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その後
その後 1 side Ω
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(Side Ω)
真っ白な部屋。
シンプルでも質の良いものが置かれていて殺風景ではないけれど、色味のものが何も無いことで、やはりここは病室なのだと思わされる。廊下とつながるドアを開ければスタッフや人の行動する音が聞こえるが、閉めてしまえばただ規則的な電子音だけが響いている。心電図やたくさんの機器が脇に置かれ、点滴や注入する薬剤がつけられたポールに囲まれたベッド。
そこに裕吾がいて、僕がいる。
裕吾は運び込まれてから一日経っても、まだ目を覚まさない。僕は裕吾と二人きり、広い個室にいる。
裕吾は、目は覚まさないが身動きはする。そして、なぜか常に体の一部を僕にくっつけていないと何らかの数値にすぐ異常が出てアラーム音が鳴るため、手を繋いだりしている。けれど僕が手を握れば裕吾はもっと、とでも言うかのように寄ってきて、だんだん抱え込まれて妙な格好になってしまうため、諦めてベッドに腰掛けて膝枕のような状態だ。話しかけても揺すっても目覚めないのに、本能だけで無意識に動いてこうなっているそうだ。まるで小さな子供のような裕吾に驚きつつも、求められていることはうれしい。
くっつき合って眠った子供の頃を思い出す。僕としても離れたくないから、もういいと言われるまで裕吾が求めてくれている限り、こうしていようと思っている。
あの後。
成り行きで抱きしめられてしまった裕吾の腕の中で、僕は混乱しつつ舞い上がった。二度と無いことかもしれないと、全ての瞬間を記憶しておこうと必死だった。そんな中で急に裕吾の体が脱力するのを感じて慌てて支えたら、そのまま裕吾は気を失ってしまった。
スクールの武術で体を鍛えたおかげか、一緒に倒れ込むこと無く支えられたのは良かった。そうして抱きとめた、僕よりもずっと大きいはずの体は想像よりもずっと軽くて。そして裕吾は気を失っているというのに、僕を抱きしめたまま。何をどうしてもそれは外れず、仕方なく僕はそのままの格好でスマートウォッチから運転手を呼んで救急車を呼び、裕吾の家と僕の家に連絡を入れたのだった。
そのまま僕も救急車で運ばれて、着いた病院の救急でやっと医師やスタッフの手を借りて裕吾は剥がれた。そして改めてまじまじと見た裕吾のやつれ具合に驚いた。落ち窪んだ眼窩、こけた頬。痩せているだけじゃない。ひび割れた唇とかさかさの肌。胸に手を当てればダイレクトに骨に当たるし、骨と皮ばかりで心臓の動きが直接手に響いた。
「本当にごめんなさい、スイちゃん」
裕吾が検査のために運ばれて行き、僕一人になった病室に駆けつけた裕吾の両親が深く頭を下げた。既に駆けつけていた僕の両親も。頭を下げる四人の親たちに面食らった。そして聞かされた話に僕は言葉を失った。
まず僕がずっと疑問に思っていた、あれだけ僕と裕吾の仲が良くて、両家も理解をしているのに婚約を結ばなかったこと。それはそれぞれに自由と選択肢を残すため、だったそうだ。婚約でオメガ側は自由な行動を制限されてしまう。また、互いに相手だけしか見えない状態は学生としての体験や学びが阻害される、として結ばれなかったという。
でもこれについてはうっすらわかっていた。僕が留学を考えた時、父に裕吾の結婚について尋ねたら、時期を教えてくれたから。僕が当事者でないならスッと教えてはくれないことだから、そう推測していた。
次に学生時代に入って完全に引き離されたことについて。それはおおよそ僕が知っていたことと相違は無かった。でもそれは僕だけのことで、裕吾は何も聞かされていなかったという。
「二人がお互いに好きあっていることは誰の目からもわかった。だから、体が急に成熟しつつある二人を一緒にしておけなかったのよ」
裕吾の母はそう言って裕吾と同じ、切れ長の目を伏せた。
刺激したくなかったとも言った。僕に発情が来たと教えること・勘づかせることが、互いの本能に火をつけてしまうかもしれない。子犬のようにじゃれ合い、泊まりとなれば絡み合ったまま眠る子供の頃のままの、距離の近い関係がトリガーになるかもしれない。僕らにとっていつも通りの関係は大人たちの目から見たらそれほど待ったなしのところまで来ていたのだという。ヒート事故を起こしてしまえば被害者と加害者になり、その後は別離しか無いのが社会の常識だ。その後はどちらも訳ありとして扱われてしまう。
「二人をいつか、一つの傷もなく絶対に一緒にさせる。そのことだけが僕らの目標だったんだよ」
と言うのは僕の産みの父だ。そうして裕吾も僕も何も知らされないまま、お泊りも交流も無くなって静かに引き離されていた。
しかし僕の留学が、僕らを見守っていた大人たちにとって計算外の出来事だった。留学自体は良いことしか無く誰もが賛成ではあったから、僕のやりたいようにことは進んだ。しかし僕が発ってから、裕吾は少しずつ元気を無くしていったという。周りの人から見てもわかるほどのものではあったが、それは環境が変わる時期だからと考えればそうとも見えた。あからさまに荒れたり、見てわかる良くない変化があれば絶対に声をかけたが、その状態でも裕吾は良い成績を重ねて大学を二度飛び級した。だからこれはなるべく早く僕と結婚するつもりでストイックに行動しているのだとみなして、と見守っていたらしい。
異変が起きたのは大学の卒業式の当日だった。裕吾は大学へ向かうと家を出てそのまま行方不明になった。スマホもカードも、辿れるものは全て家に置いたまま、裕吾は消えた。事件であればことだが、その後の経歴に傷がつくために警察沙汰は避けたのだという。
財力に任せてありとあらゆる伝手を使って探したが、どんなに探しても見つからない。生死すらもわからないまま、やっと所在を掴めたのは1年ほど前だという。場末の盛り場を所在地にしている小さな会社。その前例のない業態と躍進ぶりが話題となっていた。
その代表は若いアルファだとの噂があり、伝え聞く人相風体も合わないけれど念のためにと調べたところ、裕吾だとわかったのだという。その頃にはもうやせ細って、誰も一目で裕吾であるとわからないほど、やつれていたという。
「私達からはなぜ裕吾がこうなってしまったのか、全くわからないの。あの子は子供の時から口数も言葉数も少ない子で、不満も言わない。とても賢く、物わかりもいい。だから私達の思いもちゃんとわかっていると思っていた。スイちゃんと裕吾の間でなにかあったのではないかという可能性も考えてはみたけれど、そうじゃないことはずっとあなたの行動を見ていてわかってたし。
無理に連れ戻すことも出来たけれど、それで何かあったら今度こそ裕吾が手の届かないところに行ってしまいそうで…ただ安否を見守るのみだったのよ。あなたが当たり前のように帰ってきてくれたこと、きっぱりと裕吾のところに行く、と言ってくれたことが、どれほど私達の希望になったことか」
あの歓迎ぶりの意味がやっとわかった。確かに数年ぶりの帰国だけど、それだけではないものがなにかあるように感じるほどのものだったから。そしてこう言うということはきっと、留学中の僕の様子も調べられていたことだろう。
大人たちの思いを聞かされていなかったのだから、仕方なかったとも言える。でも、僕は僕で、悪い意味で裕吾を信じ過ぎていた。裕吾も僕も同じ年なんだから、そんなに達観なんて出来ないはずだった。僕が裕吾だけを求めてやまないように、裕吾も同じだったかもしれないのに。僕は唇を強く噛んだ。
あの頃、僕は不安だった。空虚な、あるはずの半身が欠けたような感覚と、裕吾と声すら交わせない日々に耐えかねて出した、留学という答え。何かに打ち込んでいなければ、不安でいられなかったのだ。確かにそれは、僕の空虚を救ったけれど、救われたのは僕だけで。その裏で裕吾は失踪するほどの苦しみを感じていたのだ。
全員が黙り込んで重苦しい空気の中、しばらくして裕吾が部屋に戻ってきた。変わらず意識はないまま、たくさんの機械に繋がれて点滴をされながら。程なくして医師が部屋を訪れ、裕吾の病状が説明された。僕の両親は席を外し、僕は裕吾の両親とともに正式に婚約者として話を聞いた。
裕吾に起きていた変化は驚くべきものだった。
極度の栄養失調と心身の衰弱。そしてその原因である番欠乏に似た症状。番欠乏は普通、番関係であった者同士に起こるもの。年を取って死別した場合はあまり起こらず、まだ若く性機能が充実している年代の番が何らかの理由で離別した時に起こるものだ、ということも常識のうちとして知っているだけ。というのも今はあまり聞かれない。良い抑制剤がいくつも出ていて番欠乏でどうかなる人なんてほとんどいないのだ。
「僕達は…番ではないのですが」
「ええ、承知してます。希少ですが、世界ではいくつか症例があります。番でなくても、絆の深い…とても相性の良い相手だと起こるのです。私は今回初めて目にしましたが。この相性の良さのことを以前は運命の番と呼んだりしていたのです」
僕が裕吾の香りを子供の頃から知っていたこと、裕吾も僕の香りをわかっていたこと。僕らにとって普通のことは、普通では起こり得ないことだった。第二性が未成熟な間、普通はフェロモンは香らない。香らないから感じることはないのに、僕達の間にはそれが起こっていた。
裕吾の体の状態は僕と離れた上に、何の説明もなく僕が旅立ったことでなってしまったこと。裕吾にとって最も耐え難いことだったのではないか、ということだった。そして裕吾が倒れたのはずっと求めていた相手に突然・直接触れることで、濃いフェロモンを一気に体に受けたために起きたショック症状だという。
普通、このような症状は何人でも番関係が結べるアルファと一人としか番になれないオメガの性差で、オメガ側に起こることがほとんどだという。アルファ側にそれが起きたのは異例中の異例であるが、放っておけば番欠乏と同じように、裕吾は徐々に弱って、蝋燭の火を吹き消すように命を終えてしまうところだったとのこと。医師はホッとした顔でこうも言った。
「決定的な離別や死別ではなかったことは喜ばしい。ここまでくるともう薬剤治療でどうにかなるものではないのです。相手のフェロモンをうけることが唯一の治療で、それで飛躍的に回復するのが番ですから」
裕吾が、意識がないのに僕に絡みつくことは本能で、僕が裕吾に触れていることは回復にとても意味があるとのことだった。この病院は完全看護で成人の入院患者に付き添いはいらないが、これは療法。許可が降りたので泊まり込む事を決めた。
誰も居ないこの部屋は静かだ。
この部屋は病院に唯一の特別室だ。裕吾の両親がやっと戻ってきた息子に歓喜して張り切って決めたもの。ダイニングキッチンもお風呂もトイレもあって、隣に更にもう一部屋つながっている。そちらには時間の許す限り裕吾の家族が詰めていて様子を見に来るけれど、大の大人で騒ぐわけでもないし、点滴や薬剤を追加したり、回診や時間ごとに人が来る以外は裕吾の呼吸音と機器の音だけが響いている。
この男は僕のアルファ。裕吾はずっと僕のものだった。
こんな時にこんなことを思うのは本当にどうかしていると思う。裕吾がこうなってしまったことに責任を感じながらも、裕吾が誰ともそんな関係になってないこと、運命の番とも言える立場だということを嬉しく感じている僕がいる。裕吾ともみ合った時に思い至った、僕じゃない別の誰かが裕吾の大切な人になっていたら、ということに僕は震え上がったし、こうしてそばにいられることに例えようもなく安らいでいる。
「早く、目を覚まして裕吾。僕のアルファ」
僕の膝に頭を乗せている裕吾の顔を見ながら、誰がなんと言おうともう二度と離れない、と誓った。
⌘ ⌘ ⌘
Xアカウント、開設しました。
いろいろ作品情報書いてますので、よろしかったらどうぞ。
真っ白な部屋。
シンプルでも質の良いものが置かれていて殺風景ではないけれど、色味のものが何も無いことで、やはりここは病室なのだと思わされる。廊下とつながるドアを開ければスタッフや人の行動する音が聞こえるが、閉めてしまえばただ規則的な電子音だけが響いている。心電図やたくさんの機器が脇に置かれ、点滴や注入する薬剤がつけられたポールに囲まれたベッド。
そこに裕吾がいて、僕がいる。
裕吾は運び込まれてから一日経っても、まだ目を覚まさない。僕は裕吾と二人きり、広い個室にいる。
裕吾は、目は覚まさないが身動きはする。そして、なぜか常に体の一部を僕にくっつけていないと何らかの数値にすぐ異常が出てアラーム音が鳴るため、手を繋いだりしている。けれど僕が手を握れば裕吾はもっと、とでも言うかのように寄ってきて、だんだん抱え込まれて妙な格好になってしまうため、諦めてベッドに腰掛けて膝枕のような状態だ。話しかけても揺すっても目覚めないのに、本能だけで無意識に動いてこうなっているそうだ。まるで小さな子供のような裕吾に驚きつつも、求められていることはうれしい。
くっつき合って眠った子供の頃を思い出す。僕としても離れたくないから、もういいと言われるまで裕吾が求めてくれている限り、こうしていようと思っている。
あの後。
成り行きで抱きしめられてしまった裕吾の腕の中で、僕は混乱しつつ舞い上がった。二度と無いことかもしれないと、全ての瞬間を記憶しておこうと必死だった。そんな中で急に裕吾の体が脱力するのを感じて慌てて支えたら、そのまま裕吾は気を失ってしまった。
スクールの武術で体を鍛えたおかげか、一緒に倒れ込むこと無く支えられたのは良かった。そうして抱きとめた、僕よりもずっと大きいはずの体は想像よりもずっと軽くて。そして裕吾は気を失っているというのに、僕を抱きしめたまま。何をどうしてもそれは外れず、仕方なく僕はそのままの格好でスマートウォッチから運転手を呼んで救急車を呼び、裕吾の家と僕の家に連絡を入れたのだった。
そのまま僕も救急車で運ばれて、着いた病院の救急でやっと医師やスタッフの手を借りて裕吾は剥がれた。そして改めてまじまじと見た裕吾のやつれ具合に驚いた。落ち窪んだ眼窩、こけた頬。痩せているだけじゃない。ひび割れた唇とかさかさの肌。胸に手を当てればダイレクトに骨に当たるし、骨と皮ばかりで心臓の動きが直接手に響いた。
「本当にごめんなさい、スイちゃん」
裕吾が検査のために運ばれて行き、僕一人になった病室に駆けつけた裕吾の両親が深く頭を下げた。既に駆けつけていた僕の両親も。頭を下げる四人の親たちに面食らった。そして聞かされた話に僕は言葉を失った。
まず僕がずっと疑問に思っていた、あれだけ僕と裕吾の仲が良くて、両家も理解をしているのに婚約を結ばなかったこと。それはそれぞれに自由と選択肢を残すため、だったそうだ。婚約でオメガ側は自由な行動を制限されてしまう。また、互いに相手だけしか見えない状態は学生としての体験や学びが阻害される、として結ばれなかったという。
でもこれについてはうっすらわかっていた。僕が留学を考えた時、父に裕吾の結婚について尋ねたら、時期を教えてくれたから。僕が当事者でないならスッと教えてはくれないことだから、そう推測していた。
次に学生時代に入って完全に引き離されたことについて。それはおおよそ僕が知っていたことと相違は無かった。でもそれは僕だけのことで、裕吾は何も聞かされていなかったという。
「二人がお互いに好きあっていることは誰の目からもわかった。だから、体が急に成熟しつつある二人を一緒にしておけなかったのよ」
裕吾の母はそう言って裕吾と同じ、切れ長の目を伏せた。
刺激したくなかったとも言った。僕に発情が来たと教えること・勘づかせることが、互いの本能に火をつけてしまうかもしれない。子犬のようにじゃれ合い、泊まりとなれば絡み合ったまま眠る子供の頃のままの、距離の近い関係がトリガーになるかもしれない。僕らにとっていつも通りの関係は大人たちの目から見たらそれほど待ったなしのところまで来ていたのだという。ヒート事故を起こしてしまえば被害者と加害者になり、その後は別離しか無いのが社会の常識だ。その後はどちらも訳ありとして扱われてしまう。
「二人をいつか、一つの傷もなく絶対に一緒にさせる。そのことだけが僕らの目標だったんだよ」
と言うのは僕の産みの父だ。そうして裕吾も僕も何も知らされないまま、お泊りも交流も無くなって静かに引き離されていた。
しかし僕の留学が、僕らを見守っていた大人たちにとって計算外の出来事だった。留学自体は良いことしか無く誰もが賛成ではあったから、僕のやりたいようにことは進んだ。しかし僕が発ってから、裕吾は少しずつ元気を無くしていったという。周りの人から見てもわかるほどのものではあったが、それは環境が変わる時期だからと考えればそうとも見えた。あからさまに荒れたり、見てわかる良くない変化があれば絶対に声をかけたが、その状態でも裕吾は良い成績を重ねて大学を二度飛び級した。だからこれはなるべく早く僕と結婚するつもりでストイックに行動しているのだとみなして、と見守っていたらしい。
異変が起きたのは大学の卒業式の当日だった。裕吾は大学へ向かうと家を出てそのまま行方不明になった。スマホもカードも、辿れるものは全て家に置いたまま、裕吾は消えた。事件であればことだが、その後の経歴に傷がつくために警察沙汰は避けたのだという。
財力に任せてありとあらゆる伝手を使って探したが、どんなに探しても見つからない。生死すらもわからないまま、やっと所在を掴めたのは1年ほど前だという。場末の盛り場を所在地にしている小さな会社。その前例のない業態と躍進ぶりが話題となっていた。
その代表は若いアルファだとの噂があり、伝え聞く人相風体も合わないけれど念のためにと調べたところ、裕吾だとわかったのだという。その頃にはもうやせ細って、誰も一目で裕吾であるとわからないほど、やつれていたという。
「私達からはなぜ裕吾がこうなってしまったのか、全くわからないの。あの子は子供の時から口数も言葉数も少ない子で、不満も言わない。とても賢く、物わかりもいい。だから私達の思いもちゃんとわかっていると思っていた。スイちゃんと裕吾の間でなにかあったのではないかという可能性も考えてはみたけれど、そうじゃないことはずっとあなたの行動を見ていてわかってたし。
無理に連れ戻すことも出来たけれど、それで何かあったら今度こそ裕吾が手の届かないところに行ってしまいそうで…ただ安否を見守るのみだったのよ。あなたが当たり前のように帰ってきてくれたこと、きっぱりと裕吾のところに行く、と言ってくれたことが、どれほど私達の希望になったことか」
あの歓迎ぶりの意味がやっとわかった。確かに数年ぶりの帰国だけど、それだけではないものがなにかあるように感じるほどのものだったから。そしてこう言うということはきっと、留学中の僕の様子も調べられていたことだろう。
大人たちの思いを聞かされていなかったのだから、仕方なかったとも言える。でも、僕は僕で、悪い意味で裕吾を信じ過ぎていた。裕吾も僕も同じ年なんだから、そんなに達観なんて出来ないはずだった。僕が裕吾だけを求めてやまないように、裕吾も同じだったかもしれないのに。僕は唇を強く噛んだ。
あの頃、僕は不安だった。空虚な、あるはずの半身が欠けたような感覚と、裕吾と声すら交わせない日々に耐えかねて出した、留学という答え。何かに打ち込んでいなければ、不安でいられなかったのだ。確かにそれは、僕の空虚を救ったけれど、救われたのは僕だけで。その裏で裕吾は失踪するほどの苦しみを感じていたのだ。
全員が黙り込んで重苦しい空気の中、しばらくして裕吾が部屋に戻ってきた。変わらず意識はないまま、たくさんの機械に繋がれて点滴をされながら。程なくして医師が部屋を訪れ、裕吾の病状が説明された。僕の両親は席を外し、僕は裕吾の両親とともに正式に婚約者として話を聞いた。
裕吾に起きていた変化は驚くべきものだった。
極度の栄養失調と心身の衰弱。そしてその原因である番欠乏に似た症状。番欠乏は普通、番関係であった者同士に起こるもの。年を取って死別した場合はあまり起こらず、まだ若く性機能が充実している年代の番が何らかの理由で離別した時に起こるものだ、ということも常識のうちとして知っているだけ。というのも今はあまり聞かれない。良い抑制剤がいくつも出ていて番欠乏でどうかなる人なんてほとんどいないのだ。
「僕達は…番ではないのですが」
「ええ、承知してます。希少ですが、世界ではいくつか症例があります。番でなくても、絆の深い…とても相性の良い相手だと起こるのです。私は今回初めて目にしましたが。この相性の良さのことを以前は運命の番と呼んだりしていたのです」
僕が裕吾の香りを子供の頃から知っていたこと、裕吾も僕の香りをわかっていたこと。僕らにとって普通のことは、普通では起こり得ないことだった。第二性が未成熟な間、普通はフェロモンは香らない。香らないから感じることはないのに、僕達の間にはそれが起こっていた。
裕吾の体の状態は僕と離れた上に、何の説明もなく僕が旅立ったことでなってしまったこと。裕吾にとって最も耐え難いことだったのではないか、ということだった。そして裕吾が倒れたのはずっと求めていた相手に突然・直接触れることで、濃いフェロモンを一気に体に受けたために起きたショック症状だという。
普通、このような症状は何人でも番関係が結べるアルファと一人としか番になれないオメガの性差で、オメガ側に起こることがほとんどだという。アルファ側にそれが起きたのは異例中の異例であるが、放っておけば番欠乏と同じように、裕吾は徐々に弱って、蝋燭の火を吹き消すように命を終えてしまうところだったとのこと。医師はホッとした顔でこうも言った。
「決定的な離別や死別ではなかったことは喜ばしい。ここまでくるともう薬剤治療でどうにかなるものではないのです。相手のフェロモンをうけることが唯一の治療で、それで飛躍的に回復するのが番ですから」
裕吾が、意識がないのに僕に絡みつくことは本能で、僕が裕吾に触れていることは回復にとても意味があるとのことだった。この病院は完全看護で成人の入院患者に付き添いはいらないが、これは療法。許可が降りたので泊まり込む事を決めた。
誰も居ないこの部屋は静かだ。
この部屋は病院に唯一の特別室だ。裕吾の両親がやっと戻ってきた息子に歓喜して張り切って決めたもの。ダイニングキッチンもお風呂もトイレもあって、隣に更にもう一部屋つながっている。そちらには時間の許す限り裕吾の家族が詰めていて様子を見に来るけれど、大の大人で騒ぐわけでもないし、点滴や薬剤を追加したり、回診や時間ごとに人が来る以外は裕吾の呼吸音と機器の音だけが響いている。
この男は僕のアルファ。裕吾はずっと僕のものだった。
こんな時にこんなことを思うのは本当にどうかしていると思う。裕吾がこうなってしまったことに責任を感じながらも、裕吾が誰ともそんな関係になってないこと、運命の番とも言える立場だということを嬉しく感じている僕がいる。裕吾ともみ合った時に思い至った、僕じゃない別の誰かが裕吾の大切な人になっていたら、ということに僕は震え上がったし、こうしてそばにいられることに例えようもなく安らいでいる。
「早く、目を覚まして裕吾。僕のアルファ」
僕の膝に頭を乗せている裕吾の顔を見ながら、誰がなんと言おうともう二度と離れない、と誓った。
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