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第12話 連休明け
第12話・4 リルを機関で保護した日
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「…………、……ッ、…………し、…………?!」
セセラの喉の奥から、声にならない声が漏れた。
思わず沈めていた体を跳ね起こす。
ソファのクッションが僅かに沈み、セセラの全身から湯気のように熱が噴き出した。
目を見開き、視界も揺れた。
額からじわりと汗が滲む。
(……知ってた?)
(いつから?)
(ずっと?)
(俺は……知らないのに?)
(先生が……?)
(ずっと? いつから? 俺は……知らないのに?)
(……俺は、知らないのに?)
思考が回る。
ぐるぐると回る。
誰も止めてくれない。
誰にも止められない。
「……せんせい、……しってた、のか? ……いつ、いつから……?」
声がうまく出ない。
呼吸が荒くなる。
胸がつかえて、うまく息ができない。
「……おれ、しらなくて……、このまえ、あったときに、しって…………、それから、ずっと……わけがわからなくて……」
言葉がまとまらない。
口が先に走る。
それでも止まらない。
「……え? せんせい、しってたのか……? なんで……?」
目の前のシエリは、黙ってセセラを見ていた。
淡い桃色の瞳に、少しの痛みのような影が差している。
「…………」
やがて、その唇が動いた。
「……セセラ」
「…………」
「……黙っていて、すまない」
その言葉は、とても静かだった。
波紋も立てないほどに。
「…………!!?」
しかし、セセラには──それが爆音のように響いていた。
(……『黙っていて、すまない』……?)
震える足で、ソファから立ち上がる。
(それだけ?)
よろよろとした足取りで、ゆっくりと、セセラはシエリに近づいた。
「……『黙っていて、すまない』……?」
その問いは、怒りでも、責めでもなく。
ただただ、信じたかった相手に向けられた、純粋すぎる疑問だった。
部屋の明かりが、セセラの肩を照らしている。
その肩が、微かに震えていた。
「……先生……」
その呼びかけと共に、セセラはゆっくりと、シエリの前で膝を折る。
そして両手で、ガシッとシエリの細い両腕を掴む。
その手は強くも、荒々しくもなかった。
──ただ、震えていた。
「……先生……知ってて……あんな、平然と……ジキルさんと話したり……リルと、接してたりしてたのか……?」
声が掠れ、喉の奥で詰まる。
「……なにも……思うこと、ないのかよ……?」
見上げるセセラの瞳には、もう限界を迎えた感情が滲んでいた。
涙が、ぽろりと落ちる寸前で踏みとどまっている。
「…………」
シエリはそんな彼を見つめ──。
それまでと同じ、静かな声で。
だが容赦無く、答えた。
「リルは『調査対象』だからだ」
「…………」
その言葉は、刃のように鋭く響く。
「……ちょ、うさ……たいしょう……」
呆然とした声が、セセラの口から漏れる。
震える手に、更に力が籠もることはなかった。
シエリは続ける。
「ジキルがリルを改造した張本人だろうが、我々がリルとどれだけ親しくなろうが、リルが『龍憑き』である以上、彼は調査対象であることに変わりない」
その声には、躊躇いも、感傷も無い。
「…………」
「それはセセラ、キミも……わかっているはずだろう?」
「…………ッ……」
その一言に、セセラは言葉を失った。
なにも言い返せなかった。
それでも、心が“それだけではない”と訴えていた。
しかし、シエリの口からは、更に追い打ちのように言葉が続いていく。
「……セセラ。もうわかっているだろうが、ジキルはリルの父親だ」
「…………っ」
「キミが仲良くしている男は、自分の子を──あのリルを、実験道具にした男なのだ」
セセラの呼吸が、僅かに詰まった。
シエリは淡々と、それでも容赦無く言葉を重ねる。
「今まで友好的にやってきた人物が、非人道的で、猟奇的な研究をしていた」
「自分の可愛がっている弟分が、その人物の手によって改造されていた」
「自分の可愛がっている弟分であり大切な仲間が、親によって、実験道具にされていた」
目が見開かれたセセラの口から、小さな息が漏れる。
息を呑むというより、魂を削られるような、音にならない悲鳴。
「……それを、キミは知ってしまった」
「ショックで、かわいそうだと思った。だからセセラ、キミは──リルとジキルのことで、混乱しているね?」
「知らなければよかったこともある、そう痛感しているんだろう?」
その全てを、まるで診断書のように淡々と語るシエリ。
けれど、それは残酷ではなく、本当は寄り添おうとしている言葉でもあった。
「………………」
セセラは、シエリの両腕を掴んだまま動かない。
力は、まるで入っていなかった。
ただ、指先だけが微かに震えていた。
シエリは──静かに、優しく、だがどこかひんやりと。
そしてぽつりと、口を開く。
「……少し、昔話をしよう」
セセラはシエリの腕を掴んだまま未だ動けずにいた。
だがその言葉に、ほんの僅かに眉が動く。
「……10年前のことだ」
シエリは語り始めた。
◇
10年前の夜、龍調査機関。
その日は雨だった。
すっかり退所したはずの男が、深夜の施設を訪れた。
彼の名は──ジキル。
黒いコート、濡れた赤毛の長髪。
腕には、ぐったりとして生気の無いひとりの幼い少年が抱えられていた。
「……シエリさん……お久しぶりです」
相変わらず、柔らかな声。
「……ジキル……?」
シエリは突然の元職員の訪問に、驚きを隠せなかった。
「あの……急にすみません、この子……オレの息子なんですけど……。……龍に、憑かれちゃったみたいで……」
その時点で、施設に対応できる職員は少なかった。
深夜帯、応じたのはシエリひとりだった。
(息子?)
シエリは、ジキルの腕に抱かれた子どもに目を向ける。
小さな体。青白い肌。
そして──その口元。
「…………」
左の頬下、皮膚に埋め込まれるように、小さなふたつの丸い宝玉のようなものが見えた。
赤と青。
どちらも異質で、禍々しさすら感じさせる輝き。
「………………」
(……龍の、核だ)
龍のエネルギーが詰められていることを、見た瞬間にシエリは直感した。
ジキルは気付かれた様子も無く、焦ったような表情のまま語る。
「リルっていいます。……オレの子。憑かれたあとに、その……丸いのが出てきて……」
出てきた?
否──それは、埋め込まれたようにしか見えなかった。
皮膚の隆起。周囲の定着。
自然に生成された痕とは明らかに異なる。
その違和感は、拭えなかった。
だが、ジキルは続ける。
「……親としては断腸の思いなのですが……シエリさん、この子を、そちらで預かってもらえませんか」
「オレは今も龍を研究してるけど、……龍に憑かれた人間のことまではひとりで調べきれなくて」
「経過観察と……その結果を、しばらく共有していただきたいんです」
その言葉に、矛盾は無かった。
感情も、演技には見えなかった。
(……まるで……子供が被害者のような)
シエリは、ほんの少し逡巡したあと──静かに頷く。
違和感は消えなかったが、それ以上を詮索する材料も無かった。
そして、幼いリルは集中治療室へと運ばれた。
──まだ10歳になったばかりだという、あの時。
3日間、リルは意識を取り戻さなかった。
──
とある日。
室内は、静かだった。
消毒薬のにおいと、機械の規則的な電子音だけが支配している。
ベッドの上には、小さな少年の姿。
白いシーツの中で、体のあちこちにセンサーコードが貼られ、胸元には小さく上下する呼吸の動き。
付き添っていたのは、シエリただひとり。
明かりを落とした室内で、静かにその様子を見守っていた。
そのとき。
「…………ん」
「……!」
シエリの瞳が微かに揺れる。
少年の瞼が僅かに震え、やがて開かれた。
「……ああ……! 目が覚めたか……!」
ほんの一瞬、喜びすら含んだ声音だった。
だが、リルの目は虚ろで、焦点が合っていない。
掠れた声でぽつりと呟く。
「……だれ……」
「どこ……ここ……」
シエリは、驚かせないようにベッドの傍でしゃがみ込み、目線を合わせるようにして静かに語りかけた。
「……ビックリしているね。私は、シエリ。大丈夫、キミは倒れてしまっていてね……ここに運ばれてきたんだ」
「…………? ……たおれ……? はこばれ……?」
繰り返すように言葉を口にするリル。
それは、まるで音を確かめるような口調だった。
「……びょういん……?」
「……似たようなものだけど……大丈夫。キミはどこも病気じゃないよ」
シエリの微笑みは、どこまでも優しい。
リルはそれを受け止めきれぬまま、再びゆっくりと目を閉じる。
──しかし。
「ゔ……うううッ……!!」
突如、リルの体がビクリと跳ね上がるように反応した。
「ッ!!」
モニターの警告音が鳴り響く。
心拍、血圧、脳波──すべてが急激な異常値を示していた。
(これは……! 龍に憑かれた人間の拒絶反応と同じ……!!)
「……鎮静剤……!!」
備えられていた処置キットから、即座に必要な薬剤を選び、注射器へと通す。
目を見開いたリルの赤い瞳が、苦痛に歪んでいた。
痙攣、筋肉の異常収縮、そして──皮膚の変質。
注射を打った数十秒後──。
「…………う…………ッ…………」
ようやくモニターの警告音が静まり、再び室内に静寂が戻ってくる。
リルの呼吸は荒いままだが、意識は保たれていた。
「……よかった……」
しかし、リルのその手を見たとき──。
「……!!?」
シエリの表情が凍りつく。
小さな手の甲に、微かに鱗のような物質が浮き出ていたのだ。
硬質な光沢、淡く青黒い色。
まるで生体変化によって龍の皮膚を模したかのような──。
そして、頬に埋め込まれた赤と青の珠玉。
そこから肌の境界に沿って、じんわりと血が滲み出していた。
(……何だこれは……)
(鱗……? これは、変質か?)
(鎮静剤を打たなかったら……この手は、……この鱗で覆われていたのか……?)
目を細め、異変を観察するシエリの脳裏に、ひとつの言葉が浮かぶ。
(……龍化)
その現象を、彼女は後にそう名付けることになる。
呼吸がまだ荒いままのリルが、シーツをぎゅっと掴んで呻くように呟いた。
「……あたま……痛い……、ほんとに……オレ、病気じゃないの……?」
か細く、震える声。
泣き声と混ざるその響きに、シエリは顔を歪める。
「……怖かったね、大丈夫だよ、大丈夫……」
「痛いところ、全部教えておくれ。ちゃんと手当てするから」
シエリは腕を伸ばすと、そっとリルの額に手を当てた。
だがその言葉に、リルは応えられなかった。
焦点の定まらない目で宙を見たまま、かすれた声で口を開く。
「う……とうさ……、とうさん……」
その声は、シエリの胸を刺した。
「……父さん……たすけて……」
助けを乞うように、泣き声まじりの訴え。
決して、目の前にいるシエリに向けたものではない。
(……父。ジキルのことを……思い出しているのか)
あの男がこの子を運び込んできた、あの夜。
(龍に憑かれた我が子を救おうとして連れてきた……)
(……やはり……不慮の事故だったのか……?)
(……ジキルを、疑ってしまったな)
一瞬だけ、そう思った。
ジキルのあの必死そうな声が、脳裏をよぎった。
──だが、次の瞬間。
「父さんが……オレ、オレのことを……う、たすけて……う、う……」
「父さんが……オレのこと……うごけな……」
断片的に紡がれる、痛みと混乱と恐怖の言葉。
目を開きながら、リルの目から涙が伝う。
その言葉に、シエリはハッと目を見開いた。
(…………!?)
先程までの“あの日疑って申し訳ない”という感情は──。
「う、ッ、あ……、父さんが……オレのこと……こ、……ころ、しっ、たすけっ……」
このリルの声に、一瞬で──。
「ッ、殺そうとしてくる……!!」
一撃で、打ち砕かれた。
「……ッ!!!」
(……間違いない……!)
(この子は、ジキルの手によって……無理矢理、龍を憑依させられた!!)
怒りというより、冷たい決意が、シエリの内側に走る。
──
──数日後・記録室。
『経過観察の結果を、オレにも定期的に知らせてください』
そう言ってジキルはこの子を置いていった。
……だが、こんなものがあってたまるか。
(誰が、あんな奴に情報など渡すものか)
シエリはリルに関する報告を、一切ジキルに送らないと決めた。
定期的に「リルはどうですか?」と届く連絡。
その全てを、シエリは無視した。
あれからジキルは一度も施設へ姿を現していない。
やがて、連絡すらも途絶えていった。
(…………)
(……“リルに興味が無くなった”んだな)
そんなのは、研究対象か素材を見る目だ。
(……絶対にこの子を、あの男のもとへは戻さない)
そう誓った。
龍化という現象が、機関の研究テーマとしての価値を持ち始めた頃。
リルはそのまま、施設の『観察対象』として、正式に機関内で保護されることが決まった。
──
──後日。
カウンセリング室。
「あの日、何があったのか、覚えてる?」
シエリはリルに穏やかに問いかけた。
だが、リルは首を振ることもせず、小さく身を震わせて目を伏せるだけだった。
「………………」
(……話そうとすると、意識が不安定になる)
(PTSD……、トラウマによる強い拒絶反応)
何も、語らせられなかった。
(……もう、この子に真実を教えるのも、聞くのもやめよう)
(そして職員達にも……ジキルが父親であること、その男がこの子に何をしたのか……)
それは、全て機密情報として、シエリが個人で背負うことにした。
そしてリルには、『父親は事故で死亡』と伝えられた。
この子が、二度とその過去に縛られないように。
この子が、生きられるように──。
セセラの喉の奥から、声にならない声が漏れた。
思わず沈めていた体を跳ね起こす。
ソファのクッションが僅かに沈み、セセラの全身から湯気のように熱が噴き出した。
目を見開き、視界も揺れた。
額からじわりと汗が滲む。
(……知ってた?)
(いつから?)
(ずっと?)
(俺は……知らないのに?)
(先生が……?)
(ずっと? いつから? 俺は……知らないのに?)
(……俺は、知らないのに?)
思考が回る。
ぐるぐると回る。
誰も止めてくれない。
誰にも止められない。
「……せんせい、……しってた、のか? ……いつ、いつから……?」
声がうまく出ない。
呼吸が荒くなる。
胸がつかえて、うまく息ができない。
「……おれ、しらなくて……、このまえ、あったときに、しって…………、それから、ずっと……わけがわからなくて……」
言葉がまとまらない。
口が先に走る。
それでも止まらない。
「……え? せんせい、しってたのか……? なんで……?」
目の前のシエリは、黙ってセセラを見ていた。
淡い桃色の瞳に、少しの痛みのような影が差している。
「…………」
やがて、その唇が動いた。
「……セセラ」
「…………」
「……黙っていて、すまない」
その言葉は、とても静かだった。
波紋も立てないほどに。
「…………!!?」
しかし、セセラには──それが爆音のように響いていた。
(……『黙っていて、すまない』……?)
震える足で、ソファから立ち上がる。
(それだけ?)
よろよろとした足取りで、ゆっくりと、セセラはシエリに近づいた。
「……『黙っていて、すまない』……?」
その問いは、怒りでも、責めでもなく。
ただただ、信じたかった相手に向けられた、純粋すぎる疑問だった。
部屋の明かりが、セセラの肩を照らしている。
その肩が、微かに震えていた。
「……先生……」
その呼びかけと共に、セセラはゆっくりと、シエリの前で膝を折る。
そして両手で、ガシッとシエリの細い両腕を掴む。
その手は強くも、荒々しくもなかった。
──ただ、震えていた。
「……先生……知ってて……あんな、平然と……ジキルさんと話したり……リルと、接してたりしてたのか……?」
声が掠れ、喉の奥で詰まる。
「……なにも……思うこと、ないのかよ……?」
見上げるセセラの瞳には、もう限界を迎えた感情が滲んでいた。
涙が、ぽろりと落ちる寸前で踏みとどまっている。
「…………」
シエリはそんな彼を見つめ──。
それまでと同じ、静かな声で。
だが容赦無く、答えた。
「リルは『調査対象』だからだ」
「…………」
その言葉は、刃のように鋭く響く。
「……ちょ、うさ……たいしょう……」
呆然とした声が、セセラの口から漏れる。
震える手に、更に力が籠もることはなかった。
シエリは続ける。
「ジキルがリルを改造した張本人だろうが、我々がリルとどれだけ親しくなろうが、リルが『龍憑き』である以上、彼は調査対象であることに変わりない」
その声には、躊躇いも、感傷も無い。
「…………」
「それはセセラ、キミも……わかっているはずだろう?」
「…………ッ……」
その一言に、セセラは言葉を失った。
なにも言い返せなかった。
それでも、心が“それだけではない”と訴えていた。
しかし、シエリの口からは、更に追い打ちのように言葉が続いていく。
「……セセラ。もうわかっているだろうが、ジキルはリルの父親だ」
「…………っ」
「キミが仲良くしている男は、自分の子を──あのリルを、実験道具にした男なのだ」
セセラの呼吸が、僅かに詰まった。
シエリは淡々と、それでも容赦無く言葉を重ねる。
「今まで友好的にやってきた人物が、非人道的で、猟奇的な研究をしていた」
「自分の可愛がっている弟分が、その人物の手によって改造されていた」
「自分の可愛がっている弟分であり大切な仲間が、親によって、実験道具にされていた」
目が見開かれたセセラの口から、小さな息が漏れる。
息を呑むというより、魂を削られるような、音にならない悲鳴。
「……それを、キミは知ってしまった」
「ショックで、かわいそうだと思った。だからセセラ、キミは──リルとジキルのことで、混乱しているね?」
「知らなければよかったこともある、そう痛感しているんだろう?」
その全てを、まるで診断書のように淡々と語るシエリ。
けれど、それは残酷ではなく、本当は寄り添おうとしている言葉でもあった。
「………………」
セセラは、シエリの両腕を掴んだまま動かない。
力は、まるで入っていなかった。
ただ、指先だけが微かに震えていた。
シエリは──静かに、優しく、だがどこかひんやりと。
そしてぽつりと、口を開く。
「……少し、昔話をしよう」
セセラはシエリの腕を掴んだまま未だ動けずにいた。
だがその言葉に、ほんの僅かに眉が動く。
「……10年前のことだ」
シエリは語り始めた。
◇
10年前の夜、龍調査機関。
その日は雨だった。
すっかり退所したはずの男が、深夜の施設を訪れた。
彼の名は──ジキル。
黒いコート、濡れた赤毛の長髪。
腕には、ぐったりとして生気の無いひとりの幼い少年が抱えられていた。
「……シエリさん……お久しぶりです」
相変わらず、柔らかな声。
「……ジキル……?」
シエリは突然の元職員の訪問に、驚きを隠せなかった。
「あの……急にすみません、この子……オレの息子なんですけど……。……龍に、憑かれちゃったみたいで……」
その時点で、施設に対応できる職員は少なかった。
深夜帯、応じたのはシエリひとりだった。
(息子?)
シエリは、ジキルの腕に抱かれた子どもに目を向ける。
小さな体。青白い肌。
そして──その口元。
「…………」
左の頬下、皮膚に埋め込まれるように、小さなふたつの丸い宝玉のようなものが見えた。
赤と青。
どちらも異質で、禍々しさすら感じさせる輝き。
「………………」
(……龍の、核だ)
龍のエネルギーが詰められていることを、見た瞬間にシエリは直感した。
ジキルは気付かれた様子も無く、焦ったような表情のまま語る。
「リルっていいます。……オレの子。憑かれたあとに、その……丸いのが出てきて……」
出てきた?
否──それは、埋め込まれたようにしか見えなかった。
皮膚の隆起。周囲の定着。
自然に生成された痕とは明らかに異なる。
その違和感は、拭えなかった。
だが、ジキルは続ける。
「……親としては断腸の思いなのですが……シエリさん、この子を、そちらで預かってもらえませんか」
「オレは今も龍を研究してるけど、……龍に憑かれた人間のことまではひとりで調べきれなくて」
「経過観察と……その結果を、しばらく共有していただきたいんです」
その言葉に、矛盾は無かった。
感情も、演技には見えなかった。
(……まるで……子供が被害者のような)
シエリは、ほんの少し逡巡したあと──静かに頷く。
違和感は消えなかったが、それ以上を詮索する材料も無かった。
そして、幼いリルは集中治療室へと運ばれた。
──まだ10歳になったばかりだという、あの時。
3日間、リルは意識を取り戻さなかった。
──
とある日。
室内は、静かだった。
消毒薬のにおいと、機械の規則的な電子音だけが支配している。
ベッドの上には、小さな少年の姿。
白いシーツの中で、体のあちこちにセンサーコードが貼られ、胸元には小さく上下する呼吸の動き。
付き添っていたのは、シエリただひとり。
明かりを落とした室内で、静かにその様子を見守っていた。
そのとき。
「…………ん」
「……!」
シエリの瞳が微かに揺れる。
少年の瞼が僅かに震え、やがて開かれた。
「……ああ……! 目が覚めたか……!」
ほんの一瞬、喜びすら含んだ声音だった。
だが、リルの目は虚ろで、焦点が合っていない。
掠れた声でぽつりと呟く。
「……だれ……」
「どこ……ここ……」
シエリは、驚かせないようにベッドの傍でしゃがみ込み、目線を合わせるようにして静かに語りかけた。
「……ビックリしているね。私は、シエリ。大丈夫、キミは倒れてしまっていてね……ここに運ばれてきたんだ」
「…………? ……たおれ……? はこばれ……?」
繰り返すように言葉を口にするリル。
それは、まるで音を確かめるような口調だった。
「……びょういん……?」
「……似たようなものだけど……大丈夫。キミはどこも病気じゃないよ」
シエリの微笑みは、どこまでも優しい。
リルはそれを受け止めきれぬまま、再びゆっくりと目を閉じる。
──しかし。
「ゔ……うううッ……!!」
突如、リルの体がビクリと跳ね上がるように反応した。
「ッ!!」
モニターの警告音が鳴り響く。
心拍、血圧、脳波──すべてが急激な異常値を示していた。
(これは……! 龍に憑かれた人間の拒絶反応と同じ……!!)
「……鎮静剤……!!」
備えられていた処置キットから、即座に必要な薬剤を選び、注射器へと通す。
目を見開いたリルの赤い瞳が、苦痛に歪んでいた。
痙攣、筋肉の異常収縮、そして──皮膚の変質。
注射を打った数十秒後──。
「…………う…………ッ…………」
ようやくモニターの警告音が静まり、再び室内に静寂が戻ってくる。
リルの呼吸は荒いままだが、意識は保たれていた。
「……よかった……」
しかし、リルのその手を見たとき──。
「……!!?」
シエリの表情が凍りつく。
小さな手の甲に、微かに鱗のような物質が浮き出ていたのだ。
硬質な光沢、淡く青黒い色。
まるで生体変化によって龍の皮膚を模したかのような──。
そして、頬に埋め込まれた赤と青の珠玉。
そこから肌の境界に沿って、じんわりと血が滲み出していた。
(……何だこれは……)
(鱗……? これは、変質か?)
(鎮静剤を打たなかったら……この手は、……この鱗で覆われていたのか……?)
目を細め、異変を観察するシエリの脳裏に、ひとつの言葉が浮かぶ。
(……龍化)
その現象を、彼女は後にそう名付けることになる。
呼吸がまだ荒いままのリルが、シーツをぎゅっと掴んで呻くように呟いた。
「……あたま……痛い……、ほんとに……オレ、病気じゃないの……?」
か細く、震える声。
泣き声と混ざるその響きに、シエリは顔を歪める。
「……怖かったね、大丈夫だよ、大丈夫……」
「痛いところ、全部教えておくれ。ちゃんと手当てするから」
シエリは腕を伸ばすと、そっとリルの額に手を当てた。
だがその言葉に、リルは応えられなかった。
焦点の定まらない目で宙を見たまま、かすれた声で口を開く。
「う……とうさ……、とうさん……」
その声は、シエリの胸を刺した。
「……父さん……たすけて……」
助けを乞うように、泣き声まじりの訴え。
決して、目の前にいるシエリに向けたものではない。
(……父。ジキルのことを……思い出しているのか)
あの男がこの子を運び込んできた、あの夜。
(龍に憑かれた我が子を救おうとして連れてきた……)
(……やはり……不慮の事故だったのか……?)
(……ジキルを、疑ってしまったな)
一瞬だけ、そう思った。
ジキルのあの必死そうな声が、脳裏をよぎった。
──だが、次の瞬間。
「父さんが……オレ、オレのことを……う、たすけて……う、う……」
「父さんが……オレのこと……うごけな……」
断片的に紡がれる、痛みと混乱と恐怖の言葉。
目を開きながら、リルの目から涙が伝う。
その言葉に、シエリはハッと目を見開いた。
(…………!?)
先程までの“あの日疑って申し訳ない”という感情は──。
「う、ッ、あ……、父さんが……オレのこと……こ、……ころ、しっ、たすけっ……」
このリルの声に、一瞬で──。
「ッ、殺そうとしてくる……!!」
一撃で、打ち砕かれた。
「……ッ!!!」
(……間違いない……!)
(この子は、ジキルの手によって……無理矢理、龍を憑依させられた!!)
怒りというより、冷たい決意が、シエリの内側に走る。
──
──数日後・記録室。
『経過観察の結果を、オレにも定期的に知らせてください』
そう言ってジキルはこの子を置いていった。
……だが、こんなものがあってたまるか。
(誰が、あんな奴に情報など渡すものか)
シエリはリルに関する報告を、一切ジキルに送らないと決めた。
定期的に「リルはどうですか?」と届く連絡。
その全てを、シエリは無視した。
あれからジキルは一度も施設へ姿を現していない。
やがて、連絡すらも途絶えていった。
(…………)
(……“リルに興味が無くなった”んだな)
そんなのは、研究対象か素材を見る目だ。
(……絶対にこの子を、あの男のもとへは戻さない)
そう誓った。
龍化という現象が、機関の研究テーマとしての価値を持ち始めた頃。
リルはそのまま、施設の『観察対象』として、正式に機関内で保護されることが決まった。
──
──後日。
カウンセリング室。
「あの日、何があったのか、覚えてる?」
シエリはリルに穏やかに問いかけた。
だが、リルは首を振ることもせず、小さく身を震わせて目を伏せるだけだった。
「………………」
(……話そうとすると、意識が不安定になる)
(PTSD……、トラウマによる強い拒絶反応)
何も、語らせられなかった。
(……もう、この子に真実を教えるのも、聞くのもやめよう)
(そして職員達にも……ジキルが父親であること、その男がこの子に何をしたのか……)
それは、全て機密情報として、シエリが個人で背負うことにした。
そしてリルには、『父親は事故で死亡』と伝えられた。
この子が、二度とその過去に縛られないように。
この子が、生きられるように──。
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