PLANET 〜あの星空をまた君と〜

こもりひなせ

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My favourite fragrance

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ふわり…と鼻腔をくすぐる甘い香りに目が覚めた。
「んん…?」
うっすら眼を開けたあたしの目の前には白くてなめらかなおなか。
(ああ、潤ちゃんの匂いか…)

今日は水曜日。
PLANETの定休日、つまり週に一回の潤ちゃんのお休みの日。
それで昨日は仕事の後PLANETに行って、潤ちゃんのマンションに一緒に帰ってきたのだ。
それから一緒に寝た訳なんだけど、まあそれはいい。
6月の夜は窓を開けて寝ると(さすがに4階の窓から入ってくる泥棒はいないだろうけど補助錠は使っている)明け方寒いし、閉め切って寝るのも暑い。
なかなか難儀な季節だ。
昨日は結局窓を閉めて寝て、結果ムシムシして目が覚めた…というところだろう。
あたしは布団の中から手を伸ばすと枕もとに置いていたペットボトルをさぐる。
自分でも起きればいいのに、と思うけど潤ちゃんの腕があたしの背中にまわっていて動けない。
…と、いうか離れるのが惜しい。
結局ペットボトルは見つからず諦めたあたしは目の前の潤ちゃんの汗ばんだおなかを眺める。
いや、汗までいい匂いってすごくない?
あたしの汗なんか臭いだけなのにズルいよね。
思わずペロリと汗を舐めると潤ちゃんが小さく身をよじる。
面白くて何回か繰り返して、満足して寝よと思った時、いつの間にかあたしはまた眠りに落ちていた。

その次は、キッチンで潤ちゃんが料理をする物音、そしていい香りで目が覚めた。
のそりと体を起こしてキッチンを見ると潤ちゃんが笑顔でフライパンからオムレツをお皿に移すところだった。
「おはよ、佑璃」
「おはよう、潤ちゃん…」
あたしは枕もとのペットボトルを手に取って口をつける。
温くなっていた水が喉を通ると少し意識がはっきりしてくる。
「すぐごはん食べる?」
「うん、ありがと」
潤ちゃんは手際よくベッドサイドのテーブルを片づけて朝食の準備をする。
メニューはカリッと焼いたパンにしめじとねぎ入りのオムレツ、それに果物。あとは常備してある蜂蜜とかヨーグルトとか見慣れた瓶が並ぶ。
「はい、佑璃」
それから、豆から挽いた濃い目のコーヒー。
「ありがと」
あたしは普段ひと瓶398円のインスタントコーヒーを飲んでいるのでこのコーヒーが本当に嬉しい。
すぅっと息を吸い込むとコーヒーのいい香りが体を満たす。
そのままひとくち。
「美味しい」
「よかった。さ、食べよ」
潤ちゃんも自分のコーヒーを淹れてきて隣に座る。
「いただきます」
ふたりで両手を合わせて食事をする。
どれもとてもおいしい。
あたしの好みに合わせてくれているのもあるんだろうけど、もともと潤ちゃんの料理は好みのど真ん中なのだ。
それこそ、その味が好きでPLANETに通っていたから今があるくらいに。
「ご馳走さま。今日も美味しかった」
「お粗末さまでした。ふふっ…」
「どうしたの?」
「佑璃がぼくのごはん美味しそうに食べてくれるのが幸せだなって」
「なに?いきなり…」
「思っただけ。コーヒーもう一杯飲む?」
「欲しい。ありがと」
あたしの言葉に、潤ちゃんは嬉しそうにコーヒーを淹れてくれた。

「じゃあ、ちょっとだけ行ってくるね」
朝食を終えて身支度を整えたあたしは玄関にいた。
今日はもともと実家に用があって平日に有休をとっていたのだ。
実家へはあたしのマンションよりも潤ちゃんのマンションの方が行きやすい。
もちろん潤ちゃんと一緒にいたかったのが一番なんだけど、それもあって昨日はここに泊めてもらったのだ。
(さっと行って帰ってきて、潤ちゃんとお昼食べよう!)
気合を入れたあたしを潤ちゃんが玄関まで見送りにきてくれる。
「ね、佑璃さえよければ一緒に住まない?」
「またその話?」
あたしは小さく笑ってしまう。
潤ちゃんは最近、あたしが潤ちゃんのマンションを出るとき寂しそうにこの話題を持ち出す。
「そんなことしたら潤ちゃんストレスで死ぬよ?」
冗談めかしてそう言ったが、半分は本音だ。
「そんなことないよ」
「だって潤ちゃん、あたしの身の回りのこと全部してくれる気なんでしょ」
あたしは家事が苦手…とは自分では思っていないんだけど、どうしても雑なところがある。
あたしよりずっと労働時間が長いはずの潤ちゃんは家事にもしっかり時間をとって綺麗に暮らしている。
でも、あたしはそうじゃない。もちろん生活していてごみが目に入るのは嫌だからそこまで散らかしてはいないつもりだ。
ただし、繁忙期は別だ。
「だって、佑璃が忙しい時ぼくが仕事以外の部分をサポートすれば仕事に集中できるでしょ?」
これなのだ。
繁忙期はもう本当に終電帰りが続き、家は帰って寝るだけの場所になる。
ごみの片づけも洗濯ものも週末まで溜めて一気に済ませる。
前に一度心配した潤ちゃんが作り置きのおかずを差し入れに家まで持ってきてくれたことがあった。
その時の潤ちゃんの驚いた顔と言ったらなかった(笑)。
人間って驚いた時本当に口を開けるんだなって思った。
「それ潤ちゃんにメリットないじゃん」
そう。一方的に潤ちゃんの負担が増えるだけ。だから、ずっとはぐらかしている。
「佑璃と毎日一緒にいられるのはメリットじゃないの?」
「違うでしょ。ただでさえ短い睡眠時間が悲惨なことになるよ」
あたしは9時18時。潤ちゃんは営業時間は17時から24時だけど、仕込みで昼過ぎにはPLANETに行く。
その前に家事や運動をしているから睡眠時間はもともと短い。
その上あたしが転がり込んだら絶対にあたしが出社するときには起きている。睡眠時間は半減するだろう。
「そのぶん佑璃の顔を見ていられるんだから、やっぱりぼくにはメリットだよ」
気持ちは嬉しいんだけど、やっぱりメリットじゃないよそれ。
「少しの間ならいいだろうけど、ずっと続くと絶対しんどいよ」
あたしは仕事にやりがいを感じているし、潤ちゃんのために仕事を調整することも出来ない。
もし出来たとしても、潤ちゃんは絶対に止めてくる。
だから、今その選択肢は取れないのだ。
「じゃ、行ってきます」
あたしは笑顔で話を打ち切った。
潤ちゃんは何か言いたそうにしていたが、笑顔で手を振ってくれた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
それがあんまり可愛かったから——。
あたしは潤ちゃんの頬に軽いキスをして、そのまま家を出た。

「また断られちゃった…」
頬に残る佑璃のやわらかい感触にドキドキしながらぼくはため息をついた。
分かっている。佑璃が同棲を断るのは嫌だからじゃない。
ぼくに対する負担を考えてくれているのだ。
確かに佑璃が言うように、ぼくはぼくの時間を使って佑璃の生活部分を支えようとしている。
でもこれは、ぼくたちが先に進むためには避けては通れない課題だ。
もしかしたら、佑璃には先なんてないのかも知れないけどさ…。
でも、ぼくは佑璃ともっと先に進みたい。

前に、佑璃が仕事の繁忙期に1か月くらいお店に顔を見せなかったことがある。
つい心配になって冷凍して置いておけるおかずを作って佑璃の家に差し入れに行ったんだけど…。
佑璃のマンションの扉を開けた時、――換気も出来ていなかったのだろう。佑璃の香りがぼくの全身を貫いた。
甘くて、思わずぼうっとしてしまうくらい濃い佑璃の香り。
普段の佑璃の家は清潔な石鹸の香りがしている。
だけど、その日は佑璃の汗や体臭…、ナマの香りが部屋にこもっていた。
——汗までこんなに甘いなんて、佑璃ってすごい。
匂いの相性がいい相手は遺伝子的にも相性がいいという。
それなら、ぼくと佑璃の相性は悪くないはずだ。
一緒に暮らしても、きっとうまく行く。
でも、佑璃を納得させるには何かしら佑璃が納得してくれるメリットを示す必要があるのだろう。
ぼくからしたら佑璃のために朝起きることは問題じゃない。
どうしても辛いときは佑璃を送り出してから二度寝すればいい。
でも、そういうことじゃないんだろうな…。
「とにかく、買い物スーパー行こ…」
ぼくは小さくため息をついて買い物に出た。

玄関の前であたしは小さく息を吐いて玄関を開けた。
「ただいま」
ここは、あたしが就職までずっと過ごしていた家。本来なら自分のマンションを除けば一番落ち着ける場所であるはずだ。
なのに、ここに来るのは緊張する。
理由ははっきりしている。
「おお、佑璃ちゃんおかえり」
——この男だ。
母の再婚相手、あたしの養父。
あたしが10代の中頃、父と離婚してすぐ母はこの男を恋人として紹介した。いずれは再婚することも。
母と離婚した父とはたまに面会していたのだが、やがて父も再婚することになりあたしも会いに行くのをやめた。
この男はそれからすぐに母との同棲を始めた。つまり、あたしも一緒だ。
母はこの家で本当にしあわせそうだったし、あたしのことも心から愛して育ててくれた。
だからこそ、言えなかった。
この男が、あたしを———

あたしを性的な目で見ていたことを。

あの時、もし母に助けを求めていたらきっと母はこの男と別れてあたしを守ってくれたと思う。
でも、できなかった。
父と母の結婚生活の末期、母は毎日泣いていた。
その母がこの男の前では安心し切った笑顔を向けていたのだ。
その笑顔を奪うことになる。
「ただいま、お養父とうさん。お母さんは?」
苦い思い出に胸のむかつきをおぼえつつあたしは笑顔で養父に尋ねる。
「おお、二階だよ。ついてきなさい」
背を向けて歩いていく養父。振り返るその一瞬、養父の視線が胸をかすめたのにあたしは気づいていた。

でも、ここでは何も気づいてはいけないのだ。

あたしにはともかく、この男は母にとっては優しい最愛の夫なのだ。
それに、もうあたしもいい大人だ。自分の力で生きていける。この男を恐れる必要はない。
養父の整髪料の匂いに吐き気をおぼえつつ、あたしはさっさと母の用事を済ませて潤ちゃんのマンションに帰ろうと心に決めた。

「ただいまー、あー疲れたー」
用事を終えて潤ちゃんのマンションに帰ると玄関に置いてある柑橘系の芳香剤の香りがふわりと漂う。
その香りにふっと力が抜ける。
「おかえり。佑璃、お疲れさま…ってどうしたの?」
力が抜けて玄関にしゃがみこんでいたあたしに潤ちゃんが心配そうに視線を向ける。
「この香りを嗅いでやっと帰ってきたなーって思っただけ。いい香りだよねこれ。レモン?」
「さあ…、安かった時に箱買いしただけだから。シトラス系?」
「あはは…、潤ちゃんそういうとこあるよね。ほら、ヨガマットをキッチンマットにしたり変にズボラなとこ」
「むー」
(むーって何?かわいい…)
「ゆ、佑璃の家も石鹸のいい香りするよね!あれなに?」
「石鹸? …ああー、潤ちゃんが来る時は家じゅう〇ァブってるだけだよ」
「フ〇ブ…」
思わず顔を見合わせてふたりで爆笑してしまう。

(ああ、落ち着く。いつの間にかあたしの家ってここになってたのかもね…)
あたしは笑いながら靴を脱いで、潤ちゃんの部屋に上がった。

=====
pixivに載っているのはここまでです。あちらでは「彼女の香り」というタイトルで上げていました。
原題だと全然読まれなかったので和訳しました(笑)。
この後は最終話に入りますが、まだ書いている途中なので発表までは少し時間がかかります。お待ちいただけたら幸いです。
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