冥剣術士ナズナ

アオピーナ

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現界ノ章:SECTION2『ルメリア襲来編』

EP:SWORD 045 剣能禄・第零節『滅陽』

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 予備動作が無く、予感すら感じさせず、黒氷の鎧ドレス纏ったルメリアはロユリと冥竜を真一文字に斬り裂いていた。

 常人、その頂に位置する冥剣術士たるロユリにとっての凝縮された一秒。それが寵児たるルメリアにとっては、無数の選択肢を選び取れる余白でしかなく。

「……ったく、ムカつくガキだ……っ」

 吐き捨てるようにそう言い放った冥剣術士は、胴と下半身を真っ二つにされたにもかかわらず、顔を痛苦に歪ませるのみだった。

 この第二王女には、いかなる致命傷も簡単には効かない——そう考えたルメリアは、ロユリの次なる一手を即座に予測する。

 恐らく、あの冥剣か冥竜とやらの力を使い、事象破壊を仕掛けてくる筈。その場合、まず真っ先に破壊する事実は当然、自身の明確な『死』で——、

「それが、『死角』というやつだ」

「……っ!」

 ルメリアの腹から、大きな鉤爪が顔を出していた。目の前にあった景色が一瞬にして掻き消え、気が付けばこちらが不利な状況に追い込まれている。

 ——ロユリは、自分と冥竜が斬殺された事実を破壊し、その事実より以前の状況に自分と冥竜を自動的に戻した。

 しかし、それだけではこうも容易くルメリアに不意打ちを食らわせることは出来ない筈。
 否、そもそもこれは不意を突いた形であっても、明確に打てたわけではない。

「では、これも死角を突いたことになりますか?」

 あまりの速さで、冥竜が鉤爪で貫いていたルメリアの身体がその場から消えた。ロユリは僅かに眉をしかめる。
 彼女の目の両端に、黒い影が映る。

「はッ、まるで神の気まぐれなお遊びだな」

 鼻で笑い飛ばしたロユリを、巨大な黒氷の壁同士ぶつかり、潰した。
 ルメリアはその壁の上に降り立ち、夕焼け色の瞳に虚無の色を灯してただ見下ろしている。

 そこへ、凄惨なプレス劇を逃れていた冥竜が、馬鹿の一つ覚えのように、今までと変わらず赤黒い球体を口腔にて装填し、放った。

 ルメリアは無表情に、迫り来る大出力の破壊を見遣り、

「……話にならない」

 右手に持つ氷剣を巨大化させ、両手で構えて切っ先を球体に向けて前へ踏み出した。

 たんっ、と音がした時には既に、黒い影は竜の頭部ごと、破壊の球体を一閃していた。

 返り血を浴びることすらなく、ルメリアは涼しい顔で空を斬り、黒氷で形作られた一対の翼を背に顕現させ、後ろを振り返る。

 ——ロユリ・ブラク・オーディアが、不敵な笑みを浮かべて手のひらを向けていた。

「『滅輪』」
 
 刹那、視界が真っ赤に染まった。

 そこは、血まみれの如く不気味な紅の世界だった。

 骨肉を軋ませるような衝撃が全身のあちこちに迸り、それをさらに黒く巨大な輪状の何かが加速させる。

 永遠に続くような痛苦が、毒のようにルメリアを蝕んでいく。

「う、ぐぁっ、が、が、がぁっ!」

 音速すら超えるルメリアでさえも、対処し
きれなかった本当の意味での不意打ち。

『剣神ノ子』は痛みに悲鳴を上げながら、同じ空間に居るロユリの手のひらを無意識に見遣る。

 冥竜が放っていたような赤黒いエネルギーの球体が、そこに集約していた。

 そして、かざしていた手のひらを空へ向けると同時。

 血の色をした雷光が、瞬く。

 獰猛な雷が落ちたような錯覚に見舞われていると、残滓する雷光に混じって、冥剣が再び姿を晒していた。
 しかし、今度は冥竜の姿がどこにも無く。

「あの竜は、この真なる冥剣を顕現させるに用いた、いわば蓄積機能だ」

 激痛に顔を歪ませたまま浮遊するルメリアに向けて、ロユリは平然とした顔で続ける。

「『滅廻』を含む、限定した空間での状況の変化……アレはそれを記録し続け、同時にそこで我に与えられた事象の全てを、雷を帯電するかのように蓄積し続ける。あの『滅弾』は、その蓄積した情報を上書きしつつ、攻撃や自己防衛の手段として放っていたということだ。お前にとっては、馬鹿の一つ覚えみたいに見えたかもしれないがな」

 冥竜が役立たずに見えたのは、それが原因だったのか。
 ルメリアは痛苦に苛まれる一方で、冷めた思考で情報を噛み砕き、理解していた。

 道理で、文献に載っている冥竜と実在のそれとの齟齬があったわけだ。

「因みにアレは我の使い魔……などではなく、我の魔気が勝手に創り出したモノでな。最初は戸惑っていたが、下手をすれば使い魔を召喚したり育てたりするよりよっぽど使い勝手が良い」

 怪物だ。
 怪物たるルメリアから見ても、この女は怪物の中の怪物だった。

 相手がルメリアのような『剣神ノ子』であろうがなかろうが関係無く、その逸脱した力で全てを滅ぼす怪物。

「それと、この『滅輪』による空間は、冥竜を霧散させると同時に放つ、因果応報みたいなものだ。お前が赤子の暴走であるかのように散々発動させていた『壊死』や我に食らわせた攻撃などが全てそのまま、お前に帰結するようになっている。……とはいえ、流石は『剣神ノ子』。常人なら既に死すら超えて永遠なる煉獄で狂っているところを、お前はただの激痛如きで済んでいる。常人と天才。ここまで差があるとは思わなかったよ」

「……っ」

 確かに、今ロユリが言った通り、ルメリアはもう、この痛苦の煉獄を克服しつつある。
 
 しかしそれは、あくまで効能の一部を削ったに過ぎず、相手に決定打を与えられていることに変わりはないのだ。

 拷問を受けている時に痛みや苦しみを感じなくなったとしても、気付かずうちに死にゆく恐怖は消えない。そんな状態。

 ルメリアは今、体内の神経回路や魔気を咄嗟に調整し、感覚を操作した。

 それ故に痛苦を感じなくなったが、これからロユリに殺されるかもしれないという事実は変わりない。
 だが、そこでふと気付く。

「……あなたは、どうしてルメリアを殺そうとしている……?」

 先程からまるで他人のように自分を示すルメリア。思考と感覚の乖離。超常過ぎるが故の器の破裂。それらの弊害は、既にルメリアを多大に蝕んでいた。

 ロユリは、依然、冥剣を掲げたまま口角を釣り上げて答える。

「小手調べ、だな。こちらにも色々あるから、それ以上のことは言えない」

「は、ぁ……? そんなために、こんな……」

 これほど災厄に力を振りかざし、見せつけておいて、何たるちっぽけな動機か。そう思って、ルメリアは、それはお門違いの嘆きだと気付く。

 だって、ルメリアはそれこそ感情の機微に従って災厄を振り撒いてきたではないか。
 だから、ルメリアは今、罰を受けているに等しい。

 そしてそう考えた方が、ルメリア自身、気が楽だった。

 ——ターチスに見捨てられた可能性など、思いついても認めたくはなかったから。

 もっとも、ロユリが言った『小手調べ』という言葉で、その可能性は潰えているが。

「そろそろ腕が疲れてきたのでな、ひとまずここで終わらせるとしよう」

 そう言って、冥剣術士は大剣の切っ先を赤黒く唸らせる。

 何かが起こる前触れ。何かが終わる前兆。

 今までとは比較にならない程の魔気と、それとは別のあらゆる力が、そこに集約されていく。

 身動きの取れないルメリアは、その超常の幕開けを、ただ漠然と見上げていた。
 そして。

「——『滅陽』」

 肥大化する、血の色の太陽。

 破滅を孕んだそれは、世界を喰い尽くさん勢いで広がっていき、

「……完敗、ですね」

 諦めたように瞑目したルメリアもろとも、灰色の空と黒氷の大地で形作られた世界を破壊した。

 灯火が消されていくように、ルメリアの意識はゆっくりと途絶えていった。



 夢を見ることなく、微睡むこともなく、ルメリアはベッドの上で目を覚ました。

 窓の外を見れば、黒氷の暴走は止まっており、庭の壮麗な姿は元に戻っているのが分かった。

 しかし、どうにも違和感が否めず、窓から差し込む陽光の元を辿ってみる。

 ——おかしい。

 さほど長い戦闘ではなくとも、時間はそれなりに経っていた筈だ。それなのに、

「太陽の位置が、下がっている……」

 その事実を認め、すぐさま思考を張り巡らし、聡明なルメリアはあっという間にある結論へと辿り着いた。

「あれは、もう昨日のことだったんだ」

 意識を失ったルメリアの身体が、半壊していた庭や屋敷同様に、破壊に見舞われていたという事実を破壊されて元の位置へと戻らされていた。

 だが、その結論に行き着いた瞬間、ルメリアはあるモノを目にした。

「……水、滴?」

 まるで浮遊魔法がかけられているみたいに、ルメリアの眼前で手のひらサイズの水滴が浮いているのだ。

 ——色の黒い、水滴が。

「そういう、こと……ですか」

 今度こそ、ルメリアは完全に理解した。

 その推測を確かめるために、ルメリアは窓から外へ出て広大な庭を見渡す。

 遠くからでも紙に書かれた文字を肉眼で捉えて読み上げられる程の視力を持つルメリアにとって、庭中で起きている小さな変化を全て把握するのは一瞬だった。

 黒氷に覆われて崩落していた筈の草花や木々のどれもが、黒い水滴に下にあった。それは今も欠けた花びらにポツリと落ち、姿形を元に戻していく。

 また、その工程が、ルメリアの脳内で無意識のうちに行われていることも理解した。

 再生に見えるそれは、厳密に言えば『創生』。
 文字通り、創って生み出す力。

「『壊死』と、『創生』……」

 氷と水。
 同じ属性にして、用途が大幅に分岐される術式。
 
 二つで一つの剣能。

 それが今、ルメリアに宿っていた。

 てっきり、ロユリの仕業かと思われた庭や屋敷の回復も、全てルメリアが無意識下でやっていたことなのだ。

 もっとも、位置がベッドに戻されていたことに関しては、ロユリの『滅廻』によるものだろうが。

 透明色の宝石に血を垂らしたような瞳の彼女。
 その涼しげな顏が脳裏をよぎると同時、ルメリアはあの『滅陽』なる恐らくは最高位の剣能によって敗北する寸前に、ロユリが言っていたことを思い出した。

『今回ばかりは、我が友ターチスも、辛酸を舐めていたよ。……安心しろ。あいつはいつだってお前を想っている。本当の敵は我が姉、女王だ。ゆめゆめ、それを忘れないで欲しい』

 その時は、理解する必要性を覚えなかった文言に思えたが、今となっては話しが違ってくる。

「女王は、ターチスお姉ちゃんに……」

『何か』を、している。
 その『何か』が何なのかは分からないが、何にせよ、ここでルメリアの意志は明確に定まった。

「お姉ちゃんを、助けに行く」

 右手で空を斬り、氷剣を現出させて握り締める。

 黒氷が剣の形をしただけだったそれは、より鋭く長い氷の刃を煌めかせ、竜の鉤爪のような柄を新たに宿す。

 続いて『人剣一体』も再発動させようとしたが、それは女王と相対した時でいいだろう。

 ロユリによって破壊されていた『無動作術式』の恩恵も、今では元に戻っている。

 あの第二王女は、敵ではなかった。

 いつだってターチスの味方で、彼女が愛する妹分であるルメリアの味方——となるのかはまだ分からないが、少なくとも今回の件で敵対するわけでは無さそうだ。

 その証拠として、ルメリアが『剣神ノ子』として発動させうる本来の剣能、その片割れを引き出してくれたのだから。

 小手調べ。その言葉の裏には、女王も絡んだ様々な思惑があるのだろう。

 しかし、ロユリは心からその言葉を実践してくれたようにも思える。

『開闢の刻限』を実行しようとしている女王と、それに密かに叛逆しようとしているターチスとロユリ。

 その叛逆はきっと、少なくともルメリアの為にはなるのだろう。
 親愛なるターチスが動く理由は、ルメリアは考えずとも分かっている。

「待ってて、お姉ちゃん」

 白いローブのフードを被り、顕現させた氷作りの鞘に氷剣を仕舞い、ルメリアは屋敷の正門に向かって歩き出す。

 その夕焼け色の瞳には、確かな覚悟と決意が宿っていた。


 ターチスがルメリアの傍から離れて三日目。
 そして、『禁忌の三日間』、その三日目。

『剣神ノ子』は、愛する姉君のもとへと歩を進める。

 そして。

 ——この日、国土の四分の一が、氷に飲まれることとなる。
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