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一方で……父親の朝①
しおりを挟む時は少し遡る。
その日、エルベ侯爵家当主クロードは、まだ夜も明けきらぬうちに起床した。
隣に眠る、愛しい妻の寝顔を眺める朝のひとときは、彼にとっての貴重な時間である。
けれど今日ばかりは、後ろ髪を引かれる気持ちを抑え込み、朝の支度に取り掛かる。
そして、習慣である家族揃っての朝食もキャンセルした。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「ああ。早くからすまない。行ってくる」
こんな早朝から皇宮へ向かうため、馬車に乗り込む主を見送る執事の表情は暗い。
しかし、同じくらい今の私も憂鬱な顔をしているに違いない。
それもこれも、すべては昨日、レティエ皇太子殿下の言葉に端を発する。
『リリティス嬢を叙勲することになった』
その前に聞かされた、リリティスへの暴行未遂事件について、相当に心を抉られていた私には、殿下の言葉を理解するまでに少しの時間を要した。
(叙勲?リリティスが?)
リリティスの修道院での活動は把握していたし、私も妻も、娘のことは誇りに思っている。
だからといってリリティスの働きが、叙勲されるほどのものかと問われると……答えは否だ。
開戦へ乗り気な貴族派と、保守的な皇帝派が近年稀に見る険悪さを醸していることは十分承知していたが、まさか自分の娘が政治利用される日がくるなんて、思いもしなかった。
しかし、陛下をはじめ、殿下や自分を含む臣下たちの抱える事情は痛いほどわかる故、それについては納得したつもりだ。
問題は、その後に続いた言葉だ。
『卿。私は、そなたの娘を未来の伴侶にと考えている』
『……は?』
衝撃はなかったが、ただただ目の前が、頭の中までもが真っ白に染まった。
想定外すぎて、返す言葉が見つからなかった。
殿下はそんな私の姿をこれ幸いと思ったのか、答えも聞かずにさっさと帰ってしまった。
(大変なことになってしまった)
リリティスは殿下に嫁ぐ気はないし、陛下にもその旨はしっかりと伝えてある。
陛下と殿下……親子間でどのような話し合いがなされたのかは知らないが、なにせあの親子は色々一筋縄ではいかないのだ。
(これは、直接会って話さなければなるまい)
当日の謁見申請……しかも相手が皇帝陛下及び皇太子殿下となると、通るのかどうかも怪しい。
けれど行かねばなるまい。
リリティスは、私たちにとってそれほどに大切で、愛しい娘なのだ。
車輪の回る音を聞きながら、重たい目蓋をそっと閉じる。
目を瞑ればいつでも思い出せる。
リリティスが生まれたのは、寒い冬の日の朝だった。
冷たい空気に鼻の奥がツンとしたことと、雲一つ無い青い空が広がっていたのを今でもよく覚えている。
白い布に包まれた、まだ目の開かぬ赤子を産婆に差し出され、そのあまりの弱々しさが怖くて抱くのを躊躇った。
しかし結局押し切られ、恐る恐る抱いた時、その軽さと反比例する命の重さに心が震えた。
そして、自分そっくりな鼻の形を見て、なぜだか自然と涙がこぼれた。
一生守ってやると、なにがあっても最後まで味方でいてやると、まだ父親になりたてで、心構えもなにもあったもんじゃなかったのに、そんな気持ちが自然と心の奥底から湧き上がった。
大切に大切に育んできた。
そんな娘がある日、恋に落ちてしまった。
いつの日か自分たちの手から……そしてエルベ侯爵家から飛び立つ日がくるのはわかっていたし、その時がきたのなら、娘の意思を尊重しようと思っていた。
けれどまさか、娘の恋した相手が皇太子殿下だとは、いったい誰が予想しよう。
けれど、仕方のないことだとも思った。
レティエ殿下といえば、幼少期より優秀な頭脳に加え、類稀なる身体能力を持つことで有名だった。
そして月の光を編み込んだように輝く銀の髪に、磨き上げた紅玉の如く透き通る瞳は、見る者すべてを魅了した。
それだけでなく、幼い頃よりカスティーリャの次代を担う者としての矜持を持ち、常に高みを目指し研鑽する姿は、私たち大人も頭が下がる思いだった。
(幼い頃は本当に謙虚で、優しい方だったのだが……)
殿下が変わってしまったのは、初陣に出られたあとのことだ。
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