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しあわせのうさぎ
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「わぁー、真っ赤な瞳だねー」
「うきゅ?」
リィテはそう言って、小さなうさぎ獣人を抱き上げた。
リィテは牧場の娘で今年5歳になる。よく変わる表情と子どもらしい明るさで牧場のマスコットのような存在だ。
「この子軽いー」
うさぎ獣人の暖かさにふんわりした気分になりながらリィテは目を輝かせる。
「きゅ?」
うさぎ獣人は不思議そうな顔でリィテを見ている。
「お父さん!かわいい!」
くるりと背後を振り返るとリィテの父親が微笑ましそうに眼を細めている。
「そうだろう。この子は白うさぎの獣人だ。今日から一緒に暮らすことになる」
「一緒に…」
父親の言葉に、リィテは目を輝かせる。
つんつんとうさぎ獣人のほっぺをつついてみると、うさぎ獣人は嫌そうに顔をそむけたる。
そのしぐさが面白くてリィテはつんつんを繰り返す。
「…きゅー!」
「あ、コラあばれないで!」
うさぎ獣人はじたばた暴れるとリィテの腕から飛び降り机の陰に隠れてしまう。
「そこまで」
父親が笑いながらひょいとリィテを抱き上げる。
「あの子をごらん、耳が寝ているだろう?あれはリィテに怯えているんだよ」
「なんで?」
「むりやりつっついたからさ」
そう言って父親はリィテの顔に頬を擦りつけた。
今朝剃ったばかりのひげが少し伸び出していて、ザリザリとリィテのやわらかいほっぺを擦る。
「痛いよ!」
「だろ?」
父親の言葉にリィテはハッとしたようにうさぎ獣人を見た。
うさぎ獣人は低く身を伏せたまま真っ赤な瞳でリィテを見上げている。
「ごめんなさい」
謝るリィテに父親はやわらかく笑って、よいしょと下ろしてくれる。
リィテはそのままうさぎ獣人に駆け寄り頭を下げた。
「ごめんね…」
そう言って、ハッとしたようにリィテは父親のほうを振り返る。
「ねえ、この子のお名前は?」
「この子は、いちご…」
「いちごちゃん!」
リィテはガバッとうさぎ獣人を抱きしめる。
「ごめんね!いちごちゃん!」
しばらく逃げようとじたばたしていたうさぎ獣人は、謝り続けるリィテの腕の中でやがて大人しくなる。
「…きゅー」
声を上げたうさぎ獣人の顔をリィテが見ると、うさぎ獣人はリィテの涙をぺろりと舐めてくれる。
「いちごちゃん…」
気が付けばうさぎ獣人の耳はピンと立っていた。
「いちごちゃん!これからよろしくね!」
そう言って、リィテはうさぎ獣人をぎゅっと抱きしめた。
***
「懐かしい夢見たわー」
まだ朝日の昇る前、リィテはあくびをしてベッドの中で体を伸ばした。
そのまますぐわきに視線を向けると、
そこには真っ白でふわふわのうさぎ獣人がスヤスヤ眠っていた。
「苺みたいな瞳のいちごちゃん、か」
リィテは目を細めるとうさぎ獣人の頭をふわっと撫でて、スルリとベッドを抜け出した。
うさぎ獣人と暮らすようになってもう11年。リィテはすっかり大きくなった。
パジャマをポイッと脱ぎ捨て下着姿になると弾む胸をシャツとオーバーオールに押し込んで鏡の前で栗色の髪を結わえた。
そのまま自室を出て階下に降りると両親はすでに起き出していた。
「おはよ」
「おはよう、リィテ」
「お水まだでしょ。汲んでくるよ」
言いながらリィテは水桶を手にとると、裏口から外に出た。
朝の寒気が肌を刺す。
まだ日は登り切っておらず気温は低い。
とはいえ、これから何度も台所の水がめと井戸を往復すればすぐに暑くなることをリィテはよく知っている。
リィテは水桶の取っ手を握り直すと井戸に向かった。
「あ、お疲れさま」
水桶がいっぱいになる頃、父親が家畜へ朝の給餌を終えて厩舎から戻ってくる。
そうしたら朝食の時間だ。
父親は配達された新聞を持って食卓に現れた。
母親は作り終えた朝食を食卓にセッティングしている。
カリカリに焼いたパンと新鮮な野菜、それに牧場で作っているベーコンとホットミルクだ。
「今日の糧に感謝します。いただきます」
食前に簡単なお祈りをすると食事が始まる。
朝から汗をかいたから塩気の強いベーコンがおいしい。
リィテがパンをちぎってホットミルクにひたして食べているとトコトコと小さな足音が近づいてくる。
「きゅー」
「おはよ、いちご」
かわいい鳴き声に微笑んで視線を向けると、真っ白ふわふわなうさぎ獣人がまんまるな目でリィテを見ていた。
小さかったうさぎ獣人の赤ちゃんもすっかり大きくなっていた。
ふわふわで真っ白な冬毛と苺色の真っ赤な瞳は変わらず愛らしい。
ただのうさぎではなくうさぎ獣人なのでしっかりと二本の足で立っており、素朴な白い貫頭衣を着せられている。
「にんじんスティック食べる?」
「きゅー♪」
リィテがうさぎ獣人の朝ごはん用に用意したにんじんスティックを差し出すと、うさぎ獣人はパクッと食いついた。
かわいい仕草にリィテは微笑む。
「はい、あとはひとりで食べてねー」
「きゅ」
うさぎ獣人はリィテの隣の席に座ると、おいしそうににんじんスティックを食べていく。
食欲も旺盛だ。
「お父さん、何か悪いことでも書いてあるの?」
ふと、新聞を読んで苦い顔をしている父親にリィテは不思議そうに尋ねた。
「お貴族様でまた婚約破棄があったらしい」
「またー? お貴族様って婚約破棄好きだよねぇ」
あんまりなリィテの物言いに父親は笑ってしまう。
「いや、好きなわけではないとは思うがねぇ…」
「で、今度はどなた?」
「アンヴァーラ侯爵家のレミリティス様と王太子殿下、だな」
「レミリティス様って完璧令嬢って呼ばれてるお方じゃない! なんで!?」
「王太子殿下に不敬をはたらいたという話だが実際のところはわからんなぁ。しかも魔力を封じられて国外追放になるらしい」
「お気の毒に…」
身一つで追放される令嬢に同情してうつむいてしまうリィテに父親は苦い顔のまま言葉を続ける。
「レミリティス様の政策で侯爵家はうちみたいな牧場や農家に支援金を出して下さっていたからな。それもなくなるかもしれないな…」
暗い雰囲気で黙ってしまった3人をうさぎ獣人は「きゅ?」とくるくる見まわしていた。
***
食事を終えると、リィテたち3人は仕事の時間だ。
父親は厩舎へ向かい、母親は家事をしながら牧場の掃除をしたり飼い葉を作る。
そして、リィテは牛乳や食肉を配達に街に出ていく。
その間うさぎ獣人はお昼寝の時間だ。
うさぎ獣人はリィテの部屋のすみに設えられたお昼寝スペースで丸いクッションに寝そべった。
そして、小さくあくびをすると目を閉じる。
外は寒いが日当たりのいいお昼寝スペースはぽかぽかと暖かい。
うさぎ獣人はそのままぐっすり夢の中へ旅立っていった。
「ただいま、いちご」
配達を終えて町から戻ったリィテはうさぎ獣人の顔を見に部屋に戻ってきた。
「きゅー?」
こしこしと目元をこすりながら目を開けたうさぎ獣人にリィテは抱き着き、そのまま深呼吸する。
すーはーすーはー
すぅぅぅーーー…
「はぁ~、疲れが溶けていく…」
おひさまをたっぷり浴びたうさぎ獣人は乾いた牧草みたいないい香りがした。
「きゅ」
あんまり長く吸い込んだせいかうさぎ獣人が小さく体をよじった。
「嫌だった?」
言いながらもリィテはもうひと吸い。
うさぎ獣人はされるがままにまんまるな目でリィテを見つめていた。
やがてリィテはふかふかの冬毛から顔を離した。
「…うん、満足。いちご、うさんぽ行く?」
「きゅ!」
嬉しそうに返事をしたうさぎ獣人とリィテは手をつないで家を出た。
「きゅっ♪ きゅっ♪ きゅっ♪」
リィテと手をつないだうさぎ獣人は嬉しそうに鳴きながら歩いていく。
楽しそうなうさぎ獣人にリィテの頬も緩む。
ふたりは家を出ると、厩舎から放牧されている家畜たちの間をすり抜けて牧場を歩いていく。
途中、小さな果樹園で木の実をとって二人で食べながら歩く。
ぐるりと牧場を一周して柵の中に戻ってきたとき、うさぎ獣人がふと足を止めた。
「きゅ…」
リィテも気づいて視線を向ける。
うさぎ獣人の視線の先には屠殺場があった。
この時間なら父親が家畜を解体し『肉』にしているはずだ。
ここからでもそれがわかるほど漂う血の匂いが気になったのだろう…。
「…行こっか」
「きゅー…」
うさぎ獣人は肉を食べない。食性はうさぎそのものだ。
中には肉を消化することができるうさぎ獣人もいるらしいが、この子はそうではない。
屠殺場のあまりに強い血の匂いにあてられたのか、
うさぎ獣人はさっきまでご機嫌に紅潮していたほっぺを青くしながらへたりこんでしまう。
リィテはうさぎ獣人の小さな体を抱き上げると部屋に急いだ。
「きゅ…」
「大丈夫だよ。いちごには関係ないところだからね…」
リィテはふるえる小さな体を抱きしめる。
――あたたかい。
初めてうさぎ獣人を抱っこした時は、その暖かさがうれしかった。
うさぎ獣人は小さい。
でも、あの時よりはずっと大きくなっている。
それだけの時間を一緒に過ごしてきたのだ。
リィテはうさぎ獣人のふるえる小さな体を抱きしめながら一緒に眠った。
――翌朝目覚めると、うさぎ獣人の額がほのかに黄金色に染まっていた。
***
「これは…」
目の前ですやすや眠るうさぎ獣人の額を見ながら、リィテはとまどっていた。
リィテの頭の中にかつて父親から聞かされた話が蘇る。
『大切に育てられたうさぎ獣人は、そのうち体毛が黄金色に変わるそうなんだ。
しあわせのうさぎ、って言ってね。体の中に幸せをため込んで周りを幸せにしてくれるそうだよ』
「しあわせの…うさぎ…」
呆然とつぶやくリィテは話の続きを思い出す。
『いいかい、リィテ。この子がもし黄金色になるようだったら、
リィテがたくさん愛情をかけてこの子を幸せにしたってことなんだ』
ただのおとぎ話だと思っていた。
けど、しあわせのうさぎがもし本当だったらリィテも震えるほどうれしい。
でも、続く父親の言葉が幼いリィテに衝撃を与えた。
『まあ牧場主の立場で言えば、しあわせのうさぎって言われるのは毛皮も肉も高く売れるからだろうがね』
はははと笑う父親に自分はどう思っただろうか?
怒った?
でも、今ならわかる。
リィテも毎日牧場でお世話をした家畜たちのお肉をいただいている。
一緒に育ったからと言って牧場主の父からすると、うさぎ獣人だけが例外になるはずはない。
だって、この子の。
いちごの本当の名前は――
「一号…」
リィテは思わず、うさぎ獣人…いちごに抱き着いていた。
翌朝、元気になったいちごはリィテよりも早く目覚めた。
「きゅー?」
いちごは隣で眠るリィテの顔を見下ろすと、そっと寄り添うように体を横たえた。
――体毛がわずかに輝き、黄金色が広がる。
この後、一緒に階下に降りたら父親はいちごがしあわせのうさぎになりつつあることに気づくだろう。
その時いちごは「娘の情操教育のためのお友達」から「高価な家畜」に変わるのだ。
そんなことは思いもよらず、いちごはリィテの顔にふくふくのほっぺを擦りつけて再び眠りについた。
それから数日後。
寄合から帰ってきた父親は疲れたように椅子にどっかり腰かけた。
「まいったよ。心配していた通りになりそうだ」
「何があったの?」
「前にレミリティス様の領地支援金について話しただろう? 侯爵家の代官がその廃止を伝えに来たんだよ」
そう言って父親がため息をつく。
「『貴族は領民から税を受け取る側だ。その貴族が領民に金を払うとは本末転倒である』だとさ。」
「何それ? 領主さまからの支援のお金なしで今と同じだけ税を納められるわけないよ」
腹を立てるリィテの頭を父親は優しくなでる。
「…やれるだけやってみるさ。安心おし、リィテ」
自分に触れる父親の手のひらはいつも通り優しかったが、リィテは安心することができなかった。
月日が流れるほど、牧場の暮らしは苦しくなっていった。
リィテたちは日が昇る前から働き、日が暮れても家に帰って来なかった。
――それでも、いちごの暮らしは変わらない。
大好きなにんじんスティックを食べて、ぽかぽかの部屋でお昼寝をして。
仕事を終えて帰ってきたリィテと遊ぶ。
父親があえて、そうしていたのだ。
変わったのは、リィテはいちごを抱きしめることが多くなった。
いちごの体毛はもうすぐ全身が黄金色になる。
そんな時、母親が倒れた。
支援金が止まってから働きづめだったため、体も瘦せ細りたやすく病魔に取りつかれてしまった。
衰弱していく母親の前では気丈にふるまいながら、リィテはいちごの前でだけ泣いた。
「リィテ。すまないがそろそろ一号を潰す時期のようだ」
節約のために灯りをともしていない暗い部屋で、父親は陰鬱に言った。
「俺だって、お前がどれだけ一号を大事にしてきたかはよく知ってる。だけど、一号の毛皮を売ればお母さんに薬を買ってやれる」
暮らしはもう限界だった。
薬が効いて、母親を動かせるようになったらもう国を捨てるしかない。
父親もリィテもそれはわかっていた。
リィテは駆け足で部屋に戻った。
「きゅ?」
部屋では、いちごがお気に入りの丸いクッションに座ってリィテを見上げている。
「きゅー♪」
いちごはリィテの姿を見ると嬉しそうに駆け寄ってきて、そのままリィテに飛びついた。
「あ…」
リィテの手から小さな刃物が落ちる。
「いちご…、あなたしあわせのうさぎなんでしょ…? お母さんを助けて… 助けてよ…」
いちごを抱きしめたまま、リィテは涙を流す。
「きゅー…」
リィテを抱き返しながらいちごは小さく鳴く。
いちごの体毛は、いつの間にか完全に黄金色になっていた。
***
それから幾年月が流れリィテは老境に入っていた。
父も母も、もちろんいちごももういない。
うとうとしながらうっすら目を開けたリィテは温かな光にまぶしそうに目をしばたたいた。
「懐かしい夢をみたね…」
リィテは微笑むと、首から下げた水晶のネックレスを握りしめた。
そこに、小さな顔がひょこっとのぞき込む。
「あ、おばーちゃん起きたよ!」
かつてのリィテと同じ茶色の髪と瞳を持つ幼い少女はにぱっと笑うと駆けていく。
やがて少女はよく似た顔立ちの女性の手を引いて戻ってくる。
女性は微笑みながらリィテに頭を下げる。
「お義母様、レプレが騒がしくしてすみません」
「構わないよ。もう起きようと思ってたところだから」
そう言って笑ったリィテはロッキングチェアから立ち上がる。
胸元のネックレスが陽光を浴びてきらりと輝く。
「おばーちゃん、その水晶… 中に何か入ってる?」
「おや、よく気付いたね」
リィテはネックレスを首から外すとレプレに渡した。
「なぁにこれ? きんいろの髪の毛?」
「そう…。今はもういない私の可愛い妹のものだよ。魔法で固めてもらったの」
「へぇー…」
まんまるな目でネックレスを見つめるレプレの姿にリィテは微笑みを浮かべる。
――いちごと過ごしたのはもうはるか昔。
あの牧場も、家も、国すらももう存在しない。
いろいろなことが変わった。多くの苦労をした。
だけど、今はこうして笑っていられる。
あの時リィテたち家族を助けてくれたあの子は――
まちがいなく、しあわせのうさぎ、だった。
(あなたのおかげで私はしあわせよ…)
『きゅ!』
あたたかな家族の笑顔に、満ち足りた笑みを浮かべるリィテには
懐かしいいちごの声が確かに聞こえていた。
[了]
「うきゅ?」
リィテはそう言って、小さなうさぎ獣人を抱き上げた。
リィテは牧場の娘で今年5歳になる。よく変わる表情と子どもらしい明るさで牧場のマスコットのような存在だ。
「この子軽いー」
うさぎ獣人の暖かさにふんわりした気分になりながらリィテは目を輝かせる。
「きゅ?」
うさぎ獣人は不思議そうな顔でリィテを見ている。
「お父さん!かわいい!」
くるりと背後を振り返るとリィテの父親が微笑ましそうに眼を細めている。
「そうだろう。この子は白うさぎの獣人だ。今日から一緒に暮らすことになる」
「一緒に…」
父親の言葉に、リィテは目を輝かせる。
つんつんとうさぎ獣人のほっぺをつついてみると、うさぎ獣人は嫌そうに顔をそむけたる。
そのしぐさが面白くてリィテはつんつんを繰り返す。
「…きゅー!」
「あ、コラあばれないで!」
うさぎ獣人はじたばた暴れるとリィテの腕から飛び降り机の陰に隠れてしまう。
「そこまで」
父親が笑いながらひょいとリィテを抱き上げる。
「あの子をごらん、耳が寝ているだろう?あれはリィテに怯えているんだよ」
「なんで?」
「むりやりつっついたからさ」
そう言って父親はリィテの顔に頬を擦りつけた。
今朝剃ったばかりのひげが少し伸び出していて、ザリザリとリィテのやわらかいほっぺを擦る。
「痛いよ!」
「だろ?」
父親の言葉にリィテはハッとしたようにうさぎ獣人を見た。
うさぎ獣人は低く身を伏せたまま真っ赤な瞳でリィテを見上げている。
「ごめんなさい」
謝るリィテに父親はやわらかく笑って、よいしょと下ろしてくれる。
リィテはそのままうさぎ獣人に駆け寄り頭を下げた。
「ごめんね…」
そう言って、ハッとしたようにリィテは父親のほうを振り返る。
「ねえ、この子のお名前は?」
「この子は、いちご…」
「いちごちゃん!」
リィテはガバッとうさぎ獣人を抱きしめる。
「ごめんね!いちごちゃん!」
しばらく逃げようとじたばたしていたうさぎ獣人は、謝り続けるリィテの腕の中でやがて大人しくなる。
「…きゅー」
声を上げたうさぎ獣人の顔をリィテが見ると、うさぎ獣人はリィテの涙をぺろりと舐めてくれる。
「いちごちゃん…」
気が付けばうさぎ獣人の耳はピンと立っていた。
「いちごちゃん!これからよろしくね!」
そう言って、リィテはうさぎ獣人をぎゅっと抱きしめた。
***
「懐かしい夢見たわー」
まだ朝日の昇る前、リィテはあくびをしてベッドの中で体を伸ばした。
そのまますぐわきに視線を向けると、
そこには真っ白でふわふわのうさぎ獣人がスヤスヤ眠っていた。
「苺みたいな瞳のいちごちゃん、か」
リィテは目を細めるとうさぎ獣人の頭をふわっと撫でて、スルリとベッドを抜け出した。
うさぎ獣人と暮らすようになってもう11年。リィテはすっかり大きくなった。
パジャマをポイッと脱ぎ捨て下着姿になると弾む胸をシャツとオーバーオールに押し込んで鏡の前で栗色の髪を結わえた。
そのまま自室を出て階下に降りると両親はすでに起き出していた。
「おはよ」
「おはよう、リィテ」
「お水まだでしょ。汲んでくるよ」
言いながらリィテは水桶を手にとると、裏口から外に出た。
朝の寒気が肌を刺す。
まだ日は登り切っておらず気温は低い。
とはいえ、これから何度も台所の水がめと井戸を往復すればすぐに暑くなることをリィテはよく知っている。
リィテは水桶の取っ手を握り直すと井戸に向かった。
「あ、お疲れさま」
水桶がいっぱいになる頃、父親が家畜へ朝の給餌を終えて厩舎から戻ってくる。
そうしたら朝食の時間だ。
父親は配達された新聞を持って食卓に現れた。
母親は作り終えた朝食を食卓にセッティングしている。
カリカリに焼いたパンと新鮮な野菜、それに牧場で作っているベーコンとホットミルクだ。
「今日の糧に感謝します。いただきます」
食前に簡単なお祈りをすると食事が始まる。
朝から汗をかいたから塩気の強いベーコンがおいしい。
リィテがパンをちぎってホットミルクにひたして食べているとトコトコと小さな足音が近づいてくる。
「きゅー」
「おはよ、いちご」
かわいい鳴き声に微笑んで視線を向けると、真っ白ふわふわなうさぎ獣人がまんまるな目でリィテを見ていた。
小さかったうさぎ獣人の赤ちゃんもすっかり大きくなっていた。
ふわふわで真っ白な冬毛と苺色の真っ赤な瞳は変わらず愛らしい。
ただのうさぎではなくうさぎ獣人なのでしっかりと二本の足で立っており、素朴な白い貫頭衣を着せられている。
「にんじんスティック食べる?」
「きゅー♪」
リィテがうさぎ獣人の朝ごはん用に用意したにんじんスティックを差し出すと、うさぎ獣人はパクッと食いついた。
かわいい仕草にリィテは微笑む。
「はい、あとはひとりで食べてねー」
「きゅ」
うさぎ獣人はリィテの隣の席に座ると、おいしそうににんじんスティックを食べていく。
食欲も旺盛だ。
「お父さん、何か悪いことでも書いてあるの?」
ふと、新聞を読んで苦い顔をしている父親にリィテは不思議そうに尋ねた。
「お貴族様でまた婚約破棄があったらしい」
「またー? お貴族様って婚約破棄好きだよねぇ」
あんまりなリィテの物言いに父親は笑ってしまう。
「いや、好きなわけではないとは思うがねぇ…」
「で、今度はどなた?」
「アンヴァーラ侯爵家のレミリティス様と王太子殿下、だな」
「レミリティス様って完璧令嬢って呼ばれてるお方じゃない! なんで!?」
「王太子殿下に不敬をはたらいたという話だが実際のところはわからんなぁ。しかも魔力を封じられて国外追放になるらしい」
「お気の毒に…」
身一つで追放される令嬢に同情してうつむいてしまうリィテに父親は苦い顔のまま言葉を続ける。
「レミリティス様の政策で侯爵家はうちみたいな牧場や農家に支援金を出して下さっていたからな。それもなくなるかもしれないな…」
暗い雰囲気で黙ってしまった3人をうさぎ獣人は「きゅ?」とくるくる見まわしていた。
***
食事を終えると、リィテたち3人は仕事の時間だ。
父親は厩舎へ向かい、母親は家事をしながら牧場の掃除をしたり飼い葉を作る。
そして、リィテは牛乳や食肉を配達に街に出ていく。
その間うさぎ獣人はお昼寝の時間だ。
うさぎ獣人はリィテの部屋のすみに設えられたお昼寝スペースで丸いクッションに寝そべった。
そして、小さくあくびをすると目を閉じる。
外は寒いが日当たりのいいお昼寝スペースはぽかぽかと暖かい。
うさぎ獣人はそのままぐっすり夢の中へ旅立っていった。
「ただいま、いちご」
配達を終えて町から戻ったリィテはうさぎ獣人の顔を見に部屋に戻ってきた。
「きゅー?」
こしこしと目元をこすりながら目を開けたうさぎ獣人にリィテは抱き着き、そのまま深呼吸する。
すーはーすーはー
すぅぅぅーーー…
「はぁ~、疲れが溶けていく…」
おひさまをたっぷり浴びたうさぎ獣人は乾いた牧草みたいないい香りがした。
「きゅ」
あんまり長く吸い込んだせいかうさぎ獣人が小さく体をよじった。
「嫌だった?」
言いながらもリィテはもうひと吸い。
うさぎ獣人はされるがままにまんまるな目でリィテを見つめていた。
やがてリィテはふかふかの冬毛から顔を離した。
「…うん、満足。いちご、うさんぽ行く?」
「きゅ!」
嬉しそうに返事をしたうさぎ獣人とリィテは手をつないで家を出た。
「きゅっ♪ きゅっ♪ きゅっ♪」
リィテと手をつないだうさぎ獣人は嬉しそうに鳴きながら歩いていく。
楽しそうなうさぎ獣人にリィテの頬も緩む。
ふたりは家を出ると、厩舎から放牧されている家畜たちの間をすり抜けて牧場を歩いていく。
途中、小さな果樹園で木の実をとって二人で食べながら歩く。
ぐるりと牧場を一周して柵の中に戻ってきたとき、うさぎ獣人がふと足を止めた。
「きゅ…」
リィテも気づいて視線を向ける。
うさぎ獣人の視線の先には屠殺場があった。
この時間なら父親が家畜を解体し『肉』にしているはずだ。
ここからでもそれがわかるほど漂う血の匂いが気になったのだろう…。
「…行こっか」
「きゅー…」
うさぎ獣人は肉を食べない。食性はうさぎそのものだ。
中には肉を消化することができるうさぎ獣人もいるらしいが、この子はそうではない。
屠殺場のあまりに強い血の匂いにあてられたのか、
うさぎ獣人はさっきまでご機嫌に紅潮していたほっぺを青くしながらへたりこんでしまう。
リィテはうさぎ獣人の小さな体を抱き上げると部屋に急いだ。
「きゅ…」
「大丈夫だよ。いちごには関係ないところだからね…」
リィテはふるえる小さな体を抱きしめる。
――あたたかい。
初めてうさぎ獣人を抱っこした時は、その暖かさがうれしかった。
うさぎ獣人は小さい。
でも、あの時よりはずっと大きくなっている。
それだけの時間を一緒に過ごしてきたのだ。
リィテはうさぎ獣人のふるえる小さな体を抱きしめながら一緒に眠った。
――翌朝目覚めると、うさぎ獣人の額がほのかに黄金色に染まっていた。
***
「これは…」
目の前ですやすや眠るうさぎ獣人の額を見ながら、リィテはとまどっていた。
リィテの頭の中にかつて父親から聞かされた話が蘇る。
『大切に育てられたうさぎ獣人は、そのうち体毛が黄金色に変わるそうなんだ。
しあわせのうさぎ、って言ってね。体の中に幸せをため込んで周りを幸せにしてくれるそうだよ』
「しあわせの…うさぎ…」
呆然とつぶやくリィテは話の続きを思い出す。
『いいかい、リィテ。この子がもし黄金色になるようだったら、
リィテがたくさん愛情をかけてこの子を幸せにしたってことなんだ』
ただのおとぎ話だと思っていた。
けど、しあわせのうさぎがもし本当だったらリィテも震えるほどうれしい。
でも、続く父親の言葉が幼いリィテに衝撃を与えた。
『まあ牧場主の立場で言えば、しあわせのうさぎって言われるのは毛皮も肉も高く売れるからだろうがね』
はははと笑う父親に自分はどう思っただろうか?
怒った?
でも、今ならわかる。
リィテも毎日牧場でお世話をした家畜たちのお肉をいただいている。
一緒に育ったからと言って牧場主の父からすると、うさぎ獣人だけが例外になるはずはない。
だって、この子の。
いちごの本当の名前は――
「一号…」
リィテは思わず、うさぎ獣人…いちごに抱き着いていた。
翌朝、元気になったいちごはリィテよりも早く目覚めた。
「きゅー?」
いちごは隣で眠るリィテの顔を見下ろすと、そっと寄り添うように体を横たえた。
――体毛がわずかに輝き、黄金色が広がる。
この後、一緒に階下に降りたら父親はいちごがしあわせのうさぎになりつつあることに気づくだろう。
その時いちごは「娘の情操教育のためのお友達」から「高価な家畜」に変わるのだ。
そんなことは思いもよらず、いちごはリィテの顔にふくふくのほっぺを擦りつけて再び眠りについた。
それから数日後。
寄合から帰ってきた父親は疲れたように椅子にどっかり腰かけた。
「まいったよ。心配していた通りになりそうだ」
「何があったの?」
「前にレミリティス様の領地支援金について話しただろう? 侯爵家の代官がその廃止を伝えに来たんだよ」
そう言って父親がため息をつく。
「『貴族は領民から税を受け取る側だ。その貴族が領民に金を払うとは本末転倒である』だとさ。」
「何それ? 領主さまからの支援のお金なしで今と同じだけ税を納められるわけないよ」
腹を立てるリィテの頭を父親は優しくなでる。
「…やれるだけやってみるさ。安心おし、リィテ」
自分に触れる父親の手のひらはいつも通り優しかったが、リィテは安心することができなかった。
月日が流れるほど、牧場の暮らしは苦しくなっていった。
リィテたちは日が昇る前から働き、日が暮れても家に帰って来なかった。
――それでも、いちごの暮らしは変わらない。
大好きなにんじんスティックを食べて、ぽかぽかの部屋でお昼寝をして。
仕事を終えて帰ってきたリィテと遊ぶ。
父親があえて、そうしていたのだ。
変わったのは、リィテはいちごを抱きしめることが多くなった。
いちごの体毛はもうすぐ全身が黄金色になる。
そんな時、母親が倒れた。
支援金が止まってから働きづめだったため、体も瘦せ細りたやすく病魔に取りつかれてしまった。
衰弱していく母親の前では気丈にふるまいながら、リィテはいちごの前でだけ泣いた。
「リィテ。すまないがそろそろ一号を潰す時期のようだ」
節約のために灯りをともしていない暗い部屋で、父親は陰鬱に言った。
「俺だって、お前がどれだけ一号を大事にしてきたかはよく知ってる。だけど、一号の毛皮を売ればお母さんに薬を買ってやれる」
暮らしはもう限界だった。
薬が効いて、母親を動かせるようになったらもう国を捨てるしかない。
父親もリィテもそれはわかっていた。
リィテは駆け足で部屋に戻った。
「きゅ?」
部屋では、いちごがお気に入りの丸いクッションに座ってリィテを見上げている。
「きゅー♪」
いちごはリィテの姿を見ると嬉しそうに駆け寄ってきて、そのままリィテに飛びついた。
「あ…」
リィテの手から小さな刃物が落ちる。
「いちご…、あなたしあわせのうさぎなんでしょ…? お母さんを助けて… 助けてよ…」
いちごを抱きしめたまま、リィテは涙を流す。
「きゅー…」
リィテを抱き返しながらいちごは小さく鳴く。
いちごの体毛は、いつの間にか完全に黄金色になっていた。
***
それから幾年月が流れリィテは老境に入っていた。
父も母も、もちろんいちごももういない。
うとうとしながらうっすら目を開けたリィテは温かな光にまぶしそうに目をしばたたいた。
「懐かしい夢をみたね…」
リィテは微笑むと、首から下げた水晶のネックレスを握りしめた。
そこに、小さな顔がひょこっとのぞき込む。
「あ、おばーちゃん起きたよ!」
かつてのリィテと同じ茶色の髪と瞳を持つ幼い少女はにぱっと笑うと駆けていく。
やがて少女はよく似た顔立ちの女性の手を引いて戻ってくる。
女性は微笑みながらリィテに頭を下げる。
「お義母様、レプレが騒がしくしてすみません」
「構わないよ。もう起きようと思ってたところだから」
そう言って笑ったリィテはロッキングチェアから立ち上がる。
胸元のネックレスが陽光を浴びてきらりと輝く。
「おばーちゃん、その水晶… 中に何か入ってる?」
「おや、よく気付いたね」
リィテはネックレスを首から外すとレプレに渡した。
「なぁにこれ? きんいろの髪の毛?」
「そう…。今はもういない私の可愛い妹のものだよ。魔法で固めてもらったの」
「へぇー…」
まんまるな目でネックレスを見つめるレプレの姿にリィテは微笑みを浮かべる。
――いちごと過ごしたのはもうはるか昔。
あの牧場も、家も、国すらももう存在しない。
いろいろなことが変わった。多くの苦労をした。
だけど、今はこうして笑っていられる。
あの時リィテたち家族を助けてくれたあの子は――
まちがいなく、しあわせのうさぎ、だった。
(あなたのおかげで私はしあわせよ…)
『きゅ!』
あたたかな家族の笑顔に、満ち足りた笑みを浮かべるリィテには
懐かしいいちごの声が確かに聞こえていた。
[了]
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