通信キー。
(悪いな、先生……今回は、先に踏み込ませてもらうぜ)
──《キー認証:成功》
重い音を立てて、封鎖された扉がギィ……と音を立て開いていく。
その先にあったのは、埃を被った廊下。
だが、そこには確かに──“誰かの足跡”があった。
(……やっぱり、いたな)
細まるセセラの目。
そのまま、静かに足を踏み入れた。
通路内部は静寂に包まれている。
「……静かすぎるな」
セセラの声だけが、鈍く広い廊下に響いた。
床に積もった埃は薄く──しかしその上に、明確に複数の靴跡が残されている。
(……ひとりじゃない?)
足音を潜めながら、壁沿いに進む。
左目の視界はまだ少し霞んでいる。シエリの吸血によって回復はしているものの、視覚情報の処理速度が少し遅れているのを、自分で理解していた。
「……今回はあまり長くは持たねえかな……」
そう呟いたとき──。
──ピシッ……
足元の空間で、“何か”が軋む音。
(……床、じゃねえ。空間そのものが……)
セセラは即座に身を引き、壁に背をつける。
そして、携帯端末の赤外線スキャンモードを起動。
──画面に映し出された廊下の先。
誰もいないはずの空間に、“僅かな熱反応”が揺れていた。
「……いたな、ネク」
その影は、まるで幻のようにうっすらと人型を描いていた。
しかも──セセラの端末では捕捉できないはずの周波域に、何かが干渉している。
(……こいつ、隠れてるんじゃねえ。情報ごと曖昧にしてる……)
脳がざわめく。
あのときの新生龍と、同じ“気配”。
直感が警鐘を鳴らした。
辺りを見回しながら廊下の方へと慎重に歩き出す。
しかし──。
「……もう見つかっちゃってるでしょ、薊野セセラさん」
背後から、声がした。
「……!!」
セセラが反射的に振り返ると、そこには、いつの間にか立っていた小柄な男──。
銀髪、包帯、白衣。
「やっ……お久しぶりです。あ、オレのこと覚えてますか? ……ネクです」
「……やっぱり、テメェか」
「へぇ……『テメェ』とか言っちゃうんですかぁ。オレのこと、可愛がってくれてましたよね? あの頃は」
ネクは相変わらず、丁寧な口調で挑発的な笑みを浮かべていた。
「オレ、あの頃からずっと観察してたんですよ。アナタの視線の動きとか、疲れてるときの目の焦点のズレとか……右目の下の血管がうっすら赤くなる瞬間が、たまんねえなって思ってたんです」
「……ッ気持ち悪ぃな」
「うん。オレもそう思う……です。でも、そういうのを観察して、蓄積して、オレにとって必要なものを育てるのが、得意なんです」
ネクの指先が、ゆっくりと白衣の内ポケットへ伸びる。
「……さて、そろそろ遊びは終わりにしませんか?」
その瞬間、空間が歪んだ感覚。
そしてセセラの背後──廊下の奥から、あの異形の龍の“気配”を感じる。
「薊野さん。あなたが今ここで何を選ぶのか、オレ、とっても楽しみにしてるんですよ? ……オレがここまでやってきた理由、わかってらっしゃる?」
ネクの言葉は穏やかながら、静かにセセラを圧倒していた。
セセラは一歩後退し、冷静に目の前の男──ネクを見つめ返す。
「……お前が観察してるってことは、わかってた。でも、今、お前が何をしたいのかはわかんねえ」
「ふふ、わからない? そうだね、今のオレはまだその場の遊びをしてるだけですから」
ネクの笑みがどこか楽しげに歪む。
セセラの背後からは、“異形の気配”がじわじわと近づいてきていた。
片手をポケットに入れ、冷静に状況を観察するセセラ。
そして、僅かに息を吸い込む。
「……お前の遊びも、全部他人の龍因子を使って強くなるためのもんだろう」
ネクは、しばらく黙ってセセラを見つめた。
「他人の力を食うことで、オレも確かに強くなる。あ、食うって取り込むって意味ね。……強くなって、変えたいんです」
その言葉には、明確な確信と冷徹な計画が感じられた。
ネクは、何かを目指している。
そして、それはセセラにとっても予測のつかないものだった。
「お前が食っているもの……それが誰の龍因子かって、わかってんだろ?」
セセラは一歩踏み込み、ネクをじっと見つめた。
「お前のその右目、ただの目じゃねえな? だから、お前がやっているのは……ただの強化とは違うんだろ」
ネクは軽く目を細め、楽しげに口角を上げる。
「ふふ……よく気づきましたね。さすが、知識と冷静さだけで動いてる人間だ。その通りです」
そしてネクの露出されている方の目──左目が一瞬、鋭く光った。
「オレが今、やっているのは……龍の因子を食って、強化して、そして記憶を転送するんですよ」
セセラは息を呑んだ。
その言葉が意味することを、すぐに理解できた。
「記憶……?」
「そう。記憶、知識、能力……その全てを取り込むんです。例えば、あの龍憑きたちの龍因子を食って、彼らの力と記憶、全てをオレのものにする」
ネクが静かに言ったその言葉は、まるでセセラの予測を超えていた。
「それを使って、オレたちは……この世界を、そしてオレ自身を、もっと強く、永遠に変えていこうってわけですね」
セセラはその言葉には、すぐに反応できなかった。
しかし、心の中で冷徹に計算が回り始めている。
「……お前、そんなことして、何を得ようとしてるんだ」
「…………ん…………」
ネクは少し黙ってから、目を細め、笑みを浮かべる。
「……それはまだ、オレにもわからないです。でも、他の誰かになりたくなかった」
その瞬間。
──ガタガタガタッ……!
突如として、空気が震えた。
後ろから響く“異形の鳴き声”。
「おっと、来ましたか。そろそろ、オレの食事が始まる頃だな」
楽しげに言い放つネク。
その言葉と共に、後ろの通路から不気味に蠢く影が現れる。
「……マジでめんどくせえなお前ら……!!」
額に青筋が立つセセラ。その視界が、再び鋭く切り替わった。
「来いよ、もう……!!」
戦闘の先に待ち受ける、異形の龍。
その咆哮で、セセラの足元が震える。
「……来たよ、薊野さん。じゃあ、ここからは本気でいきますよ」
ネクの声色は変わらない。どこか軽やかで理知的なトーン。
しかしその手が、ゆっくりと右目の包帯にかかった瞬間──。
空気が、変わった。
「……お前、まさか」
「はい。コレも見せとかなきゃね」
包帯の固定が外され、ふわりと宙を舞う。
次の瞬間──セセラの背筋に、ゾクリと氷が這い上がった。
「……!!」
右目。
青い虹彩。
そして──白目は、ありえないほどの黒。
反転目。
瞳孔は細く縦に裂け、しかし、瞳はまったく動かない。
まるで──どこまでも見透かされる鏡。
「……どう? 不気味でしょ。この右目、眼球が動かせないんです。常に正面しか見てない」
「……ッ」
セセラは一歩、自然と後ずさった。
脳が、距離を取れと命じる。
あの目は、視られているのではない。
記録されているのだ。
「この目は、対象の龍因子や記憶を焼きつける。目で食ってるんです。……一度視界に入れれば、それだけで刻まれるんだよ」
「そんなもん……」
「それだけで、十分なんです」
その瞬間、背後の異形が嗤うような音を立てながら、通路を這いずるように迫ってきた。
セセラは反射的に懐から拳銃型の麻痺銃を抜く。
「……なら、1発でも外したら、終わりだな」
「そう。だから、外さないようにね?」
──ドッ!
異形が跳ねた。
黒い影が牙を剥き、セセラへと飛びかかる。
「チッ……!」
セセラは回避と同時に1発、銃を放つ。
「……!!」
命中するが、跳弾──。
装甲が想定以上に固い。
「薊野さん、ねえ。どっちが先に視界から外れるか、勝負しましょうよ」
ネクの右目が、微動だにせずセセラを正面から捉えている。
「アナタのことはずっと、焼きつけてあるから……もう、逃がさねェよ」
視線の檻が、セセラを縛っていく。
(マズい……あいつの右目、ただの視線じゃねえ)
セセラは素早く後退しながら脳内で高速演算を続けた。
空間に漂う龍因子の濃度、異形の攻撃速度、そして──ネクの“目”。
(あの目に正面から長く映り続けると、“何か”を奪われる)
その直感は確信に近かった。
ただの観察ではない。
ネクの目は、なにか“内部情報”に直接干渉している。
(レイラやリルの龍因子も記憶も……あいつ、ウチに在籍してたときから盗んでたのか……?)
──ズガァッ!!
異形が床を抉るように暴れ、鋭利な突起を振り回した。
「……ッ」
セセラは低く滑るように身を伏せ、咄嗟にスタン弾を壁へと投擲する。
──バァンッッ!!!
光と音が炸裂し、異形が一瞬怯む。
その隙にセセラは一気にネクへと距離を詰めた。
「……ちょっ……と、驚きましたよ。アナタ、そんなに肉体派だったんですか」
「あ? 散々見てたんじゃねえのかよ」
「まあ、それはそうなんですけど。……いざ目の前にするとね」
ネクはセセラの殴打を躱すと、笑いながらスッと左手を振る。
その瞬間、ネクの周囲の空間がぐにゃりと波打ったように見えた。
「この右目、見るだけで解析できるのは龍因子と記憶だけじゃない。アナタが次にどう動くか、その“反応経路”も、少しだけわかるんですよ」
「……っ!」
再び振るわれたセセラの拳が、空を切る。
「くくっ……あ~楽しい。やっぱり薊野セセラさん、いいなァ。本当に人間? ってくらい、無理の利く人間ですよね」
ネクはわざと距離を取った。
その隙に、異形が再び目覚めたように暴れ始める。
──バキィッ!!
コンクリートの床に深い亀裂が走り、吹き飛ぶ瓦礫。
「……危ね……ッ……」
セセラはその破片を盾にして、一瞬の遮蔽を得る。
(……見られてる。あの目をどうにかしない限り……)
その時。ふっと風が通り抜けるように──ほんの一瞬、セセラがネクの右目の死角へと滑り込む。
(正面しか見えねえって言ったな。なら……背後は、どうだ……!)
「今──!」
セセラが手元の小型スモーク起爆装置を爆発させた。
濃厚な煙が瞬時に充満する。
視界が遮断されたネクの右目は、当然何も映さない。
(……よしッ……)
しかし──。
「……ふふふふふ」
煙の中から聞こえてくる笑い声。
「すごいなぁ……めっちゃいろんな武器持ってるじゃないですか。本当に、油断ができねえ、です。だけど──」
その声に、セセラの心拍が一瞬だけ跳ね上がり、動きが止まる。
「煙の中でも、見えづらくても、オレが向きを変えて正面にいるようにすれば、それで焼きつけるには十分なんだよ。……さて、この辺かな?」
──セセラの胸元、鈍い痛み。
「……あ゙っ……!」
視界が、滲んだ。
「アナタの先程の眼球の震え方……少しだけ恐怖を感じてたでしょ」
ネクの声は穏やかだった。
しかし、確実に内側を侵してきている。
「次は、その中身をもらいますよ」
「……!!」
(……マズい……!)
セセラは右目と胸の奥にじわじわと熱を感じていた。
ネクの右目による精神への侵食。
「く……っ……!」
体がふらつく。視界が僅かにぼやけ、平衡感覚が狂い始める。
「薊野さん、もう揺らいでるね。オレの目はね、記録して、侵すんですよ」
──ズルズル……ギィ……
そして背後から、怯みが解けた異形の足音。
だが、セセラは振り返らない。
(目は、正面……正面しか見れないなら──)
「……なら……ッ」
懐から取り出す、小型の閃光弾。
点火スイッチを親指で押す。
(瞬間でいい。逆にあいつの視界に強制的に映るレベルで、目を正面から潰す……!)
「俺の記憶も、視線も……お前には焼かせねぇよッ!!」
──バシュッ……!!
閃光弾が炸裂。
眩い閃光が煙の中を切り裂く。
「っ……!?」
一瞬、ネクの右目が細く、けれど確かに動かないまま光を受けた。
セセラは咄嗟に跳び退く──が、足元に絡みつく影の感触。
「──ッぐ……!」
異形の龍の触腕。掴まれた足首が、ギチギチと軋む。
「離せ……っての!!」
麻痺銃を撃ち込もうとした瞬間。
──ズンッ!!!
重い衝撃音が目の前から降り注いだ。
「……なっ……!?」
──誰かが、異形目掛けて落ちてきた。
踏みつけられた異形の頭部が捻れ、そのまま床へと叩きつけられる。
「……え?」
煙の向こう──瓦礫を蹴散らし、“何者か”が着地していた。
細身のシルエットの男。白衣。銀髪。
だが、セセラでも──ネクでもなかった。
「…………あれ?」
目眩しから回復したネクが、初めて戸惑った声を漏らす。
「……あんた……誰?」
その人物は、音も無く振り返った。
ネクのような反転目に似た、“何か”を宿した静かな双眸。
そして男は、ただ一言──。
「食事中に、騒がしいんですよ」
──暗闇の奥から現れた、新たな影。
第9話 完
中央モニター室にてセセラは、自身の端末に届いた環境異常検知ログを見て眉をひそめた。
「……封鎖されてるはずのセクターD。何だこの、僅かな空調変動……?」
即座に端末を操作し、封鎖区域の監視カメラログを呼び出す。
《アクセス不能》
《理由:“記録無し”》
──という名の、白紙化。
「……ナメてんな。完璧に消してやがる……」
セセラのこめかみに、汗が滲む。
(ネク……テメェ、またここに入ったのか……?)
「……おい、予備ルートの気流モニターは?」
職員は慌てて手元のデータを操作した。
「数分前、僅かですが……風圧の偏差が出てます。何かが、中で動いた可能性が──」
「上に報告。俺は現地見る。解析室と連携して逐次連絡頼む」
「えっ、薊野さんひとりで!?」
「先生呼んだら、あの人絶対ついてくる。……今はまだ呼べねえ」
セセラの声が低く、鋭くなる。
「この違和感……今ならまだ間に合うかもしれねえんだ」
そして白衣の裾をはためかせて走り出した。
──そう、完全に痕跡が消される前に。
“何か”が、もう一度起きる前に。
◇
──数分後。
地下セクターD・アクセス通路。封鎖された鉄扉の前で、セセラは息を整えていた。
左手のカードキーをかざし、警告灯が点滅する。
──《アクセス許可:管理権限・所長承認必要》
「……チッ」
短く舌打ちをするが、すぐに切り替えて──。
(やっぱそうくるか。なら……)
ポケットから別の端末を取り出す。
それは──シエリから非常時用に託されていた、彼女の緊急通信キー。
(悪いな、先生……今回は、先に踏み込ませてもらうぜ)
──《キー認証:成功》
重い音を立てて、封鎖された扉がギィ……と音を立て開いていく。
その先にあったのは、埃を被った廊下。
だが、そこには確かに──“誰かの足跡”があった。
(……やっぱり、いたな)
細まるセセラの目。
そのまま、静かに足を踏み入れた。
通路内部は静寂に包まれている。
「……静かすぎるな」
セセラの声だけが、鈍く広い廊下に響いた。
床に積もった埃は薄く──しかしその上に、明確に複数の靴跡が残されている。
(……ひとりじゃない?)
足音を潜めながら、壁沿いに進む。
左目の視界はまだ少し霞んでいる。シエリの吸血によって回復はしているものの、視覚情報の処理速度が少し遅れているのを、自分で理解していた。
「……今回はあまり長くは持たねえかな……」
そう呟いたとき──。
──ピシッ……
足元の空間で、“何か”が軋む音。
(……床、じゃねえ。空間そのものが……)
セセラは即座に身を引き、壁に背をつける。
そして、携帯端末の赤外線スキャンモードを起動。
──画面に映し出された廊下の先。
誰もいないはずの空間に、“僅かな熱反応”が揺れていた。
「……いたな、ネク」
その影は、まるで幻のようにうっすらと人型を描いていた。
しかも──セセラの端末では捕捉できないはずの周波域に、何かが干渉している。
(……こいつ、隠れてるんじゃねえ。情報ごと曖昧にしてる……)
脳がざわめく。
あのときの新生龍と、同じ“気配”。
直感が警鐘を鳴らした。
辺りを見回しながら廊下の方へと慎重に歩き出す。
しかし──。
「……もう見つかっちゃってるでしょ、薊野セセラさん」
背後から、声がした。
「……!!」
セセラが反射的に振り返ると、そこには、いつの間にか立っていた小柄な男──。
銀髪、包帯、白衣。
「やっ……お久しぶりです。あ、オレのこと覚えてますか? ……ネクです」
「……やっぱり、テメェか」
「へぇ……『テメェ』とか言っちゃうんですかぁ。オレのこと、可愛がってくれてましたよね? あの頃は」
ネクは相変わらず、丁寧な口調で挑発的な笑みを浮かべていた。
「オレ、あの頃からずっと観察してたんですよ。アナタの視線の動きとか、疲れてるときの目の焦点のズレとか……右目の下の血管がうっすら赤くなる瞬間が、たまんねえなって思ってたんです」
「……ッ気持ち悪ぃな」
「うん。オレもそう思う……です。でも、そういうのを観察して、蓄積して、オレにとって必要なものを育てるのが、得意なんです」
ネクの指先が、ゆっくりと白衣の内ポケットへ伸びる。
「……さて、そろそろ遊びは終わりにしませんか?」
その瞬間、空間が歪んだ感覚。
そしてセセラの背後──廊下の奥から、あの異形の龍の“気配”を感じる。
「薊野さん。あなたが今ここで何を選ぶのか、オレ、とっても楽しみにしてるんですよ? ……オレがここまでやってきた理由、わかってらっしゃる?」
ネクの言葉は穏やかながら、静かにセセラを圧倒していた。
セセラは一歩後退し、冷静に目の前の男──ネクを見つめ返す。
「……お前が観察してるってことは、わかってた。でも、今、お前が何をしたいのかはわかんねえ」
「ふふ、わからない? そうだね、今のオレはまだその場の遊びをしてるだけですから」
ネクの笑みがどこか楽しげに歪む。
セセラの背後からは、“異形の気配”がじわじわと近づいてきていた。
片手をポケットに入れ、冷静に状況を観察するセセラ。
そして、僅かに息を吸い込む。
「……お前の遊びも、全部他人の龍因子を使って強くなるためのもんだろう」
ネクは、しばらく黙ってセセラを見つめた。
「他人の力を食うことで、オレも確かに強くなる。あ、食うって取り込むって意味ね。……強くなって、変えたいんです」
その言葉には、明確な確信と冷徹な計画が感じられた。
ネクは、何かを目指している。
そして、それはセセラにとっても予測のつかないものだった。
「お前が食っているもの……それが誰の龍因子かって、わかってんだろ?」
セセラは一歩踏み込み、ネクをじっと見つめた。
「お前のその右目、ただの目じゃねえな? だから、お前がやっているのは……ただの強化とは違うんだろ」
ネクは軽く目を細め、楽しげに口角を上げる。
「ふふ……よく気づきましたね。さすが、知識と冷静さだけで動いてる人間だ。その通りです」
そしてネクの露出されている方の目──左目が一瞬、鋭く光った。
「オレが今、やっているのは……龍の因子を食って、強化して、そして記憶を転送するんですよ」
セセラは息を呑んだ。
その言葉が意味することを、すぐに理解できた。
「記憶……?」
「そう。記憶、知識、能力……その全てを取り込むんです。例えば、あの龍憑きたちの龍因子を食って、彼らの力と記憶、全てをオレのものにする」
ネクが静かに言ったその言葉は、まるでセセラの予測を超えていた。
「それを使って、オレたちは……この世界を、そしてオレ自身を、もっと強く、永遠に変えていこうってわけですね」
セセラはその言葉には、すぐに反応できなかった。
しかし、心の中で冷徹に計算が回り始めている。
「……お前、そんなことして、何を得ようとしてるんだ」
「…………ん…………」
ネクは少し黙ってから、目を細め、笑みを浮かべる。
「……それはまだ、オレにもわからないです。でも、他の誰かになりたくなかった」
その瞬間。
──ガタガタガタッ……!
突如として、空気が震えた。
後ろから響く“異形の鳴き声”。
「おっと、来ましたか。そろそろ、オレの食事が始まる頃だな」
楽しげに言い放つネク。
その言葉と共に、後ろの通路から不気味に蠢く影が現れる。
「……マジでめんどくせえなお前ら……!!」
額に青筋が立つセセラ。その視界が、再び鋭く切り替わった。
「来いよ、もう……!!」
戦闘の先に待ち受ける、異形の龍。
その咆哮で、セセラの足元が震える。
「……来たよ、薊野さん。じゃあ、ここからは本気でいきますよ」
ネクの声色は変わらない。どこか軽やかで理知的なトーン。
しかしその手が、ゆっくりと右目の包帯にかかった瞬間──。
空気が、変わった。
「……お前、まさか」
「はい。コレも見せとかなきゃね」
包帯の固定が外され、ふわりと宙を舞う。
次の瞬間──セセラの背筋に、ゾクリと氷が這い上がった。
「……!!」
右目。
青い虹彩。
そして──白目は、ありえないほどの黒。
反転目。
瞳孔は細く縦に裂け、しかし、瞳はまったく動かない。
まるで──どこまでも見透かされる鏡。
「……どう? 不気味でしょ。この右目、眼球が動かせないんです。常に正面しか見てない」
「……ッ」
セセラは一歩、自然と後ずさった。
脳が、距離を取れと命じる。
あの目は、視られているのではない。
記録されているのだ。
「この目は、対象の龍因子や記憶を焼きつける。目で食ってるんです。……一度視界に入れれば、それだけで刻まれるんだよ」
「そんなもん……」
「それだけで、十分なんです」
その瞬間、背後の異形が嗤うような音を立てながら、通路を這いずるように迫ってきた。
セセラは反射的に懐から拳銃型の麻痺銃を抜く。
「……なら、1発でも外したら、終わりだな」
「そう。だから、外さないようにね?」
──ドッ!
異形が跳ねた。
黒い影が牙を剥き、セセラへと飛びかかる。
「チッ……!」
セセラは回避と同時に1発、銃を放つ。
「……!!」
命中するが、跳弾──。
装甲が想定以上に固い。
「薊野さん、ねえ。どっちが先に視界から外れるか、勝負しましょうよ」
ネクの右目が、微動だにせずセセラを正面から捉えている。
「アナタのことはずっと、焼きつけてあるから……もう、逃がさねェよ」
視線の檻が、セセラを縛っていく。
(マズい……あいつの右目、ただの視線じゃねえ)
セセラは素早く後退しながら脳内で高速演算を続けた。
空間に漂う龍因子の濃度、異形の攻撃速度、そして──ネクの“目”。
(あの目に正面から長く映り続けると、“何か”を奪われる)
その直感は確信に近かった。
ただの観察ではない。
ネクの目は、なにか“内部情報”に直接干渉している。
(レイラやリルの龍因子も記憶も……あいつ、ウチに在籍してたときから盗んでたのか……?)
──ズガァッ!!
異形が床を抉るように暴れ、鋭利な突起を振り回した。
「……ッ」
セセラは低く滑るように身を伏せ、咄嗟にスタン弾を壁へと投擲する。
──バァンッッ!!!
光と音が炸裂し、異形が一瞬怯む。
その隙にセセラは一気にネクへと距離を詰めた。
「……ちょっ……と、驚きましたよ。アナタ、そんなに肉体派だったんですか」
「あ? 散々見てたんじゃねえのかよ」
「まあ、それはそうなんですけど。……いざ目の前にするとね」
ネクはセセラの殴打を躱すと、笑いながらスッと左手を振る。
その瞬間、ネクの周囲の空間がぐにゃりと波打ったように見えた。
「この右目、見るだけで解析できるのは龍因子と記憶だけじゃない。アナタが次にどう動くか、その“反応経路”も、少しだけわかるんですよ」
「……っ!」
再び振るわれたセセラの拳が、空を切る。
「くくっ……あ~楽しい。やっぱり薊野セセラさん、いいなァ。本当に人間? ってくらい、無理の利く人間ですよね」
ネクはわざと距離を取った。
その隙に、異形が再び目覚めたように暴れ始める。
──バキィッ!!
コンクリートの床に深い亀裂が走り、吹き飛ぶ瓦礫。
「……危ね……ッ……」
セセラはその破片を盾にして、一瞬の遮蔽を得る。
(……見られてる。あの目をどうにかしない限り……)
その時。ふっと風が通り抜けるように──ほんの一瞬、セセラがネクの右目の死角へと滑り込む。
(正面しか見えねえって言ったな。なら……背後は、どうだ……!)
「今──!」
セセラが手元の小型スモーク起爆装置を爆発させた。
濃厚な煙が瞬時に充満する。
視界が遮断されたネクの右目は、当然何も映さない。
(……よしッ……)
しかし──。
「……ふふふふふ」
煙の中から聞こえてくる笑い声。
「すごいなぁ……めっちゃいろんな武器持ってるじゃないですか。本当に、油断ができねえ、です。だけど──」
その声に、セセラの心拍が一瞬だけ跳ね上がり、動きが止まる。
「煙の中でも、見えづらくても、オレが向きを変えて正面にいるようにすれば、それで焼きつけるには十分なんだよ。……さて、この辺かな?」
──セセラの胸元、鈍い痛み。
「……あ゙っ……!」
視界が、滲んだ。
「アナタの先程の眼球の震え方……少しだけ恐怖を感じてたでしょ」
ネクの声は穏やかだった。
しかし、確実に内側を侵してきている。
「次は、その中身をもらいますよ」
「……!!」
(……マズい……!)
セセラは右目と胸の奥にじわじわと熱を感じていた。
ネクの右目による精神への侵食。
「く……っ……!」
体がふらつく。視界が僅かにぼやけ、平衡感覚が狂い始める。
「薊野さん、もう揺らいでるね。オレの目はね、記録して、侵すんですよ」
──ズルズル……ギィ……
そして背後から、怯みが解けた異形の足音。
だが、セセラは振り返らない。
(目は、正面……正面しか見れないなら──)
「……なら……ッ」
懐から取り出す、小型の閃光弾。
点火スイッチを親指で押す。
(瞬間でいい。逆にあいつの視界に強制的に映るレベルで、目を正面から潰す……!)
「俺の記憶も、視線も……お前には焼かせねぇよッ!!」
──バシュッ……!!
閃光弾が炸裂。
眩い閃光が煙の中を切り裂く。
「っ……!?」
一瞬、ネクの右目が細く、けれど確かに動かないまま光を受けた。
セセラは咄嗟に跳び退く──が、足元に絡みつく影の感触。
「──ッぐ……!」
異形の龍の触腕。掴まれた足首が、ギチギチと軋む。
「離せ……っての!!」
麻痺銃を撃ち込もうとした瞬間。
──ズンッ!!!
重い衝撃音が目の前から降り注いだ。
「……なっ……!?」
──誰かが、異形目掛けて落ちてきた。
踏みつけられた異形の頭部が捻れ、そのまま床へと叩きつけられる。
「……え?」
煙の向こう──瓦礫を蹴散らし、“何者か”が着地していた。
細身のシルエットの男。白衣。銀髪。
だが、セセラでも──ネクでもなかった。
「…………あれ?」
目眩しから回復したネクが、初めて戸惑った声を漏らす。
「……あんた……誰?」
その人物は、音も無く振り返った。
ネクのような反転目に似た、“何か”を宿した静かな双眸。
そして男は、ただ一言──。
「食事中に、騒がしいんですよ」
──暗闇の奥から現れた、新たな影。
第9話 完
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