春の避暑地

朝山みどり

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42 なんてこと スペード夫人目線


 42 なんてこと スペード夫人目線

 格が落ちた「金の針」から、別の店に移るとしてどこがいいかしら。

「クリスタル」か「マダム・クロエ」ってところね。
「クリスタル」でいいわ。前に生意気だったけど、許してあげましょう。

 使いを通すより、直接わたくしが足を運んだほうが話が速いわね。

 

 扉の前で、わたしは一度だけ足を止めた。

 この店は、以前とは違う。

 空気がそう告げている。

 それでも、扉を押した。

 鈴の音が、軽く鳴る。

 

 中は静かで、張りつめていて、それでいて穏やかだった。

 この店は受付とサロンに境目がない。
 入ればすぐに、すべてが見渡せる。

 テーブルはすべて埋まっている。さすが人気店ね。

 客がこちらを見る。
 だがすぐに、何事もなかったかのように打ち合わせへ戻る。

 従業員も同じ。
 視線は向くが、止まらない。

 

 歓迎されていない。

 

「いらっしゃいませ」

 受付の娘が、きちんと頭を下げる。
 その所作は美しい。だが……それだけだ。

「スペード夫人よ。予約を取りたいの」

 娘は一瞬だけ目を見開いた。
 だが、すぐに帳面へと視線を落とす。

「確認いたします」

 

 慌てないのね。

 

 ほんの数秒、待たされる。

 その間に、店内を観察する。

 布地の並び。光の落とし方。客の層。

 どれも無駄がない。隙もない。

 あら、あそこでオーナーも接客しているわね。
 迷っている客に助言をしているところかしら。

 だったら、わたしの相談にも、すぐ乗れるはず。

 やはり直接来て正解ね。

 

 娘が顔を上げた。

「申し訳ございません。現在、すべてご予約でいっぱいでございます」

 静かな声。整えられた言葉。

 

「そう」

 わたしは微笑んだ。

「では、オーナーを呼んでちょうだい。話があるの」

 

 娘は一瞬だけためらったが、すぐにうなずく。

 店内の視線が、わずかに集まる。

 いいわ。見ていなさい。

 

 すぐに、オーナーがやって来た。

 以前と変わらぬ顔。
 けれど、笑みはない。

 

「スペード様」

 丁寧に頭を下げる。
 そして、すぐに顔を上げた。

 

「わたくしどもでは、お作りいたしません。以前にそう申し上げています」

 

 なるほど、まだ、その話を続けるのね。

 

 わたしは軽く笑った。

「そんなこと、まだ気にしているの?」

 一歩、距離を詰める。

「もう許してあげてるわよ」

 

 与える側の声音で。
 恩を示す側の態度で。

 

 だが、オーナーの表情は、一切動かなかった。

 

「わたくしどもが、お断りしているのです」

 はっきりと、言い切る。

 

「『明らかに似合わない装いを作った』と言われることは、店の不名誉でございます」

 

 空気が、張り詰める。

 

「そのため、あの時点でお断りいたしました。
 そして。その判断は、現在も変わっておりません」

 

 視線が、まっすぐにこちらを射抜く。

 逃げも、揺れもない。

 

「お引き取り下さい」

 

 ほう。

 

 ここまで言うの。

 

 背後で、フローラが小さく息をついた。

 そして、軽く言う。

「もう、大丈夫よ。姉はいないもの」

 

 その瞬間。空気が、変わった。

 

 オーナーの視線が、ゆっくりとこちらへ向く。

 温度が落ちる。

 はっきりと分かるほどに。

 

「原因は、ミネルバ様ではなく。お二人です」

 

 静かな声。

 だが、それは刃だった。

 

 周囲の客が、息を飲む。

 

 なるほど。


 

「もう、いいわ」

 短く言う。

 それ以上は、言わない。

 言えば、崩れる。

 

 踵を返す。

 視線が背中に刺さる。

 だが、歩幅は乱さない。

 

 フローラも、何も言わずについてくる。

 

 扉を押す。

 外の空気が、頬に触れる。

 

 冷たい。

 

 ゆっくりと、息を整える。

 

 もしかして。

 

 どこからも、断られる?

 

 そんな考えが、胸の奥に沈んだ。

 

「お母様。『マダム・クロエ』に行きましょう」

 フローラの声。
 

「あそこは、ローハン家が……」

 最後まで言えなかった。
 

「そうね。とりあえず、お茶でもいただきましょう」

 

 わたしは、そう答えた。

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