明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく

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十七 こわい

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 芙蓉さんたち三人と別れ、少し買い物をしてから神社に帰りました。すると、鳥居をくぐろうとしたところで、見慣れた人影が走ってくるのが見えました。姿隠しのお守りをぎゅっと握りしめ、蘿月様には何も言わず、さっと彼の後ろに隠れました。近くの茂みに引っ張っていきたい気持ちはありましたが、あまりにも不自然ですので、どうか見つからないようにと、祈るしかありません。

「なんでまたいないんだよ、琥珀ねえさん」
「そんなものわたくしだって知りたいわよっ。やっぱり他のところに住んでるんじゃないかしらね!」

 ほんの少しだけ様子を伺うと、金剛とほたるが、慌てながら階段を下ってくるところでした。その後ろから躑躅さんが見たこともないような形相で、「また家荒らしやがって! 二度と来るんじゃないわよッ、泥棒ッ、クソガキッ」と言いながら塩を撒いています。ほたるの髪に塩がかかり、小さく悲鳴が上がりますが、躑躅さんはお構いなしでした。ほたるは髪が美しいのが自慢ですから、塩なんてかけられたら大騒ぎするのだと思いましたが、よほど躑躅さんが恐ろしいのか、躑躅さんに歯向かおうなんて気持ちはないようでした。さすがは弱いものは踏みつけるくせに、強いものには媚びへつらう椎名の娘、と言うべきでしょうか。いえ、よく見ると、ドレスではなく着物であっても豪奢なものを選ばせていたほたるが、みすぼらしい、丈の少々合わない着物を身に着けているようでしたので、持っていたうつくしいものたちは皆、質に出してしまったのかもしれません。そしてその服装の惨めさは、金剛も同じでした。金剛もあの西洋館のパーティーで、燕尾服を着ていましたのに、今ではシャツですら着られないようです。

「なんでだよ、なんで琥珀ねえさん出て行ったんだよ。僕らの家よりよっぽど良いだろ」
「二度とうちに帰ってこられないように、さんざん虐めてあげたのにっ。最悪よもう最悪っ。これ以上ないほど最悪! なんでよ、わたくしたちの役に立ててうれしそうだったじゃないのよ、琥珀おねえさまなんて奴隷と一緒じゃないの」
「萩原からの援助、再開してもらわなくちゃ」
「とにかく、はやく見つけなくちゃ。ああもう、塩が落ちてくる!」

 彼らはそれから、ここの神社にいると言った志貴様に悪態をつき、再び躑躅さんに塩をかけられて、慌てて逃げ去っていきました。わたくしはその間ずっと、後ろから彼の手を握っていたのですが、いつの間にか柔らかく握り返されていました。そうして、足跡が消えてから、彼らの暴言が心に突き刺さって、その場に座り込みました。喉元に酸っぱいものがこみ上げてきて、わたくしは口を押えます。すぐに蘿月様が振り向いてわたくしを抱え、手早く、躑躅さんに家を片付けてくるように指示しました。

「琥珀」
「あ、の。気持ちわるくて」

 蘿月様に支えられて茂みに入り、その場で吐きました。家を荒らされるのは二度目、ほたると金剛がわたくしを探している、きっとお父様もお義母様も。そして連れ戻されたら、きっとひどい折檻が待っていて、今度こそ骨が折れたり、ひどく血が流れたりすかもしれない、あれ、でも、売り物でもあるわたくしを、そこまでひどく扱うかしら。ああ、でも、志貴様はするわ。わたくしが二度と逆らわないように、足を折るか、踵の上のふくらみを切るかもしれないわ――。そう思ったら、恐ろしく、がたがたと身体が震えました。そしてまた、志貴様に穢されそうになった時を思い出して、胃が空っぽになるまで、吐きました。

 わたくしは大馬鹿者です。どうして志貴様が大人しくわたくしを手放すと思ったのでしょう。前世のわたくしを穢し、衰弱して死なせてもなお、新しく生まれたわたくしを欲し、再び犯すことを考えるような男が、志貴様です。わたくしを捕えるために、化け物となることを選んだのが、彼です。わたくしが脱走して、本来のかんなぎの役目に戻ったというだけでは、諦めてくれるはずがありません。それなのにわたくしは、つい、優しい場所にいることに、蘿月様に初夜を捧げたことに安心して、自分が連れ戻される想像をするのが怖くて、つい、目を逸らしていたのです。なんて愚かなのでしょう。ずっと蘿月様と躑躅さんがわたくしを一人にしないようにしてくれたのも、志貴様がわたくしを取り戻しに来たとしても、街でうっかり、椎名の家の者に会ったとしても、やすやすと奪われないためだったのです。頭では分かっていたのに実感も持てず、安心しきって暮らしていたわたくしはあまりにも愚かでした。

「琥珀、深呼吸しろ。そう、そうだ。水を飲みにいこう――抱えるぞ、舌噛まないようにするんだ」

 泣いていいぞ、と彼は言いました。わたくしはまた過呼吸を起こしそうになって、ひどくせき込んで、蘿月様の首にしがみつきました。どうしましょう、わたくし、こわい、あそこにもどりたくない、こわい、もうあの苦しいのは耐えられない、いやだ、こわい。そう叫んで、わあわあと泣き声をあげます。

「いいか、お前はこわいことから目を背けて、心を守っていたんだ。気に病むことじゃない」
「でも、でも」

 大丈夫だ。あの二人はもう、俺が顔を覚えたから、結界の中には入ってこられないよ。お前にもう怖い思いはさせないよ。彼にそう言い聞かせられて、宥められて、お屋敷の中で水を飲まされました。躑躅さんが温かい毛布をありったけ持ってきて、わたくしの身体を覆い、今は休んでいるようにと言いました。

「ごめんなさい、ごめんなさい、わたくしのせいで」
「琥珀が謝ることはないよ。お前は何も悪いことをしていない」
「あんたの血縁がクズなだけ。血縁でもあんなの家族って言わないわよ。あの婚約者も一緒」
「いいか、琥珀。すべてはお前の前世が捻じ曲げられたせいだ。これから正せるよ。お前のこれからは自由になるんだよ」
「でもわたくし、あの家に生まれた以上、わたくし、一生」

 蘿月様が毛布ごとわたくしを抱きかかえて、ゆっくりと背を撫でました。それから何か祈りを捧げるように、わたくしの額にそっと口づけました。神様が人間に祈るなんて変だ、と思いましたが、背をさすられ、水を飲まされ、たまに吐いて、額に口づけをされてと繰り返されるうちに、次第に過呼吸と暴れ出したいような気持ちは落ち着いて、わたくしはただぼろぼろと涙を零すのみとなりました。躑躅さんが細かく切った林檎をわたくしの口に押し込んで、少しずつ咀嚼していくうちに、少しずつ言葉を話せるようになってきて、すみません、と呟きます。

「あんたが望むのなら、あの家の連中みんな地獄に落とせるけれど」
「でも、それは」
「分かった。じゃあしないわ」

 躑躅さんに林檎を食べさせてもらいながら、わたくしは少しずつ、考えて、言葉を選んで、口にします。

「わたくしは、安寧というものを、知りました。母以外に、愛されるのは、どういうことかを知りました。これほど優しい場所を知ってしまったら、もう、わたくしを支配し、虐げることを喜びとする人たちの場所には、戻れません」

 蘿月様は頷いて、乱れたわたくしの髪を撫でます。不思議と安心して、彼の胸に頭を寄せると、彼の手がまた優しく、わたくしの頬を撫でるのでした。

「自由というのは、生きる場所を自分で選ぶことだ」
「でも世の女性は、生きる場所なんて、選べません」
「今は、そうかもしれないな。ただ、いずれそういう世の中になるよ。自分に相応しい場所を自分で選ぶ時が来る」

 お前がここを選んだのは定めのためであるけれど、お前が選んで良かったと思う場所にするから。彼はそう呟きました。

「お前が選んだ自由を、奪わせはしないよ。必ず、俺たちはお前を守る」
「守られてばっかりです、わたくし」
「お前がいなければ、俺たちはとっくのとうに討伐されているよ。躑躅も俺もな。お前が傍にいてくれているだけで、十分救われているんだよ」

 だから今は安心しなさい。疲れただろう、眠りなさい――。彼の言葉通り、何もかも忘れるように目を閉じて、眠りたい眠りたいと願っているうちに、本当にわたくしは眠りの世界に落ちていました。
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