70 / 133
第16話 その微かな光を信じて
第16話・3 リル、ごめんなさい
しおりを挟む
リルの目が開かれ、そして、また静かに閉じられる。
しかし、それは確かに意識の回復を意味していた。
観察室の別室のモニターが、僅かにアラートを発する。
【微弱な意識反応検知──再確認を要請】
【神経伝達確認──発話系統記録装置稼働】
【行動起因無し──安静状態継続】
ピピッ、と端末を操作していた女性職員の手が止まった。
「……えっ、発話ログが……」
レイラの後ろで、誰かが慌ただしく走る音。
すぐに白衣の人物たちが、観察室に飛び込んできた。
「入ります! 状態確認を──」
医療班の責任者が、すばやく数値をチェックしながら声を上げる。
「仮死状態からの意識回復を確認。神経伝達良好……!」
「脳波反応、覚醒初期段階。心拍、体温安定……!!」
別の研究班職員も、息を呑みながら。
「これ……マジで目覚めたんだ。あの状態から……!」
その声に、職員のひとりが小さく呟いた。
「やっぱり紫苑さんの声……届いてたんだ」
レイラは、ただリルの手を握り続ける。
興奮する周囲とは対照的に、レイラの気持ちは、ただひとつだった。
「……ありがとう……」
その一言は、誰に向けたものでもない。
でも、今、リルが生きているという事実への、何よりの感謝だった。
──その頃。
別室の中央モニターに、その変化が映し出されていた。
シエリはデータの波形を見ながら、そっと唇を開く。
「……ついに来たんだね」
隣ではセセラが白衣のポケットに手を突っ込んだまま。
それでも少しだけ、安堵したような表情。
「思ったより……ずっと早ぇな。てっきりあと1週間はかかるかと思ったのに」
「声が届くってことは、それだけ絆が深いってことだよ」
シエリはそう言って、そっとデータ画面を閉じる。
「……リルの観察は、フェーズ2に移行。緊急性は落としつつも、引き続き慎重に」
「了解。職員たちにも伝えとく」
「……でも、少しだけ本人の意思に寄り添う時間も……許可しよう」
セセラは目を軽く細めて、苦笑した。
「まったく……あいつら、手ェ焼かせやがる」
それでも、どこか救われたような空気が室内に広がっていた。
こうして、死線を越えた青年に対し、機関全体が再び期待という名の眼差しを向け始める。
それは、再出発の合図。
◇
──しばらくして。
リルの容態を確認しに観察室に集った職員たちは、リルに繋がれていた機械の設定を整え記録したのち、各々の持ち場へと急ぎ戻っていった。
部屋には、再びレイラとリルのふたりのみ。
「…………っ……」
リルの赤い瞳が、再びゆっくりと開かれる。
今度は、さっきよりもしっかりと光を捉えていた。
視界の中に、最初に映ったのは──。
「……リル……!」
目元を赤くしたレイラの顔。
「…………」
リルはぼんやりとした頭の中で、言葉を探すように口を開く。
「……ッ、……ぁ……オレ……」
「…………また……死にかけてた……?」
その言葉に、レイラはクスッと笑った。
「うん。……いつものこと」
冗談みたいな声で、でも涙はまだ引いていない。
「…………」
リルはゆっくりと視線を泳がせて、自分がコードで繋がれていることに気づく。
「……ダッサ」
ため息をついたようなその声に、レイラもようやく、ふっと力を抜いた。
「……ねぇリル、わかる? ……私の声、聞こえてた?」
リルは少し考えてから、瞼を伏せる。
「……なんか、遠くで呼ばれてる気がした。……あれ、お前の声だったのか」
レイラは、小さく頷いた。
「ありがとう。……応えてくれて」
リルは返事をしない。
けれど、レイラの手をそっと握り返すように、指が動いた。
その動作と温もりが、レイラにとっては何よりの言葉。
そのとき──静かに扉が開いた。
「……よぉ。起きたって聞いたんで、来てやったよ」
いつもの軽い調子の、セセラ。
レイラが顔を上げて微笑む。
「……薊野さん……! 来てくれたんだ」
リルも、少しだけ首を傾けて声をかける。
「……薊野さん、……顔……疲れてんな」
セセラは「誰かさんのせいでな」と口を尖らせて、リルの隣まで歩く。
その歩みは、どこかぎこちなく、重かった。
「…………」
そして、ベッドの傍で足を止めると──。
「……バカが」
そう一言だけ、低く呟く。
「…………ッ……」
そのすぐあとにセセラは顔を伏せた。
肩が、震える。
セセラの様子を見ていたレイラは、思わず目を見開く。
「……薊野さん?」
レイラの呼びかけに返事は無かった。
しかし、セセラの指先は震え、頬を伝うものが見えた。
「おい……」
「お前な……っ……!」
「ッ、どんだけ、どんだけ心配させりゃ気が済むんだよ……っ……!!」
掠れているセセラの声。
目を覆いもせず、涙を零しながら。
「俺、今回ばかりは……っ、もう……もう、二度と……って、思ったんだぞ、クソ……!!」
それは、レイラが初めて見るセセラの涙。
「……!!」
レイラは驚いたように見つめる。
そして──その姿に胸が熱くなり、堪えきれずにポロッと涙を流した。
「……私も、ダメだ……」
小さく笑いながら、レイラは袖で目元を拭う。
リルはそんなふたりを見て、どこか不思議そうな表情を浮かべていた。
やがて、ぼそっと。
「……泣かせてばっかだな、オレ」
けれど、それでもいいと思った。
今はこの温度が、何よりも生きている証なのだから。
涙を拭ったセセラは、鼻をすすりながらリルから目を逸らす。
「グスッ……、う……っ、……ちょっと外、出てくる……。煙草……いや、空気吸ってくる」
そう言いながらもどこか照れたように、セセラはそそくさと退出していった。
レイラもそれに続いて、そっとリルに声をかける。
「……じゃあ、私も行くね。また来る。……絶対」
それだけを言って、名残惜しそうにリルの手を離した。
──扉が静かに閉まる。
「…………」
室内に、再び静けさが戻る。
リルは天井をぼんやりと見上げていた。
しかし、その瞳もやがて、ゆっくりと閉じられていく。
瞼の裏で、いくつもの映像が浮かんでは消えた。
熱い血。
鉄の匂い。
誰かの泣き声。
崩れていった記憶の山の中で、それでもひときわ鮮やかだったのは。
──泣きながら笑ってた、レイラの顔だった。
(……レイラ)
どうして、あんなにもまっすぐなんだろう。
どうして、こんな自分なんかに……手を伸ばしてくれるんだろう。
(……やっぱ、オレにはもったいねぇな)
喉の奥で、微かに笑うような息が漏れた。
でも、今だけは少しだけ、信じてみたいとも思った。
──もう一度、生きてもいいのかもしれないって。
(……次は、ちゃんと……)
思考がゆっくりと溶けていく。
まるで、深く静かな水の中に沈んでいくように。
「…………」
機械の音は一定。心拍は穏やか。
リルはようやく、静かな安息へと身を委ねていく。
眠るその顔は、どこかあたたかく、微笑んでいるようにさえ見えた。
◇
施設の廊下には、昼の淡い光が射し込んでいた。
観察室の扉が背後で静かに閉まる。
レイラは前を歩き出すセセラの背中を見つめながら、そっと口を開いた。
「……薊野さん、泣いちゃったね」
「…………」
足を止めるセセラ。
ほんの少し肩を揺らし、振り向きもせずに答える。
「……あたりめーだろ。……泣いちまうよ、あんなん」
そして深く長いため息。
額に手をやり、そのまま壁にもたれかかると静かに声を出した。
「俺、最近……ずっとリルのことしか頭に無かった……」
「……うん。私も」
「……起きなかったらどうしようって、そればっか考えててさ。……はあ……、とりあえず、良かった……」
セセラの声は、どこまでも本音だった。
絞り出すような安堵に、レイラはそっと目を伏せる。
「……本当だね」
しばらく、ふたりの間に静寂が流れた。
やがてレイラが歩を進め、セセラの隣に並ぶ。
「あのね薊野さん……この前、リルと話したとき……こんなこと言ってたんだ」
「……?」
視線を向けるセセラ。
レイラの表情は、どこか遠くを見ていた。
──あの日。
機関を龍の襲撃から救った翌日、中庭で。
『……オレも、昔は……どうせまたすぐ死にかけるしって思ってた。なのに……今は、もうちょい生きてみてもいいかなって思うこと、ある』
その言葉に、セセラの目が僅かに見開かれた。
「……あいつ……そんなこと言ってたのか」
レイラは小さく頷く。
しかし、そこから言葉を続けるうちに──唇が震え始めた。
「リル……生きたがってた。……なのに、私は……リルにあんなことを、してしまった」
声が、徐々に詰まり始める。
目元には、もう涙が浮かんでいた。
「酷いこと……した。……あの日、私、リルの尊厳を守るために……、これ以上、リルが穢れないようにって……あんなこと……」
ポロッ……と涙が零れ落ちる。
それは、先程リルといたときの温かい涙とは違うもの。
「う、……薊野さん……っ……」
「…………」
レイラの声は、酷く掠れていた。
様子を察したセセラは姿勢を落として、レイラの目線に合わせる。
「私……あんなっ……酷いことしたのに……! ホントだったら、合わせる顔なんて無いはずなのに……、自分の勝手で……リルのこと見に行って……っ……」
止まらない嗚咽。
「私がっ……私が……ッ……、うっ、……殺したのにっ……」
その瞬間だった。
「……!」
レイラの膝が崩れそうになったところを、セセラが咄嗟に抱きとめた。
その腕にぎゅっと力がこもる。
「……レイラ……」
「なのに私の声に反応してくれて、っ、私、こんなッ、ううっ、ひっく、ひぐっ、……うっ、わたひがっ、りるを、ううっ、ころじたのにいッ……」
「……殺してねえよ。お前は」
セセラの手が、レイラの後頭部にまわった。
そのまま落ち着かせるように、優しくその頭を撫でる。
「なあ、レイラ……あのとき俺、お前に怒鳴っちまって……悪かったな」
「うっ、ひっく、ひぐっ……!」
「お前が一番責任感じて一番怖かったのにな。……俺もあのとき普通じゃなかった……ごめん」
「……うぅぅ……っ、えぅっ……!!」
「お前がさ……リルを救ったんだよ、間違いなく」
その言葉に、レイラは堰を切ったように泣き出した。
「うう、うっ、うわぁあああああん……!!」
子どものように、声を上げて泣く少女。
「……ありがとな、レイラ。怖かったよな……」
セセラは穏やかな表情のまま、その細い体を抱きしめ続けた。
「わぁああああぁああっ……!! りるっ、りる、ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ……!!」
誰も咎めず、誰も否定しない。
ただただ、泣きたいだけ泣けばいい。
その涙が、この子の罪を洗い流してくれるのなら。
セセラはいつまでもその小さな背を包み込むように支えていた。
◇
──その日の夕方。
西城家の広く静かな居間。
襖を開け放した先には、柔らかな夕陽が刺し込んでいる。
アシュラはいつものように背筋を伸ばして座っていた。
傷はまだ完全には癒えていない。
だが、その瞳は、どこか安堵に満ちていた。
その向かいには、ラショウ。
手元には湯気の立つお茶が置かれているが、口をつけた様子は無かった。
「……リルくん、完全に目を覚ましたんだね」
穏やかに、けれど少しだけ震えているラショウの声。
アシュラはゆっくり頷く。
「ああ。さっき連絡があった。意識はまだ浅いようだけど……確かに、自分の意思で目を開けたって」
ラショウは胸元を押さえるように、深く息を吐いた。
「……本当によかった……」
「…………」
ふと、視線を落とすアシュラ。
「……あいつが戻ってこなかったら……。俺は、一生、自分を許せなかったと思う」
その言葉に、ラショウは目を見開く。
「……兄様?」
アシュラは微かに笑って見せた。
自嘲のような、感情の誤魔化しのような笑み。
「あの任務だけじゃない……あいつに前線を任せてるのは……俺なんだよ。俺の判断が、あいつを死地に送り込んだんだとしたら……、西城家の当主としても友人としても、面目が無い」
「……!」
ラショウはそっとアシュラの隣に寄り、肩を並べる。
「でも、リルくんは戻ってきた。……きっと、兄様の願いも力になったんだよ」
「……!」
アシュラは、その言葉に小さく頷いた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
そして同じ頃。
龍調査機関の休憩ラウンジでは──。
「…………」
小さな花瓶の花を替えていたラルトが、ふと手を止めた。
扉の向こうから、誰かがそっとやってくる。
「……あれ? 薊野さん?」
セセラが無言で入ってきた。
白衣の下に着ているタートルネックの袖ごと捲り、少しだけ顔を伏せている。
「リルくん、起きたって聞いたけど……どうだった?」
ラルトの問いに、セセラは一拍置いてから──ゆっくりと顔を上げた。
そして、小さく。
「……最高だったよ」
その言葉だけで、すべてが伝わる。
微笑んだラルトは、「うん……!」と、優しく答えた。
「……薊野さん、お疲れさま」
「…………ん」
倒れ込むようにソファにもたれるセセラ。
そしてそのまま、ボフッと勢いよく座面に体を横たえた。
「…………ちょっと……寝る…………」
「ええ~? ここで?」
そう言いながらラルトは、セセラの顔を覗き込む。
「…………」
眼鏡も外さずに睡魔に抗えない様子。
そして、その目元には薄らと泣いたような痕。
(薊野さんったら、本当にあの子たちのこと好きなんだから)
ふと、ラルトは横たわるセセラの頭を軽く撫でた。するとすぐに「やめろや」という低い声が返ってくる。
「ふふ……♪ 眼鏡かけたまま寝たら、危ないよ?」
「……っせーな……、疲れてんだよ……」
静かな休憩室。
ふたりの表情も、このときは子どものように無邪気だった。
──夕暮れの龍調査機関。
ひとり、またひとりと、人々の表情が柔らかくなっていく。
紅崎リルが生きているという奇跡が、確かに皆を救っていた。
しかし、それは確かに意識の回復を意味していた。
観察室の別室のモニターが、僅かにアラートを発する。
【微弱な意識反応検知──再確認を要請】
【神経伝達確認──発話系統記録装置稼働】
【行動起因無し──安静状態継続】
ピピッ、と端末を操作していた女性職員の手が止まった。
「……えっ、発話ログが……」
レイラの後ろで、誰かが慌ただしく走る音。
すぐに白衣の人物たちが、観察室に飛び込んできた。
「入ります! 状態確認を──」
医療班の責任者が、すばやく数値をチェックしながら声を上げる。
「仮死状態からの意識回復を確認。神経伝達良好……!」
「脳波反応、覚醒初期段階。心拍、体温安定……!!」
別の研究班職員も、息を呑みながら。
「これ……マジで目覚めたんだ。あの状態から……!」
その声に、職員のひとりが小さく呟いた。
「やっぱり紫苑さんの声……届いてたんだ」
レイラは、ただリルの手を握り続ける。
興奮する周囲とは対照的に、レイラの気持ちは、ただひとつだった。
「……ありがとう……」
その一言は、誰に向けたものでもない。
でも、今、リルが生きているという事実への、何よりの感謝だった。
──その頃。
別室の中央モニターに、その変化が映し出されていた。
シエリはデータの波形を見ながら、そっと唇を開く。
「……ついに来たんだね」
隣ではセセラが白衣のポケットに手を突っ込んだまま。
それでも少しだけ、安堵したような表情。
「思ったより……ずっと早ぇな。てっきりあと1週間はかかるかと思ったのに」
「声が届くってことは、それだけ絆が深いってことだよ」
シエリはそう言って、そっとデータ画面を閉じる。
「……リルの観察は、フェーズ2に移行。緊急性は落としつつも、引き続き慎重に」
「了解。職員たちにも伝えとく」
「……でも、少しだけ本人の意思に寄り添う時間も……許可しよう」
セセラは目を軽く細めて、苦笑した。
「まったく……あいつら、手ェ焼かせやがる」
それでも、どこか救われたような空気が室内に広がっていた。
こうして、死線を越えた青年に対し、機関全体が再び期待という名の眼差しを向け始める。
それは、再出発の合図。
◇
──しばらくして。
リルの容態を確認しに観察室に集った職員たちは、リルに繋がれていた機械の設定を整え記録したのち、各々の持ち場へと急ぎ戻っていった。
部屋には、再びレイラとリルのふたりのみ。
「…………っ……」
リルの赤い瞳が、再びゆっくりと開かれる。
今度は、さっきよりもしっかりと光を捉えていた。
視界の中に、最初に映ったのは──。
「……リル……!」
目元を赤くしたレイラの顔。
「…………」
リルはぼんやりとした頭の中で、言葉を探すように口を開く。
「……ッ、……ぁ……オレ……」
「…………また……死にかけてた……?」
その言葉に、レイラはクスッと笑った。
「うん。……いつものこと」
冗談みたいな声で、でも涙はまだ引いていない。
「…………」
リルはゆっくりと視線を泳がせて、自分がコードで繋がれていることに気づく。
「……ダッサ」
ため息をついたようなその声に、レイラもようやく、ふっと力を抜いた。
「……ねぇリル、わかる? ……私の声、聞こえてた?」
リルは少し考えてから、瞼を伏せる。
「……なんか、遠くで呼ばれてる気がした。……あれ、お前の声だったのか」
レイラは、小さく頷いた。
「ありがとう。……応えてくれて」
リルは返事をしない。
けれど、レイラの手をそっと握り返すように、指が動いた。
その動作と温もりが、レイラにとっては何よりの言葉。
そのとき──静かに扉が開いた。
「……よぉ。起きたって聞いたんで、来てやったよ」
いつもの軽い調子の、セセラ。
レイラが顔を上げて微笑む。
「……薊野さん……! 来てくれたんだ」
リルも、少しだけ首を傾けて声をかける。
「……薊野さん、……顔……疲れてんな」
セセラは「誰かさんのせいでな」と口を尖らせて、リルの隣まで歩く。
その歩みは、どこかぎこちなく、重かった。
「…………」
そして、ベッドの傍で足を止めると──。
「……バカが」
そう一言だけ、低く呟く。
「…………ッ……」
そのすぐあとにセセラは顔を伏せた。
肩が、震える。
セセラの様子を見ていたレイラは、思わず目を見開く。
「……薊野さん?」
レイラの呼びかけに返事は無かった。
しかし、セセラの指先は震え、頬を伝うものが見えた。
「おい……」
「お前な……っ……!」
「ッ、どんだけ、どんだけ心配させりゃ気が済むんだよ……っ……!!」
掠れているセセラの声。
目を覆いもせず、涙を零しながら。
「俺、今回ばかりは……っ、もう……もう、二度と……って、思ったんだぞ、クソ……!!」
それは、レイラが初めて見るセセラの涙。
「……!!」
レイラは驚いたように見つめる。
そして──その姿に胸が熱くなり、堪えきれずにポロッと涙を流した。
「……私も、ダメだ……」
小さく笑いながら、レイラは袖で目元を拭う。
リルはそんなふたりを見て、どこか不思議そうな表情を浮かべていた。
やがて、ぼそっと。
「……泣かせてばっかだな、オレ」
けれど、それでもいいと思った。
今はこの温度が、何よりも生きている証なのだから。
涙を拭ったセセラは、鼻をすすりながらリルから目を逸らす。
「グスッ……、う……っ、……ちょっと外、出てくる……。煙草……いや、空気吸ってくる」
そう言いながらもどこか照れたように、セセラはそそくさと退出していった。
レイラもそれに続いて、そっとリルに声をかける。
「……じゃあ、私も行くね。また来る。……絶対」
それだけを言って、名残惜しそうにリルの手を離した。
──扉が静かに閉まる。
「…………」
室内に、再び静けさが戻る。
リルは天井をぼんやりと見上げていた。
しかし、その瞳もやがて、ゆっくりと閉じられていく。
瞼の裏で、いくつもの映像が浮かんでは消えた。
熱い血。
鉄の匂い。
誰かの泣き声。
崩れていった記憶の山の中で、それでもひときわ鮮やかだったのは。
──泣きながら笑ってた、レイラの顔だった。
(……レイラ)
どうして、あんなにもまっすぐなんだろう。
どうして、こんな自分なんかに……手を伸ばしてくれるんだろう。
(……やっぱ、オレにはもったいねぇな)
喉の奥で、微かに笑うような息が漏れた。
でも、今だけは少しだけ、信じてみたいとも思った。
──もう一度、生きてもいいのかもしれないって。
(……次は、ちゃんと……)
思考がゆっくりと溶けていく。
まるで、深く静かな水の中に沈んでいくように。
「…………」
機械の音は一定。心拍は穏やか。
リルはようやく、静かな安息へと身を委ねていく。
眠るその顔は、どこかあたたかく、微笑んでいるようにさえ見えた。
◇
施設の廊下には、昼の淡い光が射し込んでいた。
観察室の扉が背後で静かに閉まる。
レイラは前を歩き出すセセラの背中を見つめながら、そっと口を開いた。
「……薊野さん、泣いちゃったね」
「…………」
足を止めるセセラ。
ほんの少し肩を揺らし、振り向きもせずに答える。
「……あたりめーだろ。……泣いちまうよ、あんなん」
そして深く長いため息。
額に手をやり、そのまま壁にもたれかかると静かに声を出した。
「俺、最近……ずっとリルのことしか頭に無かった……」
「……うん。私も」
「……起きなかったらどうしようって、そればっか考えててさ。……はあ……、とりあえず、良かった……」
セセラの声は、どこまでも本音だった。
絞り出すような安堵に、レイラはそっと目を伏せる。
「……本当だね」
しばらく、ふたりの間に静寂が流れた。
やがてレイラが歩を進め、セセラの隣に並ぶ。
「あのね薊野さん……この前、リルと話したとき……こんなこと言ってたんだ」
「……?」
視線を向けるセセラ。
レイラの表情は、どこか遠くを見ていた。
──あの日。
機関を龍の襲撃から救った翌日、中庭で。
『……オレも、昔は……どうせまたすぐ死にかけるしって思ってた。なのに……今は、もうちょい生きてみてもいいかなって思うこと、ある』
その言葉に、セセラの目が僅かに見開かれた。
「……あいつ……そんなこと言ってたのか」
レイラは小さく頷く。
しかし、そこから言葉を続けるうちに──唇が震え始めた。
「リル……生きたがってた。……なのに、私は……リルにあんなことを、してしまった」
声が、徐々に詰まり始める。
目元には、もう涙が浮かんでいた。
「酷いこと……した。……あの日、私、リルの尊厳を守るために……、これ以上、リルが穢れないようにって……あんなこと……」
ポロッ……と涙が零れ落ちる。
それは、先程リルといたときの温かい涙とは違うもの。
「う、……薊野さん……っ……」
「…………」
レイラの声は、酷く掠れていた。
様子を察したセセラは姿勢を落として、レイラの目線に合わせる。
「私……あんなっ……酷いことしたのに……! ホントだったら、合わせる顔なんて無いはずなのに……、自分の勝手で……リルのこと見に行って……っ……」
止まらない嗚咽。
「私がっ……私が……ッ……、うっ、……殺したのにっ……」
その瞬間だった。
「……!」
レイラの膝が崩れそうになったところを、セセラが咄嗟に抱きとめた。
その腕にぎゅっと力がこもる。
「……レイラ……」
「なのに私の声に反応してくれて、っ、私、こんなッ、ううっ、ひっく、ひぐっ、……うっ、わたひがっ、りるを、ううっ、ころじたのにいッ……」
「……殺してねえよ。お前は」
セセラの手が、レイラの後頭部にまわった。
そのまま落ち着かせるように、優しくその頭を撫でる。
「なあ、レイラ……あのとき俺、お前に怒鳴っちまって……悪かったな」
「うっ、ひっく、ひぐっ……!」
「お前が一番責任感じて一番怖かったのにな。……俺もあのとき普通じゃなかった……ごめん」
「……うぅぅ……っ、えぅっ……!!」
「お前がさ……リルを救ったんだよ、間違いなく」
その言葉に、レイラは堰を切ったように泣き出した。
「うう、うっ、うわぁあああああん……!!」
子どものように、声を上げて泣く少女。
「……ありがとな、レイラ。怖かったよな……」
セセラは穏やかな表情のまま、その細い体を抱きしめ続けた。
「わぁああああぁああっ……!! りるっ、りる、ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ……!!」
誰も咎めず、誰も否定しない。
ただただ、泣きたいだけ泣けばいい。
その涙が、この子の罪を洗い流してくれるのなら。
セセラはいつまでもその小さな背を包み込むように支えていた。
◇
──その日の夕方。
西城家の広く静かな居間。
襖を開け放した先には、柔らかな夕陽が刺し込んでいる。
アシュラはいつものように背筋を伸ばして座っていた。
傷はまだ完全には癒えていない。
だが、その瞳は、どこか安堵に満ちていた。
その向かいには、ラショウ。
手元には湯気の立つお茶が置かれているが、口をつけた様子は無かった。
「……リルくん、完全に目を覚ましたんだね」
穏やかに、けれど少しだけ震えているラショウの声。
アシュラはゆっくり頷く。
「ああ。さっき連絡があった。意識はまだ浅いようだけど……確かに、自分の意思で目を開けたって」
ラショウは胸元を押さえるように、深く息を吐いた。
「……本当によかった……」
「…………」
ふと、視線を落とすアシュラ。
「……あいつが戻ってこなかったら……。俺は、一生、自分を許せなかったと思う」
その言葉に、ラショウは目を見開く。
「……兄様?」
アシュラは微かに笑って見せた。
自嘲のような、感情の誤魔化しのような笑み。
「あの任務だけじゃない……あいつに前線を任せてるのは……俺なんだよ。俺の判断が、あいつを死地に送り込んだんだとしたら……、西城家の当主としても友人としても、面目が無い」
「……!」
ラショウはそっとアシュラの隣に寄り、肩を並べる。
「でも、リルくんは戻ってきた。……きっと、兄様の願いも力になったんだよ」
「……!」
アシュラは、その言葉に小さく頷いた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
そして同じ頃。
龍調査機関の休憩ラウンジでは──。
「…………」
小さな花瓶の花を替えていたラルトが、ふと手を止めた。
扉の向こうから、誰かがそっとやってくる。
「……あれ? 薊野さん?」
セセラが無言で入ってきた。
白衣の下に着ているタートルネックの袖ごと捲り、少しだけ顔を伏せている。
「リルくん、起きたって聞いたけど……どうだった?」
ラルトの問いに、セセラは一拍置いてから──ゆっくりと顔を上げた。
そして、小さく。
「……最高だったよ」
その言葉だけで、すべてが伝わる。
微笑んだラルトは、「うん……!」と、優しく答えた。
「……薊野さん、お疲れさま」
「…………ん」
倒れ込むようにソファにもたれるセセラ。
そしてそのまま、ボフッと勢いよく座面に体を横たえた。
「…………ちょっと……寝る…………」
「ええ~? ここで?」
そう言いながらラルトは、セセラの顔を覗き込む。
「…………」
眼鏡も外さずに睡魔に抗えない様子。
そして、その目元には薄らと泣いたような痕。
(薊野さんったら、本当にあの子たちのこと好きなんだから)
ふと、ラルトは横たわるセセラの頭を軽く撫でた。するとすぐに「やめろや」という低い声が返ってくる。
「ふふ……♪ 眼鏡かけたまま寝たら、危ないよ?」
「……っせーな……、疲れてんだよ……」
静かな休憩室。
ふたりの表情も、このときは子どものように無邪気だった。
──夕暮れの龍調査機関。
ひとり、またひとりと、人々の表情が柔らかくなっていく。
紅崎リルが生きているという奇跡が、確かに皆を救っていた。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる