もう二度と、あなたの傷を引き受けません ~死に戻った治癒師伯爵夫人は、冷血公爵の最愛になる~

ゆぷしろん

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5.

 北辺境グレイヴァルト領は、王都とまるで違っていた。

 風は鋭く、空は高く、人々は無口だ。
 豪奢な社交も噂好きの貴婦人もいない。代わりにあるのは、雪、石造りの家々、鉄の匂い、働く人の手だ。

 領都へ到着したセレフィナは、その夜のうちに簡易診療所へ案内された。
 寝台に横たわる患者たちの顔色は悪い。唇は紫がかり、爪の色も鈍い。乾いた咳。黒ずむ皮膚。

「感染症ではなさそう……」
「そう判断した理由は?」
 横でディートハルトが問う。

「家族内で発症していない例が多いからです。それに、肌の変色が局所的すぎる。これは外因性の可能性が高い」
「外因性」
「水か、鉱物か、あるいは呪具」

 セレフィナの目が少しずつ冴えていく。
 ディートハルトは何も言わず、その変化を見ていた。

 翌日から調査が始まった。

 井戸水を調べ、食糧庫を確認し、患者たちの職歴と居住地を記録する。
 症状の出方を地図に書き込み、発症前の行動を洗う。

「先生! この方は鉱山勤務です!」
「こちらの方も!」
「黒変が強い患者は、旧坑道区域の作業員が多いようです」

 若い治癒師たちの報告を受けながら、セレフィナは机に向かう。
 楽しかった。
 純粋に、頭を使うことが。

「……鉱石粉」
 ぽつりと呟く。
「何ですか?」
「呪われた鉱石粉が坑道に滞留しているのかもしれません。吸い込んだことで肺と血液が蝕まれている」

 さらに調べると、旧坑道から採掘された希少鉱石に弱い呪詛反応が確認された。
 長く吸引することで慢性的な中毒を起こす。普通の治癒魔法ではその場しのぎにしかならず、原因を断たなければ再発する。

「では、坑道を閉鎖し、換気を改善し、粉塵除去の薬液を散布すれば……」
「症状は止まるわ。重症者には解毒と肺機能の補助薬が必要だけれど」
「それなら作れる」
「作りましょう。配合表を書きます」

 セレフィナは寝る間も惜しんで動いた。
 薬草を選別し、処方を組み、患者を診て、治癒師たちへ指示を出す。

 そんな彼女の前に、毎晩のようにディートハルトが現れる。

「もう休んでください」
「あと少しです」
「それを三回聞きました」
「今回は本当にあと少しです」
「前回も前々回も、そう仰っていました」

 低い声で淡々と言うのに、なぜかおかしい。
 セレフィナが思わず笑うと、ディートハルトは少しだけ眉を緩めた。

「笑い事ではありません」
「すみません。公爵様が意外と口うるさいので」
「あなたが無茶をするからです」

 その言葉には、妙な熱があった。
 咎める口調のくせに、どこか安心してしまう。

 辺境の人々も温かかった。

「セレフィナ先生、焼きたてのパンです」
「先生、うちの娘が元気になりまして!」
「公爵様、また先生の見張りですか?」
「見張りではない」
「じゃあ何です?」
「……護衛です」
「四六時中?」
「必要です」

 診療所はよく笑った。
 セレフィナも、少しずつ笑うようになった。

 王都にいた頃は、笑う余裕などなかった。
 自分が倒れればレオンが困る。そう思って、常に気を張っていたからだ。

 ここでは違う。
 仕事をしても、誰かのためだけに擦り減っている感覚がない。
 役に立つことが苦しくない。

 ある夜、記録帳を閉じたセレフィナがぽつりと呟いた。

「わたくし、今まで本当に狭い檻の中にいたのですね」
 窓辺に立っていたディートハルトが振り返る。
「王都のことですか」
「ええ。皆、わたくしを“誰かを救う奇跡”としてしか見なかった。けれど本当は、原因を探して、治療法を考えて、そういうことのほうが好きだったのに」
「それが本来のあなたです」
「公爵様は、どうしてそんなふうに言い切れるのですか」
「戦場で何度か見てきたからです」
「……戦場で?」

 ディートハルトは少し黙り、それから言った。

「雪崩に巻き込まれた部隊の救護所で、あなたを見ました。自分の手が震えているのに、患者の呼吸音を聞き分け、処置の順番を判断していた。あの時から、あなたは“奇跡”ではなく“頭で人を救う人”だと知っていた」
「わたくし、覚えていません……」
「覚えていなくて当然です。あなたは限界を越えていましたから」

 胸が、少しだけ熱くなる。
 誰かに見ていてもらえたことが、こんなに救いになるなんて知らなかった。
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