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side Ω
僕の強くてへたれなアルファ 2
あれから五年が経った。
スクールを卒業して半年余り。そこで出来た友人たちの家を順に訪れて、あちこち周遊してから一旦帰国した。友人たちも僕も数年内に結婚するのだ。スクールで磨かれて魅力あふれるオメガとなった僕達だ。それぞれのパートナーの執着できっと自由には外出出来なくなるから、卒業旅行であるとともに独身最後の旅の意味もあった。
久しぶりの日本。ちょっとだけ遠くまで見渡せる気がするのは背が伸びたからだろうか。
あちらの水が合ったのか、僕の身長は十センチも伸びた。体を動かしたくてうずうずして、あちらの武術に打ち込んだおかげでオメガにしてはすっかり体格も良くなってしまった。こんな僕だけれど、間違いなく日本の同世代の中ではトップのオメガと言ってもいいのではないだろうか。やっと、胸を張って裕吾の前に帰れる。
家に帰るのも五年ぶりだ。
僕はもうしばらくは帰ってこないと思っていたらしい。大喜びしてくれる両親や祖父母、兄弟たちと過ごした後、早々に裕吾の家を訪ねた。あちらの家に子どもは裕吾しかいない。僕もまるで子どものように可愛がってもらったから第二の実家のように思ってきた。おじさんもおばさんも涙を流して、まだ僕がここに来ていた頃からいる使用人たちまでが勢揃いで大歓迎してくれた。うれしい。しかし一番会いたい人がそこにはいなかった。
「裕吾、いないんですか?」
尋ねる僕に、おじさんもおばさんも複雑そうな、それでいてつらそうな表情を一瞬見せて、言葉を詰まらせた。
「仕事の都合で、今ここには住んでないのよ。うん、スイちゃんまず連絡してみて」
と言い、おばさんは決心したかのように頷いてメッセージアプリのIDを教えてくれた。
その若干不自然な対応に不安になって、すぐにメッセージを入れることにして、卒業してから新しく契約したスマホを取り出した。けれど裕吾にメッセージなんて初めてで、何からどう言っていいのかわからない。やっとつかんだメッセージのチャンスなのに。その上ずっと英語やフランス語で暮らしていたせいか、日本語でちょうどいい言葉も出てこない。結婚しよう!は、なんかおかしい…だって、僕達はもう約束は交わしているのだ。結婚しましょう、でもないし。
四苦八苦して[結婚するよ。一度そっちに行くね]と送り、すぐに返信が来るとわくわくしつつ待った。
待てども待てども、一日経っても既読にならない。待つのにじれて、[今何してるの?]と送るがこれも未読のままだ。何度、何を送っても未読。[会いたい]と送ってもダメ。不安に耐えきれずおばさんにメッセージを送ると、すぐに折り返しが来た。
[裕吾、こじらせちゃっててね。ここにいるから直接行ってみて。ごめんなさいね、我が家からは動けないの]って。こじらせたって、何を?こじらせるなんて風邪しか思い付かない。忙しくて身動きの取れないおばさんにご迷惑をかけてしまったことを詫びて、すぐその住所に向かおうと家を出た。
途中のスーパーで食材を買い込んだ。卵とか、パックのご飯とか、いりそうなものを最低限買い込んで行った先にあったのは、古ぼけたアパートだった。そもそも見るからに治安の良くない地域だ。オメガが一人では歩けない雰囲気が漂う。こんなところに、僕のアルファがいるのか。日本とは思えないほど荒廃した雰囲気に、念の為ここまで乗せてきてくれた我が家の運転手についてきてもらい、呼ぶまで近くの車で待っていてもらうことにして、建物に入った。
建物に人の気配は薄かった。コンクリートむき出しの薄暗い通路を歩く。部屋番号なんて見なくてもなんとなく、どっちに行けばいいのかはわかる。ここに確かに、僕のアルファがいる、と確信を持った。
錆色の、凹みとサビの目立つ古ぼけたドアの前に立つ。インターホンを押そうとして、僕は思いついてノックした。
コンコンコココンコン。
これは僕の決めた、僕だけのノック音だ。まだ裕吾と毎日一緒に過ごしていた頃、
「ほら、こんなノックなら音だけで僕ってすぐわかるでしょ」
そんな事を言いながら、得意になってやっていた。僕と知らせるためにノックするだけで、返答も待たず開けて入っていたけれど。裕吾も忘れるわけはないはずだ。我ながらあの頃と変わらずうまく出来たのに、ドアの向こうからは何の返答もない。
裕吾がいるのは間違いない。明らかに気配がする。なぜ開けてくれないのかはわからないけれど、どうしてもここを開けてもらわないとならない。
コンコンコココンコン。
二度目。ドアの向こうで少し、においが強くなった。
「裕吾。いるんでしょ?開けてよ」
黙っていられなくなって、声をかけた。するとドアの向こうにある気配が動いて、ガチャリとドアロックが解錠された音がした。開けていいのか。一か八か、ドアノブを引くと、そこには愛しい僕のアルファがいた。
「!」
僕を見て驚き、慌ててドアを閉めようとするから、反射的に足を挟んで阻止すると同時に、腹が立ってきた。
「遅いっ」
僕が、裕吾だとわかっているのだから、裕吾だって僕だとすぐわかるはずなのに。開けて人の顔を見て驚くなんて。そもそも既読ならまだしも、未読はまったくもって許せない。僕は怒りに任せて素早くドアを開け、裕吾を中に突き飛ばしてドアを閉めた。アルファ相手にこんなことが出来たことに我ながら驚く。こんなところでスクールで学んだ武術が役に立つとは思わなかった。
「もう、何なの?どうして返事してくれないの?」
こんなみっともないこと、裕吾に言ったことなんて一度もないけれど、言わなきゃ気が済まなかった。感情をそのままぶつける僕を、尻餅をついた体勢のまま遠くを見るような目でしばらく見つめて、やっと裕吾は口を開いた。
「す…翠なのか」
裕吾は僕がわからなかったのか。
僕自身でも変わったと思っているから、わからないでもないけどショックで、それにも腹を立てかけて裕吾の顔を見て僕はハッとした。細い顔。まるで針金で作った棒人間に洋服を着せたような、痩せた姿。おばさんが言っていたのはこういうこと?
どこか、理解出来てない部分があるような気がしつつ靴を脱いで、勝手に裕吾の部屋に上がり込んだ。玄関ドアからすぐの狭いキッチン。明るさから考えておそらく奥には窓がある部屋があって、それだけだろう。僕がスクール時代に住んでいた寄宿舎よりも狭く粗末な部屋だ。
どうしてこんな部屋にと思いつつも、風邪をこじらせて寝ていたのなら栄養をつけさせないと、と僕は腕まくりした。スクールでは料理も必修だった。裕吾に食べさせられるものが作れるように、真面目に取り組んできたのだ。
「ほら、なんか栄養あるもの作ってあげるからさっさと風邪治してよ」
「風邪?」
「いや、おばさんから裕吾が長いこと風邪こじらせてる、って聞いたから」
全くわかっていないような様子で聞き返す裕吾に返事を返す。裕吾は基本、言葉が足りない。頭の中で色々考えているのに、テンパると鸚鵡返しするのだ。まさにその状態だった。
「男の家に上がり込むなんて、お相手さんが知ったら怒るだろ。やめたほうがいい」
静かな声。これは裕吾がものすごく考えて発している時…って思いつつ、よくわからない言葉を聞き返した。
「はぁ?お相手さんってなんのこと?」
全く意味がわからない。振り返って裕吾を見ると明らかに戸惑った顔をしている。
「いや、だから…俺達は幼馴染だけど距離ってもんがある…だって結婚するんだろ?」
「え、そうだよ?ほら、早く風邪治してよ、式場の下見だってまだしてないんだからさ」
僕らはもう、大人だ。学生の頃のように世間体や常識を考えなくていいはず。たとえ体の関係が先行しても、勢いで突っ切ってしまうことが出来る。大人のデキ婚はギリで有りだし。そもそも僕は結婚する気で帰ってきたのだ。裕吾は大学院とか、まだ学ぶことがあるだろうけれど、そこまで僕は待っていられない。誰かに横取りされる前にしっかり裕吾を掴んでおきたかったし、ここから用意すれば結婚はちょうど裕吾の卒業後になるはずだから。
「お前の結婚とひいてもいない俺の風邪と何の関係がある?」
え…僕の結婚、って言い方ってなに。しばし考えてハッと思い当たる。うそでしょ。
「は?約束、忘れたのっ?」
僕が自分の真ん中にずっと据えてきた、裕吾との結婚。当然裕吾も同じだと思っていたのに、裕吾はそう思っていない?疑いを持ってしまったらもう、落ち着いてなんかいられなくて、裕吾に詰め寄った。裕吾はアルファなのにあっけなく僕にされるがままだ。そうやって僕に遠慮しているのが許せないし、もう何もかも許せない。
「したでしょ?約束っ。僕がっ、どんな気持ちで留学したと思ってるのっ?ちょっと、裕吾っ…あっ、お相手さんって、裕吾のお相手さんっ?えっ、浮気?浮気じゃないとか…ええーっ。僕がいない間にどうなっちゃってるのっ?嫌だ、やだっ、裕吾、聞いてるっ?ねえ、ねえってばッ!いやだ、嫌だもう!」
胸元をがんがん殴りつけてやっている間も、頭の中には色んな考えが駆け巡って、混乱した。裕吾の横に立ちたくて留学したのに。さっきの「お相手さん」はもしかして僕ではなく裕吾の、か。僕が長く裕吾を一人にしてしまったのは事実だ。その間に他のオメガを好きになっても誰が責められるのか。僕はもう裕吾の隣に立つ資格すらないのかもしれない。そう思ったらもうダメだった。
「裕吾の、お、お相手さんに悪い…でも、裕吾のにおい、僕の好きなにおい、ドアの外からでもわかったからいるとは思ってた…」
涙が止まらないし、自分でも何言っているのかわからない。僕は変わらず、裕吾がわかるのに。でも裕吾が僕を選ばないのなら、裕吾の意思を大切にしたい。幸せは祈れないけれど、退場することなら出来るから。
そんなことで頭を一杯にしている間に、気がついたら裕吾に抱き込まれていた。うれしい、暴れる僕を止めようとしているだけだろうけれど、それでも。
「もういい、今はもう、このままでいい」
裕吾は噛みしめるようにそう言うと、しっかりと僕の背に腕を回した。僕は僕のアルファに、生まれて初めて抱きしめられた。ずっと焦がれていた胸。裕吾の体温。吸い込むだけですっとする香り。何度こうされることを夢見ていたことか。二度目はないかもしれない裕吾の腕の中を、僕は目を閉じて味わった。
スクールを卒業して半年余り。そこで出来た友人たちの家を順に訪れて、あちこち周遊してから一旦帰国した。友人たちも僕も数年内に結婚するのだ。スクールで磨かれて魅力あふれるオメガとなった僕達だ。それぞれのパートナーの執着できっと自由には外出出来なくなるから、卒業旅行であるとともに独身最後の旅の意味もあった。
久しぶりの日本。ちょっとだけ遠くまで見渡せる気がするのは背が伸びたからだろうか。
あちらの水が合ったのか、僕の身長は十センチも伸びた。体を動かしたくてうずうずして、あちらの武術に打ち込んだおかげでオメガにしてはすっかり体格も良くなってしまった。こんな僕だけれど、間違いなく日本の同世代の中ではトップのオメガと言ってもいいのではないだろうか。やっと、胸を張って裕吾の前に帰れる。
家に帰るのも五年ぶりだ。
僕はもうしばらくは帰ってこないと思っていたらしい。大喜びしてくれる両親や祖父母、兄弟たちと過ごした後、早々に裕吾の家を訪ねた。あちらの家に子どもは裕吾しかいない。僕もまるで子どものように可愛がってもらったから第二の実家のように思ってきた。おじさんもおばさんも涙を流して、まだ僕がここに来ていた頃からいる使用人たちまでが勢揃いで大歓迎してくれた。うれしい。しかし一番会いたい人がそこにはいなかった。
「裕吾、いないんですか?」
尋ねる僕に、おじさんもおばさんも複雑そうな、それでいてつらそうな表情を一瞬見せて、言葉を詰まらせた。
「仕事の都合で、今ここには住んでないのよ。うん、スイちゃんまず連絡してみて」
と言い、おばさんは決心したかのように頷いてメッセージアプリのIDを教えてくれた。
その若干不自然な対応に不安になって、すぐにメッセージを入れることにして、卒業してから新しく契約したスマホを取り出した。けれど裕吾にメッセージなんて初めてで、何からどう言っていいのかわからない。やっとつかんだメッセージのチャンスなのに。その上ずっと英語やフランス語で暮らしていたせいか、日本語でちょうどいい言葉も出てこない。結婚しよう!は、なんかおかしい…だって、僕達はもう約束は交わしているのだ。結婚しましょう、でもないし。
四苦八苦して[結婚するよ。一度そっちに行くね]と送り、すぐに返信が来るとわくわくしつつ待った。
待てども待てども、一日経っても既読にならない。待つのにじれて、[今何してるの?]と送るがこれも未読のままだ。何度、何を送っても未読。[会いたい]と送ってもダメ。不安に耐えきれずおばさんにメッセージを送ると、すぐに折り返しが来た。
[裕吾、こじらせちゃっててね。ここにいるから直接行ってみて。ごめんなさいね、我が家からは動けないの]って。こじらせたって、何を?こじらせるなんて風邪しか思い付かない。忙しくて身動きの取れないおばさんにご迷惑をかけてしまったことを詫びて、すぐその住所に向かおうと家を出た。
途中のスーパーで食材を買い込んだ。卵とか、パックのご飯とか、いりそうなものを最低限買い込んで行った先にあったのは、古ぼけたアパートだった。そもそも見るからに治安の良くない地域だ。オメガが一人では歩けない雰囲気が漂う。こんなところに、僕のアルファがいるのか。日本とは思えないほど荒廃した雰囲気に、念の為ここまで乗せてきてくれた我が家の運転手についてきてもらい、呼ぶまで近くの車で待っていてもらうことにして、建物に入った。
建物に人の気配は薄かった。コンクリートむき出しの薄暗い通路を歩く。部屋番号なんて見なくてもなんとなく、どっちに行けばいいのかはわかる。ここに確かに、僕のアルファがいる、と確信を持った。
錆色の、凹みとサビの目立つ古ぼけたドアの前に立つ。インターホンを押そうとして、僕は思いついてノックした。
コンコンコココンコン。
これは僕の決めた、僕だけのノック音だ。まだ裕吾と毎日一緒に過ごしていた頃、
「ほら、こんなノックなら音だけで僕ってすぐわかるでしょ」
そんな事を言いながら、得意になってやっていた。僕と知らせるためにノックするだけで、返答も待たず開けて入っていたけれど。裕吾も忘れるわけはないはずだ。我ながらあの頃と変わらずうまく出来たのに、ドアの向こうからは何の返答もない。
裕吾がいるのは間違いない。明らかに気配がする。なぜ開けてくれないのかはわからないけれど、どうしてもここを開けてもらわないとならない。
コンコンコココンコン。
二度目。ドアの向こうで少し、においが強くなった。
「裕吾。いるんでしょ?開けてよ」
黙っていられなくなって、声をかけた。するとドアの向こうにある気配が動いて、ガチャリとドアロックが解錠された音がした。開けていいのか。一か八か、ドアノブを引くと、そこには愛しい僕のアルファがいた。
「!」
僕を見て驚き、慌ててドアを閉めようとするから、反射的に足を挟んで阻止すると同時に、腹が立ってきた。
「遅いっ」
僕が、裕吾だとわかっているのだから、裕吾だって僕だとすぐわかるはずなのに。開けて人の顔を見て驚くなんて。そもそも既読ならまだしも、未読はまったくもって許せない。僕は怒りに任せて素早くドアを開け、裕吾を中に突き飛ばしてドアを閉めた。アルファ相手にこんなことが出来たことに我ながら驚く。こんなところでスクールで学んだ武術が役に立つとは思わなかった。
「もう、何なの?どうして返事してくれないの?」
こんなみっともないこと、裕吾に言ったことなんて一度もないけれど、言わなきゃ気が済まなかった。感情をそのままぶつける僕を、尻餅をついた体勢のまま遠くを見るような目でしばらく見つめて、やっと裕吾は口を開いた。
「す…翠なのか」
裕吾は僕がわからなかったのか。
僕自身でも変わったと思っているから、わからないでもないけどショックで、それにも腹を立てかけて裕吾の顔を見て僕はハッとした。細い顔。まるで針金で作った棒人間に洋服を着せたような、痩せた姿。おばさんが言っていたのはこういうこと?
どこか、理解出来てない部分があるような気がしつつ靴を脱いで、勝手に裕吾の部屋に上がり込んだ。玄関ドアからすぐの狭いキッチン。明るさから考えておそらく奥には窓がある部屋があって、それだけだろう。僕がスクール時代に住んでいた寄宿舎よりも狭く粗末な部屋だ。
どうしてこんな部屋にと思いつつも、風邪をこじらせて寝ていたのなら栄養をつけさせないと、と僕は腕まくりした。スクールでは料理も必修だった。裕吾に食べさせられるものが作れるように、真面目に取り組んできたのだ。
「ほら、なんか栄養あるもの作ってあげるからさっさと風邪治してよ」
「風邪?」
「いや、おばさんから裕吾が長いこと風邪こじらせてる、って聞いたから」
全くわかっていないような様子で聞き返す裕吾に返事を返す。裕吾は基本、言葉が足りない。頭の中で色々考えているのに、テンパると鸚鵡返しするのだ。まさにその状態だった。
「男の家に上がり込むなんて、お相手さんが知ったら怒るだろ。やめたほうがいい」
静かな声。これは裕吾がものすごく考えて発している時…って思いつつ、よくわからない言葉を聞き返した。
「はぁ?お相手さんってなんのこと?」
全く意味がわからない。振り返って裕吾を見ると明らかに戸惑った顔をしている。
「いや、だから…俺達は幼馴染だけど距離ってもんがある…だって結婚するんだろ?」
「え、そうだよ?ほら、早く風邪治してよ、式場の下見だってまだしてないんだからさ」
僕らはもう、大人だ。学生の頃のように世間体や常識を考えなくていいはず。たとえ体の関係が先行しても、勢いで突っ切ってしまうことが出来る。大人のデキ婚はギリで有りだし。そもそも僕は結婚する気で帰ってきたのだ。裕吾は大学院とか、まだ学ぶことがあるだろうけれど、そこまで僕は待っていられない。誰かに横取りされる前にしっかり裕吾を掴んでおきたかったし、ここから用意すれば結婚はちょうど裕吾の卒業後になるはずだから。
「お前の結婚とひいてもいない俺の風邪と何の関係がある?」
え…僕の結婚、って言い方ってなに。しばし考えてハッと思い当たる。うそでしょ。
「は?約束、忘れたのっ?」
僕が自分の真ん中にずっと据えてきた、裕吾との結婚。当然裕吾も同じだと思っていたのに、裕吾はそう思っていない?疑いを持ってしまったらもう、落ち着いてなんかいられなくて、裕吾に詰め寄った。裕吾はアルファなのにあっけなく僕にされるがままだ。そうやって僕に遠慮しているのが許せないし、もう何もかも許せない。
「したでしょ?約束っ。僕がっ、どんな気持ちで留学したと思ってるのっ?ちょっと、裕吾っ…あっ、お相手さんって、裕吾のお相手さんっ?えっ、浮気?浮気じゃないとか…ええーっ。僕がいない間にどうなっちゃってるのっ?嫌だ、やだっ、裕吾、聞いてるっ?ねえ、ねえってばッ!いやだ、嫌だもう!」
胸元をがんがん殴りつけてやっている間も、頭の中には色んな考えが駆け巡って、混乱した。裕吾の横に立ちたくて留学したのに。さっきの「お相手さん」はもしかして僕ではなく裕吾の、か。僕が長く裕吾を一人にしてしまったのは事実だ。その間に他のオメガを好きになっても誰が責められるのか。僕はもう裕吾の隣に立つ資格すらないのかもしれない。そう思ったらもうダメだった。
「裕吾の、お、お相手さんに悪い…でも、裕吾のにおい、僕の好きなにおい、ドアの外からでもわかったからいるとは思ってた…」
涙が止まらないし、自分でも何言っているのかわからない。僕は変わらず、裕吾がわかるのに。でも裕吾が僕を選ばないのなら、裕吾の意思を大切にしたい。幸せは祈れないけれど、退場することなら出来るから。
そんなことで頭を一杯にしている間に、気がついたら裕吾に抱き込まれていた。うれしい、暴れる僕を止めようとしているだけだろうけれど、それでも。
「もういい、今はもう、このままでいい」
裕吾は噛みしめるようにそう言うと、しっかりと僕の背に腕を回した。僕は僕のアルファに、生まれて初めて抱きしめられた。ずっと焦がれていた胸。裕吾の体温。吸い込むだけですっとする香り。何度こうされることを夢見ていたことか。二度目はないかもしれない裕吾の腕の中を、僕は目を閉じて味わった。
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