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12.伯爵、夫人を慰める
しおりを挟むオリービア達が機嫌良く談笑しながらランジニカ伯爵邸に戻ると、庭園のベンチにハイドと艶麗な女性が座っているのが目に入ってきた。
「オリービア様。きっとあれが例の……」
「えぇ、ユーカリ・ブルタスですわね」
「はい、あの女がそうです」
苦々しい顔つきで、ローレルが肯定した。
「堂々と会っていますが、一応“逢瀬”の邪魔をしてはいけないですし、早く中に入りましょう」
オリービア達が歩みを早めて屋敷に入ろうとした時、ユーカリがこちらに気付いたようだった。
彼女は長身のローレルが先に目に入ったようで驚いた顔をしていたが、次にオリービアに目を移すと、ニィ……といやらしい笑みを浮かべた。
その瞬間、ユーカリは俯くハイドの耳元に顔を寄せ何かを囁くと、彼の肩に自分の両腕を絡め、ピットリと身体を密着させた。豊満な胸をハイドに押し付けている。
ハイドはそれを素直に受け止めている。見るからに仲睦まじい二人だ。
「……っ!」
オリービアはそれを見て目を見開くと、下を向きバッと駆け出した。
「え、オリービア様っ? どうされたんですかっ!?」
ニアナは慌ててオリービアを追い掛けた。その後ろを、ローレルがゆっくりと付いていく。
玄関ホールで立ち止まったオリービアに、ニアナはおずおずと声を掛ける。
「……オリービア様……。もしかして……あの二人の仲睦まじい姿を見て、ショックを受けて……?」
「――ふふっ、そんなまさか! ですわ」
オリービアはショルダーバッグから手帖とペンを取り出すと、何かを書き始める。
「オリービア。今の時刻は、後の刻十五時二十六分です」
「あら、ありがとうローレルさん。貴方は最初からわたくしの意図に気付いていたのですね。さて……。庭園のベンチで、旦那様とユーカリ・ブルタスが並んで座っていて……。……そして……胸を押し付けて密着を――」
そこで、ニアナもハッと気が付いた。
「まさか、浮気の証拠を取る為に……?」
「えぇ。ショックを受けた演技をした方が、向こうも優越感に浸って図に乗り、またわたくしの目の前で浮気行為をするでしょう。慰謝料請求の為に記録を残しておかないとですわ。私財は余る程ありますが、お金は無限では無いので、取れるものは取っておかないと」
フフッと策士な笑みを浮かばせるオリービアに、ローレルは瞼を閉じうんうんと頷き、ニアナは「オリービア様を敵に回してはいけない」と、再確認したのだった。
その時だ。
「オリービアッ!」
ハイドの声が後ろから飛んできた。何と彼がオリービアを追い掛けて来たのだ。
「……あら、旦那様? どうされたのですか?」
「泣いて走って行ったように見えたから……。――その、大丈夫か……?」
ハイドが自分を心配している事に、オリービアは内心驚いたが、少し悲しそうに微笑んでみせた。
勿論、その顔はわざとだ。
「大丈夫ですわ。ありがとうございます、旦那様」
「その顔のどこか大丈夫なんだ!? 辛い事でもあったのか? なら――」
ハイドは突然オリービアの手を引っ張ると、彼女の肩と腰に腕を回し、その身体をきつく抱きしめてきた。
「っ!?」
予想していなかったハイドの行動に、オリービアは咄嗟に動けなかった。
「……ユーカリさんはこうやって俺を慰めてくれたんだ。だから、君も――」
(えっ!? ――あらまぁ、濃密な慰め方ですこと!? そんな慰め方法はわたくし御遠慮願いたいですわ……!)
しかし、オリービアが身体を捻って逃れようとしても、肩と腰に絡みつくハイドの腕に邪魔され身動きが取れない。
オリービアの首筋にハイドの熱い吐息が掛かり、無意識にビクリと彼女の身体が震えた。
その刹那、更に彼の腕に力がこもった。
「だ、旦那様、離して――」
「オリービアが嫌がっています。離して下さい」
ローレルの地を這うような低い声が響き、ハイドとオリービアは彼の手によって勢い良く引き剥がされた。
「なっ……? お前、どうしてオリービアを呼び捨てしてるんだっ!?」
「わたくしがそうして欲しいと頼んだのです。ローレルさんの意思じゃありませんわ」
「……っ」
解放されてふぅと息をつくと、オリービアは何とも言えない表情のハイドを見上げた。
「旦那様。その慰め方は、お慕いしているユーカリ様にだけされて下さい。その行為は、同性同士の親友や恋人や夫婦――『愛している者同士がするもの』ですわ」
「えっ!? ……そう――なのか? ユーカリさんが、これは『異性を慰める為にする行為』だって……。違うのか……?」
「え?」
キョトンとするハイドに、オリービアは思わず聞き返してしまった。
(これは……彼女に騙されていますわね……。けれど、そんな事さえ分からないなんて……。旦那様、もしかして――)
「……旦那様。今まで女性とお付き合いされた事は一度もございませんか?」
「え? あ、あぁ……。けど、夫婦になったのは君が初めてだ」
「え? あ……わたくしも夫婦は貴方が初めてですが……」
「そうか」
(回答が微妙にズレているし、何で嬉しそうなんですの!?)
「……ともかく、その行為は異性にすると誤解を招くものです。お慕いしている方にだけして下さいませ」
「先程、君は夫婦がするものと言っていたが、夫婦でしては駄目なのか?」
「え? あ、いえ……普通の夫婦はしていいのですが……」
「なら君としてもいいんだろう? 俺達は“夫婦”なんだから」
「……え……そ、それは……」
(あのオリービア様が伯爵に言い負かされてるっ!?)
驚愕の表情を浮かべるニアナの隣で、ローレルは顔を微かに顰めていた。
「と……とにかく、旦那様には愛人のユーカリ様がいらっしゃるので、わたくしには御遠慮願いますわ。彼女を待たせているんでしょう? 早く戻られて下さいませ。それでは失礼致します」
「は? 愛人? 一体何を言って――」
ハイドが問い返すより先にオリービアは礼をし、その場から足早に離れていく。
ニアナは慌てて彼女の後を追い、ローレルは無表情でハイドにお辞儀をすると、素早く立ち去って行った。
「…………」
ハイドは無言で、先程までオリービアを抱きしめていた手を見つめる。
(……何でだろう。彼女になら、何度でも触れたいと思ってしまう)
彼女にもっと触れていたい。
彼女の匂いをいつまでも嗅いでいたい。
彼女をこの腕の中にずっと閉じ込めていたい――
自分の中で勝手に渦巻くその感情達に、ハイドは混乱し戸惑う。
「なっ、何を考えてるんだ、俺は! 相手は男好きで無駄遣いのする、どうしようもない女なんだぞ? 一体どうしてしまったんだ、俺は……? こんな気持ち、今まで感じたことない……。何だ……これは――」
お昼前にオリービアと別れてから、ハイドはグチャグチャな頭の中を落ち着かせようと、庭園にあるベンチに座ってボーッと空を眺めたり、地面に目を向けたりしていた。
するとユーカリが来て、断りも無く隣に座ったのだ。
「元気無いわね、ハイド? 慰めてあげるわ」
ユーカリに耳元でそう囁かれ、いつものように抱きしめられた時、玄関の近くにいたオリービアが下を向いて駆け出す姿が目に入ってきた。
「っ!?」
ハイドは彼女が泣いているように見えて、思わずユーカリを押し退け、彼女のもとへと走って行ったのだった。
ハイドは、ユーカリよりもオリービアを優先させた自分自身に、酷く当惑していた。
そして、ユーカリが自分に嘘を言っていた事にも。
(……ユーカリさん……。俺に嘘をついていた……? オリービアが俺に説明をしていた時、他の二人はそれを否定しなかった。だから、抱きしめるのは愛する人とするのは本当の事なんだ。――ユーカリさん、どうして……? 俺はユーカリさんを信じたいのに……。……あの……“噂”の事だって……)
そこまで考えると、ハイドはきつく目を瞑り、大きく首を左右に振る。
(――いや、慰めてくれたあの優しさは“本物”だと、俺は信じたい。だってユーカリさんは、絶望している俺を救ってくれた人だから。俺は彼女にすごく感謝している。――そう……だから俺はユーカリさんを信じる。信じるんだ――)
――しかし、ハイドの心の底にあるモヤモヤした気持ちは、いつまで経っても消える事はなかった――
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