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W3 その3

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 鉄腕アトム第一話の放映を全員で観たその夜、治美たちは応接室に集まった。

 金子が大事な話があると未来人一同に声を掛けたのだった。

 応接室に集められたのは治美、横山、金子、望月、小森の未来人と雅人とエリザの合計七人だけだった。

 金子が杖に助けられながらヨロヨロと立ち上がった。

「みなさん。前置きは省略して単刀直入に申し上げます。私は漫画家を引退しようと思います」

 金子の言葉にその場にいた全員に衝撃が走った。

「なにをバカなことを!?藤子不二雄の漫画道はまだ始まったばかりじゃないか!?」

「そうよ!ねぇ、金子さん、思い直してちょうだい!」

 金子は弱々しく首を横に振った。

「私はもう七十三歳のオイボレですよ。前倒しでオバQとか怪物くんを描いてきましたが、藤子作品を全部描き終えるのに後何十年かかると思いますか?どう考えても無理でしょ。誰か別の人間にコミックグラスを譲り渡して、私はもう引退したいのです」

「でも仕方ないでしょ。コミックグラスは最初に認証した人間にしか使えないもの」

「その認証を何とかリセットできないかと私は長年試行錯誤を繰り返してきました。あともう一歩のところまで来ているのです。みなさんの力をお貸しください」

 治美たちは半信半疑でお互いの顔を見合わせていた。

「もしもそれが可能ならば素晴らしいことだわ。わたしたちはもう一人で苦労しなくてもよくなるのね」

「本当にコミックグラスを別の人間が使えるようになったら、もう僕は漫画家から足が洗いますよ」



「それではみなさん。コミックグラスを起動してください」

 治美たちは各々コミックグラスを取り出すと顔に掛けた。

「ちょっと待って下さい」

 小森章子だけはコンパクトの鏡を見ながらコンタクトレンズを慌てて両眼にはめた。

「ホーム画面が現れましたね。そうしたら、画面の右隅をタップして長押ししてください」

 未来人たちが一斉に空中に右手の人差し指を突き出した。

 雅人とエリザは未来人たちがまったく同じ動作をしている様子を奇異の目で見ていた。

「いくつかのアイコンが現れたと思います。『システム設定』というアイコンをタップしてください。次に画面を下にスクロールして『セキュリティ』を選んでください。そして『認証情報ストレージ』を選んで『クライアント証明書』を削除してください」

「ちょ、ちょっと待って!」

 治美が操作をもたついて途中何度か金子の説明を止めた。

「『初期状態に戻す』の文字がでましたか?でしたら『開始する』をタップしてください」

「そんなことして大丈夫なの。漫画のデータが消えたりしないかしら?」

「OSを初期化して工場出荷状態に戻しますが、保存したデーターを残すか消すかのオプションを選択できるはずです」

「さすが元システムエンジニアね。頼もしいわ!」

 みんな一斉に初期化開始をタップした。

 すると「パスワードを入力してください」の表示が現れた。

「金子さん、金子さん。パスワードを聞かれたわ?パスワードは何なの?」

「それはわかりません」

 金子がしれっと答えた。

「えっ!?」

「コミックグラスにはそれぞれ私たちの声紋と虹彩で本人認証されています。その認証を無理やり消そうとしているのです。それにはこのコミックグラスの最初の持ち主が登録したパスワードが必要です」

「手当たり次第にパスワードを入れていったらどうかしら?」

「私もそう思って何年も挑戦してきましたがダメでした」

「じゃあどうしようもないじゃないの!?」

 金子はニヤリと笑った。

「パスワード入力の欄を長押ししてみてください」

 全員が言われるままに目の前に見えている四角い入力欄を人差し指で押し続けた。

「―――――なんにも起こらないわよ?」

「シーッ!」

 金子が黙る様にと人差し指を口に当てた。

 十秒ほど押し続けていると、突然画面が変わって「PIN?」という文字が表示された。

「おっ!?画面が変わった!?」

「なに、これ?PINって文字が出てきたわ」

「PINとは『Personal Identification Number』の略で、日本語に訳すと『個人識別番号』です。PINはコミックグラス本体に登録されている暗証番号です。パスワードが分からなくなった時の救済処置ですね」

「じゃあこのPINコードを入力できたら初期化できるのですね」

「でもPINコードもわからないのでしょ」

「PINコードは数字と決まっています」

「ああ!それで僕らに力を貸してくれと言ったのですね。全員で分担して数字を順番に入力していったらいつかはヒットしますからね」

「いや、恐らくPINコードを三回連続して間違えると自動的にロックがかってしまうと思います。そうなったらおしまいです」

「じゃあ、どうするの?」

「そこで治美さんと雅人さんの出番ですよ」

「えっ!?」

 いきなり指名されて二人は驚いた。
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