宝珠の花嫁と償いの花婿 ――虐げられた乙女は哀傷した神に愛される――

花籠しずく

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第三章 愛のかたち

参 鎖

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 目が覚めると、真っ暗な空間が広がっていました。いえ、広がってはいません。目元に布の感触がするので、おそらくは目隠しをされているのでしょう。声を出そうにも口に詰め物をされていて、声らしい声が出ません。手足をばたつかせれば、しゃらり、しゃらり、鎖の音が響きました。

「起きたかい。良かった」

 少し離れたところで、英介の声がしました。彼の軽い足音が近づいて、ぎしり、わたくしが乗せられている台が軋みます。彼の部屋には西洋で使われているような寝台があったことを思い出し、わたくしは彼の使う褥の上に寝かされているのだと気が付きました。じたじたと手足を動かしますが、どうやら手につけられている鎖は身体の後ろに回されているようで、目隠しも猿轡も自力では取れないのでした。
 やがて彼に身体を起こされ、まず猿轡を外されます。どうして、ひどい、凛とうめさんはどうなったの、言いたいことはたくさんあり、何から問いかけるべきか迷っていると、彼の気配が近づいて、唇が塞がれました。それは桜燐様がしてくれるような、優しさと慈しみを籠めたものではなく、支配することを目的とするものでした。
 背筋がぞうと泡立って、逃げ出そうともがきますが、頭の後ろを押さえつけられていて、逃げることができません。永遠に続くように思われたそれは、やがて終わりを告げ、目隠しが外されます。頬を一筋二筋と涙が伝い、宝石に変わったそれを拾い上げた彼は、後ろに控えていた男にそれを渡しました。

「たった五個じゃあないか」
「たった五個でも、その宝石は磨けば価値がつく。誘拐の駄賃には妥当だろう?」
「元嫁の実家までけしかけたんだぞ。もっと寄越せ」

 英介に詰め寄る男は、本の挿絵で見たような派手な服装をしており、すぐ、凛の旦那様だと思い出します。そして彼の言葉から、凛のお母様は彼に脅されてわたくしたちを眠らせ、そして彼がわたくしをここに攫ってきたのだと気が付きました。

「なんて卑劣。凛とうめさんは無事なの?」
「俺は知らない。だがまあ、あの婆、お前のことは気味悪がっても娘のことは可愛いみたいだからな。もう目を覚ます頃だろ」

 ほっとしていいのか、してはいけないのか分かりませんでしたが、わたくしのせいであの二人を巻き込んでしまったことが悔やまれます。二人が無事でいますようにと心の中で祈っていると、「こいつはお人よしだな」と凛の旦那様が馬鹿にしたように笑いました。すると英介は、可愛いでしょう、とわたくしの耳たぶを甘く噛むのです。

「ずっと虐められてたくせに優しくて、綺麗な、僕の姉さん。あんたが姉さんを嫁にとろうって考えてたって知ってた時は殺そうと思ったけど、これでなしにしてあげる」
「怖い義弟だ」

 凛の旦那様は、これ以上は邪魔だろうから帰るよ、宝石は後から分けてくれよ、と言って部屋から出ていきました。英介と二人きりにされて、つい身を強張らせると、しゃらりと鎖が鳴ります。手枷も足枷も、無骨な金属でできているのに、わたくしの肌が傷つかないように、手足には丁寧にレースが巻かれていました。先ほどまでわたくしの目隠しに使われていた布は淡いリボンで、ぞっとします。
 前に夢見たように、恐れていたように、わたくしは義弟に籠絡されてしまうのかと思うと、身体が震えて仕方ありませんでした。

「姉さん、喉乾いてない?」
「え?」

 突飛な質問に顔を上げると、彼は瞳に酔った色を浮かべて微笑んでいました。彼は机の上に置かれていた水差しから水を汲み、一口だけ、口に含みます。そしてわたくしの身体を膝で押さえるようにして、口移しで水を飲ませようとしてくるのでした。
 必死に口を閉じている間に寝台に倒され、口をこじ開けられます。唾液の混ざったぬるい水が流れ込み、抗いきれずに飲み込むと、彼は唇を離して、満足そうに笑うのでした。息を切らし、咳き込むわたくしの唇に触れ、彼がほうと息を吐くのを見ていると、堪えようと思っても涙が溢れます。

 心の中で、桜燐様と叫びます。助けて、と叫びました。今すぐ英介の元から逃げ出して、彼の腕の中に飛び込みたいと思いました。彼の腕は温かく、愛おしく、口づけだって柔らかいのです。義弟が求めてくるような、支配の中で抗う哀れなひとのままでいるのは、恐ろしくてたまりません。しかしわたくしを繋ぐ鎖の先は寝台に括り付けられていて、わたくしの力では取れそうにないのでした。

「その桜の着物、あの神様に買ってもらったものでしょう」
「ちがうわ」
「嘘が下手で可愛い」

 英介がくすくすと笑います。

「あとでドレスを作ってあげる。そうしたらその着物、もう要らないよね」
「だ、だめ」
「ほら、大事なものだ」

 しゅるりと帯が解かれます。わたくしがぎゅっと目を閉じて、これからされることであることへの恐怖に耐えていると、楽しいことは夜にしようね、と甘い声で笑うのでした。

「僕が大人になったら姉さんをくれるって、父さんが昔言ったんだ」

 昔、というのは、英介が椛田の家に来たばかりの頃のことでしょう。男の子に恵まれなかった椛田の家に、跡継ぎをつくるために貰われた従弟の彼が真っ先に教えられたのは、わたくしを物として扱うことでしたから。きっとその時、後を継ぐようになればあの小娘をやるとでも、お父様が言ったに違いありませんでした。

「それなのに、父さん、姉さんを売ってしまうのだもの。せめて僕が優しくしてあげれば良かった、なんて思ったけれど。こうして攫ってしまえば、関係なかったね」

 英介はわたくしの手枷の片方を解き、鎖を身体の前に回してから、また繋ぎました。そうしてわたくしの指先をそっと撫でて、指輪をしていないことに安堵するのです。

「姉さんはまた僕に飼われて、たくさん抱かれて、泣いて、宝石は父さんがまた売る」

 姉さんを攫うのは父さんがすぐに許してくれたんだよ、と英介は言います。

「あんなにお金もらったのに、父さんってばちっとも商売に使わないんだもの。遊んで暮らせるお金だって、使い続ければなくなる」
「そんなに椛田は生活が苦しいの?」
「ううん、まだ。でも、宝石の品ぞろえが悪くなって、客があんまり来なくなったから、そのうちなくなる。だから父さんは姉さんを取り戻そうとしたんだ」

 しゃらり。鎖の繋がれたわたくしの手を持ち上げて、彼は自分の指を絡ませます。手の甲をくすぐるようなそれに唇を噛むと、彼はあっと声を上げて、こう尋ねてきました。

「あの神様とはどこまでしたの? もう裸は見せたんでしょ?」
「ま、まだ」
「ほんとうかな。まあ、あとで分かるか」

 彼のもう片方の手が首をなぞろうとするのを、自由にされている手で振り払い、彼をきっと睨みつけます。わたくしなぞが睨みつけたところで怖くもなんともないのでしょうけれど、せめてもの抵抗でした。

「どうしてわたくしにそんなに執着するのよ」
「好きだから」
「好きなら、わたくしのこと自由にしてよ。離してよ。桜燐様のところに返して」

 必死で言い返すと、彼はくすくすと笑いました。そんな顔も可愛いね、というものですから、体の芯まで震えるようで、こうして彼を睨みつけることも、彼の嗜虐心を呷るものでしかないと気が付かされます。
 どうすればいいのか途方に暮れていると、彼の指がわたくしの顎に伸び、するりと撫でられたかと思えば、口の中に指が入れられ、舌が引き出されました。その苦しさに彼の手首を掴むと、彼はわたくしの手を握っていた手をほどき、零れる涙をそっとすくいます。

「姉さんを虐める母さんに、子どものころ聞いたんだ。僕には優しいのに、姉さんを虐めるのはどうしてって」

 うっとりとした顔で、彼はわたくしの舌をもてあそびます。わたくしが身をよじる度にしゃらしゃらと鳴る鎖の音を楽しむようにしながら、彼は「母さんは、姉さんを虐めているのは愛しているから、って言った」と笑うのでした。

 お母様は、わたくしのことを少しも愛していません。化け物が自分の身体から生まれてしまったことをただ気味悪く思い、生まれてすぐさま殺していないのだから感謝してほしいとばかりに、わたくしから全てを奪い取ろうとしてきます。英介に愛しているからだと言い聞かせたのはきっと、幼い子どもにそれらしい言い訳をしたかっただけなのでしょう。大人であれば騙されないことでも、子どもなら簡単に騙せると思ったのでしょう。
 英介はお父様とお母様に愛されて育ったように見えましたが、やはり本当の子でない分、溝があったのかもしれません。お父様に跡取りになることを強く要求されていた彼は、どうにも人とは支配し支配されるものだと、愛情とはそういうものだと、理解してしまったのです。分かってはいたことだったのに、わたくしが推測で自分を納得させようとするのと、彼の口から聞かされるのでは、随分重みが違いました。

「僕なりに、姉さんのことを愛しているんだよ。こんな汚いところで、綺麗に綺麗に育ってさ。穢して、ぐちゃくちゃにして、僕のものだって証をつけて、壊したい」

 舌を離し、彼は戻り切らなかったわたくしのそれをちろりと舐めました。それからぽろぽろと零れては転がる宝石をひろい、とろけるような顔で口づけるのです。

 桜燐様、たすけて。どうか助けてください。心の中で何度も、なんども叫びました。このままではわたくしは彼の玩具に戻るどころか、手ひどく扱われてしまいます。自分で逃げることもできないように囚われ、成す術がありません。
 桜燐様には攫われても脅されても戻る、なんて笑いかけてしまいましたが、結局わたくしは、ただの無力な人間でしかないのでした。願いは声となって零れ、喉をわずかに震わせます。すると「愛している」と義弟は軽やかな声で笑って、現実を突きつけるのです。

「姉さんの大好きな旦那様は来ないよ。この屋敷には、綺麗な生き物が入ってこないように、わるい結界を張ったから」

 思わず目を見開き、起き上がろうとすると、彼に押さえつけられました。「英介にはできないでしょう」となんとか問えば、彼は嬉しそうに口の端を吊り上げます。

「隣町に、悪いものを売っている場所があるんだ。そこの店主に、神様が入ってこないように結界を張ってくださいって頼んだら、やってくれた」

 だから姉さんの助けはこないよ。そう言う彼の背に、淀んだ光が見えました。それは気のせいなのかもしれませんし、桜燐様の言う妖魔が憑りついたものなのかもしれません。どちらにせよ、禍々しいそれはわたくしの希望を奪い取り、真っ暗な場所に突き落とすのでした。
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