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第15話 牙を、解き放て
第15話・2 迷っている場合じゃない
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苦しい空気が舞う戦地。
無線の中で、セセラの鋭い声が響く。
『……アシュラ、現場の状況は? レイラのバイタルがぶっ飛んでる』
「…………っ……!」
アシュラは敵を見据えつつ、視線でレイラの様子を確認した。
横たわりながら声を上げずに、ただ必死に痛みに耐えるレイラの顔が見える。
「ッ、……レイラは……やられました。意識はありますが、どこか骨が……折れてるかもしれません」
『……最悪だな……』
短く吐息を漏らしたあと、セセラは別の画面を確認するような間を置き、今度はリルに呼びかけた。
『リルお前、今も制御装具着けたままだな』
「……ああ」
『そろそろ限界か? あれはお前の龍化進行速度が異常すぎて時間稼ぎで着けさせたものだ』
「わかってる」
『医療班が診断を躊躇ったぐらいだ……どうする?』
「…………」
リルは無言のまま、牙を噛みしめる。
──思い出す。
前回の任務帰還後の検査で、医療班の男性職員に言われた言葉。
『……このままじゃ、龍化の兆候が臓器レベルまで広がるかもしれません。下手に力を使えば、体が持たない可能性があります』
その言葉に、『制御装具は一時的に龍因子を抑えるだけ。抜本的な治療にはならないけど……一応、着けておこうね』と、あの金髪の女性職員──ラルトが続けていた。
あのときリルは、「なんでもいいよ」とぶっきらぼうに首を縦に振った。
なぜなら──。
(あの日レイラの暴走を止めたのは……オレだ。だからオレが呑まれちまうくらいなら──)
「まだだ……まだ外さねえ。このまま様子を見る。それで勝てるなら、それまでだろ」
『……了解。できればそれでいてくれ』
赤黒い装具が、再び微かな悲鳴のような音を上げた。
内側から蠢く龍因子が、リルの骨を、筋を、意識を、揺さぶっている。
一方で、異型の龍の動きは加速していた。
ラショウが応戦するも、僅かに遅れた反応を突かれ、左腕に裂傷を受ける。
「う、痛ッ……!!」
「ラショウ……!!」
アシュラの刀も、龍の外殻に深くは届かない。
レイラは草地の上で血を吐きながら意識を保とうとするが、もはや立てない。
苦しげな呼吸をひとつ吐いて、アシュラが歯を食いしばる。
「クソ……こいつ、何が弱点だ……!」
『……今のところ……不明。神経系の反応も、回避不能レベルで分裂してる。斬ろうが叩こうが……全部効いてる気配がねえ』
アシュラの声もセセラの声もどこか焦っていた。それでも冷静を保つように、続ける。
『ラショウ、動けるか? そっちの右後方にある岩影まで誘導できれば──』
「い、いえ……私じゃ、止められないかもしれません……」
『…………無理か』
「……ッ、……でも、レイラちゃんは、守りたいです……」
ラショウの声は震えていた。
涙を堪えるような声音。彼女も必死なのだ。
(私……なんでこんなに非力なの…………)
ラショウの視線の先──龍はアシュラたちではなくリルを見据えている。
──否、見据えているというよりも、呼応している。
何かが、互いの奥底で共鳴し始めていた。
「くそ……!!」
刀を構えたまま駆け出すアシュラ。
リルを注視する龍を斬りつける──が、爪の反撃を喰らい、アシュラの頭部から右肩に傷が走った。
「……ぁ、ッぐ……!!!」
鮮血が溢れる。
「…………ッ、…………!!」
アシュラの瞳ですら、痛みと焦燥の色が滲んだ。
この戦を愉しむ様子すら毛頭ない。
その中で、リルへ向けてセセラの無線が飛ぶ。
『……リル。もしお前が装具を外すなら……タイミングは今かもしれない』
「……それ、外せってことじゃねえかよ」
ふたりとも声が更に低く、深くなっていた。
(……もう、迷っている場合じゃねえ)
リルの意識の底に、咆哮のような衝動が渦巻いている。
──そしてゆっくりと片腕を持ち上げ、右腕の装具のロックを外した。
解錠した音がカチリと鳴った途端。
──バキバキバキバキッ!!
と、骨が軋む音が空気を裂いた。
「ッ……!!?」
リルの右腕が激しく痙攣し、その皮膚が裂けるように黒い鱗と甲殻が浮かび上がっていく。
しかし──。
「あッ!? ッぐ、っ、ゔ、はあッ、あ゙……ッ! 痛え……!!」
それは本人も予測できなかった激痛だった。
肘から先が、禍々しく、恐ろしく、異質に変貌する。
赤黒く染まった巨大な爪。指の関節はまるで骨ごと折れたかのような鋭角を描き、別の生き物のように蠢いていた。
「~~~~ッ!!!」
痛すぎる。もはや声も出ない。
片腕だけでもこんなに痛いのに──。
(……ッ、ダメだ、反対側も外さねえと、腕、爆発しちまいそうだ……ッ……)
左腕も同様に解錠して龍の腕へと変化させていく。
「……リル……!」
──リルの龍化の様子を見たアシュラの目が細くなっていた。
(……リル)
(……やっぱり……)
(以前までは……あんなに酷く禍々しいものじゃなかった……)
レイラの瞳にも、焦点が戻っていく。
「……ッ、なに……リル……?」
そして龍が、リルに反応する。
音も無く距離を詰めてくる。
その瞬間、リルの足元の地面が砕け、龍化した両腕が爆風のような勢いで空気を裂いた。
「ハアッ……ハアッ……、くそッ……吠え面かくなよ……バケモン……」
鋭く、低く、唸るような声。
リルが四肢を使って跳び込み、龍の側頭部へと爪を叩きつける。
刹那、甲殻が砕け、赤黒い液体が飛び散った。
「効いてる……! 今のは効いてるぞ!」
アシュラが叫ぶ。だが同時に、リルの龍化した腕からも血が流れていた。
「……く……ッ……」
まるで自分の細胞と相殺するように、龍因子が暴れている。
『リル……無理しすぎるなよ……! 抑えが外れたら、今のままじゃ済まねえぞ』
セセラの声は、少しだけ掠れていた。
リルは返事をしない。ただ、そのまま龍と対峙する。
呼吸が荒く、赤い瞳がじりじりと細くなる──それでもまだ、踏みとどまっていた。
「……はぁ、っ……ラショウ、大丈夫か」
肩で息をしながら、アシュラはラショウへと近づいていく。
「……兄様、怪我が…………っ……」
アシュラは頭から血を流し、右腕は肩から下がぶらりと垂れ、明らかに負傷していた。
それでも、刀を持ちながら、足を引きずりながら、リルの戦う背を見つめる。
(確かに、これは突破口になり得る。けど……)
(これ以上進行したら、もう戻れない……とか、無いよな……?)
(……リル…………)
──血が、地面に広がっていた。
「……は、っ……はッ…………」
レイラの呼吸は浅く、肺の奥が焼けるように痛んでいる。
脳裏に、かつての暴走の記憶がちらつく。
──呑まれんじゃねえ。
あのとき、リルはそう言ってくれた。
なら、今は──。
「……リル……っ」
震える声。か細く、けれど確かにリルに届かせるように。
「……お願い、もう……っ、それ以上は……っ!」
横になった状態のまま、レイラは手を伸ばした。
泥と血にまみれた指先が、震えるように宙を掴む。
リルはその声に、ほんの一瞬、動きを止めた。
「……ッ」
──怖い。
自分が、自分じゃなくなることが。
目の前の龍は、仲間を襲い、レイラたちを血に染めた存在。
しかし、それに対抗しようとする自分の中の龍は、果たして味方なのか。
その問いに、確かな答えは無い。
(あのとき……レイラを止めたくて、オレは……)
でも、それで本当に良かったのか。
あのレイラは“呑まれていた”のか、それとも──“救いを求めていた”のか。
背中で、外せない装具が軋む。
内臓が焼けるように熱く、血が逆流しそうなほど痛い。
『リル』
無線の先で、セセラがリルに問う。
『お前今どんな顔してる? どうにかなっちまいそうな顔してねえか?』
返事は無い。
『……お前怖がってるだろ』
「…………!」
リルの瞳が、揺れる。
『自分がどうなるかわからないまま、力を振るうのが、怖い』
『でもな、リル。今お前が止まったら、それで終わる』
「…………」
そんなことは、リルもわかっていた。
むしろ、リルが一番わかっている。
「……わかってるよ、んなこと……!!」
『……だよな……』
「でも……薊野さん、オレは……」
『俺だって怖ぇよ……!!』
「ッ……!」
『……お前が壊れるかもしれない。それを見てるだけなのが悔しい……』
「…………」
リルの唇は乾いていた。
吐息は震えて、言葉にならなかった。
──自分が自分じゃなくなる予感。
それでも、この手を止めれば、レイラたちは……。
「やめて……リルくん、お願い……!」
ラショウの叫びが、鋭く空気を切る。
リルが纏う空気は、まるで獣のようだった。
「リルくんは、私たちを守るために戦ってるんでしょう!? だったら、これ以上、リルくん自身が壊れちゃだめ……!!」
「……!!」
その声に、ほんの一瞬だけリルの動きが止まる。
──その瞬間。
龍が、爆発的な勢いで動く。
「──ッ!!」
尾か、脚か、それすら判別できない歪な肢体の一閃がリルに襲いかかっていた。
「あ゙……ッ──!!!」
まるで雷鳴のような衝撃が、空気を押し裂く。
──ドゴォォォンッ……!!
弾き飛ばされたリルの体──。
風を裂き、折れた木々と瓦礫の山へと強く叩きつけられた。
「リルくんッ──」
「……!!!」
叫ぼうとしたラショウとアシュラの喉からは、何の音も出なかった。
あまりの衝撃。あまりの光景。
ただ目の前で、リルの体は砕けた木の中へ、音を立てて沈んでいった。
リルに取り付けられていた小型中継カメラも、何も映さなくなる。
崩れ落ちた瓦礫。粉塵。
沈黙。
「…………!!」
その大きすぎる衝撃で、リルの背中にも着けられていた装具が──。
バキィッ……という異様な音と共に、砕けた。
直後。
赤黒い粒子が、微かに舞う。
「り……ルく、ん……?」
ラショウが、やっとのことで声を漏らす。
でも、何も返ってこない。
龍はその様子を一瞥し、何の感情も無く標的を切り替える。
──レイラたちへ。
「……!!」
レイラは、まだ地面に手をついたまま、ようやく体を起こしたところだった。
腕からも口元からも血が滴り、目はうまく開けられない。
ラショウも動き出そうとするが──膝が崩れた。
「……う、そ……でしょ……」
反撃なんて、できるはずもなかった。
「…………ッ」
アシュラも決死の表情で刀を構えるが、3人を庇わなくてはならない重圧に、冷静さが欠ける懸念すら抱いてしまう。
もう、誰も──動けない。
そして、遠く離れた機関のモニター室。
沈黙が、支配していた。
「…………」
セセラは硬直したまま、何も言えなかった。
「………………!!」
通信越しの雑音すら、やけに耳に刺さる。
「……っ……」
声を出そうとしても、言葉にならない。
目の前の映像が、現実とは思えなかった。
リルが瓦礫に埋もれたまま、微動だにしない。カメラも何も映さない。
レイラとリル、ふたりの出血量は致死域に近い。
戦地では龍が、悠然とレイラたちに迫っていく。
その静寂が、空気を殺していた。
異型の龍は地を這うように、じり……じり……と距離を詰めていく。
血を辿るように、嗅ぎつけるように、獲物の最後の息を確かめるように。
その足元には、無残に倒れたレイラ。
「──だめッ!!」
その様子を察知したラショウは、恐怖心で足がすくみそうになりながらも、力を振り絞りレイラの元へ駆け出す。
そして背を丸め、庇うようにレイラに覆いかぶさった。
「……っ!!」
その隣で、刀を構えたまま龍を睨み、敵の動きに備える血まみれのアシュラ。
しかし誰も、目の焦点が合っていない。
声も、出ない。
ただ、本能だけが訴えている。
──死が、来る。
「っ……く、うう……」
震える手でレイラを引き寄せるラショウ。
けれど、足に力が入らない。もはや逃げることすら叶わない。
龍の顔面が、近づいてきた。
無数の目のような穴が、3人の姿を映し出していた。
その瞬間。
──ゴゴゴ…………
空気が、揺れる。
もしくは──空間そのものが、歪んだ。
森の一角から、重く鈍い音が響いた。
折れた木々が、ゆっくりと崩れていく。
舞い上がる砂塵の奥。
──そこに、それはいた。
モニター室でも、その異様な気配が届くようだった。
見たことのない程の異常な信号を示すバイタルサイン。
「……ッ、!」
セセラの目が、見開かれる。
灰色の煙に覆われた瓦礫の山から、“何か”が、立ち上がっていた。
──グズ……グチュ……
──バキ……ッ、バキバキッ……ゴキ……ッ……
骨が、作り直されている音。
皮膚が裂け、そこから黒い鱗が生まれてくる音。
そして何より、空気そのものが重く、全身を締め付けてくるような、禍々しい気配。
「え…………?」
セセラは震えた唇で呟く。
「……嘘だろ……リル……?」
無線の中で、セセラの鋭い声が響く。
『……アシュラ、現場の状況は? レイラのバイタルがぶっ飛んでる』
「…………っ……!」
アシュラは敵を見据えつつ、視線でレイラの様子を確認した。
横たわりながら声を上げずに、ただ必死に痛みに耐えるレイラの顔が見える。
「ッ、……レイラは……やられました。意識はありますが、どこか骨が……折れてるかもしれません」
『……最悪だな……』
短く吐息を漏らしたあと、セセラは別の画面を確認するような間を置き、今度はリルに呼びかけた。
『リルお前、今も制御装具着けたままだな』
「……ああ」
『そろそろ限界か? あれはお前の龍化進行速度が異常すぎて時間稼ぎで着けさせたものだ』
「わかってる」
『医療班が診断を躊躇ったぐらいだ……どうする?』
「…………」
リルは無言のまま、牙を噛みしめる。
──思い出す。
前回の任務帰還後の検査で、医療班の男性職員に言われた言葉。
『……このままじゃ、龍化の兆候が臓器レベルまで広がるかもしれません。下手に力を使えば、体が持たない可能性があります』
その言葉に、『制御装具は一時的に龍因子を抑えるだけ。抜本的な治療にはならないけど……一応、着けておこうね』と、あの金髪の女性職員──ラルトが続けていた。
あのときリルは、「なんでもいいよ」とぶっきらぼうに首を縦に振った。
なぜなら──。
(あの日レイラの暴走を止めたのは……オレだ。だからオレが呑まれちまうくらいなら──)
「まだだ……まだ外さねえ。このまま様子を見る。それで勝てるなら、それまでだろ」
『……了解。できればそれでいてくれ』
赤黒い装具が、再び微かな悲鳴のような音を上げた。
内側から蠢く龍因子が、リルの骨を、筋を、意識を、揺さぶっている。
一方で、異型の龍の動きは加速していた。
ラショウが応戦するも、僅かに遅れた反応を突かれ、左腕に裂傷を受ける。
「う、痛ッ……!!」
「ラショウ……!!」
アシュラの刀も、龍の外殻に深くは届かない。
レイラは草地の上で血を吐きながら意識を保とうとするが、もはや立てない。
苦しげな呼吸をひとつ吐いて、アシュラが歯を食いしばる。
「クソ……こいつ、何が弱点だ……!」
『……今のところ……不明。神経系の反応も、回避不能レベルで分裂してる。斬ろうが叩こうが……全部効いてる気配がねえ』
アシュラの声もセセラの声もどこか焦っていた。それでも冷静を保つように、続ける。
『ラショウ、動けるか? そっちの右後方にある岩影まで誘導できれば──』
「い、いえ……私じゃ、止められないかもしれません……」
『…………無理か』
「……ッ、……でも、レイラちゃんは、守りたいです……」
ラショウの声は震えていた。
涙を堪えるような声音。彼女も必死なのだ。
(私……なんでこんなに非力なの…………)
ラショウの視線の先──龍はアシュラたちではなくリルを見据えている。
──否、見据えているというよりも、呼応している。
何かが、互いの奥底で共鳴し始めていた。
「くそ……!!」
刀を構えたまま駆け出すアシュラ。
リルを注視する龍を斬りつける──が、爪の反撃を喰らい、アシュラの頭部から右肩に傷が走った。
「……ぁ、ッぐ……!!!」
鮮血が溢れる。
「…………ッ、…………!!」
アシュラの瞳ですら、痛みと焦燥の色が滲んだ。
この戦を愉しむ様子すら毛頭ない。
その中で、リルへ向けてセセラの無線が飛ぶ。
『……リル。もしお前が装具を外すなら……タイミングは今かもしれない』
「……それ、外せってことじゃねえかよ」
ふたりとも声が更に低く、深くなっていた。
(……もう、迷っている場合じゃねえ)
リルの意識の底に、咆哮のような衝動が渦巻いている。
──そしてゆっくりと片腕を持ち上げ、右腕の装具のロックを外した。
解錠した音がカチリと鳴った途端。
──バキバキバキバキッ!!
と、骨が軋む音が空気を裂いた。
「ッ……!!?」
リルの右腕が激しく痙攣し、その皮膚が裂けるように黒い鱗と甲殻が浮かび上がっていく。
しかし──。
「あッ!? ッぐ、っ、ゔ、はあッ、あ゙……ッ! 痛え……!!」
それは本人も予測できなかった激痛だった。
肘から先が、禍々しく、恐ろしく、異質に変貌する。
赤黒く染まった巨大な爪。指の関節はまるで骨ごと折れたかのような鋭角を描き、別の生き物のように蠢いていた。
「~~~~ッ!!!」
痛すぎる。もはや声も出ない。
片腕だけでもこんなに痛いのに──。
(……ッ、ダメだ、反対側も外さねえと、腕、爆発しちまいそうだ……ッ……)
左腕も同様に解錠して龍の腕へと変化させていく。
「……リル……!」
──リルの龍化の様子を見たアシュラの目が細くなっていた。
(……リル)
(……やっぱり……)
(以前までは……あんなに酷く禍々しいものじゃなかった……)
レイラの瞳にも、焦点が戻っていく。
「……ッ、なに……リル……?」
そして龍が、リルに反応する。
音も無く距離を詰めてくる。
その瞬間、リルの足元の地面が砕け、龍化した両腕が爆風のような勢いで空気を裂いた。
「ハアッ……ハアッ……、くそッ……吠え面かくなよ……バケモン……」
鋭く、低く、唸るような声。
リルが四肢を使って跳び込み、龍の側頭部へと爪を叩きつける。
刹那、甲殻が砕け、赤黒い液体が飛び散った。
「効いてる……! 今のは効いてるぞ!」
アシュラが叫ぶ。だが同時に、リルの龍化した腕からも血が流れていた。
「……く……ッ……」
まるで自分の細胞と相殺するように、龍因子が暴れている。
『リル……無理しすぎるなよ……! 抑えが外れたら、今のままじゃ済まねえぞ』
セセラの声は、少しだけ掠れていた。
リルは返事をしない。ただ、そのまま龍と対峙する。
呼吸が荒く、赤い瞳がじりじりと細くなる──それでもまだ、踏みとどまっていた。
「……はぁ、っ……ラショウ、大丈夫か」
肩で息をしながら、アシュラはラショウへと近づいていく。
「……兄様、怪我が…………っ……」
アシュラは頭から血を流し、右腕は肩から下がぶらりと垂れ、明らかに負傷していた。
それでも、刀を持ちながら、足を引きずりながら、リルの戦う背を見つめる。
(確かに、これは突破口になり得る。けど……)
(これ以上進行したら、もう戻れない……とか、無いよな……?)
(……リル…………)
──血が、地面に広がっていた。
「……は、っ……はッ…………」
レイラの呼吸は浅く、肺の奥が焼けるように痛んでいる。
脳裏に、かつての暴走の記憶がちらつく。
──呑まれんじゃねえ。
あのとき、リルはそう言ってくれた。
なら、今は──。
「……リル……っ」
震える声。か細く、けれど確かにリルに届かせるように。
「……お願い、もう……っ、それ以上は……っ!」
横になった状態のまま、レイラは手を伸ばした。
泥と血にまみれた指先が、震えるように宙を掴む。
リルはその声に、ほんの一瞬、動きを止めた。
「……ッ」
──怖い。
自分が、自分じゃなくなることが。
目の前の龍は、仲間を襲い、レイラたちを血に染めた存在。
しかし、それに対抗しようとする自分の中の龍は、果たして味方なのか。
その問いに、確かな答えは無い。
(あのとき……レイラを止めたくて、オレは……)
でも、それで本当に良かったのか。
あのレイラは“呑まれていた”のか、それとも──“救いを求めていた”のか。
背中で、外せない装具が軋む。
内臓が焼けるように熱く、血が逆流しそうなほど痛い。
『リル』
無線の先で、セセラがリルに問う。
『お前今どんな顔してる? どうにかなっちまいそうな顔してねえか?』
返事は無い。
『……お前怖がってるだろ』
「…………!」
リルの瞳が、揺れる。
『自分がどうなるかわからないまま、力を振るうのが、怖い』
『でもな、リル。今お前が止まったら、それで終わる』
「…………」
そんなことは、リルもわかっていた。
むしろ、リルが一番わかっている。
「……わかってるよ、んなこと……!!」
『……だよな……』
「でも……薊野さん、オレは……」
『俺だって怖ぇよ……!!』
「ッ……!」
『……お前が壊れるかもしれない。それを見てるだけなのが悔しい……』
「…………」
リルの唇は乾いていた。
吐息は震えて、言葉にならなかった。
──自分が自分じゃなくなる予感。
それでも、この手を止めれば、レイラたちは……。
「やめて……リルくん、お願い……!」
ラショウの叫びが、鋭く空気を切る。
リルが纏う空気は、まるで獣のようだった。
「リルくんは、私たちを守るために戦ってるんでしょう!? だったら、これ以上、リルくん自身が壊れちゃだめ……!!」
「……!!」
その声に、ほんの一瞬だけリルの動きが止まる。
──その瞬間。
龍が、爆発的な勢いで動く。
「──ッ!!」
尾か、脚か、それすら判別できない歪な肢体の一閃がリルに襲いかかっていた。
「あ゙……ッ──!!!」
まるで雷鳴のような衝撃が、空気を押し裂く。
──ドゴォォォンッ……!!
弾き飛ばされたリルの体──。
風を裂き、折れた木々と瓦礫の山へと強く叩きつけられた。
「リルくんッ──」
「……!!!」
叫ぼうとしたラショウとアシュラの喉からは、何の音も出なかった。
あまりの衝撃。あまりの光景。
ただ目の前で、リルの体は砕けた木の中へ、音を立てて沈んでいった。
リルに取り付けられていた小型中継カメラも、何も映さなくなる。
崩れ落ちた瓦礫。粉塵。
沈黙。
「…………!!」
その大きすぎる衝撃で、リルの背中にも着けられていた装具が──。
バキィッ……という異様な音と共に、砕けた。
直後。
赤黒い粒子が、微かに舞う。
「り……ルく、ん……?」
ラショウが、やっとのことで声を漏らす。
でも、何も返ってこない。
龍はその様子を一瞥し、何の感情も無く標的を切り替える。
──レイラたちへ。
「……!!」
レイラは、まだ地面に手をついたまま、ようやく体を起こしたところだった。
腕からも口元からも血が滴り、目はうまく開けられない。
ラショウも動き出そうとするが──膝が崩れた。
「……う、そ……でしょ……」
反撃なんて、できるはずもなかった。
「…………ッ」
アシュラも決死の表情で刀を構えるが、3人を庇わなくてはならない重圧に、冷静さが欠ける懸念すら抱いてしまう。
もう、誰も──動けない。
そして、遠く離れた機関のモニター室。
沈黙が、支配していた。
「…………」
セセラは硬直したまま、何も言えなかった。
「………………!!」
通信越しの雑音すら、やけに耳に刺さる。
「……っ……」
声を出そうとしても、言葉にならない。
目の前の映像が、現実とは思えなかった。
リルが瓦礫に埋もれたまま、微動だにしない。カメラも何も映さない。
レイラとリル、ふたりの出血量は致死域に近い。
戦地では龍が、悠然とレイラたちに迫っていく。
その静寂が、空気を殺していた。
異型の龍は地を這うように、じり……じり……と距離を詰めていく。
血を辿るように、嗅ぎつけるように、獲物の最後の息を確かめるように。
その足元には、無残に倒れたレイラ。
「──だめッ!!」
その様子を察知したラショウは、恐怖心で足がすくみそうになりながらも、力を振り絞りレイラの元へ駆け出す。
そして背を丸め、庇うようにレイラに覆いかぶさった。
「……っ!!」
その隣で、刀を構えたまま龍を睨み、敵の動きに備える血まみれのアシュラ。
しかし誰も、目の焦点が合っていない。
声も、出ない。
ただ、本能だけが訴えている。
──死が、来る。
「っ……く、うう……」
震える手でレイラを引き寄せるラショウ。
けれど、足に力が入らない。もはや逃げることすら叶わない。
龍の顔面が、近づいてきた。
無数の目のような穴が、3人の姿を映し出していた。
その瞬間。
──ゴゴゴ…………
空気が、揺れる。
もしくは──空間そのものが、歪んだ。
森の一角から、重く鈍い音が響いた。
折れた木々が、ゆっくりと崩れていく。
舞い上がる砂塵の奥。
──そこに、それはいた。
モニター室でも、その異様な気配が届くようだった。
見たことのない程の異常な信号を示すバイタルサイン。
「……ッ、!」
セセラの目が、見開かれる。
灰色の煙に覆われた瓦礫の山から、“何か”が、立ち上がっていた。
──グズ……グチュ……
──バキ……ッ、バキバキッ……ゴキ……ッ……
骨が、作り直されている音。
皮膚が裂け、そこから黒い鱗が生まれてくる音。
そして何より、空気そのものが重く、全身を締め付けてくるような、禍々しい気配。
「え…………?」
セセラは震えた唇で呟く。
「……嘘だろ……リル……?」
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処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
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タイトルは――
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王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
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断罪はエンタメへ。
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