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第六章 王甥殿下の責務
01
しおりを挟む徐々に日が短くなり、収穫の終わった麦畑に雨が降る。ヴィリテ王国では、不穏な空気を見ぬふりをする様に人々は足を速め、家々の扉は家族を守るように固く閉ざされている。
ヴィリテ王国の北に隣接する、他国との交流の少ない、廖廓たる荒野を領土に持つイドゥ・ハラル王国。
独特の文化には謎も多く、褐色の肌を持つ彼らは、ごく僅かに商人などの交流がある以外にはヴィリテ王国で姿を見かけることは少ない。ここ何年も、特にいい話も悪い話も聞かず、これからもそのはずであった。
その国境に、突然大量の兵士が並んだ。
ヴィリテに攻め入るでもなく、だがその統率のとれた兵士たちからは、明らかに敵と対峙する気迫が見てとれた。
王弟家の屋敷の一室で、王宮の会議から戻った王弟レイナードは家族を集めて座らせた。
屋敷に住む王弟レイナード、その妻イリッカ、三男エアハルト。他家に嫁いでいる長女ヴィクトリア、次女レイチェル、三女エレオノーラ。軍の宿舎に住む次男ルドルフ。そして王宮近くの屋敷に住む長男マティアスと、その妻リリア。全員が揃うのはマティアスの婚儀以来であった。
「イドゥ・ハラルから大使が来た」
重い口調でレイナードが会議の内容を説明する。緊急の招集がかけられたということは、王弟家にとって重要な話なのだと、普段賑やかな娘たちも神妙に父親の言葉を待った。珍しく悲壮な面持ちの母親に緊張が高まる。
「先日、イドゥ・ハラルの南部で武装した一団が揉め事を起こし、近くを慰問していたシン王太子が流れ矢に当たってお隠れになった。
……その、一団が、我が国の貴族だった。
大使が言うには、ヴィリテがその気ならイドゥ・ハラルには最後の一人まで戦う覚悟がある、そうでなければ仇首を出せ、と」
彼の国の民は、基本的には礼儀正しく、約束を違わず、困った相手には手を差し伸べる国民性だ。その唯一の逆鱗と言われているのが、王家と国家に対する侮辱と叛逆である。
過去、王族に手をかけた国の国主は必ず殺され首を晒されるか、同じ地位の者の首をイドゥ・ハラルの祭壇に供える為に差し出さねばならなかった。祭壇に供えられる者を、厭悪を込めて『仇首』と呼んだ。
イドゥ・ハラルの仇首の扱いは、文化に詳しくない者ですら恐怖物語として知っている。実際には殆どはただ首を落とされるだけのようだが、数日に及ぶ拷問のような儀式の伝承もあった。
「王太子を出せばそれで手打ち、人数と条件によっては王太子は見逃しても良い、とりあえずその次を交渉人を兼ねて差し出せ、とのことだ」
シン王子が死んだのであれば、本来ヴィリテが差し出すべきはヴォルフ王太子である。それを見逃すというのは、イドゥ・ハラル王国にとっては譲歩であると思われた。
王弟レイナードは、現国王の即位の時に継承権を放棄している。
異国で首を晒される為に差し出される、王太子に次ぐ王位継承者。
「―――俺か」
マティアスの声に、一同がひゅっと息を呑む音が響いた。
イドゥ・ハラル王国は軍を持たない国であり、国民全てが王家の兵士として戦う。その武力の程度は、十三年前にレートカーツ公国が滅ぼされて以降記録がなく、現在ブルムト王国との繊細な関係に気を揉んでいるヴィリテ王国としては交戦する訳にはいかなかった。
「あ、兄上が行くくらいなら、……俺、が……!」
「ルドルフ。国政の中心に立つ為に働いてきたマティアスと、いち軍人を選んだお前では同じ立場ではない。それにヴォルフ様の次、と言われれば、マティアスでしかあり得ない」
眉を顰めてレイナードはマティアスを見る。
「マティアス、すまない」
「まあ、しょうがないですね」
「兄上……!
なんでですか父上、ヴォルフ様の役割ならヴォルフ様が行けばいい! 兄上はずっと国の為に何もかも我慢してきて、やっと結婚したと思ったらこんな」
「ルドルフ、だからお前は軍でも出世しないと言われるんだ。ヴォルフと俺ならヴォルフが優先されるのは当たり前だ」
涙目の弟に、マティアスは苦い顔で笑った。
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