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翌年の春、王都では二つの話題が持ちきりだった。
一つは、ヴァイス伯爵家が財政立て直しのため、一部領地を手放したこと。
アルベルトは社交界から距離を置き、領地経営を一から学び直しているという。結局アルベルトは、セシリアとは結婚しなかった。悪評が広まった彼女に、新たな縁談が持ち込まれることもなかった。後ろ盾のない彼女は、仕方なく修道院に身を寄せたと聞いた。
もう一つは、グランツ公爵とエリス・レーヴェンの婚約である。
社交界は最初こそ騒いだ。
「離縁した女性が公爵夫人に?」 「公爵閣下はなぜ彼女を?」
だが、グランツ領の薬草園が王国の医療を支える重要施設として認められると、噂は称賛に変わった。
彼女は捨てられた妻ではない。
伯爵家を出て、自分の力で立ち上がった女性だ。
婚約披露の夜会で、エリスは白銀のドレスをまとっていた。胸元にはエルダーフラワーを模した小さなブローチ。隣にはディートリヒが立っている。
広間の隅に、アルベルトの姿があった。
彼は深く礼をした。
「婚約、おめでとうございます。レーヴェン嬢」
「ありがとうございます、ヴァイス伯爵」
「あなたが幸せそうで、よかった」
その言葉に、エリスは心から頷けた。
「まさか、あなたとこんな風に会話がする日が来るなんて。自分でも不思議です」
アルベルトは一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、すぐに礼をして去っていった。
ディートリヒが隣で尋ねる。
「変なことを言われませんでしたか。一応ヴァイス伯爵家を呼ばないわけにはいかないので……」
「いいえ。大丈夫です」
「それはよかった」
「彼にも感謝しているのです。あの辛い三年があったから、私は自分を大切にすることを覚えました」
ディートリヒは静かに頷いた。
「ではその三年間を忘れても大丈夫なように、隣で何度でも伝えます。あなたは大切な人だ、と」
広間の音楽が始まる。
ディートリヒが手を差し出した。
「踊っていただけますか」
「喜んで」
エリスはその手を取った。
かつて、夫の隣で笑うために練習した舞踏。誰かに置いていかれないよう、必死で覚えた足取り。
今は違う。
ディートリヒは彼女の歩幅を見て、自然に合わせてくれる。エリスも彼の動きを信じて、軽やかに回った。
水晶灯の光が降る。
白銀のドレスが花のように広がる。
私はもう、誰かの「仕方ない」ではない。
誰かの我慢役でも、代わりでも、都合のよい妻でもない。
私は私として、愛されていい。
曲が終わると、ディートリヒが彼女の手の甲に口づけた。
「これから先、あなたが歩きたい場所へ、共に行かせてください」
エリスは微笑んだ。
「一緒に行きましょう」
窓の外では、春の雨が上がっていた。
庭の白いエルダーフラワーが、月明かりを受けて静かに揺れている。
その花の下で、灰色の猫が退屈そうにあくびをした。
エリスはその姿を見つめ、もう一度だけ過去に別れを告げた。
さようなら、仕方ないと笑っていた私。
これからは、ちゃんと望んで、ちゃんと選んで、ちゃんと愛されて生きていく。
そして、愛する人の隣で、誰よりも私らしく笑うのだ。
一つは、ヴァイス伯爵家が財政立て直しのため、一部領地を手放したこと。
アルベルトは社交界から距離を置き、領地経営を一から学び直しているという。結局アルベルトは、セシリアとは結婚しなかった。悪評が広まった彼女に、新たな縁談が持ち込まれることもなかった。後ろ盾のない彼女は、仕方なく修道院に身を寄せたと聞いた。
もう一つは、グランツ公爵とエリス・レーヴェンの婚約である。
社交界は最初こそ騒いだ。
「離縁した女性が公爵夫人に?」 「公爵閣下はなぜ彼女を?」
だが、グランツ領の薬草園が王国の医療を支える重要施設として認められると、噂は称賛に変わった。
彼女は捨てられた妻ではない。
伯爵家を出て、自分の力で立ち上がった女性だ。
婚約披露の夜会で、エリスは白銀のドレスをまとっていた。胸元にはエルダーフラワーを模した小さなブローチ。隣にはディートリヒが立っている。
広間の隅に、アルベルトの姿があった。
彼は深く礼をした。
「婚約、おめでとうございます。レーヴェン嬢」
「ありがとうございます、ヴァイス伯爵」
「あなたが幸せそうで、よかった」
その言葉に、エリスは心から頷けた。
「まさか、あなたとこんな風に会話がする日が来るなんて。自分でも不思議です」
アルベルトは一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、すぐに礼をして去っていった。
ディートリヒが隣で尋ねる。
「変なことを言われませんでしたか。一応ヴァイス伯爵家を呼ばないわけにはいかないので……」
「いいえ。大丈夫です」
「それはよかった」
「彼にも感謝しているのです。あの辛い三年があったから、私は自分を大切にすることを覚えました」
ディートリヒは静かに頷いた。
「ではその三年間を忘れても大丈夫なように、隣で何度でも伝えます。あなたは大切な人だ、と」
広間の音楽が始まる。
ディートリヒが手を差し出した。
「踊っていただけますか」
「喜んで」
エリスはその手を取った。
かつて、夫の隣で笑うために練習した舞踏。誰かに置いていかれないよう、必死で覚えた足取り。
今は違う。
ディートリヒは彼女の歩幅を見て、自然に合わせてくれる。エリスも彼の動きを信じて、軽やかに回った。
水晶灯の光が降る。
白銀のドレスが花のように広がる。
私はもう、誰かの「仕方ない」ではない。
誰かの我慢役でも、代わりでも、都合のよい妻でもない。
私は私として、愛されていい。
曲が終わると、ディートリヒが彼女の手の甲に口づけた。
「これから先、あなたが歩きたい場所へ、共に行かせてください」
エリスは微笑んだ。
「一緒に行きましょう」
窓の外では、春の雨が上がっていた。
庭の白いエルダーフラワーが、月明かりを受けて静かに揺れている。
その花の下で、灰色の猫が退屈そうにあくびをした。
エリスはその姿を見つめ、もう一度だけ過去に別れを告げた。
さようなら、仕方ないと笑っていた私。
これからは、ちゃんと望んで、ちゃんと選んで、ちゃんと愛されて生きていく。
そして、愛する人の隣で、誰よりも私らしく笑うのだ。
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