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リボンの騎士 その4
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雅人たち三人は再び宝塚駅のホームに立ち、帰りの電車を待っていた。
「手塚先生。安らかにお眠り下さい。必ずわたしが先生の作品を世に出しますから!」
治美は宝塚の駅前で、手塚家の方向に向かって手を合わせた。
(偉いぞ!治美!よく言った!)
雅人は決意を秘めた凛々しい治美の横顔を見て誇らしい気持ちになった。
だが、その気持ちもすぐに失せた。
「――ヒック!ヒック!やっぱりわたしには無理だよ!お家に帰りたいよ!」
帰りの阪急電車の車内で治美が早くも泣き言を言い始めた。
慌てて治美を挟むように雅人とエリザは座席に座った。
「子供やないんやから泣き止みなさい!ほら、乙女餅食べるか?」
エリザが乙女餅の菓子折りを治美に手渡した。
行き掛けのはしゃぎぶりが嘘のように、泣きながら治美は乙女餅を爪楊枝で食べだした。
彼女の口の周りはきな粉だらけだ。
「まったく!その乙女餅は雅人のおばちゃんへのお土産用にするつもりやったのに!」
「うちのおふくろに?珍しいな」
「――未来のお姑さんのご機嫌とらんとアカンやろ」
エリザは頬を赤く染めて、小さな声で言った。
雅人とエリザが将来結婚すると治美から聞いたため、エリザの行動が微妙に変わってしまった。
(未来を知ったことが俺たちの将来に何らかの悪影響を与えるかもしれない)
雅人は不吉な予感に胸騒ぎを感じた。
「――ヒック!ヒック!やっぱり手塚先生の作品をトレパクするなんてわたしにはできません!」
「トレ………なに?」
「トレパク!トレースしてパクる。他人の絵をなぞって盗作することです。手塚先生が心血そそいで描き上げた作品をわたしの物にするなんて恐れ多いことです!そんなの絶対に嫌です!」
治美はボーとしているが意外と生真面目な性格のようだ。
自分の存在が消えるかもしれないという瀬戸際にまだ、こんなことを言ってる。
「しかし、治美が描かないとこの世界の人間は誰一人手塚作品を読めなくなるんだぞ。それでもいいのかな?」
「ウッ……!そ、それは嫌です!」
「手塚作品の素晴らしさをみんなに教えてあげようとは思わないのか?」
「んぐぐッ……!そ、そうですねぇ……」
雅人は治美の操縦方法を大分わかってきていた。
「そやけど、漫画なんかない方がよっぽど素晴らしい未来になると思うけどなあ!」
せっかく治美がその気になったのに、エリザが水を差すようなことを言った。
「エリザは黙ってろ!」
雅人は思わず怒鳴ったが、エリザの言葉にも一理あると思った。
「俺たちの都合だけでこの日本に漫画を流行らせて良いものだろうか。漫画が日本国民にとってすべての軽佻浮薄の根本となるかもしれない」
「まーた小難しい言葉使って……。軽佻浮薄ってどういう意味や?」
「軽はずみで浮ついた世の中になるかもしれないってことだ。治美!お前はどう思う?」
雅人とエリザはじっと治美を見つめた。
「うーん……」
治美はゆっくりと口元のきな粉を指で拭うと、腕組みをして考え込んだ。
「――わたしのいた未来の日本には良いところも悪いところもいっぱいありました。わたしの知ってる未来がみんなにとって一番素晴らしい未来かどうかはわかりません………」
治美は拳を握りしめるとゆっくりと立ち上がった。
「あっ!また、立ち上がるで!」
「治美は興奮すると、拳を握りしめて立ち上がるのが癖のようだな」
雅人とエリザが治美の背後で囁いた。
「でも、わたしのいた日本は平和でした!みんなマンガを読み、アニメを観て、笑って暮らしていました!!そうだわ!そんな平和な日本をわたしの力で作るのよ!!」
治美は車窓から身を乗り出し六甲山麓を見つめた。
「美しい……………!」
治美の両の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「おれとしたことが………。あの、手を切られたときにも出なかった涙が………!」
「ん………?何しとるん?」
「きっと何かの手塚作品の登場人物になりきって台詞を言っているんだ」
雅人の言う通り、治美の脳裏には「火の鳥、鳳凰編」で残っていた右腕を切り落された我王が朝日を見つめ自然の美しさに感動し涙するシーンが浮かんでいたのだった。
「どうやら元気になったようだな」
「はい!六甲の緑が夕日に映えて美しいわ!今も昔も六甲山の形は同じですね。いつの時代もみんな精一杯頑張って生きてきたのですね!」
治美はくるりと振り向くと、雅人とエリザに向かって宣言した。
「たかが六十年、昔に戻っただけです。何もかも失ったわけじゃないわ。雅人さん!エリザさん!わたし、やります!マンガを描きます!そしてこの国を、世界一のマンガとアニメの夢の国にしてみせます!!」
ウンウンと雅人は満足げにうなずいた。
「さあ、神戸に戻って未来の日本人のために漫画を描くんだ!」
「――でもマンガってどうやって描いたらいいのですか?教えてくれますか?」
雅人はガクッと前のめりになった。
「描き方、知らないのか!?手塚治虫のことはあんなに詳しいくせに!」
「だから、わたし漫画は読むだけだって言ったでしょ。読むと描くのは大違いです」
「自分で絵を描いたこともないのか?」
「絵どころがここ数年、文字も手で書いたことありませんよ。未来人は自分の手で字を書かないんですよ」
屈託のない笑顔で、あっけらかんと治美が言った。
「雅人さん、さっき『いいから俺に任せろ!!』って言ってくれましたよね。赤本屋に売り込んでくれるって」
「い、いや、俺だって漫画の描き方なんか知らないぞ。いやはやどうしたものやら……」
「馬ッ鹿じゃなかろうか!」
エリザがその頃公開されていたトニー谷のコメディ映画「家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろうかの巻」の捨て台詞を吐いて雅人と治美を小馬鹿にした。
トニー谷とは当時一世を風靡した芸人で、後にギャグ漫画「おそ松くん」のイヤミのモデルになった人物である。
「手塚先生。安らかにお眠り下さい。必ずわたしが先生の作品を世に出しますから!」
治美は宝塚の駅前で、手塚家の方向に向かって手を合わせた。
(偉いぞ!治美!よく言った!)
雅人は決意を秘めた凛々しい治美の横顔を見て誇らしい気持ちになった。
だが、その気持ちもすぐに失せた。
「――ヒック!ヒック!やっぱりわたしには無理だよ!お家に帰りたいよ!」
帰りの阪急電車の車内で治美が早くも泣き言を言い始めた。
慌てて治美を挟むように雅人とエリザは座席に座った。
「子供やないんやから泣き止みなさい!ほら、乙女餅食べるか?」
エリザが乙女餅の菓子折りを治美に手渡した。
行き掛けのはしゃぎぶりが嘘のように、泣きながら治美は乙女餅を爪楊枝で食べだした。
彼女の口の周りはきな粉だらけだ。
「まったく!その乙女餅は雅人のおばちゃんへのお土産用にするつもりやったのに!」
「うちのおふくろに?珍しいな」
「――未来のお姑さんのご機嫌とらんとアカンやろ」
エリザは頬を赤く染めて、小さな声で言った。
雅人とエリザが将来結婚すると治美から聞いたため、エリザの行動が微妙に変わってしまった。
(未来を知ったことが俺たちの将来に何らかの悪影響を与えるかもしれない)
雅人は不吉な予感に胸騒ぎを感じた。
「――ヒック!ヒック!やっぱり手塚先生の作品をトレパクするなんてわたしにはできません!」
「トレ………なに?」
「トレパク!トレースしてパクる。他人の絵をなぞって盗作することです。手塚先生が心血そそいで描き上げた作品をわたしの物にするなんて恐れ多いことです!そんなの絶対に嫌です!」
治美はボーとしているが意外と生真面目な性格のようだ。
自分の存在が消えるかもしれないという瀬戸際にまだ、こんなことを言ってる。
「しかし、治美が描かないとこの世界の人間は誰一人手塚作品を読めなくなるんだぞ。それでもいいのかな?」
「ウッ……!そ、それは嫌です!」
「手塚作品の素晴らしさをみんなに教えてあげようとは思わないのか?」
「んぐぐッ……!そ、そうですねぇ……」
雅人は治美の操縦方法を大分わかってきていた。
「そやけど、漫画なんかない方がよっぽど素晴らしい未来になると思うけどなあ!」
せっかく治美がその気になったのに、エリザが水を差すようなことを言った。
「エリザは黙ってろ!」
雅人は思わず怒鳴ったが、エリザの言葉にも一理あると思った。
「俺たちの都合だけでこの日本に漫画を流行らせて良いものだろうか。漫画が日本国民にとってすべての軽佻浮薄の根本となるかもしれない」
「まーた小難しい言葉使って……。軽佻浮薄ってどういう意味や?」
「軽はずみで浮ついた世の中になるかもしれないってことだ。治美!お前はどう思う?」
雅人とエリザはじっと治美を見つめた。
「うーん……」
治美はゆっくりと口元のきな粉を指で拭うと、腕組みをして考え込んだ。
「――わたしのいた未来の日本には良いところも悪いところもいっぱいありました。わたしの知ってる未来がみんなにとって一番素晴らしい未来かどうかはわかりません………」
治美は拳を握りしめるとゆっくりと立ち上がった。
「あっ!また、立ち上がるで!」
「治美は興奮すると、拳を握りしめて立ち上がるのが癖のようだな」
雅人とエリザが治美の背後で囁いた。
「でも、わたしのいた日本は平和でした!みんなマンガを読み、アニメを観て、笑って暮らしていました!!そうだわ!そんな平和な日本をわたしの力で作るのよ!!」
治美は車窓から身を乗り出し六甲山麓を見つめた。
「美しい……………!」
治美の両の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「おれとしたことが………。あの、手を切られたときにも出なかった涙が………!」
「ん………?何しとるん?」
「きっと何かの手塚作品の登場人物になりきって台詞を言っているんだ」
雅人の言う通り、治美の脳裏には「火の鳥、鳳凰編」で残っていた右腕を切り落された我王が朝日を見つめ自然の美しさに感動し涙するシーンが浮かんでいたのだった。
「どうやら元気になったようだな」
「はい!六甲の緑が夕日に映えて美しいわ!今も昔も六甲山の形は同じですね。いつの時代もみんな精一杯頑張って生きてきたのですね!」
治美はくるりと振り向くと、雅人とエリザに向かって宣言した。
「たかが六十年、昔に戻っただけです。何もかも失ったわけじゃないわ。雅人さん!エリザさん!わたし、やります!マンガを描きます!そしてこの国を、世界一のマンガとアニメの夢の国にしてみせます!!」
ウンウンと雅人は満足げにうなずいた。
「さあ、神戸に戻って未来の日本人のために漫画を描くんだ!」
「――でもマンガってどうやって描いたらいいのですか?教えてくれますか?」
雅人はガクッと前のめりになった。
「描き方、知らないのか!?手塚治虫のことはあんなに詳しいくせに!」
「だから、わたし漫画は読むだけだって言ったでしょ。読むと描くのは大違いです」
「自分で絵を描いたこともないのか?」
「絵どころがここ数年、文字も手で書いたことありませんよ。未来人は自分の手で字を書かないんですよ」
屈託のない笑顔で、あっけらかんと治美が言った。
「雅人さん、さっき『いいから俺に任せろ!!』って言ってくれましたよね。赤本屋に売り込んでくれるって」
「い、いや、俺だって漫画の描き方なんか知らないぞ。いやはやどうしたものやら……」
「馬ッ鹿じゃなかろうか!」
エリザがその頃公開されていたトニー谷のコメディ映画「家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろうかの巻」の捨て台詞を吐いて雅人と治美を小馬鹿にした。
トニー谷とは当時一世を風靡した芸人で、後にギャグ漫画「おそ松くん」のイヤミのモデルになった人物である。
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