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2、ひねくれ魔女は毎日眠い

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 柱に寄りかかって二度寝するアンナベッラを、ジャンは無理矢理起こして言う。

「今日も店を開けるんだろ? ほら、支度しよう」

 アンナベッラは半分目を閉じながら答えた。

「起きてる……起きてるよ……」

 だめだこりゃ。 
 ジャンは当たり前のように中に入り、紙袋を食卓の上にどさっと置く。
 台所の椅子にとりあえず座らせて、ため息をついた。
 
「うちのルーナより寝てるんじゃないか」

 ルーナとはジャンの十六歳下の妹だ。歳が離れているのはルーナの母親のロレッタが後妻だからだ。

「ルーナ……元気?」

 半年前に生まれたルーナは天使のように可愛らしく、さすがのひねくれ魔女もルーナの話になると顔を綻ばせる。

「元気さ。また顔を見にきてやってくれ。父さんも母さんも喜ぶ」
「うん」
「顔を洗ってこいよ。アランチャ(オレンジ)切っといてやるから。食べるだろ?」
「食べる……」

 アンナベッラはのそのそと裏庭に出て行った。
 その間にジャンは勝手知ったる台所でアランチャを切り分ける。元々ジャンのうちの離れだったので、どこに何があるかはよく知っていた。

          ‡

 ーー半年前。

 ロレッタがルーナを産気付いたとき、産婆は家にいなかった。
 焦ったジャンと父親のピエトロ手分けして王都中駆け回っていたときに、たまたまぶつかったのがアンナベッラだった。

『痛い……』
『すみません!』

 謝りながらも切羽詰まった様子のジャンに、アンナベッラは事情を聞きにきた。
 そんな場合じゃないのにと思いながら産婆のことを話すと、アンナベッラはさらに言った。

『その人の特徴を言って。私に見えるくらい細かく』

 なんだそれ、と思ったが妙な迫力に押されるようにジャンは産婆の外見を説明した。
 アンナベッラは、しばらく目をつぶってから事も無げに告げた。

『その人なら、井戸の近くで小麦を抱えて立っている。おしゃべりに夢中になっているみたい。早く迎えに行って』

 まさかと思ったジャンだったが、言われるまま井戸端に走った。すると。

『おや、ジャン? どうしたんだい』

 当たり前のように産婆は井戸の横に立っていた。粉にしたばかりの小麦を抱えて。
 だから。
 アンナベッラのおかげで妹は無事に生まれた。

 恩人にお礼をしなくてはと、ピエトロに言われたジャンは、アンナベッラを探して再び王都中を駆け回った。
 街の外れで、座り込んでいるアンナベッラを見つけたときはもう夜中だった。

『さっき……の……あんたのおかげで無事に……妹が産まれた。礼をしたいから家に来てくれって父さんが』

 息を整えながらジャンが言うと、アンナベッラは首を振った。

『お礼はいらない』
『どうして』
『ひねくれてるから』

 わけがわからないまま質問を重ねたら、ジャンとそう年齢が変わらないように見えるアンナベッラはふるさとの森から一人で王都に出てきたばかりだと言う。
 泊まるところも知り合いもない。
 頭を抱えたジャンは、これはお礼じゃないからと説得して自分の家にアンナベッラを連れて帰った。

『先程はありがとうございました! これはささやかなお礼ですが』
『お礼ならいりません』

 アンナベッラを見た途端、歓迎しようとするピエトロだったが、やはりアンナベッラはお礼を受け取ろうとしない。
 ジャンと同じように頭を抱えたピエトロは、これはお礼ではないと言って、とりあえず行くところのないアンナベッラを数日家に泊めた。
 そして、何がどうなったかジャンの知らないうちに、アンナベッラはジャンの家の離れに住むことになっていた。
 失せ物探しの店をするらしい。
 アンナベッラにとって店を借りることはお礼にならないからとピエトロはジャンに説明したが、ジャンにはいまだにその区別がわからない。

 だけど、美しい魔女が隣に住むことは、正直嬉しかった。
 いや、美しいとかそういうのじゃなく魔女が隣に住むなんてこの機会を逃したら絶対にないだろからそういう意味で!
 それに、ルーナを妊娠してからやたらとジャンに気を遣う後妻のロレッタと顔を合わす時間が少なくなるのもありがたかった。
 口の悪い客からはルーナが妹でよかったと言われるのだ。弟だと、後取り息子であるジャンの立場が危ういから妹でよかったと。
 ジャン自身はそんなことまったく考えていなかったのに、そう言われて初めて自分の居場所が脆いものだと気づいた。

 だからアンナベッラのところにみんなのお礼を持っていくのは、ジャンにとって息抜きのようなものだった。
 だが、意外と重要な役割だともすぐにわかった。
 少なくとも、ジャンがいればアンナベッラは草を食べることはない。

          ‡

「美味しいね!」

 顔を洗ったアンナベッラに切り分けたアランチャを出しながら、ジャンは自分の分も食べる。
 正面から見たアンナベッラの顔はとても整っていて、初めはまごついたがようやく慣れた。
 顔を見ながら世間話もできるくらいに。

「そういえばお前」

 頼まれた事もちゃんとこなす。

「カルロさんがすごく感謝していたぞ」

 アンナベッラは首を傾げた。

「誰それ」
「ほら! 大柄で髭もじゃの!」
「ああ昨日の……椅子の……」
「椅子ってなんだ? 探してたのは指輪だろ?」
「なんでもない。それで?」
「お礼を持っていったのに受け取ってもらえないって愚痴ってたぞ。気持ちじゃないか。受け取ってやれば?」
「うーん、お礼はいいや」

 アンナベッラはあっさり答える。
 わかっていた反応だったが、手間賃を取るからにはジャンはもう少し粘ることにした。

「カルロさんのとこは、王宮の騎士団御用達の武具と防具の店だぞ? パン屋の大旦那の杖がなくなったのとはわけが違う。ちゃんとお礼をもらってやれよ」
「何屋さんでもお礼はもらわない……杖も指輪も一緒……でも、そうか……武具のお店だったんだ」

 アンナベッラが珍しく興味を示したので、ジャンは前のめりに説明する。

「ステファネッリ商会は、ああ見えて王宮の騎士団にも武具を納めているんだ。あのドラーゴ地龍退治に使われた盾もそうだぜ!」
「ドラーゴ……もしかして30年前の……呪いの地龍」

 今思えば、ジャンはこのときに気づくべきだった。

「そう! あの伝説のドラーゴだよ。王弟殿下が仕留めたけどかなり手こずったって噂の。呪われるかもしれないのに倒しに行くってすごいよな」
「詳しく教えて」

 アンナベッラの目が驚いたように見開かれたことに。


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