銀の髭、黄金の眼

遠影此方

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夜の間、あの人は話をした。

遠い昔の戦争の話、彼の旅のこれまでにあった難儀な話、どこかの国の御伽噺。

上手いとは言えない語り口で、ぼくは焚き火の炎を見つめながら次第に眠りへ誘われてゆく。

ふと、何か思い出したようにあの人は立ち上がる。

ついで聞こえてきたのは、獣の遠吠え。狼だ。

一匹や二匹の吠え声だったそれは、四つ、六つと暗闇の中に膨れ上がってゆく。

あの人は、茂みの一方を睨んで地面に置いた短剣を手に取った。

「仲間を呼ばれる前に声の主をたたく。ここで待っていろ。」

あの人はそう言って、茂みの中へ入ってゆく。

しかし、しばらくしても、あの人は茂みの中から顔を見せない。

不安に思っていると、突然、背後から狼の吠え声が聞こえる。

驚いて、振り返ると、

目を光らせ、牙を見せた狼が、こちらに走って向かってきている。

ぼくはあの人の名前を呼んだ。

しかし、声は虚空に吸い込まれるばかりで、背後には、薪の燃え弾ける音しかしない。

ぼくは後ずさりするが、焚き火の炎が背後に近づいてしまい、満足に動けない。

狼は明るい場所にまで駆け込むと、飛び上がり、僕の腕に噛み付こうとする。

突然の事に体勢を崩したぼくは、足を滑らせ、背中から倒れてゆく。

背中には、炎が、その勢いを熱として伝える。

炎が舌のように伸びて、ぼくの目に襲いかかろうとする。

ぼくは、あの人の名前を懸命に、叫んだ。

狼の吠え声も聞こえないくらいに。

炎の燃えたける音もかき消すくらいに。

しかし、そこに応える声は無かった。

ハインリヒさん。

そう叫ぶ自分の声で目が覚める。

驚いて開けた目には、木の板が組まれた模様が映る

まっすぐなものなど一つも無く、蛇行したり、渦を巻いたりしているものがほとんどだ。ほんの少し、それを眺めて、やっとそれが天井だということが分かる。

「ああ、そうだ。ここは家なんだ。」

独り言は宙に流れて、実感を連れて戻ってくる。夢とは違う、現実の重さとその空気を、ぼくの意識に連れてくる。

差し込んだ光は窓から流れてきたものだ。

ベットから起き上がり、窓を介して外の景色を見る。

白い雲は悠然と空を流れ、たなびく草原はどこまでも続いている。

遠くに羊の群れが見えた。ヤペテさんの羊たちだろうか。しかし、主の姿は、見えない。

はっと気付いて机の上に目を落としたが、そこにはまだ読まれていない本が広げられているだけだった。

短剣はここには無い。

昨日、ボンザに預けたままだ。

ボンザの顔が浮かぶと、それを皮切りに昨日の出来事が猛烈な速度で頭の中に押し流れてくる。ヤペテの羊。ボードラのしたり顔。そして、塔から出てきた女の子。目に焼きついた夕陽。

あの胸の痛みは、まだくすぶったままだ。

ボンザは明朝には短剣は完成していると言っていた。

昼ごろに向かって彼の機嫌を損ねるのは良くない。

ぼくは手早く身支度を済ませると、朝食を取りに居間へと向かう。

居間のテーブルの上には、すでにパンとベーコン一切れが皿に乗っていた。しかし、その反対側は皿だけが残されている。

朝の光に照らされて、いつもより輝いて見えるテーブルには、ハヌアの姿はない。

奇妙に思ったが、椅子に腰掛けたところで、テーブルの上に置かれた紙切れに気がつく。

紙切れには村長のところへ行く、と読める。急いで書かれたのだろうか。ところどころ文字が掠れて、見えなかったが筆跡で見当を付けた。

しかし、村長が村人を呼び出す際は、日にちを予め決めておいて、それを村人に伝えて向かわせるようにするものだ。急に呼び出すことは、ぼくがこの村に来てから一度だって無かった。

何か、良くない事でも起こったのだろうか。

朝食を食べつつ、そんなことを思ったが、答えは出なかった。

皿はそのままにして、席を立つ。

戸を開けると、涼しい風が舞い込んでくる。

陽の光を反射して、草原が輝いているのが見える。

美しいけれど、物足りなく感じてしまうのは、良くないことなのだろうか。

息を吸い込むと、どこからか、花の甘い匂いがした。

春が、もうそこまで来ている。
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