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07 美術室の小火
絵筆の先をすべらせる音が、静かな美術室に溶けていく。
わたしは窓辺の椅子に座っていた。石膏像や油絵の匂いが満ちている空間は、広々として、息をしやすい。
白いカンバスの上には、庭に咲いていたバラを描いていた。トカゲはカンバスの縁に張り付いて首をかしげている。
そのときだった。
背後に「ぼうっ」と青白い光が揺れた。振り返ると、空中に火の玉が浮いていた。ふらふらと漂う炎――鬼火の精霊だ。
誰かの契約精霊なのか、それとも迷い込んだのかはわからない。けれど、危険なことはわかる。
「きゃあっ!」
生徒たちが悲鳴を上げ、机や椅子をひっくり返して廊下へ逃げ出す。絵筆やパレットが床に落ち、油絵の具が飛び散った。
鬼火はゆらりと動き、窓辺の分厚いカーテンへふっと近づいた。
水の檻を出して鬼火の精霊を閉じ込めた。
炎の精霊はなかで暴れているが、外に出ることは出来ない。
「火事だ!」
誰かが叫ぶ声。
すると足音が聞こえた。
扉が開かれ、生徒会の面々が飛びこんでくる。先頭には従姉のルーシーがいた。青炎のフクロウを肩に止まらせ、誇らしげに羽ばたかせている。そのすぐ後ろに、姉がいた。火炎オオカミを従え、勝ち誇ったような顔をして。
「何をしているの、エミリー!」
ルーシーの声は責める調子で響き、姉は腕を組んでわたしを睨みつける。
「なにも」とわたしは答える。
炎の精霊は名残惜しげに体をくねらせると消えた。
「見た? みんな、見たでしょう。上位精霊が現れた途端に鬼火が消えたわ。格の違いね」
ルーシーは腰に手を当て、大げさに肩をすくめてみせた。取り巻きの女生徒たちが、わざとらしく口元を隠しながら笑う。
そして姉は、火炎オオカミの赤い毛並みを撫でながら冷ややかに言った。
「ほんとうに恥ずかしい。その程度のはぐれを抑えられないなんて。うちの妹だと名乗らないで欲しいわ」
わたしの胸の奥がぎゅっと縮む。
そこに、生徒会長が声を張り上げた。
「とりあえず、混乱を鎮めよう。ルーシーさん、火の眷属を使って周囲を見張ってくれ。君のフクロウならすぐに対応できるだろう」
「はい、会長」
誇らしげにうなずくルーシー。
会長は続けて、姉に向き直った。
「火炎狼の力も頼もしい。やはり侯爵家の本流は違うな」
「ありがとうございます、会長」
姉は優雅に礼をした。
そして、会長の視線がようやくわたしに向く。だがそこに温かさはなかった。
「エミリー、君は……そうだな、これ以上足手まといにならないよう部屋に戻っていなさい」
その言葉は、わたしを完全に場の外へ追い出すものだった。
肩のトカゲを見下ろす。小さな精霊は、緑に金の粒を散らした瞳で静かにこちらを見返していた。違う、とその瞳は言っている。だけど誰も耳を貸さない。
わたしは小さくうなずき、美術室をあとにした。背中には姉とルーシーの嘲笑がいつまでも突き刺さる。
「やっぱり、トカゲのお嬢様は厄介事ばかりね」
「次はどんな迷惑をかけてくれるのかしら」
石造りの廊下を歩き、寮の部屋に戻る。扉を閉めると、ようやく静けさが訪れた。
机の上にトカゲをそっと置く。小さな精霊は尻尾を揺らし、額をわたしの指先に押しつけてきた。
なんだか、バカバカしい。
「あの人たちの得意技は人の手柄を奪うことね。まぁ今回もわたしは役に立ったけど」
自分に言い聞かせるように小さな声で言ってみた。それから「だけど、役に立つことに意味があるのかしら?」と続けてしまった。
わたしは窓辺の椅子に座っていた。石膏像や油絵の匂いが満ちている空間は、広々として、息をしやすい。
白いカンバスの上には、庭に咲いていたバラを描いていた。トカゲはカンバスの縁に張り付いて首をかしげている。
そのときだった。
背後に「ぼうっ」と青白い光が揺れた。振り返ると、空中に火の玉が浮いていた。ふらふらと漂う炎――鬼火の精霊だ。
誰かの契約精霊なのか、それとも迷い込んだのかはわからない。けれど、危険なことはわかる。
「きゃあっ!」
生徒たちが悲鳴を上げ、机や椅子をひっくり返して廊下へ逃げ出す。絵筆やパレットが床に落ち、油絵の具が飛び散った。
鬼火はゆらりと動き、窓辺の分厚いカーテンへふっと近づいた。
水の檻を出して鬼火の精霊を閉じ込めた。
炎の精霊はなかで暴れているが、外に出ることは出来ない。
「火事だ!」
誰かが叫ぶ声。
すると足音が聞こえた。
扉が開かれ、生徒会の面々が飛びこんでくる。先頭には従姉のルーシーがいた。青炎のフクロウを肩に止まらせ、誇らしげに羽ばたかせている。そのすぐ後ろに、姉がいた。火炎オオカミを従え、勝ち誇ったような顔をして。
「何をしているの、エミリー!」
ルーシーの声は責める調子で響き、姉は腕を組んでわたしを睨みつける。
「なにも」とわたしは答える。
炎の精霊は名残惜しげに体をくねらせると消えた。
「見た? みんな、見たでしょう。上位精霊が現れた途端に鬼火が消えたわ。格の違いね」
ルーシーは腰に手を当て、大げさに肩をすくめてみせた。取り巻きの女生徒たちが、わざとらしく口元を隠しながら笑う。
そして姉は、火炎オオカミの赤い毛並みを撫でながら冷ややかに言った。
「ほんとうに恥ずかしい。その程度のはぐれを抑えられないなんて。うちの妹だと名乗らないで欲しいわ」
わたしの胸の奥がぎゅっと縮む。
そこに、生徒会長が声を張り上げた。
「とりあえず、混乱を鎮めよう。ルーシーさん、火の眷属を使って周囲を見張ってくれ。君のフクロウならすぐに対応できるだろう」
「はい、会長」
誇らしげにうなずくルーシー。
会長は続けて、姉に向き直った。
「火炎狼の力も頼もしい。やはり侯爵家の本流は違うな」
「ありがとうございます、会長」
姉は優雅に礼をした。
そして、会長の視線がようやくわたしに向く。だがそこに温かさはなかった。
「エミリー、君は……そうだな、これ以上足手まといにならないよう部屋に戻っていなさい」
その言葉は、わたしを完全に場の外へ追い出すものだった。
肩のトカゲを見下ろす。小さな精霊は、緑に金の粒を散らした瞳で静かにこちらを見返していた。違う、とその瞳は言っている。だけど誰も耳を貸さない。
わたしは小さくうなずき、美術室をあとにした。背中には姉とルーシーの嘲笑がいつまでも突き刺さる。
「やっぱり、トカゲのお嬢様は厄介事ばかりね」
「次はどんな迷惑をかけてくれるのかしら」
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机の上にトカゲをそっと置く。小さな精霊は尻尾を揺らし、額をわたしの指先に押しつけてきた。
なんだか、バカバカしい。
「あの人たちの得意技は人の手柄を奪うことね。まぁ今回もわたしは役に立ったけど」
自分に言い聞かせるように小さな声で言ってみた。それから「だけど、役に立つことに意味があるのかしら?」と続けてしまった。
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