名付けられたものたち〜ハインリヒ一行の間章〜

遠影此方

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ヤヌアは彼が知っている全てを話さなかった。ただ、雪の降る寒い日に倒れたところを拾ってもらったのだと、それが全てであるかのように言っていた。ただ、その雪の描写だけは克明に語ったために、トリシャは雪に思いを馳せ、涼むことが出来たようだった。ヤヌアは記憶をなくしている。ヤヌアという名前も借り物でしかない。けれども、彼はそのあり方に疑問を微塵も抱いてはいない。ただ彼がヤヌアとして築いたつながりで、彼の世界は廻っている。俺はそうではない。俺の中に巣食う空虚が絶えずその欠落を指差してくるために、俺は欠けた記憶に悩まされる。

 ヤヌアには、あの夜のことは話してはいない。あの悪霊との狂乱を告げたところで、彼は混乱するだけであろう。また、俺自身としても語りたくはないのだ。彼がヤヌアとして築きつつあるのは人と人とのつながりだけではない。そのつながりの中に内包されるのは、ヤヌアという人格をこの世界に留めるための楔であり、それは彼が彼として存在するためには欠かせない魂の一成分なのだ。

 俺にはかつて名前がなかった。忘れたのか、それとも始めからなかったのか分からない。その頃は名前など必要ではなかったからだ。俺が初めてヤヌアに小僧と言ったとき、ヤヌアはそのままその言葉を飲み込んだが、澄んだ眼で俺の名前を問うてきたのだ。

 俺は、名前はないと言った。

 すると、名前を持たなかった頃のヤヌアはそれでは納得せずに、終いには彼が俺の名前を決めることになった。

 月のない、星空が綺麗な夜に、ヤヌアは俺の名を決めた。

 私は、その名を受け入れた。そして、彼が俺の前からいなくなるその日まで、俺は彼のために生きようと決めた。

 そして、その日から俺の名前はハインリヒになった。



 ヤヌアが話を終えていた頃には、あの涼しい風は消え失せて、また暑い空気が部屋の中を満たし始める。

 しかし、名付けられたものたちの思い出の中には、あの白い雪はまだ克明に残っている。


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