青眼の烏と帰り待つ羊

鉄永

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1部

第九話

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 その後、墓が目立ちすぎないように落ち葉で覆ってから、目印を決めようと、二人は頭をひねっていた。
「動かないもので、変じゃなくて、すぐに分かるもの」
「うん」
「スコップ?」
「目立つね」
「石?」
「まあ、それが無難かな」
 どんな感じがいいかな、と石を並べては積み、崩しては乗せるちひろの隣で、生は自身の目につけられていた布を取る。
 ハンカチを抑えていたのは鉢巻きだったらしい。
 見慣れた紅白の布は、もはや小学校の体育で使うには不穏な見た目になってしまっていた。
 無くなったら困るだろう、とちひろに一声かけると、「このあいだ新しいの配ってもらったからいいよ」と返される。
 それならば、と生は近くの枝にその鉢巻きを結ぶ。
 目印はあればあるほどいい。きっとこれなら場所を見失うことはないだろう。
 ちひろも枝から垂れる鉢巻きを見て「すぐ分かるね」と嬉しそうに頷く。
 ただ、心配なのはこの木が倒されたり、せっかく並べた石が崩されることだった。
 どうしたらそうならないだろうか、と考え、ちひろはふと思いついたことを口に出す。
「おとなになったら、ここにお家たてようかな」
「将来の夢?」
「ん…そう。ここが他の人のにならないように」
「いいね」
「でしょ?…いっぱいはたらいて、お金持ちにならなきゃだ」
「ふふ」
 想像すればするほど、それはとても素敵な考えのように思えた。
 大きい家である必要はない。小さな庭があって、そこに礼のお墓があって…、周りに花壇も作ってあげると、礼が喜ぶかもしれない。
「いくは?」
 いくももしかしたら近くに住むか、お隣さんになるかもしれないし、一緒に住むかもしれない。そんなふうに想像しながら、ちひろは生にたずねる。
 生は石をつまみ上げながら「そうだな」と呟く。
「まだ分からない、けど」
 ちひろがうまく乗せられずに散らばらせた石を器用に組んでから、いくは後ろを振り返った。
「ああいうの、無くなれば、いいね」
 目線の先を追いかけてから、ちひろはゆっくりと生の表情に目線を戻した。
「そうだね。…うん、ないと、いいね」
 生が言った「ああいうの」を、具体的に言葉にするのは難しかった。
 それでも、言葉にしないことで共有できる思いがあり、その部分を明確にする必要がないことは、ちひろにも分かった。
 ただ、生と顔を見合わせれば笑みが返ってくる。それで十分だった。
「そういえば」
 生が改めてちひろの頭から足まで見てから、ふと声を上げる。
「なあに?」
「ちひろ、家は?もう朝だよ」
「あ、」
 そう、今日は休日ではないのだ。
 さぁ、と顔を青ざめさせたちひろを見て、生はやっぱり、と頷く。
「が、がっこう、どうしよ、なんて言おう」
 あわあわと焦り始めるちひろを、いくはまあまあと制する。どうせ今から急いだってしょうがない。
 なんせ今のちひろはどう考えてもそのまま学校に行けるような恰好かっこうをしていないのだ。それよりも、いったん家に帰らせて、彼女の両親へ伝える言い訳を考えてやらねばならない。
「ちひろ、とりあえず家に帰って着替えた方がいいよ。帰ったら、騒がしくて様子を見に来たら、火事だった。それが怖かったから逃げて隠れてたら、そのまま寝ちゃいました、って言ったらいい」
 どう?と聞くと、ちひろは「さわがしくて…見に来て…火事で…」と生の言い訳を繰り返し口の中で唱えてからうなずき、眉を下げた。
「うー、うん、よし。分かった、とりあえず帰るね」
 そう言ってちひろは広げていた荷物をリュックサックに詰め込む。しかし、その途中で、はた、と生を振り返る。
 特にその場から動く様子の無い生は、ちひろの目線に首をかしげた。
 何か気になることでもあるのだろうか、と様子を見ていると、ちひろはおずおずと口を開く。
「いくは?病院とか、警察とか、いくところ」
「俺は…どうしようかな」
 生の返答を聞いて、ちひろは途端に不安げな表情になる。
 今の生にとって、病院も警察もお世話になりたい場所ではなかった。
 それでも、生の身の振り方が分からないと帰りません、とでも言いだしそうなちひろの雰囲気に、とりあえず生は「家、帰ってみるよ」と言った。
 するとちひろは納得したように頷く。
「おうち…、うん。帰れる?」
「うん」
「ちゃんと目とか、手とか、他もいろいろ、治さないとだめだよ」
「うん」
 ようやく帰る準備を整え、リュックサックを背負ったちひろは、なおも心配そうに歩き出そうとしては足を戻す。
「やっぱりついていこうか?」
「ううん」
「自転車使う?」
「いいや」
「一人で大丈夫?」
「もちろん」
「倒れたりしない?」
「しない」
「お財布…」
 なかなか進まないちひろの背を押し、生は「大丈夫」と苦笑する。
「でも…」
「家の人、心配するよ」
 そう言うと、ちひろはしぶしぶと足を進ませた。
 その様子に一息ついてから、生は自分のポケットにいれたままの、彼女のハンカチの存在を思い出し、「これ、」とちひろの背に声をかける。
 ちひろはハンカチを見て、手を出しかけてから「あげる!」と笑った。
「いいの?」
「うん、あげる」
 それはちひろにとっては母に買ってもらった大切なものの一つだったけれど、生に持っていてほしいと思った。生は少し迷ってから「分かった、ありがとう」と、丁寧にたたみなおし、ポケットにしまった。
「じゃあ、気をつけて」
 今度こそ見送る体勢に入った生に、ちひろは寂しそうに手を振りながら「うん」と頷く。
「いくも、気を付けてね。もしなにかあったら、言ってね。なにかなくても、言ってね」
 ちひろの言葉に少しきょとんとしてから、生は笑ってうなずく。
「それで、えっと…」
「ちひろ」
 また足が止まりかけるちひろの言葉をさえぎるように、生は彼女の名前を呼ぶ。
 まばたきをして生の言葉を待つ、小さな彼女に、生は感謝をこめて、別れを告げた。
「じゃあね」
 生の言葉に、ちひろはふにゃりと笑って、言葉を返した。
「うん。またね、いく」


***


 ちひろにとっての夢のような一晩が、終わった。
 家に帰ったちひろはもちろん怒られたのだが、それ以上にいたる所をすりむいたり火傷をした上、雨ですっかり冷えて疲弊した体は高熱を出して、それどころではなくなっていた。そのまま、ちひろは数日寝込むことになる。
 あの出来事は本当にあったことだったのか、記憶が曖昧で、日を追うごとに忘れていく生と礼の声や仕草がちひろを不安にさせる。けれど、二本あったはずの紅白の鉢巻きは手元に一本しかなく、大切なハンカチは棚を探しても出てこなかった。
 熱が引いてから、こっそり礼のところに行こうとしたが、あんなことがあったからか、一帯にフェンスが設けられ、本格的に立ち入り禁止区域になってしまっていた。
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