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第10話 食事の時間です・後編
第10話・2 記録のスープで高める期待
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「──敵性反応、複数確認!」
緊急アラートが鳴り響く中、中央司令室のモニター前に座る職員たちが一斉に立ち上がる。
「地下第4区画・養護エリア・第12室、並びに──第2セクター通路に類似反応あり!」
「は……!?」
駆け込むように扉を開けて入ってきたのは、セセラだった。
白衣の裾がまだ砂埃と血のような液体にまみれている。
「レイラとリルの部屋……!? ……まさか、あいつらを起点に!」
「反応、増えています! 本部全体に拡散する可能性あり!」
「ッ、こりゃあ……防衛ラインの突破、視野に入れとくべきだな……」
セセラが奥歯を噛んだ、その時──。
「セセラ」
扉の向こうから、シエリが現れた。
手には通信端末。髪も服も整っているのに、その表情は鋭かった。
「先生……!」
「各自、聞け。施設を封鎖する。必要最低限の区域を除き、職員には避難指示。解析班と戦闘班は可動限界まで展開しなさい」
「承知しました、所長!」
職員たちの声に従い、赤く染まった警告ランプが各階層に灯る。
──ギュオン……ギュオン……ッ……
鉄扉が自動的に降り、通路が次々に遮断されていく。
「先生……やっぱりクラヴィスの影響か?」
「ああ。奴の行動……いや、目的を含めて、まだ読めない。けれど、少なくとも我々の手札を見透かしたうえで……遊びに来ただけで済むわけがない」
「じゃあ……次は、本番ってか」
深く息を吐くセセラ。
「……先生、レイラとリルは?」
「ああ……既に異形の龍1体を撃破。現在、回復処置中とのこと」
「おい……あいつら病み上がりだぞ……! あのふたりに頼りすぎてる……」
シエリはその言葉を聞いて、僅かに眉を寄せた。
「……それでも、あの子たち以外に変化の因子を持つ者はいない」
「……ッ」
「守らなければならない。あの子たちを。ただの素材でも、兵器でもなく。生きている個人として」
その声に、セセラは目を見開く。
「……先生」
「そのために、全戦力を整えなさい。これ以上は、誰も失わないために」
──各所に非常招集がかかる。
機関全体が、今、ようやく戦う準備を始めた。
◇
──医療棟の療養エリアの一室。
「……兄様、落ち着いて。今はまだ、出歩いてはいけないって」
「……言われなくてもわかってる」
アシュラは包帯を巻かれた腕をそっと撫でながら、窓の外を見ていた。
目の下には僅かな隈。新生龍との戦闘が先日あったばかり。
動けないわけではないがその体はまだ万全ではない──だが、彼の感覚は研ぎ澄まされていた。
「でも……この音、空気……、尋常じゃない。さっきの轟音、あれは……レイラとリルの……」
「……!」
ラショウが言いかけた瞬間、アシュラの右手がベッドの手すりを強く握り締めた。
「……っ、くそ……」
ラショウが驚いて目を向けると、アシュラの目にうっすらと涙が浮かんでいた。
それでも、その表情は一切崩れない。
ただ、震えている。
「俺が……俺が、もっと早く治ってたら……!」
「兄様……」
「また……また、レイラとリルに背中を預けさせてる。もう戦わせたくなんて……なかったのに……」
「に……兄様、それは違うよ。レイラちゃんも、リルくんも……戦っているんじゃない」
「…………く……ッ……」
「生きて……るんだよ。自分の足で立って、選んで……」
アシュラは、ラショウの言葉に視線を向けた。
「兄様が……『行かせてくれ』って叫んだとき、私……ちょっと怖かったけど本当に嬉しかった。守りたい人がいるって言ってくれたから」
「だから……今、少しだけ、待ってあげて」
ラショウは、兄の手にそっと自分の手を重ねる。
「…………!」
「レイラちゃんも、リルくんも、帰ってくるよ。絶対」
「……っ、……ああ。……俺が信じなきゃ、誰が信じるってんだよな」
そう呟くアシュラの目に、今度は涙ではなく、確かな光が宿っていた。
そして療養エリア・第12室──。
「……静かになったな」
リルが、ソファの背もたれに頭を預けながらぼそりと呟く。
先程までの空間の歪みも、異形の気配も、すっかり消え失せていた。
非常灯の赤い明かりが、まだ緊急事態の継続を伝えている。
「……けど、これで終わりじゃないんでしょ」
レイラは、立てかけた対龍用手甲を見つめたまま答える。
その表情に恐れは無く、あるのは覚悟だった。
「うん。わかってる。……なんかさ」
言葉を切り、天井を見上げるリル。
「どこかで見てるよな、絶対」
「誰かが?」
「何かがかもしんねぇ。オレらを、試してるような目」
「…………」
レイラはしばし黙っていたが、やがて口を開く。
「私たちの中にいる龍は何も喋らない。でも、さっきの異形……あれ、自分から来たよね。私たちに会いに来るみたいに」
「……オレらが“目的そのもの”なんじゃねえかって思えてくるな」
「……リル」
「ん」
「倒れてもいいけど……諦めないでね」
リルは驚いたようにレイラを見た。
「……誰が諦めるかよ」
「うん。私も」
言葉が重なる。
──ピピッ……
端末が再び作動。今度は音声が鳴った。
『対象・紫苑レイラおよび紅崎リルの周囲に異常反応。セキュリティチーム、直ちに対応せよ』
「……まだ来んのかよ……!」
リルは顔を顰めて辟易としながら立ち上がる。
レイラもすっと姿勢を正し、手甲を再装着する。
「行こう」
「…………はあ……」
扉が、警告音と共にゆっくりと開いていく。
その向こうにはまた、未知が待っていた。
しかしふたりの背筋は、今──まっすぐに伸びている。
扉が開いた先は、療養エリアの廊下。先程までと変わらぬ通路。
だが、空気の密度が違っていた。
音が、反響しない。気配が、沈んでいる。
「……見て、あれ」
レイラが指さした先──。
廊下の天井の角、監視カメラの赤いランプが消えていた。
「……おい、マジかよ」
リルは舌打ちしながら警戒態勢を強める。
“情報の目”が塞がれている──。
それだけで、どこか“狙われている感覚”が肌を這う。
「これって……薊野さんたちにも届いてないんじゃ……」
「かもな。でも、だからって止まってたら……また来る」
ふたりはゆっくりと歩き出す。
セキュリティロックが解除され、非常用通路を経由して中央通路へと抜けるルートが選ばれていた。
その時。
「──お、おーい……!」
曲がり角の向こうから、息を切らした男性職員が駆けてくる。
「リルくん……レイラちゃん……!」
「どうしたの? どこか怪我してるの?」
レイラがすぐに駆け寄るが、男性は手を横に振って否定する。
「違う……他のエリアで、急に霧が発生して……! 他の療養室、全部封鎖されて……!」
「……!」
「機関側も把握できてない! 通信障害が出始めてて……これ、完全に侵入されてる!」
「クソッ……!」
額を手で押さえるリル。
龍化を解いていた爪の先が、疼く。
「どこにいるかわからないってのが一番タチ悪ィな……!」
「とりあえず、薊野さんは中枢室だ……! 防衛網を再構築しようとしてるので!」
「わかった、すぐ行く!」
レイラが答え、リルが黙って頷く。
だが──。
──ギィ…………
「……あ?」
別の通路の扉が、ゆっくりと開いた。
誰も、開けた様子は無い。
その中から漏れ出す、淡い“青い霧”。
「……また、何か来るぞ」
リルが低く唸った。
「逃げ道は……無いってことだね」
すっと視線を鋭くしたレイラ。
「いいよ、ここで……全部、迎え撃とう」
「……だな……」
リルは空気の揺れを読むように低く呟く。
「目、凝らして。今回は、さっきのより濃い」
レイラの左目に、一瞬だけ蒼白い光が宿る。
微かに霧を透かすように、空間のうねりが視える。
「いた……!」
──ズズ…………ッ……!
視界の奥、霧の中からぬるりと這い出してきたのは、先程の異形とは違う明確な輪郭を持つ存在だった。
脚がある。腕もある。
だが、顔が──無い。
そこにあるのは、黒く“塗り潰された空洞”。
「……顔が、無い……?」
「違う、覗かせないようにしてんだ」
リルは後ずさる男性職員を手で庇いながら、立ち位置を変える。
「……見られたら負けるって自覚があるヤツの動きだ」
──ギャアアアアア……!!
鳴き声すら、口が無いのに脳へ響く。
幻聴に似た、直接干渉の精神ノイズ。
「ッ……!」
眉をしかめるレイラ。
リルも頭を押さえながら、必死に意識を保つ。
「クッソうるせえッ……! 頭おかしくなるだろうが……!」
「ッ、大丈夫、聴こえてるだけ……壊されてはいない……!!」
レイラの声が、強くなる。
その瞬間、霧を払うように、左目の封が僅かに開いた。
──ブワッ……!!
霧が押し返される。
異形の龍も一瞬だけ後退──した、かのように見えた。
「ッ! レイラ、それ──!」
「っ……!」
リルが先手を打つ。
瞬時に龍化させたその爪が炎を纏ったように赤く光り、一直線に異形の中心を突き貫く。
──ザグンッ……!!
反応するかのように、異形の空洞が僅かに開いた。
「口……? 目……!?」
そこに──うっすらと浮かぶ、人の顔のようなもの。
「っ、やっぱり……顔を捨ててるだけじゃねえ。誰かの顔を持ってる!」
「……!」
レイラは胸の奥に浮かぶ嫌悪感を噛み殺す。
「リル、引いて!」
「……ッ!!」
次の瞬間、異形の体が大きく膨れた。
(なんだ? 爆ぜる──!?)
「──危ないッ!!」
レイラは咄嗟にリルの肩を掴み、職員ごと背後へ飛び下がる。
──ズグオォォン!!
その場に瘴気爆発が発生し、壁が一部吹き飛ぶ。
「わああ!!」
職員もその衝撃に悲鳴をあげた。
「はあ、はあっ……、これは……また自壊型……!」
「何が目的なんだ……!? オレたちのデータだけ取りに来てんのか!? それとも……!」
霧が再び周囲を包み込もうとしたその時──。
──ピッ、ピッ……!
「……通信回復した! レイラちゃん、リルくん、応答できるかい!?」
『──こちら中枢室、薊野! 現在そちらに支援班を──』
「っ、薊野さん! レイラだよ! 聞こえてる! リルと応戦中! 職員さん1名と共に後退中……!!」
『……レイラ……!? ……よしッ……! リルも無事だな!? お前ら……絶対死ぬなよ!!』
セセラのその言葉に、ふたりの足が自然と前へ出た。
「ククッ……命令されたな……」
「うん。なら……生きて帰らなきゃね……」
◇
龍調査機関・療養エリア、中央通路付近──。
「はあ、はあ……っ」
中枢エリアへ向かうレイラとリル、そして男性職員。
肩で息をしながら走るレイラの横で、リルも腕を押さえたまま並走していた。
先程の爆ぜる異形によって負った小さな裂傷から、じわりと血が滲んでいる。
「……っ、クソ……。ちょっと、痛ってえな……」
「大丈夫……?」
「……平気。オレのはすぐ塞がる」
事実、リルの傷口の赤みは徐々に収まりつつあった。
──しかし。
(龍化を使ったり解いたりっていう方が……疲れて……ヤバい)
「……は、っ…………」
リルはほんの一瞬だけ、苦しげな息を漏らした。
その様子に、レイラは目を伏せる。
「……やっぱり、リルは強いよ」
「……ふ、お前の目も相当だけどな。眼帯外したわけでもねえのにさっきの霧、あれを一撃で吹き飛ばしてたし……」
会話を交わしながら、ふたりは中枢エリアへと続く通路へ駆け込む。
男性職員も後を追うように必死で走り続けた。
そこへ──。
「レイラ! リル!」
声を上げながらセセラが迎えに現れた。
「無事か!? 職員も一緒だって聞いたが──」
「ここに!」
レイラの後ろから、男性職員が息を切らしながらも無傷で姿を現す。
「ぜえ、ぜえ……ふたりとも、走るのが、早い……。しかし助かりました……この子たちがいなかったら、私は……」
「感謝しろよ」
リルはすかさず職員の耳元でボソッと呟いて、肩をすくめた。
「……いや、感謝してるよ。君たちが、ただの“兵器”なんかじゃないってこと……改めて見せてもらった」
「…………」
小さく頷くセセラ。それを見たレイラは少しだけ表情を和らげた。
「薊野さん、今の霧……何かわかった?」
「ああ、ある程度な。……おそらく目的は戦闘じゃねえ。“観察”、あるいは……“干渉”」
「干渉……?」
「お前らの因子の挙動、反応、そして……感情」
「……感情……」
「異形の中には顔があったろ。あれ、誰かの顔じゃなかったか? 思い出せるか? あれを見てどう感じたか」
「うん……気味が悪かった。でも、どこかで──」
「「見たことあるような気がした」」
レイラとリルが同時に答え──。
「「……!」」
互いに目を見合わせる。
セセラは、その反応に僅かに眉を寄せた。
「……やっぱりな。あの異形たち、ただのバケモノじゃねえ。感情をなぞっている」
「……誰かが、オレたちの中を覗いてる?」
「ああ。おそらく……観察者側の奴が、な」
その瞬間、レイラとリルの視界に──。
ふと、見慣れない銀髪の男の後ろ姿がよぎった気がした。
しかし、それは幻のように消える。
「誰かが私たちを覗いている……」
それは、単なる想像では済まされない──。
確かに、何かがこちらを焼きつけている感覚だった。
緊急アラートが鳴り響く中、中央司令室のモニター前に座る職員たちが一斉に立ち上がる。
「地下第4区画・養護エリア・第12室、並びに──第2セクター通路に類似反応あり!」
「は……!?」
駆け込むように扉を開けて入ってきたのは、セセラだった。
白衣の裾がまだ砂埃と血のような液体にまみれている。
「レイラとリルの部屋……!? ……まさか、あいつらを起点に!」
「反応、増えています! 本部全体に拡散する可能性あり!」
「ッ、こりゃあ……防衛ラインの突破、視野に入れとくべきだな……」
セセラが奥歯を噛んだ、その時──。
「セセラ」
扉の向こうから、シエリが現れた。
手には通信端末。髪も服も整っているのに、その表情は鋭かった。
「先生……!」
「各自、聞け。施設を封鎖する。必要最低限の区域を除き、職員には避難指示。解析班と戦闘班は可動限界まで展開しなさい」
「承知しました、所長!」
職員たちの声に従い、赤く染まった警告ランプが各階層に灯る。
──ギュオン……ギュオン……ッ……
鉄扉が自動的に降り、通路が次々に遮断されていく。
「先生……やっぱりクラヴィスの影響か?」
「ああ。奴の行動……いや、目的を含めて、まだ読めない。けれど、少なくとも我々の手札を見透かしたうえで……遊びに来ただけで済むわけがない」
「じゃあ……次は、本番ってか」
深く息を吐くセセラ。
「……先生、レイラとリルは?」
「ああ……既に異形の龍1体を撃破。現在、回復処置中とのこと」
「おい……あいつら病み上がりだぞ……! あのふたりに頼りすぎてる……」
シエリはその言葉を聞いて、僅かに眉を寄せた。
「……それでも、あの子たち以外に変化の因子を持つ者はいない」
「……ッ」
「守らなければならない。あの子たちを。ただの素材でも、兵器でもなく。生きている個人として」
その声に、セセラは目を見開く。
「……先生」
「そのために、全戦力を整えなさい。これ以上は、誰も失わないために」
──各所に非常招集がかかる。
機関全体が、今、ようやく戦う準備を始めた。
◇
──医療棟の療養エリアの一室。
「……兄様、落ち着いて。今はまだ、出歩いてはいけないって」
「……言われなくてもわかってる」
アシュラは包帯を巻かれた腕をそっと撫でながら、窓の外を見ていた。
目の下には僅かな隈。新生龍との戦闘が先日あったばかり。
動けないわけではないがその体はまだ万全ではない──だが、彼の感覚は研ぎ澄まされていた。
「でも……この音、空気……、尋常じゃない。さっきの轟音、あれは……レイラとリルの……」
「……!」
ラショウが言いかけた瞬間、アシュラの右手がベッドの手すりを強く握り締めた。
「……っ、くそ……」
ラショウが驚いて目を向けると、アシュラの目にうっすらと涙が浮かんでいた。
それでも、その表情は一切崩れない。
ただ、震えている。
「俺が……俺が、もっと早く治ってたら……!」
「兄様……」
「また……また、レイラとリルに背中を預けさせてる。もう戦わせたくなんて……なかったのに……」
「に……兄様、それは違うよ。レイラちゃんも、リルくんも……戦っているんじゃない」
「…………く……ッ……」
「生きて……るんだよ。自分の足で立って、選んで……」
アシュラは、ラショウの言葉に視線を向けた。
「兄様が……『行かせてくれ』って叫んだとき、私……ちょっと怖かったけど本当に嬉しかった。守りたい人がいるって言ってくれたから」
「だから……今、少しだけ、待ってあげて」
ラショウは、兄の手にそっと自分の手を重ねる。
「…………!」
「レイラちゃんも、リルくんも、帰ってくるよ。絶対」
「……っ、……ああ。……俺が信じなきゃ、誰が信じるってんだよな」
そう呟くアシュラの目に、今度は涙ではなく、確かな光が宿っていた。
そして療養エリア・第12室──。
「……静かになったな」
リルが、ソファの背もたれに頭を預けながらぼそりと呟く。
先程までの空間の歪みも、異形の気配も、すっかり消え失せていた。
非常灯の赤い明かりが、まだ緊急事態の継続を伝えている。
「……けど、これで終わりじゃないんでしょ」
レイラは、立てかけた対龍用手甲を見つめたまま答える。
その表情に恐れは無く、あるのは覚悟だった。
「うん。わかってる。……なんかさ」
言葉を切り、天井を見上げるリル。
「どこかで見てるよな、絶対」
「誰かが?」
「何かがかもしんねぇ。オレらを、試してるような目」
「…………」
レイラはしばし黙っていたが、やがて口を開く。
「私たちの中にいる龍は何も喋らない。でも、さっきの異形……あれ、自分から来たよね。私たちに会いに来るみたいに」
「……オレらが“目的そのもの”なんじゃねえかって思えてくるな」
「……リル」
「ん」
「倒れてもいいけど……諦めないでね」
リルは驚いたようにレイラを見た。
「……誰が諦めるかよ」
「うん。私も」
言葉が重なる。
──ピピッ……
端末が再び作動。今度は音声が鳴った。
『対象・紫苑レイラおよび紅崎リルの周囲に異常反応。セキュリティチーム、直ちに対応せよ』
「……まだ来んのかよ……!」
リルは顔を顰めて辟易としながら立ち上がる。
レイラもすっと姿勢を正し、手甲を再装着する。
「行こう」
「…………はあ……」
扉が、警告音と共にゆっくりと開いていく。
その向こうにはまた、未知が待っていた。
しかしふたりの背筋は、今──まっすぐに伸びている。
扉が開いた先は、療養エリアの廊下。先程までと変わらぬ通路。
だが、空気の密度が違っていた。
音が、反響しない。気配が、沈んでいる。
「……見て、あれ」
レイラが指さした先──。
廊下の天井の角、監視カメラの赤いランプが消えていた。
「……おい、マジかよ」
リルは舌打ちしながら警戒態勢を強める。
“情報の目”が塞がれている──。
それだけで、どこか“狙われている感覚”が肌を這う。
「これって……薊野さんたちにも届いてないんじゃ……」
「かもな。でも、だからって止まってたら……また来る」
ふたりはゆっくりと歩き出す。
セキュリティロックが解除され、非常用通路を経由して中央通路へと抜けるルートが選ばれていた。
その時。
「──お、おーい……!」
曲がり角の向こうから、息を切らした男性職員が駆けてくる。
「リルくん……レイラちゃん……!」
「どうしたの? どこか怪我してるの?」
レイラがすぐに駆け寄るが、男性は手を横に振って否定する。
「違う……他のエリアで、急に霧が発生して……! 他の療養室、全部封鎖されて……!」
「……!」
「機関側も把握できてない! 通信障害が出始めてて……これ、完全に侵入されてる!」
「クソッ……!」
額を手で押さえるリル。
龍化を解いていた爪の先が、疼く。
「どこにいるかわからないってのが一番タチ悪ィな……!」
「とりあえず、薊野さんは中枢室だ……! 防衛網を再構築しようとしてるので!」
「わかった、すぐ行く!」
レイラが答え、リルが黙って頷く。
だが──。
──ギィ…………
「……あ?」
別の通路の扉が、ゆっくりと開いた。
誰も、開けた様子は無い。
その中から漏れ出す、淡い“青い霧”。
「……また、何か来るぞ」
リルが低く唸った。
「逃げ道は……無いってことだね」
すっと視線を鋭くしたレイラ。
「いいよ、ここで……全部、迎え撃とう」
「……だな……」
リルは空気の揺れを読むように低く呟く。
「目、凝らして。今回は、さっきのより濃い」
レイラの左目に、一瞬だけ蒼白い光が宿る。
微かに霧を透かすように、空間のうねりが視える。
「いた……!」
──ズズ…………ッ……!
視界の奥、霧の中からぬるりと這い出してきたのは、先程の異形とは違う明確な輪郭を持つ存在だった。
脚がある。腕もある。
だが、顔が──無い。
そこにあるのは、黒く“塗り潰された空洞”。
「……顔が、無い……?」
「違う、覗かせないようにしてんだ」
リルは後ずさる男性職員を手で庇いながら、立ち位置を変える。
「……見られたら負けるって自覚があるヤツの動きだ」
──ギャアアアアア……!!
鳴き声すら、口が無いのに脳へ響く。
幻聴に似た、直接干渉の精神ノイズ。
「ッ……!」
眉をしかめるレイラ。
リルも頭を押さえながら、必死に意識を保つ。
「クッソうるせえッ……! 頭おかしくなるだろうが……!」
「ッ、大丈夫、聴こえてるだけ……壊されてはいない……!!」
レイラの声が、強くなる。
その瞬間、霧を払うように、左目の封が僅かに開いた。
──ブワッ……!!
霧が押し返される。
異形の龍も一瞬だけ後退──した、かのように見えた。
「ッ! レイラ、それ──!」
「っ……!」
リルが先手を打つ。
瞬時に龍化させたその爪が炎を纏ったように赤く光り、一直線に異形の中心を突き貫く。
──ザグンッ……!!
反応するかのように、異形の空洞が僅かに開いた。
「口……? 目……!?」
そこに──うっすらと浮かぶ、人の顔のようなもの。
「っ、やっぱり……顔を捨ててるだけじゃねえ。誰かの顔を持ってる!」
「……!」
レイラは胸の奥に浮かぶ嫌悪感を噛み殺す。
「リル、引いて!」
「……ッ!!」
次の瞬間、異形の体が大きく膨れた。
(なんだ? 爆ぜる──!?)
「──危ないッ!!」
レイラは咄嗟にリルの肩を掴み、職員ごと背後へ飛び下がる。
──ズグオォォン!!
その場に瘴気爆発が発生し、壁が一部吹き飛ぶ。
「わああ!!」
職員もその衝撃に悲鳴をあげた。
「はあ、はあっ……、これは……また自壊型……!」
「何が目的なんだ……!? オレたちのデータだけ取りに来てんのか!? それとも……!」
霧が再び周囲を包み込もうとしたその時──。
──ピッ、ピッ……!
「……通信回復した! レイラちゃん、リルくん、応答できるかい!?」
『──こちら中枢室、薊野! 現在そちらに支援班を──』
「っ、薊野さん! レイラだよ! 聞こえてる! リルと応戦中! 職員さん1名と共に後退中……!!」
『……レイラ……!? ……よしッ……! リルも無事だな!? お前ら……絶対死ぬなよ!!』
セセラのその言葉に、ふたりの足が自然と前へ出た。
「ククッ……命令されたな……」
「うん。なら……生きて帰らなきゃね……」
◇
龍調査機関・療養エリア、中央通路付近──。
「はあ、はあ……っ」
中枢エリアへ向かうレイラとリル、そして男性職員。
肩で息をしながら走るレイラの横で、リルも腕を押さえたまま並走していた。
先程の爆ぜる異形によって負った小さな裂傷から、じわりと血が滲んでいる。
「……っ、クソ……。ちょっと、痛ってえな……」
「大丈夫……?」
「……平気。オレのはすぐ塞がる」
事実、リルの傷口の赤みは徐々に収まりつつあった。
──しかし。
(龍化を使ったり解いたりっていう方が……疲れて……ヤバい)
「……は、っ…………」
リルはほんの一瞬だけ、苦しげな息を漏らした。
その様子に、レイラは目を伏せる。
「……やっぱり、リルは強いよ」
「……ふ、お前の目も相当だけどな。眼帯外したわけでもねえのにさっきの霧、あれを一撃で吹き飛ばしてたし……」
会話を交わしながら、ふたりは中枢エリアへと続く通路へ駆け込む。
男性職員も後を追うように必死で走り続けた。
そこへ──。
「レイラ! リル!」
声を上げながらセセラが迎えに現れた。
「無事か!? 職員も一緒だって聞いたが──」
「ここに!」
レイラの後ろから、男性職員が息を切らしながらも無傷で姿を現す。
「ぜえ、ぜえ……ふたりとも、走るのが、早い……。しかし助かりました……この子たちがいなかったら、私は……」
「感謝しろよ」
リルはすかさず職員の耳元でボソッと呟いて、肩をすくめた。
「……いや、感謝してるよ。君たちが、ただの“兵器”なんかじゃないってこと……改めて見せてもらった」
「…………」
小さく頷くセセラ。それを見たレイラは少しだけ表情を和らげた。
「薊野さん、今の霧……何かわかった?」
「ああ、ある程度な。……おそらく目的は戦闘じゃねえ。“観察”、あるいは……“干渉”」
「干渉……?」
「お前らの因子の挙動、反応、そして……感情」
「……感情……」
「異形の中には顔があったろ。あれ、誰かの顔じゃなかったか? 思い出せるか? あれを見てどう感じたか」
「うん……気味が悪かった。でも、どこかで──」
「「見たことあるような気がした」」
レイラとリルが同時に答え──。
「「……!」」
互いに目を見合わせる。
セセラは、その反応に僅かに眉を寄せた。
「……やっぱりな。あの異形たち、ただのバケモノじゃねえ。感情をなぞっている」
「……誰かが、オレたちの中を覗いてる?」
「ああ。おそらく……観察者側の奴が、な」
その瞬間、レイラとリルの視界に──。
ふと、見慣れない銀髪の男の後ろ姿がよぎった気がした。
しかし、それは幻のように消える。
「誰かが私たちを覗いている……」
それは、単なる想像では済まされない──。
確かに、何かがこちらを焼きつけている感覚だった。
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